プリウス開発秘話「二代目プリウスとハイブリッド・シナジー・ドライブ」

「ステップ」の二代目

2003年発売の二台目プリウスから、現在のトヨタのハイブリッド車にはリアとサイドにハHybrid Synergy Driveと書かれたバッジが取り付けられています。今日はこの「ハイブリッド・シナジー・ドライブ」バッジ誕生の経緯について述べたいと思います。

ハイブリッド・シナジー・ドライブ

ハイブリッド・シナジー・ドライブ

プリウスの初のフルモデルチェンジとして2003年9月に発売を開始した二代目プリウスですが、この年の4月にニューヨークで開催されたニューヨーク・モーターショーが最初のお披露目となりました。以前のブログで紹介した、「アメリカのプリウスの父」、2006年に趣味のスタント飛行機を操縦中に墜落死したアメリカでのハイブリッド技術のスポークスマンであったデーブ・ハマンス氏がお披露目の技術説明を行いました。私もその会場におりましたが、その反響の大きさにグローバルカーへの発展に強い手応えを感じたことを思い出します。

「アメリカのプリウスの父」との思い出 

繰り返し述べていることですが、ショーモデルとしてのエコカー、限定モデルのエコカーではリアル・ワールドでの環境保全、エネルギー保全には貢献できません。グローバルカーとして普及拡大してこその次世代エコカーのけん引役になれます。グローバルカーへのホップ・ステップ・ジャンプとして、初代がホップだとすると、二代目はステップをめざすプロジェクトでした。

ハイブリッド関連部品は初代、マイナー・モデルチェンジを経て、ここでほぼ作り直しの新規開発となりました。SUV・ミニバンなど車重の重く、排気量の大きなエンジンのハイブリッドへの技術見通しもついてきたので、「我慢のエコカー」というイメージ、また同時に「広報・宣伝のエコカー」という競争相手の逆宣伝イメージの払拭とハイブリッド車普及促進のシンボルと狙いを定めて設定したのが「ハイブリッド・シナジー・ドライブ」キャンペーンでした。

初代の発売後、風当たりは強かった

二代目プリウスの企画やそのハイブリッド開発が決して順調に進んだ訳ではありません。初代を何とか世に送り出しましたが「出る杭は打たれる」の例えの通り、私自身も社内外で強いアゲンストの風が受けることを予想し、その予想は見事的中しました。トップ役員からのサポートは得られましたが、我慢のエコカーと言われ、THSは「特殊解で品質不安」「高コストでニッチ」との声が囁かれ、さらに社内の一部からも収益面からも「少量限定企画」「それなら次ぎは燃料電池自動車もしくはオールアルミボデー燃費チャンピオンになるのか?」「広報・宣伝用車だ」等の言葉が寄せられました。

ホップ、ステップフェーズとしての主要マーケットであるアメリカでは、販売サイドからの提示台数もわずかで、現地トップからも当時のガソリン価格でこのサイズのクルマでは売れる訳がないと冷たいあしらいも受けました。アメリカに出張する度に、プリウスを乗り、デーブと一緒に販売サイドと話をし、またEPAやCARB、DOEといったアメリカの環境・エネルギー規制当局への働き掛けなど、ハイブリッドへの理解活動を続けました。

2000年マイナーチェンジ後、月を追って販売台数が増え、強力なサポーターも現れてきました。その強力なサポーターの象徴だったのがディカプリオ、キャメロン・ディアスといった有名俳優で、彼らがプリウスを愛車としアカデミー賞受賞式にプリウスで乗り付けるなど(この仕掛け人もデーブと販売サイドの仲間達だったようです)、話題性の後押しもあり少しずつ開発を取り巻く環境も変化してきました。欧州でも欧州カー・オブ・ザ・イヤーで僅差の2位になるなどハイブリッドに対する理解度が進み始めました。

