プリウス、ハイブリッドの13年間
プリウス年間販売新記録樹立
今年、プリウスの国内販売台数は11月までに29万7563台に達し、1990年にカローラシリーズ(カローラ/スプリンター)が記録した30万8台という年間販売台数記録まで2445台に迫っており、登録業務の終了している今日時点(30日)でこの記録を超えていることは確実となっています。
カローラが記録を作った1990年は国内自動車販売台数が778万台と史上最高を記録した年で、ご存知の通り国内販売台数はこれをピークに低下の一途を辿っています。昨年などは、リーマンショックに起因した不況による消費の冷え込みの影響などによってピークの1990年に比べ40%も低下した461万台となっていましたが、今年はエコカー補助金の効果などもあって少しだけ持ち直し国内販売台数は500万台に届くか届かないかという数字が予測されています。このような状況下での販売台数記録の樹立というのは、少なくない意義があるのではないかと個人的には思っています。
初代プリウスから、今のプリウスの企画まで、開発に携わってメンバーの一人として、ここまで多くのお客様にご愛用いただいていることに心より感謝申しあげます。また、国内外の至る所でプリウスが当たり前の普通のクルマとして走っているのを見かけるようになったことに隔世の感を覚えます。
そこで、初代プリウスの発売をスタートさせた丁度13年前の12月のことを思い出し、今年最後のブログとして、欧米に追いつき追い越せと取り組んできた自動車屋として、次の自動車技術として何とかリードしたいと取り組んだハイブリッドプリウスの生産時のエピソードをご紹介し、少し怪しくなってきた日本のリードをどうまき直すか考えてみたいと思います。
プリウスが生まれた日
1997年12月10日(水)に豊田市にあるトヨタ自動車高岡工場のカローラ生産ラインの隣に作られたサブラインからプリウスの初号車がラインオフしていきました。とはいえ、私はいくつか残っている心配点の対応に追われ、残念ながらこのラインオフ式には参加できませんでした。
また、通常ではラインオフしたクルマはそのまま各地の販売店に送られ、お客様の手元に届くのですが、この時のプリウスは少し違っていました。実は、クルマの品質としてお客様にお出しして良いかの最終判定をする出荷品質確認会議が次の11日にまで繰り延べになってしまっていたのです。
出荷品質確認会議というのは、開発から生産、そして品質保証の実務責任者が一堂に会して生産開始前まで行って来た様々な不具合対策の状況とその確認結果のレビューを行い、さらに現地現物でクルマを最終確認する場です。この会議を経た上に、更に工場の管理責任者の承認を得て、ようやくクルマは実際に出荷されることとなります。
とはいえ、通常のクルマであれば生産がこの段階に達しているのであれば、出荷品質確認会議も、生産サイドと品質保証サイドそして車両企画グループの少人数が参加した、一種のセレモニーで終わるところです。しかし初代プリウスでは、出荷の最後の最後まで確認を行い、実務部隊のスタッフと責任者が共同責任として出荷にGOサインを出すこととしました。この提案に異議を唱えるスタッフはいませんでした。それは、関わった皆の心に、最後の最後まで現地現物で品質の追及をするという「Toyota Way」が埋め込まれていたからに他ならないと私は思っています。
その会議が終わってようやく、プリウスは生産された高岡工場から、続々とトレラーに積まれて各地の販売店さんに向かって送り出されていきました。これが世界で初めて「量産されたハイブリッド・カー」が生まれた瞬間です。
街を走り始めるプリウス
この12月の年始年末休みまでの間、販売店にお届けしてお客様に納車した台数は約300台でした。たった300台ですが、このハイブリッドプリウスが、一般の道路で走り始め、最初の連休を迎えます。先ほど書いたように万全を期し、また安全・安心性能は念には念を入れて確認し、意地悪に意地悪の試験を繰り返し送り出したつもりです。しかし、不安を抱いて送り出したというのが正直なところでした。
今だから白状しますが、新規システムや新部品のオンパレードで完全新設計のクルマです、故障の発生はあって当然と覚悟していました。更にそれに加えて、開発期間も短いことから修理書の作成も不十分、販売店サービススタッフへの説明とトレーニングに費やす時間も非常に限られたものとなり、状況は決して楽観できるものではありませんでした。
もちろん、安心、安全に関わる問題が発生したケースでは、生産を停止させ、また既にお売りしたクルマへの緊急対処が行うこと、さらにそこまで至らない不具合であっても、早急な原因究明と修理を行い、不具合をおこした部品やシステムの改良・改善をスピーディに行うこと、これが全く新しい機構ハイブリッドを備えたクルマを世に送り出す我々の使命だと考えていました。
そこで、不具合を起したクルマのお客様へのご迷惑を最小現に抑え、また販売店サービスの修理活動を支援し、そのクルマでの再発を防止し、さらにその不具合の真因を探り、それが広がらないように処置をする特別チームを発足させました。この特別チームの結成は、ハイブリッド開発に加わっていた車両評価のベテランスタッフの提案でした。
