トヨタ・ハイブリッド・システムTHSの2013年問題?

先週8月15日の日経新聞に「トヨタ2013年問題、HV特許切れは危機か、機会か」との記事が掲載されました。要諦としては「これまでトヨタのHV特許によって、欧米、韓国勢のハイブリッド車参入が遅れていたものの、2013年にトヨタの特許が切れるとこぞって参入する。ハイブリッドマーケットが賑わえばハイブリッド用電池に使うリチウム資源の確保に向かい、このところ一時のブームが沈静化していたリチウム資源獲得競争が激化する可能性がある。またトヨタの特許問題がネックで開発が進まなかった中国でのハイブリッド車開発も進む可能性もあり、日本もうまくすればハイブリッド車革命の恩恵に浴せる可能性がある」との記事でした。

HV特許で参入が阻まれた?

実のところ、トヨタのHV特許が、他社のハイブリッド車の新規参入を妨げているとの記事にはびっくりしたというのが正直な感想です。このシナリオ通りに「トヨタのHV特許が切れて新規参入が活発になり、ハイブリッドマーケットが拡大する」なら大歓迎ですが、トヨタのHV特許があったからこれまで他社の参入が阻まれていたとの論調にはいろいろな意味で「?」を感じてしまいました。

というのも、このブログでも紹介した通りで、20世紀初頭のローナーポルシェハイブリッド車を引き合いにだすまでもなく、自動車用ハイブリッドは量産こそ「21世紀に間に合いました!」と先駆けることができましたが、古くから研究開発はさまざまなメーカー、研究所が行ってきたもので、また今では大手自動車メーカーの殆どがハイブリッド車を販売している状況であり、特許によってトヨタが独占している状況という訳ではありません。

初代プリウスで採用し、今ではトヨタ/レクサスの乗用車、ミニバン、SUVに搭載しているエンジン停止、EV機能を持つフルハイブリッドであるトヨタ・ハイブリッド・システム(THS)は、遊星ギアを使ったユニークな機構を採用しましたが、この遊星ギア機構自体はレオナルドダビンチの時代にも動力伝達機構として文献にも載っており、また自動車用動力伝達、変速機構としては極めてポピュラーな機構です。

さらに、THSと同じ構成のハイブリッドシステムは1950年代にアメリカの自動車部品会社から基本特許が出願されており、当時のモーター設計技術、モーター制御技術では車両搭載用の試作には至らなかったようですが、機構そのものはバラックモデルとして作動確認まで行われていたようです。初代プリウス搭載のTHS開発スタート時の特許調査でも、この特許がピックアップされており、すでに有効期限切れであったと報告を受けています。

もちろん、部品設計、制御技術、生産技術など様々な応用特許は出願していますし、今もハイブリッド開発は続いていますので、更にその応用特許の数は膨れ上がっていると思いますが、それでも他社のハイブリッド車の新規参入を阻むような状態ではないと思います。

特許での独占は考えていなかった

また、特許の有効期限は基本的には出願日から20年で、唯一有効期限として「先発明主義」をとっていたアメリカも1995年以降では出願日からの有効期限20年となりました。1995年はまさにTHSの本格的な研究開発をスタート年ですので、これからも2013年問題と指摘される特許が何を差すのか思い当たりませんでした。

また私の現役時代には、トヨタとして、環境技術、安全技術の発明考案については、特許によるトヨタの独占、技術の囲い込みをしないとの方針が議論され、ハイブリッドもその方針をとると再確認したことを記憶しています。もちろん、研究開発にも人、物、金を掛けましたので、その先行投資分の補填程度の応分の実施料は請求させていただいていたとは思いますが、決して特許による独占はめざしてはいませんでしたので、当時その中心に居た人間としてこの記事には腑に落ちないものです。

もちろん、開発エンジニアとしては他社の特許に抵触しない新しいアイデア考案を目指して開発を行っており、特にコンペティターの技術は意地でも使いたくないというのが正直なところで、抵触しそうなことが判れば、開発をやり直すことすらありました。ですから、例えばホンダがトヨタと違うハイブリッド方式を採用したことは良く理解ができました。しかしそれはあくまでエンジニアのプライドや意地といったもので、「特許で縛られているから、ハイブリッド参入が遅れた」というのは、環境対応自動車の開発を迫られ続けている大手自動車メーカーの参入が遅れた理由とはならないものです。
   

それはさておき、ハイブリッド競争の激化は大歓迎

日本では、ハイブリッド車の新車販売に占めるシェアが、昨年始めて10%を超えましたが、今年に入り、エコカー補助金の復活もあり、また環境意識の高まり、我慢のエコカーからFun to Driveなエコカーへの技術進化などにより、ハイブリッド車が大躍進を遂げ、シェア30%に届こうとの勢いとなっています。量産型ハイブリッドを送り出し、一部で「ハイブリッドの父」と呼ばれた私にとって、ハイブリッド普通の魅力あるクルマとして、輸入石油の削減、低カーボンに寄与するまでに成長してきたことを喜んでいます。