評価を頂いた二代目プリウス

このタイミングでもう一押しと日、米、欧の次世代車ハイブリッド普及を支持してくれる同志たちと仕掛けたのが、世界共通の新しいハイブリッド名称を前面に押し出した二代目プリウスのブランド構築作戦でした。この活動にもデーブがアメリカサイドのリーダ役として加わってくれたように記憶しています。米国のグループから提案されたハイブリッド・システム名称が「ハイブリッド・シナジー・ドライブ」でした。内燃エンジンと電気モーターの「いいとこ取り」、相乗効果、すなわちシナジー効果を高めるのがハイブリッドで、その相乗効果をとりいれたネーミングです。

2002年秋に開催された東京モーターショーのタイミングに合わせ、日、米、欧の関係者だけではなく、豪、アジアの広報担当者にも集まってもらい二代目プリウスプロトタイプの試乗会、技術説明会、懇親会、「ハイブリッド・シナジー・ドライブ」二代目プリウスのステップアップ決起集会とベクトル合わせを行ったことも良い思い出です。

二代目は確実なステップアップをしたという評価を頂き、発売開始後、月を経るごとに販売台数が増加し、当初の計画生産台数ではまったく追いつかず、2009年三代目プリウス発売までの5年間で5回以上もの生産能力アップを行うことになる嬉しい誤算となりました。

この二代目では、北米、欧州とその地区のカー・オブ・ザ・イヤーを受賞しましたが、日本だけは残念ながら頂けませんでした。今振り返ると、我慢のエコカー払拭の思いが強く出すぎたため、エンジンと電気モーターのシナジーを強調するあまり走りのパフォーマンスを強調し過ぎ、次世代グローバル・スタンダードの訴求が弱かったのではと感じています。もちろん、スポーツハイブリッドを目指した訳でもなく、初代と同じ1.5リッターエンジン、電池出力も同じなかで、欧米でストレスなく走れるハイブリッドが目標でした。

欧州カー・オブ・ザ・イヤーの審査では、2000年プリウスの審査ではこのクルマは欧州では通用しないと低い点をつけた複数の審査委員から自分のその時の判断が間違っていたとのコメントと高い点をもらったことを知り、そのストックホルムで開催された受賞式にはハイブリッド開発スタッフ達の代表として自分で手をあげて出席させてもらいました。
審査員の方々と呑んだその夜のワインは銘柄の記憶はありませんが、ことのほか美味しく感じことだけは鮮明に覚えています。

写真2

次の「ホップ」は何になるのか?

初代から15年、二代目から10年、2009年の三代目も、さらにプリウスの弟分アクアもこの「ハイブリッド・シナジー・ドライブ」バッジをつけ、まもなく累計500万台、最初に目指した普及・拡大第1ステージの三段飛びはやり遂げられたのではないかと感じています。しかし、まだ第1ステージ、これからの第2ステージのホップ・ステップ・ジャンプをリードすることも「G21」プリウスの役割と期待しています。

初代プリウス発売直後も、ハイブリッドは水素燃料電池自動車までのショートリリーフと言われ、2010年にも水素燃料自動車時代到来と言われました。また、その水素燃料電池自動車ブームが去ると次ぎは3度目となる電気自動車ブームが到来、この時もハイブリッドはショートリリーフ、すり合わせ型開発の代表ハイブリッドに拘っていると次世代自動車で遅れを取る、ハイブリッドはガラパゴスカー?などの言われ方もしました。その第3次電気自動車ブームも去ろうとしています。

もちろん、イノベーション技術へのチャレンジは大切です。しかし、走り、航続距離、使い勝手、品質、販価、どの部分であっても「我慢を強いるエコカー」では、また「独りよがりのエコの押しつけ」では、さらに税金、補助金、インフラ整備前提の「エコカー」では普及、拡大がおぼつかないことは、このプリウスの15年を見ていても明らかではないでしょうか?

新たな第2ステージの三段飛びの一歩目、ホップとなる第4世代プリウスのハイブリッドがどのように進化し、どんなバッジがつけられているのか、今から楽しみです。