プリウス開発秘話 2 ハイブリッドの始動

今、世界中で150万台近いプリウスが走り回っています。クルマだけに限らないと思いますが、エンジニアにとって自分がその誕生に関わった製品が、世の中に受け入れられ多くの人々に使用していただけるというのは、この上のない喜びです。特にプリウスのように、未踏の領域に挑戦するものであればなおさらです。

さて、前の「プリウス開発秘話」では、カメマークの表示についてお話ししましたが、今回は従来のガソリンエンジン車と大きく変わったプリウスの始動方法と電子式シフトの開発について少しだけ説明したいと思います。

敢えてエンジンをかけた初代プリウス

最初に掲げたとおり、プリウスを含めたハイブリッドが決して珍しいものではなくなり、始動時にエンジンのかからないクルマであることを驚く方も少なくなってきていると思います。ですが、クルマの始動というのはドライバーにとっては非常に大切な所作(儀式?)であり、この一つ一つのシーケンスをどう決めていくのか、その新しい形となるハイブリッドの始動について初代のプリウスの開発設計段階で、様々な議論を喧々諤々と行い、クルマの操作系としての設計指針との整合を取りながら様々な検討をして決めていったことを、今でも鮮明に憶えています。
その結果、初代のプリウスでは、あまり大きく始動・操作系を変更するとドライバーが違和感を受け運転への集中が削がれる可能性があるとの判断のもと、スタートは従来のようにキーを差し込んで、それをひねってエンジンを始動させるという、従来のクルマと同じシーケンスを採用しました。
初代プリウスで搭載していたハイブリッドシステムでも、エンジンを掛けずにモータだけで走らせることが構造上可能でしたが、敢えてスタート時には必ずエンジンを起動させ、システムの正常チェックをし、触媒暖機制御が終了したのちにエンジン停止を行い、モータ走行をさせていました。
その理由は先ほど書いた違和感をドライバーが受けることなくする為であり、というのも当時は、エンジンの始動音とクルマの揺れを、クルマが正常であるかどうかの判断材料の一つにしていた方も多くいたことからでした。また、走行中にエンジンを止めることは燃費向上に寄与するハイブリッドの力を感じることのできる最大の動作のひとつですが、その走行中のエンジン停止ですら「このクルマはエンストするから気持ちが悪い」などとのご意見もいただいたものです。

トヨタ・ハイブリッド・システム(THS)の始動メカニズム

THS
上の図はTHSの構成を示すもので、ご覧いただければ解かるとおり、エンジン軸、発電機、さらにはモータ軸とデファレンシャルギアへ伝達するクルマの駆動力となる出力軸が、遊星ギアの三つの軸に繋がっており、従来のガソリンエンジン車のミッションのようにそれぞれの軸の駆動力を遮断するクラッチはついていません。
THSではギアを介してそれぞれの軸が機械的に繋がっていますので、エンジンを起動させるために発電機をスタータモータとしてエンジンを回転させるときや、エンジンがガソリン蒸気に点火してエンジンパワーを発生したとき、モータでクルマを駆動するとき、さらには減速時にモータを発電機として作動させ回生発電をするときなど、エンジン、発電機、モータ三つの駆動力発生源のどれかを動かす時には、その反作用として他に軸にも反力が伝わる構造となっています。ドライバー操作によらない、エンジン始動や停止による反力によって、クルマが動いたり大きなショックが発生しないように、反力キャンセル制御を行っていますが、最初の始動時や停車中には、安全・安心保証のためドライバーの操作にも制約をつけ、その操作状況を表示し、正規のシーケンスから外れる可能性のあるときには警告音をだしています。
たとえば、スタート時、クルマが停車中であり、スタート操作でクルマが動き出さないことを保証するために、ブレーキを踏んで油圧がでていること、さらにはPレンジに入れてあることをスタート(Ready)条件とし、最初にエンジン始動を行うシーケンスを採用していました。これが成立していないとエンジンが始動せず、またReadyもオンにはなりません。またその状態で、ドライバーがクルマから離れないように、ドアをあけると警告音を出していました。また、停車中のNレンジでは、エンジン始動を行わず、この状態で長時間放置されると、電池の充電ができずにからになってしまうこともあるため、音声により、エンジンを始動し充電ができるように、Pポジションに入れ、Dレンジ操作を行うよう音声ガイダンスを行なうなど、安全、安心保証を考えられる限り考えて設計、評価を行いました。
また、クルマの発進についても様々な検討を行いました。例えば、あまりマナーの良い運転ではありませんが交通量の多い道で、右折時に停車状態から急加速して対面の直進方向から来るクルマを抜けるようにして運転するケースなどは、その運転の是非はあるものの決して見ることの少なくない状況だと思います。ここでクルマに求められるのは、モータ走行からエンジン始動しエンジンパワーを出して急加速することで、もしこのケースでエンジンがかからなければ衝突の危険すらあります。

エンジン起動はクルマの安心の基本中の基本

初代開発当時は、AT車の走行中のエンストは走行安全にも関わる大きな市場問題との認識がある時代でした。その中で、エンジン停止走行をしょっちゅう行うハイブリッド車で、エンジンの確実な始動保証は高いハードルです。強力な電池とスタータ(発電機)によるエンジン高速回転、さらにこの高速回転での確実な燃料噴射と点火、加えて、燃料噴射や点火、さらには発電機や電池など、エンジン起動不良の要因になる故障は、その前兆現象を含め検出感度を高めて検出するなどして、さまざまな意地悪評価を行い、寒冷地、高温地域、山岳路、大都市の渋滞路などを走り回り、耐久走行試験を繰り返し、最後は清水の舞台から飛び降りる覚悟でエンジン始動、停止シーケンスを決めていきました。
ボタン一つで、スタートできるようにしたのは2代目プリウスからですが、今では従来のエンジン車までボタンスタートとなり、またガソリンエンジン車でアイドリングストップ機構を備えるクルマも多くなり、エンジン停止が当たり前の時代になってきたように感じます。
しかし、古いエンジン屋にとっては、長期間使われる自動車エンジンの始動保証は非常にハードルの高い課題との認識でした。エンジン起動技術や故障診断システムの進化、スタータや補機バッテリー品質の向上などにより、エンジン停止システムの実用化が進んできているとは思いますが、エンジン起動はクルマの安心、安全性能保証の基本中の基本であり、信頼性品質のさらなる向上に期待します。