初代プリウス生産開始1ヶ月前 修羅場の不具合対策とコンプライアンス

フランス、パリで同時多発テロが発生し、多くの犠牲者がでました。パリに在住の友人の一人からは、Facebookで無事との連絡が入りましたが、フランスには知人も多く、ご本人、ご家族、関係者の無事をお祈りするばかりです。

このテロは、トルコで開催される「G20サミット」やウイーンで開催された「国際シリア支援グループ外相会議」にターゲットを当てたISによるもののようです。G20ではこれもパリで今月30日から開催されるCOP21、国連気候変動枠組み条約締結国会議で議論する、気候変動抑制の国際合意についての最終調整もテーマの一つでしたが、このテーマはテロにより吹っ飛んでしまいそうです。

1997年12月京都COP3で締結された京都議定書から18年経過し、COP21では当時よりもさらに顕在化してきた地球温暖化緩和への国際的な取り組み合意が期待されています。京都議定書のように批准国に削減義務を負わせる国際合意を目指す議長国フランスと、削減義務を負わない各国の自主的な削減取り組みでまとめようとするアメリカとで意見のギャップがあり、トルコG20でのその調整議論が予定されていましたが、多発テロでオランド大統領がサミットを欠席することになり、COP21にも暗雲が立ちこめてきました。

初代ハイブリッドプリウスと京都COP3

1995年12月のトヨタ役員会で、二年後の1997年12月に開催される京都COP3の時期に合わせ量産世界初ハイブリッド車プリウスの量産プロジェクトにゴーがかかりました。開発チームの当初量産目標提案は1999年末でしたが、まだ最初のハイブリッドプロトが走り出すこともできていない状態で、トップダウンによる2年早出しの号令です。社内技術陣には無謀なクレージープロジェクトとの声も上がっていました。開発ストーリーは様々な本で紹介されていますのでここでは省略しますが、今日のブログではその超短期プロジェクトの量産化寸前、1ヶ月前、丁度18年前の11月のトピックスを取り上げてみました。

199711月 生産・販売開始へのカウントダウンの最中で

1997年11月は、すでに、国土交通省(当時は運輸省)の新車販売認可が下り、10月10日に東京での新車発表、さらにそれに続く東京モーターショーでの展示が終わった段階です。従来車ならば、技術開発陣の役割はぐっと減り、車両系の人たちが車両工場の人たちとドアの立て付けや、組み付け部品類の干渉対策、異音対策など最後の詰めを行う時期です。しかし、プリウスではまだハイブリッド開発部隊は残存課題対策のまっただ中、ジャーナリスト試乗会など広報イベントにはは、暇ではありませんが実務担当ではない私などマネージメンバーで対応し、開発現場は未解決不具合の対策検討、まだ新たに報告される不具合の原因究明と対策に深夜まで走り回っていました。

もちろん、認可が下りた後の開発作業ですので、安全性能や環境性能など型式認定項目に拘わる不具合であれば、改めて設計変更申請が必要です。世界初の量産ハイブリッド車発売と新車発表をした後でしたが、万が一、安全走行に拘わる未知の不具合が見つかると、生産・、販売延期もまだあり得るタイミングでした。

トヨタではこの面でのコンプライアンスマネージは何重ものハードルがあり、技術開発部門、生産部門、品質管理部門と厳しいチェックが待ち構えています。しかし、ハードルが高くとも、もし不具合が残れば、その真因をいち早く究明し、再発させない本対策を見つけ出し、期間内に対策処置をやり遂げることができるかの判断を下すのは、車両主査とハイブリッドでは開発リーダーである私の役割でした。

ヒヤッとする不具合発生はこの期間も続いていました。原因が不明な、予期せぬ車両停止不具合もほんの僅かですがまだ残っていました。その一つが、11月の初旬長野を拠点に実施したジャーナリス試乗会で発生し、パニックを起こしかけたことも今となっては懐かしい思い出です。この原因は幸いにも、型式認定の届出項目には該当せず、簡単なソフト設計変更で生産開始までに対策を済ませることができました。

