電池はなまもの!」からハイブリッドタクシーまで

「電池はなまもの!」

以前のブログで、「電池はなまもの!」のタイトルの初代プリウス開発にあたってのハイブリッド電池を巡るエピソードを紹介しました。

2012年 1月26日: http://www.cordia.jp/wp/?m=201201

 

開発当初、電池は高温で放置しておいても、電池が空っぽに近い状態でちょっと無理をさせてもどんどん腐ってしまう(劣化)ので、乗っている人間さまよりも大事に使う必要があると脅かされていました。ハイブリッド開発リーダーとして最初に計画した出張が電池工場の視察、二番目が電池開発センターの視察と懇談でした。当時の電池工場はいわゆる3K職場、トヨタのエンジンや駆動部品を加工する機械場と比べても決して綺麗とは言い難い工場で、ハイブリッド電池の母体となる単1サイズの電気工具用のニッケル水素電池を生産していました。その電池を240個直列に繋いで、モーターによるパワーアシスト、減速回生を行うハイブリッドのコア中のコア部品電池パックとなります。240セルのうち1セルでも故障すれば、クルマがストップ、エンジンも掛けられず、路上故障モードとなってしまう重要部品です。

その電池が「なまもの!」、当たり外れがあると聞かされていました。さらに、ハイブリッド開発が佳境に入っても、なかなか量産スペックの電池はできあがらず、やっとできてきた試作電池すら不具合の多発、テストコースでクルマが止まってしまうなどは可愛いいもの、フェールセーフ制御が未完成の状態では電池パックから火を噴くトラブルさえ経験し「電池はなまもの!」を思い知らされました。

われわれクルマ屋の感覚では、故障率0.1%でも大問題、年産10万台のクルマでは100件の故障になってしまいます。セルあたりの不良率1ppm以下が必要と電池屋さんに申し入れると、目を白黒、それが本格的にハイブリッド車用電池開発のスタートでした。さらに、その上で電池の耐久寿命をどれくらい伸ばせるかの見極めがハイブリッド量産化を本当に進めて良いかを判断する大きなポイントでした。

電池もエンジンなみの耐久寿命が普及への必要条件

エンジンやトランスミッションなど、大物ユニットの保証期間は当時で5年5万キロ、しかしこの保証期間が過ぎてもオイル交換などのメンテナンスを怠わらなければ、ほぼクルマ一生の寿命を持つのが普通のクルマの常識です。10年越え、10万キロ越えで、ユニット交換が必要な故障が発生しても、不満の声は上がります。保証期間外の故障率が大きくなると、そのクルマ、そのメーカーの評判は下がってしまいます。ハイブリッド用モーターやインバートはもちろん、ハイブリッド電池もエンジンやトランスミッション同様、同じ機能を担う大物ユニットです。5年5万キロを越えると故障率が増加してしまうようでは、普通のクルマにはなりません。クルマの一生の間での交換が必要となると、中古車価格も大きく下がり、下取り価格の下落、リース残価の下落を招き、そのクルマの評判はガタ落ちとなり、マーケットからの退場を余儀なくされるケースさえあります。

せめて、10年10万キロ以上、クルマの残価がほぼゼロになり、故障してもほぼ寿命と納得していただけることが、寿命保障の一つの目安です。

工業製品のみならず、宇宙や、地球にも寿命があるように、万物には寿命があります。さらに機械部品に比べ、寿命予測、寿命設計は非常に難しい製品です。使用過程でケミカル反応を使うケミカル製品では、その反応雰囲気、反応条件により寿命に影響するストレスは大きく変わり、その繰り返しサイクルにより寿命品質は大きく変化します。

私は電池化学の素人ですが、自動車用触媒、排ガスセンサーを使ったシステム開発に永く従事してきましたので、その寿命保証の難しさはイヤとなるほど経験してきました。ハイブリッド用電池はその経験すら越えそうな代物が、最初の印象でした。

もちろん、電池材料製造プロセス、電池部品輸送・保管プロセス、製造プロセスから検査プロセス、電池パック組み立てから検査、保管、車両工場までの輸送プロセスに至るまで、徹底的な不良撲滅、品質向上活動をやってもらいました。さらに、人間さまよりもわがままな電池を、搭載も急遽変更し、パッセンジャー後席シートの後ろと一等席に変更、電池温度が上がれば電池アシスト量と回生量を絞り、過充電防止は当たり前、満充電までの十分なマージンを取って回生量を絞り、残量が少なくなると余裕を大きくとって出力制限をし、電池がちょっとでも悲鳴をあげると電池使用を切り離すエンジンのみの走行モードへの切り替えすらやりました。

しかし、この電池入出力性制限制御も、お客様の運転中に度々起こるようでは普通のクルマとは言えません。初代ではどうしても、電池からのアシスト出力制限を大きくとる必要があり、亀マークを点灯させる「ごめんなさい」モードを設定し、追い越しなどを控えていただかざるを得ませんでした。

