トヨタのDNA トヨタの車両主査制度とプリウス

トヨタのWay、トヨタのDNAの一つが車両主査制度です。私が、トヨタ自動車に入社を決めたのは(実際は会社が採用を決めた訳ですが)、初代カローラが気に入り、そのエンジンをやってみたくなったといいた単純な理由ですが、その初代カローラの車両主査(チーフ・エンジニア)を務められたのが長谷川龍雄氏です。入社当時は、車両主査を統括される役員に就任され、私がマスキー対策クリーンエンジンプロジェクトに加わっていた時期には、常務、専務として厳しい排気ガス対策がクルマの性能にどのように影響を及ぼすのか、そのままでは走り、燃費、レスポンスが悪化してしまうクルマをどのような技術でリカバーしていくのか、非常に気にされさまざまなご意見をいただいたことを覚えています。われわれが担当していた、燃費や走行性能を向上される、燃料噴射エンジンの採用拡大、そのマイコン制御エンジン開発を強くサポートしていただきました。

トヨタカローラKE10

トヨタカローラKE10

トヨタカローラKE10(1966年)http://www.toyota.co.jp/Museum/data/a03_09_3.html#1

 

長谷川龍雄氏の「車両主査10ヶ条」

その長谷川龍雄氏が専務を退任され、技術開発のご意見版として技監に就任されたあとに、後輩の車両主査にむけたメッセージとして、「車両主査10ヶ条」を纏められ、これが技術部内の各部署に配られ、車両主査の心得としてだけではなく、トヨタのクルマ作りに携わるマネージャーとしての心得として伝えられるようになりました。
今日はその骨子をご紹介したいと思います。

「車両主査10ヶ条」長谷川龍雄氏]

Ⅰ.主査は自分自身の方策を持つべし.
『よろしく頼む』では人はついてこない!

Ⅱ.主査は常に広い智識、視野を学べ.
ときには専門外の知識、見識が極めて有効 『専門外の専門』を持つ努力!

Ⅲ.主査は大きく網を張ることを身につけよ.
『大局的に如何に手を打つか』それにより将来が決まることがある!

Ⅳ.主査は全智全能を傾注せよ.
『体を張れ、初めから逃げ場をさがしていることを人に感づかせるな』

Ⅴ.主査は物事を繰り返す事を面倒がってはならない.
『自分に(毎日の反省)』『上に(理解を求める)』『協力者に(理解を求める)』

Ⅵ.主査は物事の責任を他人のせいにしてはならぬ。
権限はない、あるのは説得力だけ。 『結果について人を怒ってはならぬ』

Ⅶ.主査は自分に対して自信(信念)を持つべし。
『ぶれるなー少なくとも顔にだしてはならぬ』

Ⅷ.主査と主査付きは同一人格でなければならぬ。

Ⅸ.主査は要領を使ってはならぬ
“顔”“ヤミ取引”“職権”は長続きしない。

Ⅹ.主査に必要な特性。
智識力、技術力,経験
洞察力、判断力(可能性),決断力
度量、経験と実績(良否共に)と自信
感情的でないこと。冷静であること.時には自分を殺して我慢
集中力
統率力
柔軟さ
表現力、説得力 「一定の形はないので個性を生かせ」
無欲という欲

この心得は、どこかの国の何人かの首相、大臣、政治家、お役人に聴かせものですが、これを当時のトヨタの車両主査が実践できていたかは疑問であり、長谷川さんご自身も自戒を込めて、後輩の伝えようと思われたのだと感じています。

しかし、この心得を纏められた背景には、「初代クラウン」の車両主査中村健也氏がスタートさせ、「初代カローラ」の車両主査長谷川龍雄氏がトヨタのクルマ作りの基本として築き上げていったトヨタのクルマ作りの原点を、排気燃費規制対応に見通しがつき拡大期を迎えたトヨタの車両開発陣にクルマ作りの基本から外れないように残しておくとのご意志があったように思います。何万点もの部品から構成されている「クルマ」を車両主査という一人の人間のリードにより、感性を感じ、血が通うお客様に提供する「クルマ」という商品にしていくこと、この重い役割が「車両主査」とエンジンの研究開発という、直接の車両開発の少し外にいた私も理解していました。

当時もこの心得を全て体現されておられるような、神様のような車両主査はおられませんでしたが、ご自分が担当されるクルマへの強い拘りをお持ちの方が多く、無理難題も何度か持ち込まれましたが、その度ごとにこの心得の重さを感じたものです。