さらに、この時期、新規採用のモーター・発電機駆動用パワー半導体の焼損事故が発生、青ざめたこともあります。発生は1件だけでしたが、これが設計仕様としての不具合ならばマーケットで散発する恐れもあります。また、工程上の問題であっても、その工程上の問題とその焼損発生の真因を掴み、対策を実施し、その効果を確認しなくては、不具合が起こった以上、量産用としての使用はできません。この部品の生産工場からも、担当役員、部長、担当技術者に来てもらい、何度か対策作戦会議を行ったことも忘れがたい思い出です。このケースでは幸い、別々の二箇所からの調達部品で、一方の増産で乗り切り、この一社はしっかり対策を進めた上で次の年の生産拡大期からの採用となりました。

11月第3週は、河口湖のホテルでカーオブザイヤー選考会があり、内山田さん運転のプリウスで雨の中を会場に向かい、車中で残存課題の収め方の意見交換をした記憶があります。発売前のクルマでは異例のカーオブザイヤーを受賞しましたが、カウントダウン期となった立ち上がりまでの最後の詰めをどうやるかで気もそぞろで、前夜際で誰と何を話したのか、受賞式の記憶は殆ど残っていません。

京都COP3に使う事務連絡車や展示車のプリウスも、正式生産前に実施する生産ライントライ車の白ナンバー登録車が本格的に動きはじめたのもこの時期です。いよいよ12月10日生産開始にむけての最終カウントダウン、この段階ではCOP3に持ち込むクルマ、長野オリンピック聖火リレーの伴走車、試乗イベント車など開発評価のクルマ以外にも一般路で使われるプリウスが増加していきました。そのクルマからの不具合報告もあり、また冬の寒冷地試験は暫定試作車で1回しかやれていませんので、少し時期は早いでしたがこのライントライ車での北海道寒冷地試験、雪路走行試験を開始したのもこの時期です。こうしたイベント対応車や様々な試験走行での不具合報告もまだ続いていましたが、ほぼこれまでに掴んでいた不具合で、生産・販売延期につながりかねない不意打ちの新規不具合はありませんでした。しかし、念のため最後のスクリーニングを行うため、従来車ではやっていない工場完成車での全車スクリーニング走行を決めたのもこの頃でした。

こんな修羅場でのコンプライアンスマネージ

この段階では基本的には開発部隊の手は離れており、不具合が発生した時の処置は販売したクルマと同じ扱いとなり、工場車両検査部門、品質管理部門の管理下での原因調査、真因対策検討を行い対応アクションを決めます。認定届出事項かどうかは設計管理部門の判断により決めることになります。一つ一つの不具合の原因、対策処置レビューなど、社内の何重もの高いチェックハードルをクリアし、もちろんその後は安全走行に拘わる新たな重大不具合に遭遇することなく生産・販売開始に漕ぎ着けることができました。

もちろんスタッフ達の努力の賜ではありましたが、そうした努力を続けたことへのご褒美としての幸運としか思えません。今振り返っても、本当に生産・販売を止めなければいけない致命的な不具合が発生したときに、自分自身でそれを止める決断をし、車両主査や役員に提案していけたかの自信はありません。しかし、某社のスキャンダルのように、社内の仕組みとして隠し通すことは不可能であったことは、今でも断言できます。

当時トヨタの企業風土として悪いことこそ本当のところを早く上司に報告すべきとの先人の教えを繰り返し叩き込まれてきました。私自身も、ハイブリッド・リーダーの指名を受けた時に、ある役員から「このような超短期のビッグプロジェクトこそ、悪い状況は早くトップ役員まで挙げるように」と言われました。プロジェクトの重大な方針変更を行う場合にも、突然の報告では即断ができなくなるからとの説明でしたが、後で考えると、プロジェクトを止める時の決断を間違わず、プロジェクトを暴走させないようにとのアドバイスだったようです。これまた、幸いにも止める決断を上げることもなく、またマネージとしての暴走もさせないで1997年12月10日の生産・販売開始を迎えることができました。

某社のエミッションスキャンダルやこのところの日本大企業の不祥事を知るにつれ、企業風土・文化の重要性とその維持の難しさを痛感します。このスキャンダルを取り上げた以前のブログで、何度か「日本自動車企業トップもエンジニアも襟を正して」と述べました。企業倫理、トップ役員の倫理感が重要です。企業の存続意義としてのCSR(Corporate Social Responsibility)がガバナンスの基本、企業経営として収益はもちろん大切ですが、CSRから外れては存続が許されなくなります。トップが本当の意味でのCSR重視を訴え、実践し続けなければそのCSRに基づく企業風洞文化は継続できません。現役時代のトヨタには、CSRベースの企業風土・文化が開発部隊には根付いていました。トヨタを離れて10年、トヨタを含め、今の現役企業トップ、役員、マネージャー層に向けた「襟を正せ」のメッセージのつもりです。