「なまもの」から「工業製品」へ

それでも、「電池はなまもの!」のブログで述べたように、初代初期型プリウスでは、お客様にお渡ししたクルマで電池不具合を多発させてしまい、大変ご迷惑をお掛けしてしまいました。その改良品、単1型240個のセルを直列に接続した電池を搭載した初代初期型プリウスが走っているのを見かると今でのうれしくなります。

今ではクルマが15年以上使われるのは当たり前です。しかし「なまものの電池!」と自覚して、万全を尽くしたつもりでも、最後は清水の舞台から飛び降りる覚悟で送り出した初代プリウスです。

2年半後のマイナーで、円筒型セルから電極構造自体を抜本的に変更した角形セルへと大変更を行いました。さらにそのタイミングで、ハイブリッド用電池専用工場を建設、半導体工場とまではいきませんが、クリーンルーム化をするなど、「なまもの」から「工業製品」への転換を果たしました。さらに、電池パック冷却性能の向上や電池の使い方も見直し、加えてエンジンパワーアップにより、電池入出力を絞っても走行性能低下が少なくする改良を行い、また電池充放電の精密制御など電池の使い方の面からも寿命伸張に向けた改良を続けました。

この2000年マイナーチェンジでの電池大変更の狙いの一つが、カリフォルニア州のエコカー認定でした。規制値が世界で一番厳しいばかりではなく、エコカーと認定されるにはさらに15年15万マイル(24万キロ)のクリーン度保証が要求されました。初代初期型の円筒電池からたった2年半で角形へと大転換したのもプリウスの欧米販売、エコカーを標榜するからにはカリフォルニアのエコカー認定が不可欠との判断からです。新開発電池ですから、マーケットで実際に使った状態での耐久寿命データはありません。初代円筒電池の劣化解析、故障モード解析結果から角形電池開発へのフィードバック、電池セル、電池パックでの意地悪耐久、クルマでの耐久走行だけでは確信の持てるデータはでてきません。

カリフォルニア州の環境当局CARBとの保障期間を少しまけてもらう交渉もやりました。寿命劣化の傾向として長距離走行よりも、少ない走行距離でも長期間使われた方が厳しそうだとの単品耐久結果を説明し、保証期間15年を10年まで短縮してくれました。

それでも、「なまものの電池」の10年15万マイル保証の決断は二度目の清水の舞台から飛び降りる覚悟が必要でした。初代プリウスでは、タクシー会社の宣伝用として少し使われてようですが、われわれとしては、タクシー使用は想定外、この2000年のマイナーチェンジでもほとんど考えていませんでした。意識し始めたのは2003年の二代目プリウスからでした。しかし、10年15万マイル保証がしっかりできるとすると、その先も急速に性能劣化を起こすわけではありません。結局この二代目プリウスから本格的なタクシー使用が始まりました。タクシーでは10年は使われることはありませんが、15万マイル以上の走行は当たり前です。それ以上の長距離走行なら電池途中交換もアリと考えていました。

想定外のタクシー使用、しかし想定以上の電池耐久寿命

これまで述べてきたように、タクシー使用は想定外、しかし二代目プリウスから日本のみならず、欧米、オーストラリアとプリウスタクシーが増加していきました。冷や冷やしながらも、その電池寿命に注目してきました。プリウスタクシーに乗り合わせると、ドライバーから話しを伺い、オドメータを見ながら、電池劣化の兆候である走行中にエンジン起動が頻繁に起きるようになっていないか気にしながら乗っていました。日本同様に、海外でも初期導入はタクシー会社のエコPR活動や政府、地方自治体のエコカー補助制度の後押しがあったようです。その後の増加には、これに加え、燃料費の削減、オイル交換やブレーキバッド交換頻度が少なくなるなど経済面でもメリットも大きいことも後押しとなったと言っていました。ディスカウントの押し込み販売を気にしていましたが、欧州の営業サイドからはそれはないと聞いてい安心したのもこのころです。

いまや、トヨタ&レクサスハイブリッド車の世界累計販売台数が800突破、さらに日本のみならず、世界中でプリウスタクシーが走り回っています。最近訪問した欧州の都市では、パリ、バルセロナ、ブリュッセル、ストラスブール、ストックホルム、など、プリウスタクシーの多さには驚かされます。(写真)

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タクシー用としての電池途中交換がどの程度かは不明ですが、インターネットでは、30万マイル無交換、50万キロ無交換走破のニュースも聞こえてきています。

クシー使用は想定外でしたが、劣化要因の解析を重ね、電池そのものの耐久寿命伸長への取り組み、「わがままでなまものだった電池」から「丈夫な工業製品へと育った電池」へと技術改良を積み重ねることにより、タクシー使用でも想定以上の電池寿命を確保できるまでに進化しています。

