21世紀への先駆ける、ナンバー1を目指したプリウス開発
先日の新聞記事で、「開発中の日本の次世代スーパーコンピューター『京』が、スパコン性能ランキングで1位になり、これは02年~04年に首位だった海洋研究開発機構の『地球シミュレータ』以来となる国産で7年ぶりの首位奪還」と報道されました。
この分野は09年の事業仕訳で、民主党の蓮舫議員が「なぜ世界一を目指すのか、二番ではだめですか?」のセリフで有名になったものです。実際に予算削減が行われたかどうかは定かではありませんが、その状況の中での世界一奪還には、この事業仕訳で追及されたことも発奮材料となった強い意志による快挙と感じました。蓮舫議員は、「1位が自己目的化しないように、学術、産業界の将来の明るい夢に具体的につなげていくことを期待する」とのコメントを残していますが、もちろん、このコメントにある「学術、産業界の未来の夢につなげる」ことを目指し、事業仕訳の狙いでもあった「無駄を排除したぎりぎりの予算で」の条件はついて当たり前ですが、科学技術立国日本のシンボルとしてもこれからも世界一維持をめざし、手を緩めずにその進化に取り組まれることを期待します。これで、昨年世界一であった中国勢(NUDT天河一号A)の巻き返しも見もの、フェアな競争があってこそ科学技術は正常に進化していきます。
ハイブリッドプリウスの開発でも、間違いなく世界一、世界初を意識して開発に取り組みました。世界初のハイブリッドとの厳密な定義では、プリウスは該当しません。プリウス発売後の講演で、わたしも紹介していましたが、まだガソリンやディーゼル自動車が主流になる前、ポルシェの名前のハイブリッド車が内燃機関自動車の弱点をカバーするものとして開発されています。今年のジュネーブモーターショーのポルシェ・ブースでこの世界初のハイブリッド自動車を、「ポルシェ918スパイダー」、「ポルシェカイエンハイブリッド」「ポルシェパラメーラハイブリッド」と並べ、誇らしげに展示していました。1997年にプリウスの発売に先駆け、アウディ社が60台のディーゼルハイブリッドを市販しましたが、ベースのディーゼル車と燃費は変わらず、その60台のみで打ち切りになっていました。プリウスは量産ハイブリッド車世界初と紹介しましたが、発売を前にその物言いが議論になり、当時のトップが量産というなら最低限 月1,000台の生産は必要との決断をいただき生産規模を決めたいきさつがありました。われわれ開発陣も、量産世界初というからには、継続して販売できるようなクルマを目指そう、一回限りの広告宣伝車ではなく、21世紀のスタンダードを目指すとの想いと志で一致していました。
ハイブリッドでのナンバー1争い
1990年~1995年にかけては、アメリカ・カリフォルニア州の大気環境規制強化として、究極のクリーン車として排気ガスを出さないゼロエミッション車、すなわち電気自動車の販売をある一定量の販売を、GM、FORD、Toyotaなど販売台数の多い7社に義務付けるZero Emission Vehicle(ZEV)規制の導入を決めました。各社とも電気自動車の開発に力をいれましたが、マーケット商品として、実用化のハードルは非常に高く、ハイブリッドもZEVと認められる可能性もあるとして、ハイブリッドの研究開発が一時盛んに行われました。この7社のほとんどは、ハイブリッドの開発もやっていたと思います。
1993年になると、カリフォルニア州はエンジンをもつハイブリッド車はZEVとは認めないとの決定を下し、ZEVをめぐるハイブリッド開発競争は沈静化しました。しかし、トヨタをはじめとする日本勢は、排気のクリーン化というよりも、ハイブリッドによる燃費提言、CO2排出削減に着目してハイブリッド開発を継続したようです。トヨタは量産化一番乗りとして地球温暖化問題が議論された京都COP3開催に合わせ、1997年12月の販売開始を目指しました。初代プリウスは国内向けに限定したことから、ホンダはそれから2年弱遅れの1999年9月にアメリカ初を謳い文句にインサイトの発売を開始しました。われわれも、一番乗り競争にやぶれ悔しい思いを何度もし、その度に次の巻き返しを誓いあいましたので、このときのホンダさんの悔しさと、2人乗りであっても燃費NO.1の奪還と、アメリカ初のタイトルを何が何でも手にいれようとの本気度を痛切に感じました。当然、開発スタッフに、負けてはなるものかと次の指示を出したことを覚えています。
