プリウスのある最初の正月 16年前の年末・年始

さすがに道で初代プリウスの初期型を見かけることは少なくなってきました。この初期型を我々は「カツブシ」と呼んでおり、前後のバンパーの黒い防振ゴムで初期型と2000年マイナー後を見分けることができます。

初期型の生産が豊田市にある高岡工場で始まったのが1997年の年の瀬の迫った12月10日、その年にお客様にお渡しできたのはわずか300台程度だったと記憶しています。発売とともにその年のカーオブザイヤーなど、自動車関係の賞を総なめにし、新聞、雑誌、TVと大きく取り上げられていましたので、街を走っていても注目の的でした。

生産を開始しディーラーで販売が開始しても、われわれ開発チームの仕事がそれで終わりではありません。ほっとするまもなく、チーフエンジニアやハイブリッド開発リーダーだった我々は様々なイベント対応や取材対応に追われ、そのころにはすでにマーケットでの不具合対策支援特別チームが動きだしていました。

通常のクルマなら、販売前にしっかりと修理書を作成し、サービスツールを用意し、新機構、新技術が使われる場合には事前に販売店のサービスマンに集まってもらい時間をとり説明と修理トレーニングを行っています。しかし今だから明かせる話ですが、プリウスではその修理書を充分吟味する時間もなく、サービスツールも開発中のハンディー版のみで、その不具合診断ソフトも十分ではありませんでした。

最初のプリウス不具合対策は聖火リレー伴走車

立ち上がりには万全を期したつもりですが、開き直った言い方とはなりますが新機構・新技術がてんこ盛りのクルマで、不具合が起こることも想定の内として覚悟していました。それに備えて、ハイブリッドシステムの品質、信頼性監査のリーダーが、自分がチーフになり販売店サービスを支援とその対策チームによる特別活動をする提案してくれました。不具合報告を受けた販売店に出向き、サービスマンを支援しその対策処置をし、次にその不具合が起こらないように設計、製造段階への早い改善フィードバックを行うことがそのチームの役割です。

チームの初動は、実は12月10日~に販売を開始したクルマではなく、その前の量産トライのクルマを白ナンバー登録したイベント対応車でした。このプリウス量産トライ車が次の年に開催された長野オリンピック聖火リレーの伴走車として使われていましたが、このクルマで起きた不具合が最初だったと記憶しています。オリンピック聖火の伴走車ですので、きわめて低速の走行が継続し、そうした走り方の中で連続走行後のあるタイミングでいわゆる“ビックリマーク”を点灯し止まってしまう不具合です。これを解決したのも彼らのチームでした。

その伴走車の走り方から不具合発生までのシーケンスをヒアリングし、その走行パターンを自分たちの試験車で何度も何度もトライをし、システム制御チームからヒアリングをしながら原因を突き止めていく作業です。この原因もこの走行パターンでしかおこらないバグ、偶然に近い確率で起きる問題がほとんどで、突き止めるまでが大変です。

そこまで突き止めれば不具合対策は簡単です。これが年末年始を迎えての特別活動のトライとなり、また品質保証部隊、サービス支援部隊との連携、さらに、設計、生産、調達チームとのコミュニケーションネットワークもこうしたトライ、その各部隊へのフィードバックで太くなっていったように思います。

プリウスの不具合報告で幕を開けた1998年

本格的な活動は、その年末休暇入り前日の26日から30日までは休日出勤で、その後の大晦日から4日までは販売店の休みに合わせお休みのつもりでしたが、すぐその初日からの出動となってしまいました。

プリウスにハイブリッド部品を納入している大阪の会社が買われたクルマが納車後すぐに“ビックリマーク”点灯で動かなくなってしまったとの連絡です。Dレンジで走り始めようとしたら数センチ下がりそこで止まってしまったとの報告に、青ざめたことを覚えています。

チームメンバー3人がプリウスに乗り、すぐに大阪に出張し、販売店サービスと一緒に調査しました。サービス用ツールを使い吸い上げた故障時情報と、チームメンバーのシステム制御設計スタッフと共同で突き止めた不具合原因がモーター制御用コンピュータ不良でした。

このコンピュータを生産していたのがトヨタの広瀬工場で、すでに郷里へ帰省していた工場検査の責任者に会社に戻ってもらいました。休日出勤で検査ラインを動かし、大阪から持ち帰ったコンピュータを検査してクルマでおこした不具合が再現することを確認してもらいました。さらに、その不具合がモーター制御に使っている回転数と前後進判定をおこなっているセンサー信号を受ける海外製ICを構成しているトランジスター1個の製造不良であることまで、その日には突き止めていました。