米国実施したクルマの長期間保有比率調査結果として、最初購入したオーナーで、そのクルマを10年以上愛用しているユーザー比率を調べたところ、プリウスがトップと僅差の第2位となり、28.5%のユーザーが10年以上使用し、15万マイル以上の走行を記録しているとのニュースが流れていました。

Oct 29, 2015 Green Car Report

トヨタ『プリウス』オーナーが、ある1車種を除き長期間クルマを保有

http://www.greencarreports.com/news/1100689_toyota-prius-owners-keep-cars-longer-than-any-other-model-but-one

このニュースも、タクシー使用だけではなく、個人使用としてもエンジンなど大物ユニット同様、ケミカル製品の電池を無交換と言っても良いレベルにまで進化していることの証明と、初代の開発段階から考えると隔世の感を覚えます。

しかし、電池は「工業製品」と云え、ケミカルプロダクツであることを忘れるな!

しかし、自動車用電池は「工業製品」に進化したとは云え、金属製品と比べると、寿命設計の難しいケミカルプロダクツ、電極での電気化学反応の繰り返しにより物性変化、性能劣化を起こす製品です。過充電、過放電、衝撃による電極変形、金属微粒子混入での微短など、故障モードもいろいろあります。その材料構成、製造工程、反応メカニズム、劣化メカニズム、故障モードを知らず自動車用としてブラックボックスで使える部品ではありません。また、熱暴走抑制や発火・発煙防止として制御だけでやれるわけではありません。ここまでの寿命伸長も、電池本体の耐久信頼性の向上、電池材料特性の向上だけではなく、電池特性を理解したうえでクルマとして使う側からのシステム企画、設計、制御改良の合わせ技でした。

プラグインハイブリッド、電気自動車はハイブリッドよりも電池依存度が大きく、電池寿命保障、信頼性品質保証はハイブリッド用以上に難しい要素があります。

ニッケル水素、リチウムイオン、電池化学特性は異なりますが、寿命保障、信頼性保証の考え方には大きな違いはありません。電池をブラックボックスにし、その制御も車両駆動システムと切り離した丸投げでは、普通のクルマレベルの寿命保障、信頼性品質の確保は困難です。このところの電気自動車ブーム、プラグインハイブリッド車ブームで、杞憂に終われば幸いですが、電池寿命保障、信頼性保証面での不具合発生を心配しています。しかし、この電池寿命保障のハードルを乗り越えなければ、普通の次世代エコカーにはなれません。

ハイブリッド仕様タクシー専用車

今日のテーマ、ハイブリッドタクシーでは、いよいよトヨタからハイブリッド仕様のタクシー専用車発売の発表がありました。まずは日本向け、LPGエンジンの右ハンドル車のみのようですが、欧米でもやや車高が高く客室スペース、荷室スペースが広いこうしたハイブリッドタクシー専用車のマーケットも大きく、従来タクシーと比較して大きなCO2削減効果も期待できます。このタクシー専用車の電池寿命もまた注目です。

プリウスの回生ブレーキ ー その1 

燃費3倍をめざすハイブリッド探索から燃費2倍プリウスの開発へ
何度かこのブログで紹介しましたが、プリウスの前身、21世紀のスタンダードカー・スタディーをスタートさせたのが、1993年秋、社内コードG21です。このときにチームの依頼でエンジンチームが燃費シナリオ検討を行い、コンベ(従来車)技術で10-15モード燃費50%なら達成可能とのスタディ結果だったそうです。G21チームはこの燃費50%向上を車両開発目標として、当時の技術副社長和田さんに提案したところ、「やるなら燃費2倍、それでなければ止めておけ」と言われたエピソードはいくつかのプリウス本で紹介されているとおりです。この目標を達成するには、もうハイブリッドしかありません。急遽ハイブリッド前提での燃費2倍を達成するシステム選定が行われ、その結果選びだしたのが今のトヨタハイブリッド車全車種が採用している、2モーター方式、遊星ギアにエンジン、発電機、駆動モーターをつなげるTHS方式です。
このG21のスタディーとは別に、パワートレーングループが発足させたハイブリッドチーム(BRVF)に和田さんが与えた宿題が燃費3倍を実現するハイブリッドの探索です。この裏話を昨年のブログで紹介しました。
(2013年8月コーディアブログ http://www.cordia.jp/wp/?m=201308)

BRVFチームは、燃費3倍をターゲットに、考えられる限りの様々なハイブリッド構成とアトキンソンサイクルエンジンなど低燃費技術シナリオを入れてスタディーを進めたものの、燃費3倍の実現は困難、車両軽量化や空力改善を入れても燃費2倍強が限界との結果だったようです。BRVFスタッフ達が、和田さんからの爆裂弾破裂を覚悟して恐る恐る「燃費3倍は無理、燃費2倍強が限界」と報告したところ、「よくやった、その目標で次ぎはプロト開発に入るように」と指示をされたとの裏話を聞いています。「燃費50%程度を目標とするならG21は止めてしまえ!」とおっしゃった和田さんの頭の中には、すでに燃費2倍ならハイブリッドでやれるとの報告が入っていたことは間違いありません。このブログで何度もご紹介したトヨタの諸先輩がた、特に今も語り継がれる名車を作り上げられた車両主査のお一人、和田さんらしいエピソードです。

