いい車とは、いい将来自動車とは?
ある自動車雑誌を捲っていたら、ある欧州メーカーのハイブリッド車の試乗記で、それまで「省エネのためにハイブリッド車に乗るくらいなら、地下鉄で移動したほうがよい!」と考えていたが、このハイブリッドを乗ってみて「楽しいハイブリッド」の存在を知ったという記述を目にしました。
ここ最近、トヨタのハイブリッドに対してこの手の表現がされる紹介がいくつか目につくようになってきており、徳大寺さんの「間違いだらけのエコカー選び」や、最近発売された徳大寺さん+島下さんの「2011年版 間違いだらけのクルマ選び」などにも、同様の辛口なハイブリッド評、日本のエコ自動車評を散見するようになってきています。
トヨタ自動車を離れたいちシニア・エンジニアとしても正直に言えば、これらのジャーナリストの方々の論評には幾つも反論する材料はありますが、このブログでもなんどか述べたように、ハイブリッドを含めて、エコや低燃費(それもスペック表に乗るデータ)ばかりに目を向けるあまりに、最近の日本車にはクルマとしての根源的な魅力に乏しくなっているという部分では頷首するところは少なくないとも感じて言います。
ただし、地下鉄で移動したほうがましとの論評には、そもそも自動車という道具(モビリティ)が持つ重要性と意味を全く考慮していない意見として、到底同意することはできませんが、走って楽しいハイブリッド車、クルマとしての魅力にあふれたハイブリッド車という部分についても、トヨタを代表とする日本車勢は量産ハイブリッドを生み出した国の矜持として、多くの皆さんを喜ばせるような技術競争をしていって欲しいと思っています。
安全、安心を最優先として、個人の自由な移動手段「パーソナル・モビリティー」としてクルマであることは、これからも変わるとは思いませんし、変わってほしいとも思いません。
クルマに憧れる若者は過去?
昨年のパリモーターショーでも、今年のジュネーブでも、日本のメディアでは欧州勢のHV/PHV/EVなどエコ自動車シフトと報じましたが、人気があったのはやはり、フェラーリ、ポルシェといったスポーツ車メーカーとAudi、BMWの走りを売りとする高級乗用車メーカーのコーナーだったというのはこのブログでもお伝えしました。もちろん、VWやBenz、さらにはPorscheやRolls Royceに至るまでハイブリッド車か電気自動車を出展しており、メーカーの発表資料等だけを取り上げてみれば確かにエコ自動車へのシフトの印象を持つかもしれません。
ただし、欧州のモーターショーを見る限りは、若者のクルマ離れも、日本ほどは感じられず、パブリックデーでは、新しいスポーツカーに対する多くの若者の熱い視線を感じました。
しかし、これも触れたとおりですが、通りエコを全面に打ち出し、ハイブリッドやEV中心の展示を行ったトヨタとホンダのコーナーの人気は高くなく、またエコ以外でもクルマの魅力訴求が弱くなった印象を受けました。特に今のハイブリッド車には環境と経済性など、人間の左脳でのクルマとのイメージに対する反発もあるのかもしれません。
ハイブリッド車に対する辛口の評論に、100%賛成ではないにしても、ある同意できるのは、エコ以外のクルマの基本特性とそのうえでの右脳と五感で感ずるクルマの魅力訴求がおざなり、また制御に頼りすぎでドライバーを置き去りにしているのではとのご意見は確かにそれを進めてきた身としては決して蔑ろにできるものではないからです。ただし、私はエンジニアとして、それらは単純な二分法で分けられるものではなく、その両立こそが自動車技術が進んでいく路だと思っています。
ハイブリッドはまだ若い、でも熟成する余地は沢山ある