全国の販売店サービスへの事例紹介と修理方法の連絡、連休明けにそのICの受け入れ検査の強化、コンピュータ検査ラインでの不具合落としプロセス追加など、戦略をまとめて大晦日と正月を迎えました。はらはら、ひやひやしながらの年末、年始でしたが、元旦にはプリウスのモニター車で京都の八坂神社に初詣に行き、ハイブリッドの発展を祈り、いつにない額のお賽銭をはずんだことを思い出します。

結局この不具合は、連休明けのアクションが功を奏し、このクルマとすでに配車していた数台のクルマで喰いとめることができました。

年始休暇明けには関東地区に大雪が降りました。初代プリウスでは、雪道や凍結路でタイヤがスリップすると、トランスミッションのギアが破損するモードがあるとのことで、トラクション制御に似たスリップ防止制御を入れていました。

これまた言い訳ですが、冬の確認とチューニングが不十分で、とてもトラクション制御と言える代物ではなく、場合によっては大きなショックが発生しましたが、これがまた怪我の功名、時ならぬ東京の大雪でこのトラクションもどき制御が結構スリップ防止に役立ったとのことを後で聞かされました。

この制御は、その後2000年マイナーチェンジでの改良、2003年の二代目プリウスの電動パワステ、回生協調ブレーキと連携してモーター制御を行うS-VSC(Steering-assisting vehicle stability control:横滑り防止システム)へと発展していきました。

現場が支えたプリウスの立ち上げ

この特別チームの活動は1998年秋まで続き、その後も特別との名称はなくなりましたが2000年マイナーチェンジでの欧米展開、さらにこれまでのサービス支援活動の経験を生かし2003年の二代目でさらに故障診断方式、診断ツール、修理マニュアルの大改訂へと繋がっていきました。このような活動が、昨年に累計500万台を超えたトヨタハイブリッドの発展を支えてきたと信じています。

一時、トヨタの安全品質問題での大転倒でプリウスのハイブリッド制御も疑われました。この安全・信頼性品質への初代からの取り組みが踏襲されていれば、疑いは晴れると信じていましたが、一抹の不安はぬぐえませんでした。しかし結果はご存知の通りで、米国運輸省、宇宙航空局NASAなど制御系の専門家が綿密な調査を行い、制御系には問題なしとの判定が下り、われわれのやり方は正しかったとホッとしました。

現場を見なければ良いクルマは作れない

このブログでも、現地、現物、現車の現場主義がトヨタウェイの基本と述べてきました。この現物主義は何も、トヨタ社内の開発現場、生産現場、サービス現場だけに限定したものではありません。

今日のブログで紹介した、海外製IC不具合では、このICを取り扱った商社スタッフの方々が飛び廻り、時間をおかず、試験装置を追加して輸入品の受け入れ検査を強化してくれました。海外調達部品の製造会社が倒産しかかり、その梃入れと欠品がでないように動きまわったのも、日本商社の方々とトヨタ調達スタッフです。ここも立派な現場です。

このような活動をしっかりマネージするマネージ現場、それをフォローし承認する役員そうの経営現場、このすべてを現場と呼んでいます。このさまざまな現場のコミュニケーションがとれたから、あのハイブリッド・プリウスは立ち上がれたと思っています。

最近クルマのプラットホーム統一化がエスカレートし、大規模モジュール化がブームになってきています。その対比として、ハイブリッドがその典型として擦り合わせ型の開発、現場主義は時代遅れなどと言われていますが、この扱いには大いに違和感を覚えています。

自動車メーカーの設計評価エンジニアが大規模Tier1メーカーに開発を丸投げしデスクワークエンジニアになってしまっては、ここでご紹介した活動はできません。今回ご紹介したICチップまでとは言いませんが、クルマの安全機能、商品機能にかかわる部品、構成システムを知らずして、ブラックボックス化しては良いクルマの開発はできません。

車両チーフエンジニアを中心に、各機能、各部品会社が共同でマーケット、クルマの使い方、使われ方に隅の隅まで目配りするトヨタの、また日本勢のクルマ作りはいかに大規模モジュールが避けられないにせよ、大切にしてほしいアドバンテージと思います。