燃費2倍にはフルハイブリッドが不可欠、ブレーキ屋さんには苦労をかけました
この「ハイブリッドなら燃費2倍強はやれるかも?」の根拠の一つが、停車中のアイドルストップどころか、低中速の走行時には運転効率が極端に悪化するエンジンを止め、モーター走行をさせるフルハイブリッド(ストロング)とも呼ばれるハイブリッドと、今日の話題回生ブレーキの採用です。燃費3倍の探索からスタートしたプロジェクトですので、以前に実用化経験のあるエコランでも、また回生の取り分が少ないマイルドハイブリッドは検討対象には入っていませんでした。

当時の日本10-15モードだけでの「なんちゃって燃費2倍」を目指したわけでもありません。グローバル21、アメリカの公式燃費も欧州の公式燃費も探索の対象に入れると10-15モード領域だけではなく、広い車速域でのエンジン停止EV走行と減速回生ができるシステムを目指しました。

10-15モードの燃費2倍はそれほど難しいターゲットではなかったはずが、最初のプロトでの燃費試験結果は惨憺たるありさま、リッター20キロを切るレベルでした。この理由の一つが、スタディーに使った発電機とモーターの効率マップが僅かの計測点から鉛筆を嘗めて作成した実際とはかけ離れたものであったことがわかりましたが、後の祭りでした。エネルギー回生の取り代を過大に見込んでいたことになり、この回復を図らなければ10-15モードですら燃費2倍は見えてきません。少しマージンがあったはずが、当て外れでした。

燃費シミュレーションで見込んだ回生量を稼ぐことを前提に、ハイブリッド電池が受け入れられ限り目一杯の減速回生、停車の寸前で油圧ブレーキに切り替える油圧ブレーキ屋さんにとっては無理難題のチューニングをお願いしました。それまでの電気自動車ではそこまでの減速回生はやっておらず、エンブレ相当まで、ブレーキを踏むと中速域から油圧ブレーキに切り替える方式だったと思います。それを、アクセルペダルから足を離し、ブレーキペダルを踏み始めても回生を続け、止まる寸前に油圧ブレーキに切り替えないと燃費2倍で見込んだエネルギー回生はできません。いわゆる、高度な電気回生と油圧ブレーキの電気-油圧の回生協調ブレーキシステムを必要とする要求です。ブレーキ設計担当も、初代はそこまでの高度な回生協調ブレーキの経験はなく、油圧ブレーキのチューニングでやれる範囲と考えていたと思います。油圧・回生協調ブレーキの開発の第1歩は、エンジニアの回生協調、油圧ブレーキエンジニアを派遣してもらい、ハイブリッドエンジニアとの共同チームによる制御系の摺り合わせからスタートしました。
油圧ブレーキ系ハードはこの開発日程ではほとんど変更の余地はありません。回生域は拡大、そこから油圧への切り替えを車両のチューニングでやるしかありませんが、その車両とハイブリッドが商品車としてのチューニングに入れる状態になったのは量産トライ寸前の1997年夏の頃です。

その苦労が本格的なブレーキ・バイ・ワイヤECB2の実用化を加速?
燃費2倍実現を目指す公式試験の申請諸元はほぼ決めており、回生領域拡大は必須、あとはブレーキ部隊のチューニングの詰めに期待するしかありません。ギリギリまでがんばってくれましたが、チューニングだけでは十分なレベルにはならなかったようで、初代の立ち上がりではカックンブレーキと言われてしまいました。無理な適合を押しつけ、チューニングの詰めの段階でも、まともなクルマを提供できなかったことなど、今もブレーキ屋さんに申し訳なく思っています。しかし、開き直ると、この「カックンブレーキ」が本格的なブレーキ・バイ・ワイヤのシームレスに回生・油圧切り替えを行う2代目プリウスに採用することになる電子制御ブレーキシステム[ECB2: Electronically Controlled Brake System 2]の開発を加速させることになったと言えるかもしれません。ジャーナリス試乗会でカックン感を指摘されると、「すぐ慣れますよ!」とか「ブレーキ操作が荒いからですよ!」などと嘯いていましたが、ブレーキ担当のメンバー達には口惜しい思いをさせてしまいました。

従来のエンジンと機械変速機の組み合わせでは実現できなかった、クルマを加速させ、巡航運転を行う駆動力から停車させるまでの制動力までモーターとECB2によるシームレスなコントロールの将来性に目を開くことができました。

