マイコンエンジン制御の黎明

東芝12ビットマイコンTLCS12

先日、東京12チャンネルの「なんでも鑑定団」を見ていると、一般用に売り出した日本初のマイコンキットが出品されていました。それは1976年に東芝から発売された12ビットマイコンTLCS12Aを使ったマイコンキットです。当時の価格が10万程度でしたが、鑑定団のつけた今の価値は100万でした。新品状態で取り扱い説明書も箱も残っていたので、この値段が付いたようですが、ちょうど我々もこの時期にこのマイコンを使ったエンジン制御をやり始めていたので、このTLCS12Aとの名前を聞いて懐かしくなりました。

TLCS12Aが発売された当時は、エンジン制御にマイコンを採用することが自動車エンジニア間で話題となり始めていた時期でした。GMからは4ビットマイコンでガソリンエンジンの点火時期だけを制御するMISAR(Micoroprocessed Sensing and Automatic Regulation)の実用化が近いとの報道がながれ、またフォードから燃料制御、点火時期制御をおこなうEECというマイコン制御システム(EEC)量産化の報道が流れていました。     

このフォードのEECに採用されたのが、東芝TLCS12ビットマイコンで、後になって知ったのですが、フォードからのオファーで東芝と共同が開発をしたものでした。このマイコンは、エンジンの制御用として12ビットが選別されたとのようで使いやすいマイコンでした。とはいえ周辺環境が揃えられていない時代です、最初は担当のエンジニアやテクニシャンがビット操作による機械語からプログラムを作り、その後、今のプログラム言語に比べると遙かに原始的な言語であるアセンブラーとその命令セットのマクロでプログラムを作るっていました。

GMのMISARは1978年にオールズモビル・トロネードに、フォードEECは1978年リンカーン・ベルサイユに採用され、エンジン・マイコン制御時代の幕開けが訪れました。今ではV!0、V8といった多気筒大排気量エンジンやスポーツエンジンから軽自動車のエンジンまで、燃料噴射、点火時期、アイドル回転数、ノック制御がコンピューター制御となり、エンジン・マイコン制御は当たり前のものになっています。

トヨタのマイコンエンジン制御開発のスタート

当時の東芝EEC担当エンジニアの方が書かれたレポートによると、フォードがエンジンのデジタル制御に手を付け始めたのは1971年、それも当時出始めたミニコンピューターを使った実験用がスタートとのことです。インテル製の世界初のマイクロプロセッサー4004が発表されたのが1971年4月、本格的な8ビットマイクロコンピュータチップ8008が発売されたのが1972年ですから、その先見性の高さには敬服します。日本勢はまだまだ欧米勢の背中をあとから追いかけている状況でした。我々トヨタがGM/フォードが、このマイコンを使ったエンジン制御を開発しているとの情報を得たのは1975年頃だったと記憶しています

トヨタ自動車でのマイコンエンジン制御開発のスタートは、私が係長をやっていたチームの若いスタッフが、1976年の夏ごろに、このTLCS12Aを使ったエンジン制御用の自作バラックキットでエンジン制御を行ったのがスタートでした。

これがマイコンキットを使ったのか、バラのチップセットを入手して作ったのか、記憶は定かではありませんが、秋葉原で部品を買い求め、半田付けでエンジン制御用コンピューターを作り、燃料噴射と点火時時期制御のプログラムを組み、クルマに取り付け走らせたところがスタートでした。この際に12ビットマイコンを選んだのは、マイコンはエンジンが吸い込む空気の量をはかり、噴射弁(インジェクター)の噴射時間により噴射量制御を行いますが、この空気の計測と噴射量の時間制御に丁度良い分解能が12ビットだったと判断してのものでした。

16ビットマイコンも出始めた時期でしたが、これでは大げさすぎるし、8ビット2ワードで組むと面倒だし、当時のマイコンの能力では制御のための計算時間が掛かりすぎるしと、それで12ビットのTLCS12に飛びついたと担当者から聞きました。EFIエンジン制御用としては、このTLCS12Aを選びましたが、スタッフがマイコンやそのプログラムの勉強のため、買い込んだのはTLCS12Aマイコンキットのすぐ後に販売を開始したNEC TK-80キットで、これを数多く買い込んで熱心に勉強していました。

