東北関東大震災
最初に、東北関東大震災により、被災された皆様に心よりお見舞い申しあげます。
一日も早い復旧と、皆様のご健康をお祈り申しあげます。
11日の東北関東大震災を時間、丁度自宅の2階にある書斎でパソコン相手に仕事をしていました。自宅のある静岡県三島市でも、長周期の横揺れが始まり、少しずつ大きくなりPCデスクの上に置いてあるプリンターが揺れ出し、そのプリンターとディスプレーを落下しないように抑えながら地震が収まるのを待っていました。しかし、なかなか収まる様子がなく、また下の今にいる妻が心配になり、急いで階段を駆け下り妻とともにテレビを付けました。それ以降、TVと見続け、またPCでのインターネット情報チェック、メールチェックで週末を過ごしてしまいました。
私がこれまでに直接体験した最大の地震は、今から43年前の1968年5月、教授室で進路面接を受けるため待っている時に遭遇したM7.9の十勝沖地震で、5階の教授室の廊下でその廊下がぐらぐらとうねり、立ってはいられずしゃがんでしまったことをいまだに覚えています。最近では2年前の8月に自宅で経験したM6.5の静岡沖地震も大きな揺れの経験でした。それに比べると、2年前のような、突き上げるような強い縦揺れは感じませんでしたので、近くの地震ではないと思いましたが、そのどちらの地震でも経験したことのない長い時間の揺れに、巨大地震の発生を感じたものです。その時の速報では、宮城沖M7.9の地震、次々と起る大きな余震、さらに津波警報、その津波到来のTV映像と、非日常の時間のスタートでした。
その後修正された地震のマグニチュードはM9.0と、想像を超える巨大地震でした。つくづく、日本が巨大地震の集中する地震国であることを思い知らされました。私の祖父の出身は、今回の被災地となった岩手県宮古市でした。祖父は今から113年前の1898年6月に発生した三陸沖地震の20mを越える津波から命からがら避難したとの話を聞いた記憶があります。そのときの記録によると、大船渡市の一部で38mの波高を示したとの記録が残っています。
この地方のその後の津波に対する防災の考えは、この時の三陸沖地震の記録を指針として作り上げられたようです。しかし、今回はこの指針による想定を遙かに超え、この指針をもとに作られたさまざまな津波堤防を乗り越えて多くの被害を出したとのことです。
昨年のブログでは、クルマの安心と安全について、何度か偉そうなことを語ってきました。
今回の大震災で、クルマどころか人のもっとも最重要な生活の安心、安全に対しては、自然の大きな力とエネルギーを前にすると、今の科学や技術がまだまだ無力であることを思い知らされました。それでも、今回もいろいろなところで言われている想定外との言葉には、科学、技術に携わる一員として、役割放棄ではないかと大きな抵抗を感じます。
1898年明治三陸沖津波の最大波高は38m以上、これは確かに三陸特有のリアス海岸に起因して発生したものですが、仙台から福島にかけての海岸にも1000年以上も前の大きな津波の痕跡がのこっており、また直近で言うとM9.4を記録した2004年スマトラ沖地震の津波では奥まった入り江でないところでも、今回の津波に近い高い波高を記録しています。
自然災害に対する、安心、安全性を、クルマのアナロジーで語ることは適切ではないかもしれませんが、以前は、クルマの安心、安全設計の考え方としては、過去の経験、調査、さらにはその外挿からの最悪ケースを想定してダメージを推定、安全強度の面では、過去の経験則では埋められないことを想定して安全マージンを上乗せして決めてきました。
計算機が発達した現在では、さまざまなケースを絨毯爆撃のように計算し、経験則からくる安全マージンを減らす方向に動いてきたように感じます。これも、どれくらいの使用条件、環境条件、作動条件の経験則の想定内での計算で求めています。その計算結果は決して想定外をカバーするわけではありません。せいぜい、想定すべき範囲の見落としをカバーするだけです。
今回の大震災のケースでも、ある想定した条件で津波堤防の整備、防潮ゲートの整備などを進めることにより、目を覆うような災害とは言え、それでもこのレベルに防ぐことができたとの意見もあります。それも事実ではあると思いますが、われわれ、科学者、技術者はもっと謙虚に、安心、安全設計に対しては科学・技術での想定範囲、条件の設定に人知を尽くし、また過去の過去をさかのぼって、想定外のケースに遭遇しないように見極める努力が必要と感じました。
福島原発事故では、現時点では現場で必死に事故拡大防止、放射能流出防止のオペレーションに必死で取り組んでおられ、その方々の不眠不休のご努力によりさらなる想定外の不測の事態を回避されることを今は祈るのみです。
しかし、事態が落ち着いた段階では、地震国での原発の安全確保のため、どこまでの想定をして、どこまでの想定外のことがおこり、どこまでの想定外オペレーションが必要だったのか、さらに、この事態を想定に置いたときに、どこまで想定範囲を拡大して安全対策を打つ必要があるのかを明らかにし、その安全対策を早急に確実に実施すること見守りたいと思います。
昨夜は計画停電のTVもなく、無線LANでのインターネット接続もできない非日常の暗闇の中で、自分がやれることは何か、どのように被災した人たちを支えられるか、久しぶりにパソコンにも向き合わず考える時間を取ることができました。
今、大震災の現場で、自衛隊、警察、消防、海上保安庁、地方自治体の関係者、さらにはその地域のボランティア、多くの被災者ご自身の多くの方々が、被災した方々が少しでも安心、安全に過ごせるように、不眠不休の努力を続けておられ、その活動には頭の下がり、感謝の気持ちで一杯です。
海外の報道でも、原発事故拡大に対する日本原発安全神話の崩壊との報道記事とともに、この100年間で世界5番目、日本での観測史上最大の大地震、それが引き起こす大津波被災に対し、一方では、全ての新幹線を安全に停車させるなどの防御を果たした防災技術の高さと、被災後の迅速な対応、整然とした救難活動、被災者の整然とした避難活動と復旧への取り組みなど、海外メディアの目からは想定を越える不屈の日本人パワーをたたえる報道もめにつきました。
このパワーがあるかぎり、この大震災の復興は可能です。私もこの復興活動を支援し、さらに日本の安心、安全社会の復活にむけ、自分でやれるアクションをやっていくつもりです。