モータ・発電機のとんでもなく高い効率マップを提出したモーター開発スタッフには大きな貸しを与えましたが、これまた2000年のマイナー、2003年二代目プリウスTHSIIと着実に効率を高め今ではそのとんでもない効率を実現し、ECB2との回生協調の進化によりエネルギー回生効率も当時では考えられなかったレベルを達成しています。このあたりは、次の機会にご紹介したいと思います。

日本初の自動車リコールとAT車のエンスト問題

先月の中日新聞に、『トヨタの系譜 時流の先への』第2部 「危機の教訓」が連載されていました。全国版ではありませんので、読まれた方は少ないと思いますが、この第2部は予期せぬ加速問題とプリウスブレーキリコール問題の顛末が主題です。騒ぎが大きくなり章男社長が米国連邦議会の公聴会に呼ばれ証言をし、不具合”がまだ疑いだけの段階でこの公聴会でも取り上げられ、当時の運輸大臣ラソーダ氏のトヨタバッシングとなる「トヨタ車はお勧めしない」とのフライング発言までありました。この電子制御系不具合による暴走問題は、その後の米国ハイウエー運輸安全局(NHTSA)と航空宇宙(NASA)の専門家達による合同調査で疑いが晴れましたが、これがハイブリッド車の普及に大きなマイナスになってしまいました。この記事は、章男社長の公聴会での証言とその後の米国トヨタディーラー激励会での涙、CNNライブでのやりとりから、さらにNHTSAとNASAでの調査結果まで取り上げられていました。この2部の最後、5月1日号に私のコメントが紹介されていました。インタビューを受けたのは、マスキー法からプリウスまでの取り組みで、その中でお話したその後の自動車エンジニアの原体験となった日本初の自動車リコールが取り上げられていました。わずか1行の紹介でしたが、その話を取り上げた記者の方が掲載された一連の新聞を送ってくれました。
今日の話題は、この日本リコール届け出第1号の話題と、自動車の重大不具合として今週メディアで話題となったオートマ車のエンスト問題です。

日本の自動車リコール第1号
日本に自動車リコール制度は、1969年6月に運輸省(現国交省)の通達でスタートしました。第1号がトヨペットコロナRT40のブレーキ配管腐食によるクラックからブレーキフルッドが洩れ、ブレーキ失陥を引き起こす重大不具合でした。丁度その年の4月にトヨタに入社しました。集合教育の後、工場実習を終えると6月から、各地の販売店に派遣されサービス実習・セールス実習が始まります。私も出身地の札幌でサービス・セールス実習を行いました。リコール届け直後のサービス実習では、受け入れ先の販売店さんにとってトヨタ自動車からの実習生は飛んで火に入る夏の虫、1カ月のサービス実習の全てが、市内を歩き回りリコール該当車を探し回る仕事でした。RT40コロナを見つけると、床下を覗きブレーキ配管にブレーキフルードの滲みがないかを確認し、該当車のワイパーにリコール修理呼び込みのパンフレットを挟んで回る仕事です。まだ、学生気分が抜けず、また北海道とはいえ暑い時期、不平たらたらで歩き回った記憶があります。これが、中日新聞で取り上げられたエピソードです。

この実習を終え、トヨタに戻り、2度目の工場実習を終えるといよいよ職場配属です。私の配属先は、駆動ユニットと制動ユニットの設計担当の駆動設計課、ブレーキ・リコールの責任設計部署でした。まだリコール対応のまっただ中、TVコマーシャルでリコール告知と修理持ち込みのお願い、リコールのお詫びが流れていました。そのリコール内容の説明役が直属課長、日頃指導を受けている課長がTVで頭を下げ、技術説明を懇切丁寧にされている姿を見て、自動車会社の責任、設計担当の責任の重さを思い知らされました。駆動設計ではリコールを引き起こすような大チョンボはやらずに済みましたが、単発のチョンボ設計は何度かやりました。上司から叱責を受けた記憶はありませんが、そのちょっとしたチョンボがお客様にご迷惑をおかけし、販売店サービスを苦労させたことに、やった自分自身が一番堪えました。このリコール第1号のサービス現場体験、そのリコールフォローに飛び回る配属先の臨場感、そして自分が引き起こした設計不具合の影響の大きさ、この時期の体験がそれ以降の自動車エンジニアとしてのスタートポイントになったように思います。