ハイブリッド車は、確かにドライバーの操作を電気信号に変え、”走る“”曲がる“”止る”のクルマの基本部分をバイ・ワイヤー制御、電子制御が不可欠なシステムです。しかし、クルマの基本は従来のクルマと同じ、ドライバーの操作が基本、今のハイブリッドではクルマを動かすエネルギーの全てをエンジンが発生させ、電池はバッファーとして使っていますが、ドライバーの操作要求によってレスポンス良くタイヤに駆動力を伝えて走らせることには変わりがありません。また、パワステも電動化していますが、ドライバー操作を油圧の変わりに電気モーターでアシストする基本は変わりません。止るためのブレーキは少し従来車とは異なり、モーター発電による回生制動を目いっぱいとるために、トヨタのハイブリッドでは可能なかぎり電気回生を行い、残りを油圧制動で行く回生協調ブレーキを採用していますので、初代プリウスの開発当時からブレーキ屋に苦労を掛けましたが、ドライバーの制動要求にレスポンスよく、違和感を与えずに、スムースな車両減速、停止を行うとの基本機能は変わりません。
エンジン、電動トランスミッション、電池の基本をしっかり押さえ、それぞれの軽量化/コンパクト化をはかり、その重量配分をしっかり考えたレイアウト設計を行い、制御系はそのうえで、ドライバー操作がクルマの動きにレスポンスよく、ダイレクトに伝えることが重要です。チューニングはその基本ができたうえでの最後の仕上げ作業です。その部分で、違和感があったり、クルマに操られるとの印象を与えるようならば、まだクルマの基本、ハイブリッドの基本が不十分であり、さらに進化させる努力が必要と思います。
車両基本特性の上で、ハイブリッド化の大きな欠点は、電池、モーター、インバーターなど電気駆動部品の重量増、容積増と、その重く、搭載自由度が制約を受けることによる、重量バランス、さらに重量増とも関連するコスト増です。初代プリウスから、三代目プリウスでのハイブリッド改良方向は、まさに構成部品の軽量コンパクト化でした、駆動モーターを高回転で使う、モーター減速ギア方式(リダクションギア)、電池の搭載セル数を減らし、さらにその電池電圧を昇圧してモーターを動かす昇圧コンバーターの採用も、軽量コンパクト化と低コスト化が狙いであり、車両軽量化と重量配分の改良も意識しました。
私はマイコンエンジン制御をトヨタに初めて持ち込み、その電子制御化の推進役をつとめ、最後はエンジン、トランスミッション、ブレーキ、電動ステアリングとすべて、ドライバーの操作系はメカ操作がないいわゆるバイ・ワイヤー(電気信号による制御)システムで成立させたハイブリッドまで、制御システムをクルマに取り込むことに携わってきましたが、常にクルマの基本に戻り、制御に頼り過ぎることにならない様に努め、最後の最後はプロのクルマ屋の感性を頼りにハイブリッド“車”を仕上げてもらいました。
しかし、辛口のコメントを聞くと、まだその努力は不十分か、クルマの基本を制御で無理やり抑えようとの風潮になっていることを心配し始めています。
ただし、完全に同意できないのは、多くの批判のベースが従来車へのノスタルジアをベースと感じられる部分で、それは20世紀の自動車文化とくにスポーツ・高級車の自動車を牽引してきた欧州車へのある種盲目的な礼賛が感じられる部分であり、安全、安心の次のクルマの基本中の基本特性として環境への負荷等を盛り込んだ次世代の自動車が、いままでの自動車村の外から強く求められているという現実を見てはいない意見だからです。
ただし、先ほども言ったように、違和感、操られ感を感じさせるクルマでは、また基本の進化ではなく、おもちゃのような制御デバイスで、エコ/パワーを訴えるだけでは不十分であることは確かです。
難しい注文ですが、ハイブリッドのエコ性能は必要条件ですが、”モビリティ”の基本を押さえ、新しい価値としての右脳を刺激するクルマを生みだすことができれば、欧米だけではなく、世界のユーザーへアピールし、その普及を通じ、結果として、環境保全に繋がり、さらに日本の復活につながっていくことを期待しています。