プリウスサポート特別チームの働き
特別チームの活動開始日は1997年12月22日の月曜日。チームは品質保証部隊のオフィスを拠点として、また全国販売店のサービス活動も支援することになりますので、トヨタ内のサービス部門とも連携をとった活動を行います。メンバーは基本的には常に動けるように拠点に待機し、販売店が店を閉める年末の30日~1月4日も帰宅はするもののホットラインは常に繋いでおき直ぐに緊急出動を出来る体制をとりました。またインバータや電池、ハイブリッドトランスミッションなど、ハイブリッド用の大物新設部品を全国主要サービス拠点にストックする手筈も整えました。
初動は、26日(金)の大阪であったように記憶しています。大阪のある会社に納車したプリウスが、その会社の構内で故障コーションを点灯して止まったとの報告です。その連絡を受け、HVQRと名付けたチームメンバーがモニター用として使っているプリウスで豊田から大阪まで走り、販売店スタッフと一緒にその不具合状況を確認しました。ほぼ故障原因の目星をつけ、その可能性がある部品をいくつか交換し、再発しないことを確認し、その日のうちに交換部品を回収し帰ってきました。
我々はすぐに原因の絞り込み作業に入り、問題報告内容と回収された部品から、トヨタの工場で製造しているモータ/発電機制御用のコンピュータの不具合が原因と突き止めました。そこで我々は、連休で停止中の工場検査ラインを稼働し、故障を起した部品を特定する検査を行うこととしました。その工場の検査担当スタッフは長期連休で帰省中でしたたが、すぐに工場に駆けつけてラインを動かしてくれました。
なぜそこまでしたかというと、その部品単独の問題か、設計上の問題かの特定を早急に行う必要があると判断したからです。これが設計に起因する問題ならば、すでに販売店さんに配車したクルマやすでにお客様に納車したすべてのクルマと、連休明けに計画している生産予定のクルマ全てに問題があることとなり緊急措置が必要となります。対策が打てるまでの生産中止も覚悟しました。もし、部品単独の問題であっても、その不具合の可能性を掴み、その部品製造と検査段階にフィードバックをかけ、不具合部品のコンピュータ製造工場納入への流出防止と製造ラインでの再発防止へのアクションが必要です。
検査の結果は、海外半導体メーカ製の小さな半導体チップを構成している多くのトランジスター回路のたった一個の不良でした。そこまで突き止め、工場検査担当、コンピュータ設計担当、納入部品の商社と、納入済み部品の再検査、輸入部品の検査強化による不具合部品の流入防止、部品製造会社での再発防止と流出防止のアクションプランを29日の内には決め休みに入ることができました。これ以外に、2件の不具合連絡を受けましたが、いずれも30日までに処置を決めることができました。
これはほんの一例にすぎません。このような臨機応変、冗談抜きに特別チームによる24時間体制のスピーディな修理支援、原因調査、改善対策の活動を続け、プリウスの不具合発生率は1998年秋には立ち上がりの時期に比べて三分の一までに低減されました。しかし、こうした不具合発生で多くのお客様にご迷惑もお掛けしました。せめて、修理はスピィーディに、また同じ不具合の再発だけは避けようと取り組みました。お叱りもいただきましたが、多くの励ましもいただき、これも特別チームスタッフやその活動を見守っていたわれわれの支えでした。
本当の「もの作り」は作るだけではない
こうした、クルマとして、ハイブリッドシステム全体として信頼性、品質向上の弛まぬ活動、この活動とリンクした構成部品の一点一点に至るまでの改善作業をやりきる力が日本のもの作りパワーの源泉と実感しました。この活動の結果として、従来車よりも30%近く部品点数の多いハイブリッド車が、アメリカの品質調査などの市場調査、コンサルタント会社J. D.パワー社が選ぶ、2002年コンパクトカークラスの初期品質NO1の獲得を果たすことができました。これはわれわれにとっても、今も大きな勲章です。
ハイブリッドシステムというシステムイノベーションにチャレンジしたうえで、この日本のもの作りパワーで量産技術としてとんでもないレベルの信頼性、品質向上に取り組でくれた人たちの活動に支えられ、安全、安心、さらに懐にも優しく、これからの当たり前のクルマとして、20年ぶりの国内販売新記録に結びついたものと思います。
イノベーション技術にチャレンジする人材、そのチャレンジ技術を量産商品としての信頼性、品質の作り込み、さらに現場の知恵に知恵を重ね弛まぬ改善に取り組んでいる人材、そのチームプレーと共同作業を行える人材群が日本のアドバンテージです。
「~に先駆けて」がプリウスの由来、また「21世紀に間に合いました」のキャッチフレーズで送り出した初代プリウス、国内販売新記録を記録する最量販車にまで育てていただきました。そろそろ、次は「~に先駆けて」のイノベーション技術にチャレンジするプリウスの役割に戻る時期かもしれません。それがどのようなチャレンジになるのか、その夢を描きながら来年を迎えたいと思っております。