排ガスリコールとエンジン適合不良によるエンスト不具合
クリーンエンジン開発担当時も、リコールは身近な話でした。米国で排気規制を管轄する環境保護庁(EPA)は、規制をしっかり守っているかチェックする経年車のエミッションサーベイ試験をやっていました。この成績が悪いとリコールを命じます。1970年代~80年代では、米ビッグ3の成績が悪く、度々排ガスリコール命令が出ていました。排ガスリコールは何年か売り続けた経年車が対象ですから、ビッグ3のメイン車種となると対象台数は半端ではありません。当時のリコールで1回あたり数百億が吹っ飛ぶ規模です。トヨタの米国主力車種、カムリやカローラがリコールを起こすとこれまた半端な台数ではありません。量産設計の担当ではありませんでしたが、1990年からは米国向けの全ての車種のエンジン排気システム諸元を決めるリーダとなり、エンジンの品質問題、排気システム品質確保、重大不具合の未然防止は最優先マネージテーマでした。トヨタはこの排ガス品質では優等生、1990年代まで排ガスリコールはありませんでしたので、開発担当としてはこのリコール・ゼロ継続も大きなプレッシャでした。1980年代から仲間内ではリコール・ゼロの継続が話題で、自分の担当でゼロを打ち止めにはしたくないと我慢競争をしていたように思います。エンジン制御も担当しましたが、これもまたリコールに直結する重大不具合との関わりが大きい分野です。排ガス品質を確保できたとしても、ギリギリのエンジン制御適合でエンスト、ショック、もたつき、サージ振動といったドラビリ不具合を起こしてしまうとこれまたお客様にご迷惑をおかけする市場不具合となります。このドラビリ問題の中で、適合評価で気を遣ったのがオートマ車のD/Rレンジ・エンスト不具合です。これが今日のもう一つの話題です。

今のガソリンエンジンは全て電子制御燃料噴射エンジンです。長い期間使った経年車では、空気を送り込む吸気バルブにカーボンやオイル中の固形分がたまり、噴射した燃料がトラップされ不整燃焼が起きやすくなります。さらにガソリンが揮発性の高い冬用から揮発性の低い夏用に切り替わる時期でマーケット上限の揮発性が低い夏燃料を用い、急なスロットル操作をやると適切な燃料が供給されず、不整燃焼が起きやすくなります。これに、P/Nレンジから急にDレンジに入れ、同時にアクセルのチョイ踏み、さらにDレンジのままアクセルのon/off操作で坂道をずり下がる、途中でDからRに切り替えるなど、不整燃焼、エンストを起こし易い意地悪操作をいやというほど繰り返し、耐エンスト性の確認とエンスト不具合の未然防止適合を行うのが通例でした。いかに経年車とはいえ、マーケットでエンスト不具合を起こすのはエンジン開発屋の恥との感覚だったと思います。

なぜ今頃ガソリンオートマ車のエンスト問題?
最近このガソリンAT車のエンスト不具合問題がメディアで話題となっています。この切掛けは、3月に交通安全環境研究所が国交省の委託調査としておこなった-「エンジン停止走行」に繋がるおそれがある事象に関する調査-なるレポートです。
http://www.mlit.go.jp/jidosha/carinf/rcl/common/data/201403_report.pdf
国交省がこのレポート結果を公表し、自動車のリコール・不具合情報サイトで再現ビデオを付けて紹介しています。http://www.mlit.go.jp/jidosha/carinf/rcl/carsafety_sub/carsafety027.html
これをメディアが一斉に取り上げたのが今週です。

誤操作による急発進や、逆走を防ぐために、AT車やハイブリッド車では、P/Nレンジ、システムによってはさらにブレーキを踏んでいる状態でのみエンジン始動やモーター駆動力が発生するように設定しています。D/Rレンジではどんな意地悪操作であろうが、エンストは起こさないことが前提で始動シーケンスをを組んでいます。ですから、この状態でエンストが発生すると、P/Nレンジに入れ直し、ブレーキを踏み始動操作をやり直す面倒な操作を要求しています。この状態でエンストが起きると、通常のガソリン車ではパワステの油圧が低下しパワステが効かなくなり、またブレーキ油圧もエンジン回転でポンプを回し発生させていますので、油圧低下をきたしブレーキが効かなくなるケースも発生します。この状況に陥るとドライバーがパニック状態に陥ることも開発では考慮に入れる必要があります。何よりも、エンストさせないことです。

無理な低燃費適合も遠因では?
国交省のリコール・不具合情報サイトでは、ドライバーの操作についての注意喚起になっていますが、低燃費競争のなかで、エンスト防止への適合評価がおろそかになっているのではとの心配をしています。燃費のために、アイドル回転数を下げるとエンストしやすくなります。またATのトルコンも、動力伝達効率を高めるため滑りの少ないタイトなものを採用する方向、これもエンストしやすくなります。カタログ燃費競争が激しくなるなか、AT車でエンストを起こす適合は恥との感覚が薄くなってはいないでしょうか?安全が何よりも最優先です。