この主査心得の中で、長谷川龍雄氏は心得のⅥ.に車両主査には権限はない、あるのは説得力だけ。と書かれていますが、私の印象では「車両主査」は会社の規定集にはっきりと書かれていたかどうかは別として、しっかりとおおきな権限をもっていたと思います。もちろん、なんでも勝手放題をやれる権限ではありますが、「暗黙知」としてだけではなく、トップから担当まで、トヨタのコア商品としての「よいクルマ」作りにベクトルを合わせることがDNAとして染み込んでいたと思います。車両主査のもとに、企画スタッフが集められ、また車両評価の現場組織もそのクルマ専任として車両主査に直結していました。

私が長く携わった、排気対策、燃費対策エンジンの開発では、個別の車種対応ではなく、トヨタ全体のクルマへの対応が求められ、またどんどん厳しくなっていく環境規制の先に手を打つ長期的な取り組みが求められていました。また、新しいエンジンの開発も一度エンジンの生産ラインを起すと10年以上も使われるため、排気、燃費規制の動向も睨みながら車両開発のスパンよりは長いスパンで取り組む必要がありました。

車両主査の何人かからは、エンジン屋は車両主査の言うことを聴かないと何度かお叱りをうけたこともありますが、新しいエンジン、新技術を開発するときには、少なくともそのエンジン、新デバイスを採用する主なターゲット車種をイメージして開発したように思います。先日のブログで取り上げた、セリカXX、スープラに搭載した5MGEエンジンの開発でも、カムリに採搭載したコンパクトツインカム3S-FEエンジンの場合でもそのクルマの性格と狙いをイメージして開発を進めました。当時の車両主査は、自分のクルマに新しい技術を速く取り込もうとたびたびわれわれ研究開発を訪ね、情報収集とこの主査心得Ⅱ.主査は常に広い智識、視野を学べ.Ⅲ.主査は大きく網を張ることを身につけよ.
を心がけておられた方が多かったように思います。

岐路にたった車両主査

しかし、この主査心得を書かれたあたりから、トヨタは急拡大期に入っていきました。アメリカを筆頭に、世界各地にマーケットに進出してするために、クルマの種類、その搭載エンジンの種類が増えていき、さらにエンジン、駆動、車両制御の電子化が進むなどクルマのシステム巨大化が進み始めました。車両主査にⅡ.主査は常に広い智識、視野を学べ.ときには専門外の知識、見識が極めて有効 『専門外の専門』を持つ努力 の余裕がなり、専門部隊に丸投げが多くなったように感じはじめたころに、スタートを切ったのが社内コードG21「初代プリウス」プロジェクトでした。

自動車メーカーとして、次ぎに取り組まなければならないクルマを他社に先駆けてやろうとG21プロジェクトが発足しました。クルマ作りの原点に戻ろうとの意思が強く働いていたと思います。車両主査:チーフエンジニアに指名されたのが、それまでクルマ作りの機構改革リーダだった内山田さんでした。(現技術担当副社長)クルマの振動騒音対策技術の専門家、クルマの専門家ではありませんでしたが、原点回帰の新しいクルマ作りとしてチーフエンジニアに指名され、燃費2倍、量産世界初となるハイブリッド自動車「プリウス」の開発がスタートしていきました。

フレッシュなチーフエンジニア、これは私の憶測ですが、「初代クラウン」の中村健也主査、「初代カローラ」の長谷川龍雄主査など先人たちが築き上げた、車両主査によるクルマづくりを、フレッシュなだけに人一倍に意識されたように思います。

車両主査は、開発着手から生産開始、さらには販売、サービス、広報宣伝活動まで、技術部の開発実務部隊としての総責任者です。プリウスは、「ハイブリッドシステムの開発」ではなく、「ハイブリッド自動車プリウスの開発」であったことが振り返ると成功のポントの一つであったよう感じます。

トヨタプリウス NHW10

トヨタプリウス NHW10


トヨタプリウスNHW10(1997)http://www.toyota.co.jp/Museum/data/a03_18_1.html#1

もちろん、車両主査としてのここで紹介したような主査の心得を実践されたことはいうまでもありませんし、最優先のトップダウンプロジェクトではありましたが、当時まだ色濃くのここっていたビッグ車両主査のリーダーシップのもと、トップから担当まで、開発から生産、販売、サービスまで、クルマを生み出すためにそれぞれ全力を尽くすとのトヨタのDNAを、様々な場面で感じたプロジェクトでもありました。

具体的なエピソードはまたの機会にご紹介したいと思います。