未来は過去のなかにあり
“未来は過去のなかにあり”この言葉は、400年以上もの歴史をもつ薩摩焼の伝統を今に引き継ぐ第十五代沈寿官氏がNHKのテレビ番組のインタビューで話をされたなかのフレーズです。連綿と14代続く沈寿官窯の後継者として、“若い頃は家を継ぐという事に漠然とした不安と嫌悪を感じていました”と沈寿官窯Webサイトのごあいさつにありました。
その不安と嫌悪からの脱出として、イタリアの工房に留学されるなど、自分探しをされその上で、伝統からの縛りではなく、自分の血の流れにある祖先方々が築き上げてきた伝統の先にこそ、自分の進む道が見つかったと述べておられました。
ごあいさつにも、“そして、ようやく漠然とした未知なる『未来』に挑む事は、通り過ぎた未知なる『過去』へ挑むことと同じである事に気付いたのです。その瞬間、私にとって我家の伝統は私を縛るものではなく、私にとってかけがえのない宝になり、それは同時に私の向かうべき道となったのです“と述べられています。
沈寿官窯HP: http://www.chin-jukan.co.jp/introduction.html
沈家伝世品収蔵作品:http://www.chin-jukan.co.jp/museum.php
この話をテレビでも、彼の代表作と歴代の作品の紹介を交えながら、この話をしておられ、感銘を受けました。それ以来、ときどき講演や執筆でこのセリフをつかわせてもらっています。
ガソリンエンジン―135年の過去―
自動車の歴史は、この沈寿官窯の歴史、さらにそのルーツである、中国から朝鮮へと伝わる陶器の歴史に比べるまでもなく、瞬き程度のほんの一瞬です。それでも約135年にわたるエンジンエンジニアの知恵と汗と涙の歴史があります。ガソリンエンジン自動車は1876年にオットサイクルとして名を残す、ドイツのニコラウス・オットーが発明し、これをゴットリーブ・ダイムラーが改良して二輪車や馬車にとりつけて走らせたことが始まりと言われています。しかし、この135年の間に、多くのエンジンエンジニアが知恵を絞り、多くの失敗をし、それを土台として様々な技術進化を果たしてきました。この、技術進化の歴史はアメリカやヨーロッパの自動車博物館や航空機博物館で今でも目にすることができます。有名なところとしては、デトロイトのフォード本社近くにあるフォード自動車博物館、フランスのアルザス地方ミュルーズのフランス国立自動車博物館などで、エンジン改良の歴史を見ることができます。今の航空機はほとんどがジェットエンジンになりましたが、第2次世界大戦まではガソリンエンジンが主力、零戦も先日ネバダ州の飛行機ショーで墜落し観客にも死者をだした当時のリストア機、P51マスタングもガソリンエンジンを使用していました。この飛行機用のガソリンエンジンも、アメリカのオハイオ州デイトンにあるアメリカ連邦エアフォースミュージアムなどで目にすることができます。
特に、飛行機用ガソリンエンジンでは、軽量エンジンでパワーが高く、高々度でもパワー低下が少ないエンジンが戦闘力の源であり、1960年代以降にスポーツカーに使われ、いまでは軽自動車用含め至極あたりまえになった4バルブエンジンや、パワーを高めるために吸い込む空気を圧縮するターボチャージャーも、65年以上も前の航空機用として、それも量産自動車のエンジン技術者としてはうらやましくなるよう加工精度の高い生産技術で、それも大戦末期ではとんでもない数の量産をしていたことが判ります。自動車用として、低コストに生産する生産技術開発と手を携えながら高出力、高効率エンジンとして普及させることが出来た訳です。それを引っ張ってきたのは日本の自動車メーカーのエンジニア達でした。
ガソリンエンジンの熱効率は、ノックを起さない条件では圧縮比を高めれば高めるほど高くなります。熱効率すなわち、燃費改良の歴史は、ノッキング防止技術を追求しながら圧縮比を高めていく歴史でした。オットーの時代では圧縮比2.5程度、それが135年後の今では、3代目プリウスが13.0、最新のマツダ デミオ スカイアクティブエンジンの圧縮比14.0、と5倍以上のレベルにまで高められ、オットーエンジンでは当時の10%程度の最高熱効率が現在のエンジンでは40%近くにまで向上しています。燃焼の工夫、燃料供給と空気と混合させる工夫、空気をシリンダーに吸入し、また燃焼ガスを排気させる吸排気効率向上の工夫、さまざまな損失低減の工夫などなど、先人の知恵の積み重ねの上に今の圧縮比13.0、14.0が成立しています。決して突然のひらめきで技術ワープが起っているわけではありません。
ハイブリッド・プリウスの開発では、燃費2倍の開発命題を与えられ、このエンジンの熱効率の向上と、駆動系の伝達効率向上、車両軽量化、空力性能の向上、タイヤの転がり損失の低減など当時の自動車技術の集大成でもこの目標達成は不可能と判断しました。その達成手段としてエンジン停止、モーター走行機能を持ち、めいっぱい減速回生ができるフルハイブリッドを選び出す必要があった訳です。燃費1.5倍なら今のフルハイブリッドは選ばなかったと思います。過去の低燃費エンジン技術蓄積を結集し、その上でフルハイブリッドが必要と判断して開発にGOが掛けられました。