プッシュボタンスタートの流行にも?
また、二代目プリウスから採用したプッシュボタンスタートが、コンベ車にもどんどん採用されるようになってきました。この誤操作としてエンジンが起動していない状態で、D/Rレンジに入れるとそれが坂道なら走り出してしまう不具合も報告されています。この状態では、パワステ油圧もブレーキ油圧も発生しておらず、どちらも効かずパニックに陥ってしまうケースが紹介されています。このプッシュボタンスタートの採用も、プリウスが採用してからの流行として安易に採用していないでしょうか?二代目プリウスでスマートスイッチは車両主査グループからの採用要望でしたが、われわれハイブリッドチームも不具合防止、ご誤操作防止、誤操作時のパニック操作、その時の挙動分析を何度も何度も行い、採用を決めてきました。ハイブリッドだから、全くこのようなエンスト、パワーシャットダウン不具合がなかったと言うつもりはありません。部品不具合でのシャットダウン、エンストでお客様にもご迷惑をおかけしました。しかし、適合不良としてのエンスト、シャットダウン不具合は現役時代には起こしませんでした。自分が適合作業をやった訳ではありませんが今でもリーダとしての誇りです。
中日新聞で取り上げていた、プリウスの電子制御が疑われた予期せぬ急加速問題のNHTSAとNASA専門家調査で白となった背景にも、プリウスの途中から入れた簡易ドライブレコーダーのデータ解析が決め手になったと書かれていました。バイ・ワイヤ制御が不可欠のハイブリッドで何か重大不具合が起こった時の原因究明に役立つかもしれないと、修理書にも記載せずこっそりと入れた機能でした。

何度もこのブログで書いているように、安全がなによりも優先、排気クリーンはもちろん低燃費とも、いわんやコストとのトレードはやってはいけないことを肝に銘じて欲しいと思います。知恵を絞ってトレードオフポイントを高い位置に引き上げるのが技術進化です。

章一郎さんの日経“私の履歴書“とマスキープロジェクト

入社当時の仰ぎみたトヨタの先人たち
われわれの世代のトヨタOBは豊田姓のトップの方々を、内輪では姓を省略して英二さん、章一郎さんとお呼びしていました。4月から日経紙の“私の履歴書“欄にちょうど章一郎さんが寄稿されており、今日(17日)掲載16回のテーマが1970年米国大気浄化法(マスキー法)への対応をスタートとする、排ガス対策の話題でした。これまでも、噂に聞いていた芝浦の特殊研究室の話、入社当時遠くに垣間見た石田退三さん、昨年お亡くなりになった英二さんの話題、工場実習や生産管理部での実習でお見かけした大野耐一さん、静岡の研究所の私の席の近くでガスタービン車の開発を熱く語っておられた初代クラウンの車両主査中村健也さんなど、トヨタを築き上げた先達の方々が登場するたびに懐かしく読ませていただいていました。

今日の話題、マスキー法対応プロジェクト
今日(17日)掲載16回のテーマが1970年米国大気浄化法(マスキー法)への対応プロジェクトからスタートした排ガス対策の話題でした。このマスキープロジェクトに加わりクリーンエンジン開発に取り組んでいたのが、まさに私の青春時代、自動車エンジニアとして鍛えられた時期でした。最後の部分で“当時の技術陣の努力に感謝した”と書いていただいたことに、技術陣のはしくれにいた一人として嬉しくなりました。
ここで書かれているように、確かにこの時期、英二さんも、章一郎さんも静岡の研究所にしょっちゅう立ち寄られ、われわれマスキープロジェクトの実験室を視察され、激励をしていただいたことを思い出します。この排ガス規制を乗り切ったことが、ここまでのトヨタの発展、さらに日本自動車産業の発展の大きなマイルストーンだったことは間違いないと思います。

三元触媒に出会ってその初期性能の高さに目が点
自動車用エンジンで触媒を使いこなす方法、技術を見つけ出すことが、私の最初のテーマでした。その触媒の一つが、文中にもあった排ガス中の主要規制成分の一酸化炭素(CO)、ガソリンの燃え残り成分の未燃炭化水素(HC)、高温の燃焼で空気中の酸素と窒素が結びついて発生する窒素酸化物(NOX)の三成分を同時に一気に浄化する三元触媒でした。この三元触媒を使いこなすテーマが私の担当となり、英国Johnson Matthey社の試作品が手に入りトヨタの中で最初にエンジン実験をやったのが私だったと思います。エンジン排気管に入手した触媒を溶接してとりつけ、エンジンを一定回転、一定負荷(空気量を調整するスロットル弁を一定開度)に保ち、燃料を供給するキャブレターの燃料調整部を自分で調整して触媒の性能を見る味見試験が最初でした。この時の感激は今も忘れません。ぴたっと合わせると、CO、HC、NOXの三成分が、同時に一気に90%以上も浄化されてしまいました。まさに目が点状態、しかし10分もすると調整をしたはずのキャブの燃料供給状態が微妙に変わり浄化率がガタ落ちになることもすぐ経験しました。

