プリウス開発秘話 プリウスの“グライダー走行”

今日の話題は、二代目プリウスでこっそりと採用したプリウスの“グライダー走行モード”です。グライダー走行という名前は、以前のブログでとりあげた初代プリウスからのプリウス普及に支援いただいたユーザーサイト「プリウスマニア」のどなたか“マニア”の方が名付けた走行法から名前を頂いたものです。燃費向上にこだわりながらも、しかしはた迷惑にはならない程度の低燃費運転をするときに有効な手段として、ハイブリッドの開発エンジニアと車両評価のエンジニアがこのモードを作り出しました。

具体的にはアクセルペダル全閉状態から、ほんの僅か踏み込んだ領域に「モーター回生(発電)もモーター出力(電池出力)も行わない駆動力ゼロのニュートラルゾーン」を作りました。アクセル操作でこの領域に入れると、エネルギーモニター表示上は電池への回生を示す発電矢印も電池からモーターへの電力出力矢印のどちらもでない空走状態とし、それを作りやすくするアクセル-モーター駆動力特性のチューニングでした。このアクセル操作で作れる空走状態でクルマを転がす走りが“グライダー走行”と呼ばれるようになり、燃費向上ティップスには欠かせない運転方法として紹介されるようになりました。

「現地・現物」からあがってくるアイデア

何度かこのブログで紹介しましたが、初代プリウスからハイブリッドシステム開発の基本は「兎に角クルマを走らせて、クルマに聴く」でした。

二代目プリウスに搭載れるハイブリッドシステム開発の頃、私自身はハイブリッド普及の広報宣伝活動、ハイブリッドの試験法や将来環境規制、燃費規制についての渉外活動、トヨタの欧米スタッフと次ぎの企画についての意見交換などで飛び回ることが多くなり、初代の時ほど実際にプロト車で走り回る時間はとれなくなりました。

しかし、トヨタのDNAであり、私の自動車エンジニアとしてのポリシーは「現地・現物」による現車での開発です。役員との会議をサボってでも開発スタッフに車外走行試験の機会を作ってもらい、車外走行に連れ出してもらいました。この機会が何よりの貴重な時間で、会議で報告を聴くよりも、この試乗しながら聴く開発状況、課題、さらに走行性能、燃費性能の課題や改良の着眼点などは何よりも重要な情報源でした。

もちろん、走行中に確認できる技術課題を自分で再現するのもこの機会を活用しました。初代の市場問題の状況もこの走行試験中に報告を受け、対応策を相談したものです。この“グライダー走行”の考えも、このような確認走行中の議論から燃費向上用として確認し、二代目プリウスで取り入れた方式です。

当時、初代プリウスの低燃費運転ティップスは「プリウスマニア」の中で、たしか満タン走行距離1000km越えをめざし、いろいろ盛り上がっていたように思います。1997年12月発売から2000年5月マイナーチェンジまでを初代初期型と呼びますが、この初代初期型では満タン1000km越えが低燃費チャレンジの一つの大きなターゲットで、マイナー後は燃費向上に力をいれましたので、この1000km越えのハードルは比較的誰でも達成できるようになり、1200km越え、1400km越えを競いあっていたと記憶しています。

われわれ開発陣もこの「プリウスマニア」などユーザーサイトの情報はフォローしており、低燃費ティップスも自分たちでその効果を確認したりしていました。その中で、ほぼ平坦な道や少し下り勾配のアクセル全閉状態で僅かの減速や惰行運転を行う時には、そのまま全閉だと車速低下が大きくなるので、「N」レンジに入れて惰行させたほうが低燃費となるとのティップス報告がありました。

これを受けて設定したのが、“グライダー走行モード”です。車両マニュアル上にも、走行中の「N」レンジシフトは他の不具合発生の恐れがあるとの理由で推奨していませんが、低燃費チャレンジとしてトライするユーザーがかなりいらっしゃったようです。

「N」レンジにいれずに惰行出来るようにしたのが“グライダー走行モード”

走行中の「N」レンジシフトは、エンジンを停止したEV走行中においてはモーターへの通電を止めるだけですので、システムに対して特に大きな問題を発生させるわけではありませんが、減速回生が効かないことと、補機系への通電が長く続くと電池切れの恐れがあること、「N」レンジのままではエンジン起動も行わない設定なので、一部潤滑切れの心配などが残るため、推奨はしませんでした。

しかしながら、「N」レンジを上手く利用すると、確かに走り方によっては燃費向上に効果的な手段となります。この考え方を「D」レンジでも取り入れたのが“グライダー走行モード”になります。

「D」レンジのままの走行でもこのモーター電力ゼロのアクセル開度は存在しますが、それは一瞬通過するだけで、そのアクセル開度を維持することはほぼ不可能です。ですから、初代プリウスのエネルギーモニター上も、回生でも力行(モーター駆動)でもない状態、つまりどこにも矢印がでない画面を確認できたかたはおられなかったと思います。