パリCOP21と次世代低カーボン自動車のこれから

京都COP3から18年、厳戒態勢の中でパリCOP21を開催することがフランス政府から発表されました。この同時多発テロでやや関心が薄れていますが、テロへの取り組みとともに、地球温暖化への取り組みも人類としての大きな取り組み課題です。次世代低カーボン自動車への変革も、紛争の中心になっている中東、西アジア、アフリカ諸国など発展途上国や中国、インド、東南アジア諸国などを置き去りにした、先進国だけの転換では地球環境保全の効果も上がりません。この取り組みも、グローバルな視野でのCSR重視が求められます。日本勢は「襟を正し」、先進国以外の自動車マーケットを含めて低カーボン&クリーン自動車普及をリードして欲しいと願っています。

今週日曜(15日)の日経本誌13面、『日曜日に考える欄の科学技術ニッポンの歩みの』第5回として、ハイブリッド車プリウスの誕生が取り上げられています。私もインタビューを受け、マスキー法から1990年代初めのZEVからハイブリッドプリウスへの流れ、開発時のエピソードなどをお話しました。戦後70年の日本科学技術の歩みとしてハイブリッド車プリウス開発を取り上げていただけてことを担当したエンジニアの一人として嬉しく思っています。

京都COP3のタイミングに間に合わせようと悪戦苦闘し送りだしたトヨタプリウスに込めた次世代エコカーのメッセージは、トヨタハイブリッド車累計販売台数800万台を越えに結実しました。しかし、ハイブリッド車は低カーボン自動車への変革のほんの僅かの一歩、この記事の巻末にあるように、先頭ランナーで居続けようとしたら、技術者達は立ち止まっている余裕はありません。その全力疾走にも、常に人類社会への貢献を基本とする自動車産業界としてのCSR、その倫理感が重要であることは言うまでもありません。

プリウスとCOP3~COP18の15年

今からちょうど15年前の12月10日、初代プリウスは豊田市にあるトヨタ自動車高岡工場で生産を開始しました。それから15年、いまではプリウス・アクアなどハイブリッド車が走っているのが当たり前の光景になってきたことに隔世の感を覚えています。

昨年、日本でのハイブリッド車が新車販売台数の10%を越えるようになりました。今年はさらにその比率が増え、9月までの累計では17%にまで増加しています。米国、欧州ではプリウスブレーキのリコール問題やトヨタ車の予期せぬ加速問題に端を発したハイブリッド車の電子制御への不安感からハイブリッド車販売が停滞してしまいましたが、今年になり、米運輸省道路交通局(NHTSA)と航空宇宙局(NASA)の綿密な調査で「白」判定のレポートがだされ、信頼回復も進み販売台数が急回復をしています。米国では10月までに過去最高の2007年の販売台数を上回っており、またトヨタ以外の会社からもFord C-Max、VW Jettaなど新型ハイブリッド車が続々登場し、本格的なハイブリッド車競争時代の到来、普及拡大が期待されます。

「COP3までにハイブリッド車を完成させよ!!」

初代プリウスは、様々な本でもとりあげられているように、燃費2倍のハイブリッド車を、発売時のキャッチフレーズ“21世紀に間に合いました”どころか、“何が何でも京都COP3のタイミング間に合わせよ!”との当時のトップからの厳命によって開発された車で、やっと最初の試作車がよたよたと走り出した95年12月に、すでに残り2年を切るなかで量産開発をスタートさせたプロジェクトです。

通常、新エンジンや新トランスミッションなど大がかりな製造設備が必要なユニット部品を新造するには早くても4年はかかると言われている中、開発期間をその半分以下、それもまったく経験のないハイブリッドシステム開発をやろうという異例中の異例の超特急プロジェクトでした。もうダメとの難局を何とか乗り切り、10日の生産開始にこぎ着けることができました。このCOP3に間に合わせよとの厳命も、12月1日から京都国際会議場で開催されていた第3回国連気候変動枠組条約締結国会議(これCOP3の正式名称)に、量産ライントライとして生産したクルマを持ち込み、展示・連絡車としてなんとか間に合わせることができした。このCOP3で先進国がCO2など温暖化ガス排出削減を約束した京都議定書がもめにもめながらも採択されたのが最終日の11日でした。