しかし、日経の記事にあるように、欧米でのハイブリッド車販売はまだまだで、リーマンショック前の2007年はシェア3%と急拡大を見せたアメリカでのハイブリッド車販売も2009年以降は販売台数だけではなく、シェアも低下、さらにトヨタ車の予期せぬ加速問題に端を発したリコール問題が大きく影響し、シェア2%を切るまでに低下しました。

今年は、震災影響などによるタマ不足も解消し、また他社からの新しいハイブリッド車の参入もあり、ハイブリッド車としての販売新記録となりそうな勢いです。しかし、それでもまだまだ日本ほどの勢いはありません。欧州もしかり、中国ではもっと極端、昨年のハイブリッド車販売台数は年間で2,580台、電気自動車の5,579台の半分にも満たない状況との報道もありました。

この日本以外でのハイブリッド車販売の伸び悩みがトヨタ特許のせいとは思ってもいませんが、何らかの2013年問題が、日経記事にある『ハイブリッド車革命』の阻害因子になっており、これがクリアされるのなら、トヨタ独占との意見には異議がありますが、歓迎すべきことと思います。

2013年問題がクリアされ、ハイブリッド車の新規参入が増え、次世代マーケットが拡大、賑わいを見せ、その中で、ハイブリッド車普及に共同で取り組んでいただいた、日本の様々なハイブリッド関連、材料、部品、工作機械メーカーの出番が増えることは大歓迎です。

アメリカで何度もあったハイブリッド特許裁判

さて、ハイブリッド特許問題と聞くと、私はいつもビクッとします。今日のブログで取り上げたトヨタ出願のハイブリッド特許の話ではなく、何度か訴えられた特許侵害訴訟での体験です。開発段階では、もちろん関連の侵害しそうな特許の洗い出しと判定は何度も何度も行います。また、黒、グレーの案件なら、その回避検討を徹底して行います。しかし、生産を開始した後で、発見される特許や、相手からの侵害警告を受けることもないわけではありません。

相手が自動車会社、部品会社のケースでは、そのほとんどはクロスライセンスや、金銭上の和解に持ち込めますし、そういったグレーゾーンの特許についてはお互い様ということもあり、ライセンシーフィーも世間水準がありそれほど揉めた記憶はありません。しかし、ハイブリッドでは、アメリカで評判になり、販売台数が増えるにつれ、町の発明家、研究者からの侵害警告とその特許訴訟が頻発しました。

凄腕の弁護士が、そのような個人の発明家、研究者の出願特許を拾い上げ、巨額な成功報酬を受け取る契約で特許訴訟を起すケースです。私自身こういった被告側の証人として何度も引っ張り出され、相手弁護士からの誘導尋問もありの尋問の経験は思い出したくもない経験です。しかしそのいずれもが、勝訴かそれに近い和解となり、会社としても販売停止や吹っかけられた巨額な賠償金の支払いは免れました。

とはいえ、ハイブリッド技術の開発の最中に海外に何度も呼び出され、長時間拘束され、犯人扱いの尋問を受けることは、如何に訴訟社会のアメリカでは当たり前とは言え、気持ちの良い体験ではありませんでした。

日本のハイブリッドは特許だけで生きているのではない

2013年問題に戻りますが、競争維持、先行技術保護の点から特許ももちろん重要ですが、日本のハイブリッド車をここまで進化させ普及させてきた日本の自動車開発力、もの作り技術がこれからも日本の大きなアドバンテージです。特許の実施権を供与したからと言って、技術供与を行い、同じ部品を提供したとしても、同じレベルの信頼性、品質を持ったハイブリッド車をそう簡単に作りあげることはできません。

THSの開発とここまでに至るには、トヨタだけではなく、材料、部品、工作機械から海外調達の商社の方々まで、知恵をギリギリと絞り、現場に入り、専門家同士のシビアな議論を続け、弛まぬ開発、改良、改善への取り組みが行われました。このもの作りネットワーク、そのトータルマネージが機能している限り、一部の特許期限が切れようが、ハイブリッド技術として日本が空洞化する心配はそれほどありません。

ハイブリッド車など次世代自動車は人類全体の地球エネルギー資源保全、気候変動抑制としてその普及を加速させる必要があります。日本だけの独占、囲い込みは許されませんが、中国、東南アジアでの普及拡大の技術移転には日本もの作り専門家集団の活躍が必要であり、その基盤となる日本次世代自動車マーケットの世界に先駆けた拡大と自動車産業全体の活性化により、これからも世界の次世代自動車への変革を日本がリードしていくことを期待しています。