「リオ+20」国連持続可能な開発会議

今日からブラジル・リオデジャネイロで国連持続可能な開発会議、通称リオ+20が開催されます。1992年に同じくリオで開催され、「環境と開発に関するリオ宣言」やリオ宣言を具体化するための行動計画である「アジェンダ21」が採択されたほか、その後のCOPとなる気候変動枠組み条約や生物多様化条約が署名されるなど、今日に至る地球環境保全活動の流れを決めた国連環境開発会議(地球サミット)から20年、そのフォローアップとして2009年の国連総会で開催が決まった会議です。
日本外務省の紹介ページ http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/rio_p20/gaiyo.html

この1992年のリオ地球サミットでは、カナダの日系人少女(当時12才)セヴァン・スズキが会場の大人達へ向けて環境破壊を止めることを訴えたスピーチが大きな反響を呼びました。

因みに、彼女は東日本大震災で大型バイクのハーレーが流れ着いたとして報道された島、カナダの西海岸ハイダグアイ島で4年前にこの島の先住民男性と結婚し今では二児の母となり、現在も環境保護活動を続けているようです。

クリーン技術が表舞台に出るきっかけ

このブログでも紹介したことがありますが、このリオ地球サミットはハイブリッド自動車プリウス開発のきっかけとなった出来事の1つです。当時私自身は、富士の麓にあるトヨタの東富士研究所に勤務しており、アメリカ・カリフォルニア州で決定された1970年代に制定されたマスキー排気ガス規制のさらに10分の1レベル達成が求められたクリーンガソリンエンジン開発のリーダーを務めていました。そういった立場からも、このリオ地球サミットでの議論は良く覚えています。

昨年12月15日の当ブログでも、南ア・ダーバンでのCOP17の顛末とともに、1992年リオ地球サミットの「アジェンダ21」に触発され開発した、超軽量車にスーパーチャージャー過給器によりシリンダー内の燃焼ガスを掃気させる新方式の2サイクルガソリンエンジンを搭載した超低燃費車の紹介をしています。

また、トヨタの社内でも21世紀にむけた会社としての長期ビジョン議論が行われており、この「アジェンダ21」を意識して、自動車としての環境問題の対応が取り上げられ、21世紀に向かう自動車会社として、エネルギーと環境問題への取り組みを重点とする通称「トヨタ地球環境憲章」がその年の12月に社内に内示され、さらに1993年に公表されました。

トヨタ地球環境憲章

これの概要を免許証入れや財布にも入るカードにして、従業員全員に配り、ボトムアップとトップダウン双方向で、この具体化のためのテーマアップが全社的に展開されました。
もともとクリーンエンジンや低燃費エンジンはクルマの黒子役で、環境規制や燃費規制を高いレベルでクリアさせながらも、走行性能や走行フィーリングで世界と勝負できるエンジンの開発が我々の命題と取り組んできましたが、地球環境問題への取り組みを優先させると表現するこの「トヨタ地球環境憲章」の制定に、黒子から表部隊のテーマにできるかも知れないと胸を躍らせた記憶が残っています。

この「トヨタ地球環境憲章」の具体的なアクションプランとして、エネルギー・地球環境問題を取り組み命題とする「21世紀コンパクトカー」スタディーを技術開発部隊のテーマにすることの提案者が、2週間ほど前のブログ、「豊田佐吉翁の新型電池に対する懸賞金」のエピソードを豊田英二さんかとのインタビュアーとしてお聞きした、当時の技術担当副社長金原さんでした。そこから、そのプロジェクトのコードネームG21のGはグローバルならぬ、金原の「金」ゴールドのGとの紹介をさせてもらいました。

混迷する国際的な環境への取り組み

それから20年、プリウスハイブリッドはそのリオ地球サミットで決定した国際的な取り組み「気候変動枠組み条約」による国際合意「京都議定書」が議論されたCOP3に間に合わせて販売を開始、そのハイブリッドが4月末には400累計販売台数400万台突破まで育ってきています。しかし、国際政治のなかでの日本の政治家のクロック(反応速度)や感性がわれわれエンジニアのクロックや感性とは大きく違い、さらに最近では地球人としての感性すら持ち合わせていないのではないかと心配が増すばかりです。

2009年9月の国連総会で、首相就任直後の鳩山首相が地球温暖化ガス排出削減を目指し、日本として2020年までに温暖化ガスの1990年比25%削減を高らかに宣言し、その年末にデンマーク・コペンハーゲンで開催されたCOP15(気候変動枠組み条約締結国会議)でもこのアピールを携えて意気揚々と参加しましたが、会議そのものは「京都議定書」の存続か中国やインドを含むポスト「京都」の枠組みを巡り紛糾と対立のまま、確かな国際合意を取り付けることができず終了してしまいました。一昨年メキシコ・カンクンで開催されたCOP16も、昨年南アフリカ・ダーバンで開催されたCOP17も、ポスト『京都』に向けた具体的な地球温暖化緩和に向けた国際合意が得られないまま続けられています。

日本も昨年の3.11福島原発事故の影響もあり、電力の化石燃料発電シフトにより、発電CO2排出が大幅に増加し、2020年に25%どころか、2012年に期限が切れる「京都議定書」の目標達成も怪しい状態に陥っています。何の裏付けもなかった25%削減達成は論外としても、ハイブリッド車を始め、日本が取り組んできた省エネ技術、環境技術は世界の環境保全に、地球温暖化緩和に既に貢献してきましたし、さらにその技術進化と社会改革で世界をリードできるはずです。

日本のクリーン技術をもっと世界へ

今夜開会する「リオ+21」はこれまでほどの話題とはなっておらず、また最終日に議決される「グリーン経済」を提案する成果議決書も、すでにEUサイドからその中身を疑う発言が伝わり、日本が提案しようとしたGDPに替わる「グリーン経済」指標の「幸福度」も経済成長抑制を求めるものとして発展途上国の反対により削除されてしまったようです。

しかし、ハイブリッド車や電気自動車の実用化と普及、高効率なヒートポンプ技術、世界最高効率を実現している火力発電、エネルギー消費とCO2排出削減で世界をリードする製鉄技術など、日本は省エネ技術、環境技術で世界に貢献してきました。これからも、エネルギーのほぼ全てを輸入に頼る日本では、その輸入エネルギーをさらに知恵を絞った省エネ技術で効率的に使い、いわゆるサステーナブル・エネルギーも国際マーケットでの競争に打ち勝てる技術を創出し、世界に貢献する「グリーン経済」のリーダーの役割を担うことが生きる道と信じます。

1992年は日本のバブル景気が崩壊し、永い不況に落ち込み始めた時期にあたります。そのなかで、われわれはリオ地球環境サミットの「アジェンダ21」に自動車メーカーのエンジニアとして将来の進むべき道を見いだすことができました。それから20年経過しますが、まだ最初の一歩を踏み出した段階に留まっています。もう一度「アジェンダ21」合意に人類の将来の光明を見、日本のもの作り、クルマ作りへと知恵を結集させた日本人パワーを復活させ、「持続可能な開発=サステーナブルデベロプメント」の担い手として、日本再生、地球資源、環境の保全をリードして行きたいものです。政治、行政は、せめて民間ベースの「グリーン技術開発、グリーン経済」の足だけは引っ張らないようお願いします。