エコ製品は普及したが、国際会議は……

そのCOPがスタートする切掛けとなったのが、1992年6月ブラジル・リオで開催された環境と開発に関する国際連合会議、通称世界環境サミットでした。以前のブログでも紹介しましたが、この世界環境サミットが低燃費、低CO2次世代自動車ではトヨタが先陣をきりたいとのハイブリッドプリウス開発スタートのドライビングフォースだったと思います。それから15年、次世代自動車では、トヨタ、ホンダの日本勢が90%近いシェアを示し、累計販売台数でも約600万台強と自動車のCO2削減をリードし、大きな貢献を果たすまでに成長させてきました。

この自動車だけではなく、エコキュートなどヒートポンプ分野でも、さまざまな環境製品でも、産業分野でも効率化、省エネ、省エネ商品の開発と供給で世界全体でのCO2削減に貢献してきていると、堂々と自負することができます。今月、これもCOP3から15年後、中東カタールのドーハでCOP18が開催されましたが、京都議定書にかわる次ぎの目標はまたも先送りとなり、さらにわれわれ日本の産業界が省エネ、CO2削減技術の実用化、技術移転で大きな貢献を果たしているにも関わらず、国際政治、外交の場では日本の存在感が低下してきているのが非常に残念です。

先日、米環境保護庁(EPA)から今年発売された2013年モデル各社の公式燃費、ステッカー燃費値が発表されました。発表された1082車種の総平均燃費は20.9マイル/ガロン、8.87km/リットルです。

プリウス、プリウスc(日本名アクア)がどちらも50マイル/ガロン、21.3km/リットル、米運輸省によると、アメリカの一人当たり年間平均走行距離は20,000km強ですので、この走行距離で平均燃費のクルマの替わりにプリウスやプリウスcに置換えたとすると年間のCO2削減量は台当たり3.3トンにもなります。日本、欧州ではアメリカほど走行距離は多くはなく、年間CO2削減量もこのアメリカ並みとはなりませんが、日本のハイブリッド車600万台の貢献は決して小さなものではありません。

本質を伴った省エネ技術の推進を

2009年国連本部での環境サミットで、当時の鳩山首相が国内のシナリオ議論もまったくないまま、2020年までに90年比25%温暖化ガス削減を宣言しました。この目標には、我々が世界に供給してきた次世代自動車による削減効果などはカウントされていません。一部、環境技術の輸出、技術支援による削減分はカウントされていますが、日本の国内削減目標が一人歩きし、厳しい規制の縛りや、日本だけの削減目標達成のため、電力料金やエネルギーコストが高騰してしまっては、電気、エネルギーを使う国内での製造業は国際競争力が失われます。

国内での地盤低下は、高効率技術、省エネ技術の研究開発のパワーも削ぐ危険を懸念します。安価な電力、エネルギーを求め、日本で製造するよりもはるかにCO2排出の増加する、たとえば中国に製造移転をするようになっては、かえってエネルギー効率を悪化させ、グローバルではCO2排出を増やしかねません。もちろん、これからも次世代自動車など省エネ、高効率技術開発をリードし続けることが日本の責務と思いますが、その普及、技術移転を進めるためにも、この省エネ、環境分野での政治・外交パワーも少しは発揮して欲しいものです。

先週、今週と、自宅付近を走っていて1997年12月~2000年4月まで生産していた、初代プリウスの初期型が走っているのを見かけました。初代のシンボルカラー、エコ・グリーンと白のプリウスです。15年近くたっていると思えないくらい、手入れもしっかりしてお使いいただいいている様子に大変嬉しくなりました。

今のクルマは新車登録から廃車までの平均寿命が10年を越えるようになってきました。今走っているクルマが入れ替わるのに10年~15年掛かると言うことです。グローバルでの自動車燃料としての石油消費削減、CO2削減の実効を高めていくためにも、次世代自動車の販売比率をもっと拡大していかなければこの2020年、2025年の削減量を増やして行くことはできません。次ぎの15年、ハイブリッド車の更なる飛躍を、これも日本勢がリードしていってくれることを祈ります。

