車両横滑り防止装置の義務化とハイブリッド
昨年、「道路運送車両の保安基準の細目を定める告示」の一部改正され、今までは任意の装着であった、車両横滑り防止装置(ESC=Electronic Stability Control)とブレーキアシストシステムの装着が、自動車の走行安全性向上の効果が大きいことから、その装着が義務づけられることになりました。
「乗用車の制動装置に関わる協定規則(第13-H号)」の改正
(PDFへのリンクです。)
この改正により、普通車の新型生産車は2012年10月1日、継続生産車は2014年10月1日以降に生産される自動車については、これらの装置がなければ日本国内では販売できないこととなりました。軽自動車も、それぞれその2年遅れで装着が義務づけられます。
このESCはメーカーにより呼び方が違い、トヨタではVSC(Vehicle Stability Control)と呼んでいます。さらに、ハイブリッド車など電動パワーステアリングを採用したクルマでは、このVSC機能と電動パワーステアリングなどを統合制御したS-VSC(Steering assisted VSC)、VDIM(Vehicle Dynamic Integrated Management)といった名前でも呼ばれています。
車両横滑り装置とは?
このESC、VSCは急激なハンドル操作、旋回中に凍結路に進入したりして自動車がドライバーの予期しない状態で不安定な横滑り状態になったことを、クルマのヨーレートセンサー(旋回方向への回転角変化速度検出センサー?=スピンなど車両の急激な回転姿勢変化)とハンドルの操舵角センサー、加速度センサー、4輪それぞれの車輪速センサーの信号をもとに検出し、ブレーキ(ABS: Anti-lock Brake System ),駆動パワー(TRC:Traction Control)、場合によってはハンドルの操舵力を制御して、安定状態に戻す制御システムです。
これまではオプション設定でしたが、走行安全性向上に効果が大きいこと、また日本では欧米に比べ装着率が上がらないことから装着が義務づけられることになりました。
もちろん、タイヤの性能や、車両の重量配分、サスペンション形状、そのチューニングなどによって決まる、クルマの基本的な走行安定性能を越える、無茶なアクセル操作や、急激なハンドル操作による横滑りまですべて安定状態にできるわけではありませんが、雪道など凍結路や、高速でカーブを回っているときにたまに遭遇してヒヤッとする水溜りに進入したときなどに車両の横滑り防止に効果を発揮します。
走行安全の基本は、「走る」「止まる」「曲がる」の様々な走行状態でどんな場合でもしっかりタイヤが路面とグリップしている状態で走らせることです。ラリーレースやジムカーナ-では、タイヤを滑らせ、それをアクセルワーク、ハンドル操作で車両姿勢をコントロールして走らせるドリフト走行もありますが、これはあくまでもレースでの話、一般道路ではしっかりグリップを確保して走らせることが安全ドライブの基本です。ある国では、一般路でタイヤをスリップさせ煙を出しながら発進したり、ドリフト走行をしたりすると、無謀運転、危険運転として検挙されることもあります。
まず「走る」状態での不安定状態はタイヤのスリップです。雪道発進でのスリップ、凍結路に飛び込んだときのスリップ、このスリップを検知してエンジン出力を絞り駆動力を減少させグリップ状態にもどすのがTRCです。トヨタでは1987年のクラウンにオプションとして採用したのが最初でした。私はこの機能開発段階のエンジン制御担当マネージャとしてこのプロジェクトに付き合いました。当初の狙いが雪道発進性の向上でしたが、生まれてからトヨタに入社するまで北海道で過ごした私としては、雪道でも凍結路でもスリップ・グリップを自分でつかみながらアクセルコントロールで走らせるのが当たり前の感覚、最初のシステムでは自分のアクセル操作よりもとろい発進しかできず、過剰介入と感じ、TRCの効果が理解できませんでした。
しかし、北海道の士別にあるテストコースである程度スピードを出して雪道、凍結路を走ってみると、旋回時にスリップを検出して駆動力抜いてくれると冬の運転で安心度が増すことを実感しその将来性に注目しました。
WikipediaのTRC(トラクション・コントロール)ページ
ちょっと脱線しますが、F1レースやカートレースのクルマでもTRCが使われていた時期がありました。F1では運転技量の差が小さくなるとのことで2008年に禁止されましたが、トヨタのモータースポーツ担当者からTRC採用されているときのレーシングドライバーの反応として面白い話を聞きました。アメリカのカートレースで、一人のドライバーはTRCの採用でコーナーリングが楽になったと大好評、もう一人のドライバーはかえってやりにくくなった、制御の過剰介入だとのクレームをつけたとの話です。想像がつくかもしれませんが、後者の過剰介入といったドライバーは後にF1にも参戦した世界的に有名なドライバーで、前者はそこまでの成績を残すことが出来なかったドライバーです。
一般のクルマでは、タイヤグリップをしっかり確保する安全走行が第一、しかしTRCの例でも、北海道のドライバーは当初(私もそうでしたが)発進時にはTRCを解除し、スリップをさせながらグリップ点を探り、スピードがでてからTRCボタンを入れるケースが多かったようです。深い轍からの脱出では、どうしても前後にクルマを揺すりスリップさせながら脱出させるケースも多く、TRC制御でどこまでやるかはまだまだ微妙なところが残っています。
ハイブリッドとVSC
プリウスのハイブリッドシステムでは、その機構上、タイヤがスリップしたときの遊星ギアのある軸が設計保証回転数を超える危険があるため、初代からタイヤスリップを検出してモーター駆動力を抜くスリップ防止制御の採用が不可欠でした。TRCとほぼ同様の駆動力制御を行いますが、こちらは部品の保護が目的ですので、従来のTRCのようにキャンセルスイッチは付けられません。初代はかなり荒い、ショックがでるような制御でしたが、一部のユーザからはTRCもどき制御として好評でした。しかし、北海道のユーザからは、雪道発進性や、タイヤが埋まってしまった状態からの脱出ができないと苦情もいただき、キャンセルスイッチの採用を要望されました。しかし、部品保護のため、アクセルの踏み込み方ではスリップ駆動力を与えることで勘弁してもらいましたが、今のプリウスはどうでしょうか?