そのハイブリッドもプリウスが世界初ではありません。量産世界初と言わせてもらいましたが、少量生産としてはいくつかのハイブリッドがプリウス発売の前に売り出されています。講演資料でも使わせてもらっていますが、記録に残る世界初は、ポルシェ社の創業者、フェルディナント・ポルシェ博士が1900年に製造したローナーポルシェとされています。
当時、非力だったエンジン自動車、また電気自動車の走りを改善するために、このハイブリッドを採用したようです。また、アメリカでも、1910年頃に少量のハイブリッド車が販売されたとの記録も残っています。もちろん、モーター技術も、電池技術も軍事用、産業用、民生用として飛躍的に進化しています。マイコンに代表される半導体の発明により、制御技術もこの当時とは比べようもなく進化しています。そこに至る過去の技術蓄積とその経験とそれに基づく自動車用としての土台があったから、100年以上もお蔵に入っていたハイブリッドを蔵から引っ張りだし、21世紀に先駆けましたとして量産にたどり尽かせることが出来たわけです。
ハイブリッドでも、多くの経験が生かされた
もちろん、連綿と開発を続けてきた電気自動車の技術もその土台の一つです。土台技術の蓄積はあったとしても、このフルハイブリッドを量産自動車として成立させた経験はトヨタにもありません。私がそれまで所属していた、トヨタのエンジン技術分野には、新エンジンを開発する場合には、品質トラブルを起さないため、それに採用する新要素技術は一つに留めること、複数の新要素技術を採用しないこととの申し伝えがありました。たしかに、複数採用してトラブルを起した例は過去に枚挙にいとまがありません。
しかし、ハイブリッドの開発では、この申し伝えを守っては全く成り立ちません。その電気駆動部分は電気自動車用の電気モーターからパワーコントローラまで、さらには制御用コンピュータ、その制御ソフトまでトヨタ自動車の内部で技術開発と生産技術開発、さらには少量ですが生産まで行っていましたので、その技術蓄積があり、経験エンジニアが育ってきていました。それでも過去の経験、言い伝えから不十分と感じました。電気自動車のエンジニアには、年に1万台もの生産をし、場合によっては20年以上も使い続ける量産自動車としての品質を作り込む経験は不十分でした。その過去の技術蓄積の不足、経験のない部分を補って、二つどころか全てが新技術のオンパレード、エンジン、ハイブリッドトランスミッション、電池、回生ブレーキ、電気パワーステアリングなどてんこ盛りのチャレンジ技術ばかり、さらにはクルマまで新規開発、品質確保の点では新技術開発でのタブーを乗り切らせたのは、やはり自動車としての過去の技術蓄積と経験を積んだプロ達でした。
ハイブリッドといえどもドライバーの操作で走り、曲がり、止まるを基本性能とする自動車です。欧州勢に追いつけ、品質と信頼性では追い越せと取り組んできた自動車屋としての過去の経験、技術蓄積はたっぷりあります。アラスカやカナダの気温マイナス40℃から中近東やサハラ砂漠のプラス50℃以上、オーストラリアの鉱山、海抜マイナス数百メーターの坑道用の自動車から、アメリカコロラド州パイクスピークの標高4300m、さらにはパキスタンと中国の国境付近、標高5000m越えのいくつかの峠、日本でも長崎、神戸六甲、中部山岳、奥三河、富士箱根、日光のアップダウンの大きな登降坂と様々な走行環境があります。さらに走り方も今でも速度無制限期間があるドイツのアウトバーン、速度制限関係なく吹っ飛ばす中東やアフリカの砂漠地帯での走りまで、その中でのさまざまな意地悪、うっかり操作の数々、そのクルマが使われるさまざまな走行条件のデータ、現地現物での走行経験、その技術蓄積、失敗経験をも受け継いだ専門家たちとハイブリッド技術者のコラボレーションが、この難関突破の切り札となりました。
次世代の自動車も過去からの継続の上で生まれる
過去の経験、技術を磨き上げたプロのシビアな目が、経験の少ないハイブリッド技術の品質、信頼性の作り込みを支えました、生産開始後もお客様にご迷惑をお掛けしましたがハイブリッドの故障、不具合をこのプロ達によるスピーディな原因究明と修理、さらに設計、生産へのフィードバックを行い、この14年にわたる技術蓄積と経験が累計300万台までに到達し、次世代自動車のコアとなるまでに成長させた要因と確信しています。
“未来は過去の中にあり”、過去45年の自動車エンジンの研究開発者として過ごして来ましたが、いまこそこの言葉の重みを感じています。過去の経験、技術蓄積、それを優れた感性で引き出せるエンジニアがいて、そのエンジニア同士のコラボがうまくいて始めて新技術は未来へと羽ばたくことができます。現地、現物、現場の経験を軽視したマニアルエンジニア、コンピュータ作業エンジニア、そのエンジニアの経験とそのスキルを見極めることのできない、ペーパーマネージャ、会議ディレクターでは、世界と勝負する“未来”の商品を作り挙げることは出来ません。
経験とスキルとその集大成としての目利き力を持ち、それを活用して“未来”をリードしようとするエンジニアが最近少なくなってきたように感じます。私一人の杞憂であることを願っています。