COP3・COP17とプリウス

COP17が閉幕

南アフリカダーバンを会場に行われていた、地球温暖化問題緩和に対する、国際的な取り組みの枠組みを取り決める国際会議、COP17が、難産に難産を重ね、将来の取り組み方向を決める共同声明発表にこぎ着け、閉幕しました。
このCOP会議とは、国際連合加盟国が締結した条約「気候変動に関する国際連合枠組条約:英語名:United Nations Framework Convention on Climate Change(UNEFCCC)、いわゆる地球温暖化防止条約ともいわれ、その条約締結国があつまりその実施方向を決める最高意思決定機関である気候変動枠組条約締結国会議(Conference of the Parties)の名前をとってCOPと呼んでおり、COP17とはその17回目の会議です。

この条約は、1992年6月、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開かれた、環境と開発に関する国際連合会議、通称地球サミットで採択され、155カ国が署名し、1994年3月に発行しました。
この会議では、セバン・スズキという当時12才の日系カナダ人の少女が「もうこれ以上この地球という星を壊さないで」というスピーチを行い、大きな反響を呼びました。このときのスピーチは伝説のスピーチとして今も語り次がれています。
NHKエコ・チャンネルhttp://cgi4.nhk.or.jp/eco-channel/jp/movie/play.cgi?movie=j_future_20101011_0650

このリオ地球サミット、21世紀にむけ「持続可能な開発」を実現するために、各国および関係国際機関が実行すべき行動計画「アジェンダ21」を採択し、これがきっかけとなり「気候変動に関する国際連合枠組条約が締結され、その条約締結国会議として発足したのがCOP会議で、第1回は1995年ドイツ/ベルリンで開催され、年に1回、加盟国持ち回りで開催されています。

リオ地球サミットから環境自動車開発への流れ

トヨタプリウス開発のきっかけの一つが、このリオ地球サミットでの「アジェンダ21」でした。当時、私は静岡にある研究所でエンジンの研究開発に従事していました。この研究所のエンジングループはそもそも1970年代のアメリカマスキー法に代表される自動車排気ガス対策の研究開発を役割として発足、その後も排気のクリーン化、アルコール、天然ガス、LPGエンジンなど石油代替エンジンの研究開発、低燃費エンジンの研究開発、など将来エンジンの研究開発を担ってきました。
自動車の将来エネルギー・環境問題への対応シナリオを提案していくのも、この部隊の役割で、リオ地球環境サミット開催のきっかけとなった、国際連合環境計画(UNEP)と国際連合世界気象機関(WMO)が共同で設立した地球温暖化に関する科学的知見の集約と評価を目的とする、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が最初のレポートとして持続可能な社会発展を阻害する因子として地球温暖化を取り上げた1990年には、このレポートを巡り「サステーナブル自動車」をテーマとする研究がスタートし、その第1弾として当時研究開発を行っていたS2エンジンと呼ぶガソリン直噴2ストローク・スーパーチャージ・エンジンを搭載した車重450kgの超軽量小型車を試作し、翌年の東京モーターショーにこれからの時代目指すべき超低燃費自動車「トヨタAXV-IV」として参考出品しました。このクルマは今もトヨタ博物館に保管されています。

トヨタAXV-IV
トヨタAXV-IV

ハイブリッドエンジンの研究開発もこの研究所からスタートしました。その後、トヨタ社内では、このリオ地球サミットと「アジェンダ21」に触発され、地球環境問題、エネルギー問題、そして21世紀ビジョンを考える機運が高まり、企業としての行動指針「トヨタ基本理念」が制定され、それを踏まえ、地球環境に対する自動車メーカーとしての対応方針として「トヨタ地球環境憲章」と呼ぶようになった活動基本方針と行動指針が策定され社内各部隊に、具体的なアクションプランを作り行動に移すようにとのトップ指示が下りました。技術開発部隊として1993年春にスタートさせた21世紀のクルマを目指すスタディープロジェクトがその後1997年12月発売のプリウスとなる、社内コードG21プロジェクトでした。
このスタディーの途中経過としてまとめ上げたのが、1995年東京モーターショーでの参考出品車です。スタイルは1997年に発売した初代プリウスと似ていますが、搭載したハイブリッドシステムは全く別物、機械式CVTと直噴ガソリンエンジンを組み合わせ、二次電池ではなく、キャパシターを使ったものでした。この方式ではなく、グローバルモデルにも適用できる、燃費2倍をめざすハイブリッド開発のプロジェクトは、このモーターショー展示の最中に最初のプロト車ができあがってきた時期でした。