「止まる」状態での不安定状態はタイヤのロックです。雪道、凍結路、水たまりでのブレーキ時に、タイヤがロックしてしまい、クルマの挙動が不安定になる現象です。この状態で制動距離を短くするには、ロック、グリップの限界状態で制動をかけるのが大切で、その制御を行っているのがABSです。これも北海道出身の私としては、ABSが開発されるまでは人間ABS、いわゆるポンピングブレーキでカバーするのが常識でしたが、技量によっても差が出ます、慣れといっても初雪の時には感がもどらず、また片輪ロック、旋回時ロックではやはりどん状況でも制動力を維持してくれるABSの必要性を強く感じました。
エンジン開発担当の時は、この「止まる」ABS機能とは直接関係を持ちませんでしたが、初代プリウスのハイブリッドでは制動機能として、モーターを発電機として回生発電を行い、油圧ブレーキとのあいだで回生協調ブレーキを採用することになり、ブレーキ機能、ABSとも関わりを持つことになりました。ハイブリッド開発チームにブレーキエンジニアを派遣してもらい、回生協調ブレーキの回生発電と油圧ブレーキでの制動力の分担割合の調整方法などブレーキチームとコミュニケーションを密にしながら開発に取り組みました。低燃費の追求でぎりぎりまで回生発電による制動力を出すことを要求し、初代ではカックンブレーキと指摘されるなど、ブレーキグループを苦労させることになってしまいましが、今ではさらに回生分を増やし燃費を向上させながらブレーキフィーリングの改善も実現しています。
ハイブリッドのABSでは、これもハイブリッドの機構からくる思わぬ制御性悪化に遭遇しました。トヨタのハイブリッドシステムTHSでは、エンジン、発電機、モーターが遊星ギアを介して接続されており、さらにその駆動力がギアを介しデフ軸からドライブシャフト、ホイール、タイヤと途中にクラッチを持たずに機械的に繋がっています。形のうえでは、ホイール、タイヤの重量(慣性重量)が重くなった状態です。この状態では、タイヤがロックし、ABSが作動しブレーキ油圧を抜いても、従来のクルマのようにはタイヤがグリップを回復し回り出すのが遅れ、ABS性能が低下してしまうとの現象です。これは、応答性の良い電気モーターを使って、タイヤを回す駆動力を与えることにより解決しました。これが、駆動力と制動力をレスポンスの良い電気モーターで積極的に横滑り防止にも使ってやろうとの切掛けの一つになったと思います。
2代目プリウスでは、回生協調ブレーキの制動力制御性を高めた、本格的なブレーキ・バイ・ワイヤーシステム、ECB2(Electronically Controlled Brake System2)が採用されました。油圧ブレーキと回生ブレーキの協調度合いを強め、積載量や乗車人員の違いによる制動力配分の最適化、これも今回から採用が義務づけとなったブレーキアシスト機能の強化、モーターTRC、これらを組み合わせたVSC、さらにVSCで横滑りを検知したときABS/モーターVSCに加え、VSCと電動パワステの操舵力アシストの協調制御(いわゆる、若干のカウンターステアを与える制御)で走行安定性をさらに向上させるS-VSC(Steering-assisting VSC)を採用しました。レクサスハイブリッドでもこのシステムをベースとしたVDIMが採用されています。
千差万別なドライブ環境、義務化が到達点ではなくこれからも進化を
エンジンマイコン制御、エンジン電子スロットルによるTRC、そしてハイブリッドの回生協調ブレーキとモーターTRCと、電子制御系の進化に歩調を合わせて、エコ・低燃費だけではなく、車両の駆動力、制動力を制御して発進性、旋回性、制動性、さらにそれを駆使した横滑り安定性まで、クルマの開発屋として付き合ってきました。その技術進化には隔世の感を覚えます。しかし、それだけに敢えて、“制御のまえにクルマの基本を大切に”を強調したいと思います。
安全な走りの基本はタイヤのグリップ、そのレベルを決めるのはタイヤ、シャシー、重量、その配分などによるタイヤへの加重分配、それをきっちりと抑え、駆動、制動力をその走りに必要なだけきちっと応答性良く出せるエンジン、モーター、電池、ブレーキの基本設計を行い、その上での制御です。それも、テストコースの整備された一定の路面だけではなく、実際の季節、温度、積雪量、日射など、さまざまと変化するReal Worldでの路面状況で基本のタイヤグリップ状況の確認が重要です。ドライバーの技量も千差万別、難しいことですが過剰介入と言われず、しかし横滑り回避をしっかりするクルマが目指すところです。
横滑り制御の装着義務づけの話から脱線してしまいましたが、ハイブリッドもこの横滑り防止・VSC機能の面でもモーター駆動、回生制動機能を生かし、その先頭を走ってきました。クルマの基本を抑えたうえで、応答性良く、駆動力と制動力を発揮できる電気モーター駆動をさらに進化させることで、安全、エコ、低燃費はあたりまえとして、さらにクルマを楽しく、快適に走らせるためにもまだまだ進化させることができると思っています。