私もこの勉強会いは何回か付き合いましたが、緻密なプログラム作りのセンスは自分にはないとすぐにギブアップ、若いスタッフに任せてしまいましたので、マイコンとは開発マネージャーとしての付き合いです。このバラックセット手作りコンピューターの時代のエピソードとしては、この試作車が走り出してすぐ、まだデバッグも不十分のまま、研究所に視察にこられた当時の英二社長が試乗され、よりにもよってその時に故障を起してテストコースでスタックしてしまったことなどを思い出します。

こんなエンジニア達の手探りの探求時代の後、GM MISAR、フォード EECに刺激を受け、トヨタでも本格的にエンジン・マイコン制御開発をスタートさせたのが1977年の始めでした。丁度フォードと共同開発を行っていた東芝からオファーがあり、我々のチームと東芝の共同開発で本格的なシステム設計に入り、まずは助手席の上に鎮座する基本機能検討用のブレッドボードと大きなコンピューターを試作してもらい、そこから設計スペックを決め、周辺回路の集積化、マイコンスペックの決定を行い、量産試作用の集積化したコンピューター(ECU:Electronic Control Unit)を設計していくという、当時の自動車屋にとっては未知のプロセスであるコンピューター開発を経験することができました。

その後の市販化においては、デンソーが加わり、東芝はマイコンチップセットを供給し、周辺回路、制御プログラムはトヨタ+デンソーの3社開発で進めるようになりましたが、スタート時に、少人数のエンジンシステムチームが東芝のエンジニアと向き合って、ブレッドボードコンピュータを作り、エンジン制御プログラムを作り、クルマに搭載してその評価を行い、量産ECUスペックを決めていくといったプロセスを経験できたことは、(自分でプログラムコーディング、デバッギングは行わず、口先介入の役割ではありましたが)大変貴重な経験であり、ハイブリッドシステム開発にも生かせたように思います。

コンピューターの進化(怪物化?)

他の日本勢のマイコン制御エンジンの市販化の先陣をきったのは、1979年日産セドリック・グロリアに採用したECCS、この時代はトヨタVS日産の激烈な先陣争いの時期で、このエンジンのマイコン制御化もその一つでした。排気のクリーン化の手段からスタートしてエンジン・マイコン制御でしたが、日産に先を越され、トヨタは少し遅れ1980年にクラウンに採用したのが始まりです。

その後のマイコンの性能向上、集積度アップは著しく、8ビットマイコンの性能が大幅に向上したため、演算速度でも、分解能でも12ビットマイコンを使うメリットは少なくなり、エンジン制御用マイコンも1980年代の後半には8ビットマイコンに切り替わっていきました。

しかし、今のパソコンではメインメモリーが4ギガ、8ギガが当たり前、ハードディスクではテラバイトのものが1万円以下で手に入る時代です。当時、ROM容量で40k程度、それを使って、6気筒エンジンのEFI制御、点火時期制御、アイドル回転数制御、さらに故障診断まで行っていましたので、隔世の感を感じずにはいられません。

しかし、この大容量のメモリーと超高速演算のマイコンで、35年前のエンジン制御から、走り、スムーズさ、燃費、クリーン度などクルマの機能としてどこまで進化させることができたのか、考え直す時期にきているようにも感じます。当時は一人のエンジンエンジニアが、そのプログラム全部を頭に入れていましたが、今のエンジニアはどうでしょうか?

今年なくなったスティーブ・ジョブス氏が仲間のスティーブ・ウォズニアック氏と組んで、マイコンチップを使ったアップルIを作ったのが、1976年3月でした。前にブログで書きましたが私も1990年からもマック派、プリウスの開発グループにもマック派が多く、開発チームの連絡ツールとしてイントラネットの端末にもっぱらマックを使っていましたので、この1976年春の符合が嬉しくなった記憶があります。なおに、スティーブ・ウォズニアック氏は大のプリウス党とのことで、こちらもマック派の私としては嬉しい反応でした。

参考:
半導体の歴史 マイコンの開発と発展(日本半導体歴史館HP)
http://www.ssis.or.jp/shmj/index.html

TLCS12 EEC
東芝科学館HP 世界初の自動車エンジン電子制御(EEC)マイコン
http://kagakukan.toshiba.co.jp/manabu/history/1goki/1976eec/index_j.html
東芝 自動車制御マイコンの開発(PDFファイル)
http://www.iir.hit-u.ac.jp/iir-w3/file/CASE07-04TOSHIBA.pdf