1995年東京モーターショー参考出品プリウス
1995年東京モーターショー参考出品プリウス

丁度この時期、私は、アメリカ・カリフォルニア州で決まったゼロエミッション車(ZEV)・ローエミッション車(LEV)規制に対応するクリーンエンジン開発のリーダをやっていましたが、このLEV開発に見通しをつけたら次ぎは、エンジン自動車でのサステーナブルへの挑戦と考えていました。
ひょんなことから、このLEV開発に見通しが付き、アメリカ向け車両への量産エンジン開発がスタートさせた1996年2月、プリウス搭載のハイブリッドシステム開発のリーダ指名を受け、それ以来のハイブリッドどっぷりの生活を続けています。トヨタをリタイアしたのちも、このエネルギー・地球環境問題に対し、自動車を“チェンジ”させていく面白い時期にリタイアしてなるものかと、現役には煙たく思われながら活動を続けています。

このリオ地球サミットから、19年、セバン・スズキさんも成人になり、母として今も環境保護活動に取り組んでおられるようです。来年6月には、このリオ地球サミット開催20周年を記念して、またリオに世界各国首脳を集め、「リオ+20」という環境サミットを開催することが決まっています。

京都でのCOP3に間に合わせたプリウス

COPでは、1997年12月に、国立京都国際会館を会場にCOP3が開催されました。その最終日、12月11日に締結されたのが、気候変動に関する国際連合枠組み条約の京都議定書です。
今回のダーバンCOP17同様、最後の最後まで調整に手間取り、最終的に1990年を基準年とし、先進国が2008年から2012年までの各国毎に数値削減目標を定めその目標達成に向かい削減活動を実施すること、未達成の場合はペナルティを課すことなどで合意しました。これが京都議定書です。これをそれぞれの国に持ち帰り、条約締結国の55カ国以上が国内で批准すると発効することになっていました。

COP3では、アメリカ代表としてクリントン政権のゴア副大統領が参加し、当時として世界最大の温暖化ガス排出国であるアメリカとして積極的にその削減に取り組むことを約束していましたが、ブッシュ政権に代り、温暖化ガス削減目標の達成は経済成長の妨げになるとして条約批准を否決、またロシア連邦も批准を見送り、その発効が遅れていました。当時は発展途上国も自発的参加を表明していましたが、その後アメリカを抜き世界最大の排出国になった中国を筆頭に経済成長の妨げとなるとして自発的参加すら見送る状況になっています。

最終的には2004年ロシア連邦が批准することにより発効しましたが、排出量の圧倒的シェアを占める国が参加せず、一部の国だけがペナルティを課せられる、今となっては片手落ちの内容だと思います。しかし、このCOP3 は温室効果ガスの削減について国際的な達成目標とその遵守条項を定め、地球温暖化緩和を目指す最初の画期的一歩であったことは間違いないと思います。

初代プリウスの発売時期1997年12月は、どうも当時のトップがこの京都で開催されたCOP3を意識して決めたようです。マスキープロジェクト以外にも、何度か特急プロジェクトを経験していますが、その特急プロジェクトでも、いくつかの候補システムを絞り込む試作評価サイクルを少なくとも2回は回し、さらに実用化スタディーとマーケットスタディーを行い、その上で、品質とコスト目標の達成可能性を確認したうえで量産目標時期を定めるのが普通です。

G21では開発部隊は最速98年末を仮の発売目標として提案していました。これでも、新エンジンや新トランスミッションの開発サイクルよりも早いぐらい、まったく走らせたこともない新システムとしては異例のスケジュールでした。この提案に対し、いろいろな議論があったようですが、トップダウンで97年12月発売開始の目標が定められ大騒ぎとなったことを記憶しています。21世紀の環境自動車を目指すとするなら、日本で開催されるCOP3にプロトではなく登録車としてアピールしたいとの想いがその決定の背景にあったようです。

まだ、走行評価のできるプロト車もない1995年12月に量産化プロジェクトスタートの号令が掛かり、量産チームを結成して本格的に開発をスタートさせたのが、1996年3月です。このCOP3の開催に間に合わせ、正規のナンバー登録をしたクルマを用意するには、1997年9月末までには届出申請の審査と認定試験を終え、それに合格して認可書を戴く必要がありました。