2000年マイナーチェンジのプリウスでは、電池、モーター、トランスミッションからインバーターに至るまで、ハイブリッドのほぼすべての部品を作りかえるぐらいの大改良をやりましたが、国内の公式燃費値が30越えの目標を達成できず、10-15モードで29㎞/lに留まってしまい、次の年2001年に発売されたシビックハイブリッドの29.5㎞/lに抜かれてしまいました。これはホンダが間違いなくプリウスを意識してチャレンジした燃費と思っていますが、気を緩めると抜かれるのが当然です。
私は目前に次の2003年のモデルチェンジが迫っていましたが、このまま同クラスのハイブリッドの後塵を拝しては本家ハイブリッドの沽券に係わると、コンパクトクラス燃費NO1の奪還の檄を飛ばし、仕様小改良の申請を行い31㎞/lと抜き返してもらいました。その上、2003年のモデルチェンジでは、35.5㎞/lとさらにダントツ一番を獲得しました。もちろん、お互い様でしょうが、相手の技術は細部の細部まで調べ上げ、その次の手まで考えながら追いつかれない様、抜かれない様にチャレンジし続けることが技術進化の源と今も信じています。
今以上、これ以上を求める競争が、技術進歩を生んだ
燃費の一番争いについて述べてきましたが、もちろんクルマとしてのトップ争いは燃費だけではありませんし、公称燃費値の競争だけを意識しているわけではありません。2003年モデルチェンジは走りの性能向上、静かさなどなど、内輪ではコストを下げて収益性の改善も目標、燃費も社内目標では実走行での燃費向上が優先度の高いターゲットでした。しかし、カタログにも載り同じ試験のやり方で同じ走行モードを走り測定される公称値も大切な目標です。
グローバルに激烈な開発競争を繰り広げている自動車の世界で、すべての面でダントツ一番を目指すことはほぼ不可能です。おかげさまで、昨年の販売台数ではお客様にダントツ一番の評価を頂いたことは、開発に携わったものとしてはどの一番よりもうれしいことですが、これで天狗になっては進化が止まります。“走る”、“止まる”、“曲がる”の基本性能ではまだまだ学ぶべきクルマ、改良すべき点が多々あります。技術進化に終点はありません。燃費ナンバーワンを守りつつ、その他の性能でもそれぞれのナンバーワンに使づける努力が大切です。
もちろん、新技術導入やカタログにのるスペックの一番争いや、Car of the Year受賞争いだけがチャレンジではありません。初代プリウスでは、故障が多く、品質の面でお客様にご迷惑をおかけしましたが、迅速な故障原因の究明と的確な修理支援に開発スタッフの精鋭による特別チームが全国を走り回り、故障部品の再発防止、品質向上に即断即決、部品製造現場にまで入り込み、現場の人たちとともに品質向上に努めてくれました。ハイブリッドではない普通車の品質レベルが目標で品質一番をめざしたわけではありませんが、この活動が功を奏し、普通車の品質レベルを上回るどころか、初代最後の年2002年には、アメリカのJ.D.パワー品質ランキングでカローラやシビックなど普通車を押しのけてコンパクトクラスナンバーワン品質を獲得することができました。これは今もわれわれの勲章です。
ハイブリッド開発はそれまでのトヨタの80点主義からの脱皮をめざすものでした。どの分野であっても、1番をめざしてこそ、1番になる可能性が出てきます。2番狙いでは、結局2番にすら届かないことが通例です。さらに現代のシステム規模が大きくなった科学技術開発では、一人の天才ではなく多くの知恵と努力を結集させなければその一番狙いの目標に近づくことすらできません。最近、若者の理系離れが進み、科学技術分野で世界一の声を聴くことが少なくなったのではと心配をしていました。スパコン『京』の世界一奪還にならい、2番狙いではなく多くの一番狙いのチャレンジを期待します。