スイスZenith社訪問とスイス時計産業の今

パイオニアスピリッツ

2月末から10日ほど、スイス、フランスと旅をしてきました。3週間ほど前のブログで息子がジュネーブモーターショーの印象について取り上げましたが、この旅行の一番の目的はスイスの高級時計メーカーであるZENITH社からの招待でした。この話のそもそもの発端は、昨年9月30日に発行された、フランスの新聞“Liberation”誌に掲載された私のインタビュー記事だったようです。(取材カメラマンのブログ

この記事を見た、ZENITH社のデュフール社長が、乗り物好きが昂じて技術の道を選び、トヨタでアメリカの排気ガス規制マスキー法対策プロジェクトに加わってからハイブリッドプリウス開発担当までの自動車を進化させる新技術を追いかけてきた私の紹介記事に注目され、ZENITH社のプロモーションコンセプト、パイオニアスピリッツに通ずるところがありそうとのことで、本社見学と懇談会の企画への参画として招待を受けました。

プリウスに搭載したハイブリッド開発を、新しい自動車進化へのチャレンジとして捉えていただいたことが大変光栄で、もちろん多くのスタッフ達の汗と涙の結実としてのハイブリッド開発でしたが、その代表として喜んでその招請に応じることにしました。初代プリウスの発売から13年、いまだにその技術チャレンジを高く評価いただく、欧米人のオリジナリティ重視のスピリットに感激させられます。(Zenith社のニュースページ

時計メーカーZENITHについて

ZENITH本社は、スイスの時計工業の中心地、ヌシャテル州の北部、標高1000mのジュラ高地の谷合に位置する小さな地方都市ル・ロックルにある創業1865年、136年の歴史を誇る機械式高級時計メーカーです。このル・ロックルはじめ、隣町のラ・ショー=ド=フォン、さらに高地を下ったヌシャテル湖畔に面するヌシャテルは、世界に名だたる高級時計ブランドの時計工場が集まっています。「ラ・ショー=ド=フォンとル・ロックル、時計製造業の都市計画」という名でユネスコの世界遺産にも登録されています。

[googleMap name=”ル・ロックル” description=”ル・ロックル” directions_to=”false”]2400 Le Locle, Switzerland[/googleMap]

高地の谷合、農地も少なく、17世紀ごろから雪も降る冬間の手作業として精密機械加工による時計作りが始まり、それが時計産業として発展拡大してきました。

しかし、1970年代に日本時計メーカーの超小型水晶震動子(クォーツ)を使った高精度でありながら安価なクォーツ時計の普及により、スイスの機械式高級時計は壊滅的な打撃を受けた(クォーツショック)が、1980年代に入ると、時計機能というよりも趣味的要素の強い装身具としてゼンマイ式の機械時計が高級腕時計として見直され、その高級ブランド時計の生産拠点として再び活気を取り戻しているようです。

ZENITH社はこのスイスの機械式高級時計メーカーの中でも、マニュファクチュールと呼ばれる時計可動部分(ムーブメント)から自社で一貫製造をする、多くの熟練機械職人による高度で幅広い時計技術をもっているメーカーの代表です。

社長の案内で、新しい時計の開発現場から、目でも見えないくらいの微少なムーブメントパーツの製造、それらを組み立てる組み立て工程、さらには調整工程までつぶさに見学させてもらいました。

熟練時計職人の凄腕を垣間見ることができ、また様々な現場で意見交換をさせてもらい、熟練機械職人が最新の精密レーザー加工機と手作業で作り上げる工具(バイト)の両方を駆使して作りあげるモーブメントパーツの製造、そのパーツ類の人手による組み付けと調整作業に取り組む、技術者と熟練時計職人の現場での共同作業に、スイス時計産業の“もの作り”パワーを感じました。

ZENITH デュフール社長と手作りの精密切削用工具(バイト)の説明をしてくれる職長さん(もちろん熟練時計職人)

社長の話でも、ZENITH社が、マニュファクチュールとして生き残れ、また高級機械式時計メーカーとして発展できた最大の理由として、この熟練時計職人を大切にし、その人材育成を続けていることを挙げておられました。ZENITH社のホームページにも、このプロフェッショナルな技術者、機械職人のかたがたがその写真と作業内容とともに紹介されています。