前方の信号を見ながら流れの良い道路でアクセルを少し開けてクルマを惰行させ、信号が変わるタイミングを合わせて通常の巡行スピードにもっていくことで燃費向上を図ることができることはよく知られています。しかし、従来エンジン車では、アクセル全閉ではエンジン空回しの一定の減速度のエンブレ状態から、惰行しようとしてアクセルを踏むとエンジンが起動しAT車ではクリープ状態の駆動力へのステップ的に駆動力が変り、その中間を維持することはできません。これに対し、ハイブリッドのモーター走行では、アクセル全閉のエンブレ状態からリニアにモーター駆動力を出していくことは可能です。「B」レンジは使わない程度の緩い下り坂では、アクセルワークで減速度を調整しながら車速をコントロールすることも可能です。

このハイブリッドでのモーター走行の特徴を生かし、「N」レンジに入れることなくこの惰行状態を使いやすくしたのが、この“グライダーモード”です。種をあかせば、アクセル全閉状態から僅かに踏み込んだ状態でモーター電力ゼロのとなるアクセル開度域を意識的に拡げてそこに維持できるようにしただけです。少し慣れれば、この開度をキープし、またこの開度を基準に減速度の微調整、モーター走行のままの緩加速がやりやすくなります。この“グライダー走行”は、新型車解説書やマニュアルにはあまりきちっと説明しませんでしたが、ユーザーの方々には低燃費運転のティップスとして知れ渡っていったようです。

“グライダー走行モード”はカタログ燃費には影響がない

THSのようなフルハイブリッドでは、マイルドハイブリッドに比べると大出力のモーター/発電機(モータージェネレータ:MG)とまた大容量の電池を搭載し、たっぷりと減速エネルギー回生を行い次のEV走行や加速アシストに再利用し低燃費を実現しています。しかし減速回生をやったとしても、頻繁な減速、加速の繰り返しは燃費悪化の要因です。流れに乗り、減速させないで済む状態ならば惰行走行を使って速度維持をおこない、次の加速をしないか、加速度を抑えて走らせると結構燃費を稼ぐことができます。

AT車に慣れた日本・アメリカのユーザーの方を中心に、アクセル全閉、アクセルONの繰り返し運転、いわゆるスイッチ的なアクセルの踏み方をされるかたをよく見かけます。この運転は燃費悪化の大きな要因となります。また、アクセルをチョット踏んだだけでパワーが出るクルマを好まれる方が多く、微妙なアクセルコントロールでの車速コントロールが不得意の方も多いので、「車両マニュアルなどでこの微妙なアクセルコントロールを推奨するのは押しつけがまし過ぎる」と判断して詳しい説明も止めたように思います。

なお、実はこの“グライダーモード”の設定は、カタログに記載し広告資料に謳える公式燃費の向上にはほとんど寄与しません。このカタログ燃費に使う公式燃費は、日本ならJC08など、各国・各地域で決められた排気・燃費試験公式モードを走行して測定します。日本のJC08、米国のEPAラベル燃費、欧州のEUモード燃費の公式モードでは、いずれも平地で人工的に決めた走行パターンを走らせるため、この実際の一般路走行でたびたび遭遇するこういった“グライダーモード”を使う領域がほとんどありません。

このモードは、カタログ燃費だけではなく、実燃費向上にも拘ったハイブリッド開発エンジニアの心意気の一つとして採用した方式でした。初代プリウスから二代目プリウスでは、エネルギーモニター表示もナビ画面を切り替えて表示するようにしていました。これも車両チーフエンジニアの提案で、われわれシステム開発メンバーも表示方式、データの出し方、その切り替えに知恵をだして、低燃費運転を楽しみながらやっていただこうと作り上げたものです。

「プリウスマニア」などユーザーサイトで、こうした“グライダーモード”を見つけ出して、低燃費運転法として盛り上がっているのを眺めながら、作戦成功とこの提案してくれたスタッフ達と喜んでいたものです。

エコ運転もスポーツ運転も楽しく安全に出来るクルマへ

三代目プリウスからは、エネルギーモニターはメインインパネの常設となり、二代目までのように時々ナビ画面を切り替えて大画面でエネルギーフローを見ることができなくなり、またスイッチによるエコモード設定により“グライダー走行モード”もその中で吸収・見直しをされたようで、初代・二代目の開発にどっぷりと関わったOBとしては少し残念な感じです。

とは言え、二代目プリウスはカタログ燃費だけではなく実燃費向上にももちろん力をいれ、初代からの志である世界で通用するグローバルカーとして「我慢のエコからの脱却」を狙って開発したものです。それは3代目プリウス以降も受け継がれています。

エコの押しつけではなく、エコを意識するときは周囲をよく見て、交通の流れを乱さない状況では“グライダー走行モード”のようなものを駆使して楽しんでエコ運転をやっていただき、燃費を気にせず気持ちよく走りたいときは安全と速度違反を気にする程度でエコはあまり気にせず時にはアクセルを思い切って踏み込み、クルマとしての走りを楽しんで欲しいものです。そのどちらも楽しめるのが、これからのクルマの基本条件だと考えますし、またどちらも楽しんでこそ、走り方がいかに燃費に影響を与えるのかを実体験として得ることが出来ると思います。