自転車というモビリティ

今週は、武久がIEEE(電気電子学会)Daniel E Noble Awardの受賞式に出席のため、尚史が代打で更新します。

いま、自動車関連では今月20日発売予定の日産リーフとそれに伴う電気自動車の話題で一杯ですが、それに触れるのは実際に触れてから(遠くないうちにレンタカーが出るようです)ということで、今回は自動車ではない話題を取り上げてみます。

今回は自転車についての話です。

存在感を増す自転車

自転車は、自分の肉体に次ぐ身近なモビリティ、つまりは移動用の機器としては最も近しい存在と言うことができると思います。僕も高校時代は最寄りの駅まで自転車で通学していましたし、駅の周辺に大きな駐輪場がある風景は特に都市近郊では極めて日常のものとなっています。学生だけでなく、自転車通勤もツーキニストという言葉とともに、認知度を上げているところです。

また最近では、スポーツとしてのサイクリングの人気も高まってきています。僕もロードバイクを持っており、たまに荒川の河川敷で走っているのですが、実感として休日の自転車乗りの数がどんどん増えているのを感じています。また休日に山の方にドライブに行けば、カラフルなジャケット・パンツ・ヘルメットを着けた自転車乗りが必死に山を登っているのを見ることは特に珍しくは無くなってきました。(僕は脚に自信がないので、山に行ったりしません……)

自転車そのものも進化をしており、電動アシスト付自転車も法規の改正と電池性能の向上で格段に進歩し価格的にもリーズナブルなものとなっています。

自転車の問題点

そんな風に存在感を増している自転車ですが、一方では問題点を抱えたモビリティであることを否定することはできません。さきほど駐輪場が日常の風景にあると言いましたが、繁華街などの放置自転車もまたよくある風景となっています。また道においても、道路を逆走する自転車や、自転車通行可となっていない歩道を走る自転車など決して珍しくはありません。(細かい自転車の法規については、警視庁のこちらのサイトを参照。)

また、僕の暮らす場所は運送倉庫街が近く住宅街の近隣まで大型トラックがやってくる場所なのですが、僕が引っ越してきてこの数年のうちに半径1キロメートル以内で何件も自転車の関係する交通事故があり、幾人もの方が自転車の事故によって命を落としています。特にここは東京の区内であるので自動車ではなく子供の送り迎えに自転車を使う母親が多く、その中には痛ましいことに母親と小さな子供が亡くなる事故なども含まれており、この事故はメディアによっても報じられ、子供を補助いすに乗せて自転車に乗る際の安全性への危惧が提唱されました。

勿論、こうした問題に対しても、それぞれ対策が行われています。例えば、放置自転車は撤去することによって、極めて危険な運転をする自転車は検挙することによって、子供と二人乗りする際は専用の自転車の開発やヘルメットの義務化など。

しかしながら、免許のいらない身近な乗り物であるからこそ、なかなか簡単には自転車に関する問題点が解決するには至っていないというのが現状だと思います。また「日本の道路が自転車の使用を前提に作られていない」ということに対しても、様々な場所から発言があるものの、その整備に対する明確な方策は示されていません。

これからの自転車について

健康志向や環境負荷の面から、自転車に対する期待は大きく、日本でも自転車の利用についてはこれからも促進されていくものと思われます。
僕は、そうだとするのであれば上に挙げた対症療法的な手法だけではなく、自転車もモビリティの一部として考えた、自転車利用に関してもグランドデザインを描く必要があるのではないかと考えています。また、今回は触れませんでしたが原動機付き自転車を含む二輪車(バイク)についても、同じように再考する必要があると感じています。
つまり、これらを個人用のモビリティとして、抜本的な再考をするということですね。

普段このブログでは四輪車つまりクルマを中心とする機会が多いのですが、モビリティという枠で考えると様々な可能性や道筋を考えることができると思います。そして、いまがそれを行う良い機会だとも考えています。具体的な理由としては、いま電気自動車などは将来のインフラ整備を前提として話題を振りまいています、もしそのような交通インフラの大変革を行うのであれば、それこそすべてのモビリティを含めた交通全般を見直す議論をする最大の機会のはずです。

いつもと毛色の違う話となってしまいましたが、次世代自動車が走る未来の街の想像の片隅に、自転車を含めるなどして想像の解像度を上げてみれば、より明確な未来像が作られるのではないかと思います。