時計業界の栄枯衰勢

1980年代にZENITHもご多分に漏れず“クォーツショック“の荒波に巻き込まれ、その時の経営者は、クォーツ時計のパーツメーカーに転身しようと、もう作ることがないであろう機械式時計ムーブメントパーツを作る金型の廃棄を現場に指示をしたそうです。その時、当時の熟練時計職人の一人がこっそりとそのいっぱいある金型を捨てずに隠して保管しておいたことが機械式時計復活につながり、今でもその金型が使われ、大事に保管されているのを見せてくれました。

このZENITH本社のあるル・ロックルには、いまでもこの時計職人や技術者養成の時計技術高等専門学校があり、今でもこの地域の人気のある学校として多くの時計職人、技術者を送り出しているそうです。さらに、その熟練時計職人をかなり良い処遇で、大事にする文化があり、産業復活、地域復活につながったと云っておられました。
工場見学のあと、ラ・ショー=ド=フォンの時計博物館を見学したときに、17世紀からのさまざまな時計の歴史の展示品とともに、その専門学校卒業生たちの卒業制作の時計を展示していたのも印象的でした。

ZENITH社の機械式腕時計の最上位にあるCHRISTOPHE COLOMBという商品は、一人の熟練時計職人中のトップ職人が月に1個だけ作り上げる時計です。ケースにダイアモンドがちりばめられておるとか、ケースそのものが金無垢や白金などで作り上げられたものではありませんが、おどろくような値段がつけられています。40mm程度のケース直径の腕時計ですが、その中に時間精度を高めるための小さなジャイロ機構が組み込まれています。そのジャイロ機構の組み立て、さらにそれを機械式時計に組み込み作業、それらを構成している超微細機械パーツの加工製造と、超人的な機械職人技を見せつけ、デモンストレーションをするための製品で、趣味といえば身も蓋もありませんが、驚きの時計です。

今、日本の時計メーカーは、スイス同様、高級機械式時計への転換を図っているようですが、その転換を図る最大のネックは、クォーツ化の中で、機械時計の職人が全くいなくなってしまったことにあるようです。クォーツ化も時計のパラダイムチェンジ、今の衰退もデジタル化の流れであり脱腕時計からのパラダイムチェンジです。

時計と自動車、そのアナロジー

その夜に、ラ・ショー=ド=フォン郊外にあるひなびた古めかしい建物のレストランで社長からディナーを招待され、技術トップのかたや広報担当の方とワインを飲み、食事をしながら懇談しましたが、(フランス語通訳に日本人の女性に夕食時までお世話になってしまいました)この時計のパラダイムチェンジとこれからの自動車の方向とが議論となりました。

自動車も、都市化、日本を代表とする先進国の小子化、若者のクルマ離れ、さらにEV化の中で、足が替わりのコモディティ車と趣味の高級プレミアム自動車に2極分化していくのではとの話題です。私もこの二極分化の方向は止めようがないと考えていますが、スイスの時計生産量がピークの数十分の一になり、またその残りもアジア製の安価なコモディティ品になっていくようなことはなく、感性脳である右脳でえらぶ商品が主流との意見です。

しかし、その数日後に見学したジュネーブモーターショーでは、トヨタ、ホンダコーナーの人気のなさ、元気のなさに引き替わり、フェラーリ、ポルシェ、ランボルギニ、さらにベンツ、BMW、AUDIといった欧州プレミアム車メーカー、高級車メーカーの元気さ、さらにインドのタタ社の小型車、欧州の小さなベンチャー企業が展示する小型EVをみて、2極分化の加速を感じ、その間に挟まる日本の自動車産業の未来が心配になりました。

日本自動車産業が、この時計や電機産業の二の舞にならないための妙案がすぐに出てくるわけではありませんが、スイスの時計産業と同様、“もの作り”を支える熟練職人、プロ技術者の知恵、それを生かす、戦略的さらに大胆、迅速な決断を下せる経営者の両方が必要ようでしょう。どこまで熟練職人、プロエンジニアが残っているのか?それが問題です。

この懇談のディナーで社長が用意してくれたワインが、私がトヨタに入社の年、またZENITH社の今のトップ商品ラインアップ“エル・プレミオ”(スペイン語でナンバー・ワンの意=プリウスの意味であるラテン語の「~に先立って」と類似の語源?)発売開始の年である1969年ボルドー・メドックのワインでした。感激して盛り上がって呑みましたが、呑めない味ではないものの味の表現としては微妙な味わいでした。

ディナーに用意してくれた1969年ボルドー・メドックワイン