量産開発を本格的にスタートさせてから1年半、なんとか日にちまでは忘れましたが、97年の9月中旬には認可をいただき、量産車を生産する生産ラインの生産トライ車両(トヨタ用語でこれを号試車と言います)から、社内最終試験や発表イベントのためにナンバー登録をスタートさせることができました。このクルマを京都に運び、展示や連絡用デモ走行用として,当初の目標どおり展示用や連絡車用として間に合わせることができました。正式に生産を開始し、組み立てラインの最終検査ラインから完成車として出て行ったラインオフは、COP3で京都議定書が採択された最終日の前日12月10日(水)でした。これが、リオ地球サミット、COP3と初代プリウスの裏話です。

初代プリウス初期型
初代プリウス初期型

日本から新たな環境への提言を

地球サミットから19年、21世紀に間に合いましたとのキャッチフレーズの初代プリウス発売とCOP3から14年、COPも3+14と17回を迎えました。21世紀に間に合わせたハイブリッド車はトヨタだけで350万台、それでも世界全体では500万台には到達できてはいませんが、温室効果ガスの削減にその効果をカウント出来るレベルに育ってきたように思います。

しかし、いつのまにか、世界の4輪自動車の数は、当時の6億台レベルから10億台を超えたようで、500万台といってもまだ1%にも届かないのが現実です。世界の人口も本年10月には70億人を突破、中国、インドなど当時の発展途上国の著しい経済成長により、石油など化石燃料消費量は急増し、その燃焼による温室効果ガスの発生量はそれにつれ増加しています。もちろん自動車だけではありませんが、化石燃料消費の削減をはかり、温室効果ガスの増加を食い止めていくことが待ったなしです。もっともっと、この自動車のチェンジを加速させていくことが必要です。

COP17では、京都議定書の延長と、2020年発効を目標に、京都議定書には加わらなかった世界の温室効果ガス排出量の半分を占めるアメリカ、中国、インドなどを加えて新しい枠組みをつくることを盛り込んだ「ダーバン合意」が採択されました。

日本は、延長が決まった京都議定書の2012年以降の数値削減目標の設定には加わらず、カナダは京都議定書からの脱退を宣言しました。日本は延長期間の削減義務を負う継続に応じませんでした。3.11東日本大災害の復興活動を進めるためのエネルギー需要、福島原発事故での脱原発、縮原発の動きと原発稼働率低下による温室効果ガスの増加からやむを得ない決断だったと思いますが、2009年のコペンハーゲンCOP15で、当時の鳩山首相が2020年25%の削減をぶち上げ喝采を浴びたのは何だったのだろうと思うばかりです。

京都議定書からの脱退ではないにせよ、京都の延長での削減義務づけ設定に加わらないという決定の国際理解を得るためにも、COP17で合意した新枠組みの合意をめざし、さらにその実効を高めるための温室効果ガス削減技術の普及支援活動とさらなるイノベーション技術へチャレンジによって世界全体としての削減活動に貢献していくことが果たすべき役割ではないでしょか?

ハイブリッド車、電気自動車やその電池など構成部品の現地生産も、日本の削減数値にはカウントされませんが日本の貢献です。鉄鋼もセメントも、生産量当たりの温室効果ガス排出量は世界最小です。ヒートポンプも日本の誇るべき省エネ技術であり、このような技術を更に進化させ続けることが日本の生きる道だと信じています。

物質万能主義とは言いませんが、我慢、節約のけちけち省エネだけでは、人の気持ちもシュリンクし、デフレスパイラルを加速させる一方です。今年の東京MSでは、前回2009年に比べ、開催日数が減ったにも関わらず、4割以上も入場者が増えたそうです。先週のブログでもその様子を述べましたが、これまで我慢をし、購入を見送っていた方々が、新しい自動車を見、そしてそろそろ購入を考えようと動きだしているのではと期待を高めました。

スタンドプレイで、2020年25%の削減などとぶち上げ、挙げ句の果てに我慢、節約、また産業活動に省エネ制約をかけ続けては、イノベーション技術へのチャレンジする人材すらシュリンクさせてしまいます。どちらにしても、日本の政治・外交は世界からの信頼を失っていますので、この際、口から出任せの国際公約はリセットし、現場ベース、もの作りベース、それを支える人間ベースの元気がでるエネルギー・環境技術へのチャレンジを進め、その世界展開で信頼回復と実質としての温室効果ガス削減へ実用技術の提供と普及活動として貢献していきたいものです。