三元触媒を使うために酸素センサーによる電子燃料制御エンジンへ
それを使いこなすために提案されていたのが、エンジンの排気管に燃焼ガス中の燃え残った酸素濃度を検出する酸素センサーをつけ、その信号によって三元触媒が最適な燃焼状態を制御する方式です。その酸素センサーを使って、シリンダーに供給する燃料を制御する方式に、キャブレターの燃料通路を制御する方式と当時としては高価な高級エンジンに使われ始めたシリンダー毎の吸気管にガソリンを噴射する電磁噴射弁をつけ燃料を制御する電子制御燃料噴射弁エンジン、トヨタの呼び方としてのEFI方式の二つがありました。このEFI方式はさらに噴射弁まで燃料を送るポンプまで別に持つため非常に高価な方式で、またドイツ・ロバート・ボッシュ社の特許でがんじがらめ、当時トヨタの開発陣の中でこれがどんなクルマにも使われるポピュラーな方式になると考えていたエンジニアはほとんどいませんでした。キャブレター方式もその燃料量を安定して制御することが難しく、どちらの方式でも三元触媒方式はすぐにはものにならないとの意見が主流だったと記憶しています。触媒だけではなく、酸素センサーも数時間の試験で検出特性が使い物にならないぐらいずれてしまう代物でした。マスキー規制にホンダCVCC方式がクリアできたとの報道もありましたが、広く様々なエンジン、車種に展開できる触媒方式を主力においていた米国Big3とトヨタ、日産勢はなかなか見通しをつけることができないでいました。燃料無鉛かの遅れや触媒を安定して使いこなす点火系の信頼性確保などの見通しがつかなかったためです。ひとまずはマスキー規制を緩和した暫定規制となり、この暫定規制と日本の50年規制に対応するCOとHCの二成分を触媒で除去する酸化触媒方式が本命となりました。章一郎さんの文章にある、英二さんが国会喚問で排気規制への対応遅れを追求され、実際にその開発の前線にいるエンジニアとして触媒方式の商品化見通しをつけることができず、悔しく、情けない思いをしたのもこの頃の話です。

EFI電子制御エンジン研究開発の担当がエンジン・システム・エンジニアの原点
ちょうどそうした時期に係長に昇格し、新米係長なら当分ものになりそうもない三元触媒を使うEFI電子制御エンジンの研究開発担当なら失敗してもダメ元、時間もあるからと私の担当になりました。この三元触媒をエンジンとして使いこなすテーマから、その手段としてEFI電子制御エンジン、そのデジタル制御化の開発に取り組めたのが、私のエンジン・システム・エンジニアとしての原点だったと思います。
その頃はがむしゃらに、夜昼なしに実験室にこもり、またクルマを使った試験で走り回りました。この三元触媒EFI電子制御エンジンの実用化を突き詰めるなかで、排気ガスのクリーン化だけではなく、クリーン度が上がるとそのポテンシャルを低燃費やエンジンのパワーアップにも振り向けることができることも解ってきました。エンジン、触媒、制御といった機能、部品単体としての開発だけではなく、エンジン・システム、車両システムとして開発に取り組むことの重要性を実感したのがこの時期の体験です。この流れのなかで、このEFI方式が6気筒エンジンや4気筒スポーツエンジン搭載車に使われるようになり、さらに4気筒の排気量の大きい一般車用エンジンから排気量の小さいエンジンまで広がっていきました。達成困難と思っていたマスキー規制もクリアでき、一時廃止していたスポーツエンジンも復活、さらに4弁エンジンやいままた低燃費エンジンとして大流行になったターボ過給エンジン、スーパーチャージャーエンジンが出せるようになったのもこのEFIエンジンのデジタル電子制御があっての話です。

システムとしての全体最適をハイブリッド開発マネージの最重点
このシステムエンジニアとしての体験と自覚が、ハイブリッドプリウスの開発リーダーとして生かせたと思っています。エンジン、駆動、その駆動系に入り込む発電機とモーター、エンジンの動力に加える電池電力、それぞれの個別最適化の組み合わせではハイブリッドシステムは開発できません。エンジン、駆動、発電機、モーター、電池、さらにはブレーキ、車両全体の電源供給までのハイブリッド全体システムとして、さらにクルマ全体としての最適化とその不具合未然防止に取り組むことができたことがハイブリッドプリウスの立ち上げに結びついたと確信しています。
目が点になる高い三成分浄化率をもった触媒があっというまに性能低下を起こし、また数時間の耐久試験で劣化し、そのさなかにエンジンが失火すると場合によってはメルトダウンしてしまう触媒をどのようにシステムとして使いこなし、これまた数時間の耐久試験で検出特性が変わってしまう酸素センサーをどのように使いこなしシステムとして商品化にこぎ着けたかは、次の機会にご紹介したいと思います。

 『ハングリーであれ! 愚かであれ!』 スティーブ・ジョブズ伝より

ジョブズの伝記を読み終えました

昨年10月にガンのため、56才でなくなったアップル社の創業者、スティーブ・ジョブズが、生前に直接彼の伝記執筆を米国「TIME」誌編集長、CNNのCEOなどを務めた著名な伝記作家ウォルター・アイザックソンに依頼し、彼の死後、10月末に彼の執筆したハードカバー版2刊もの『スティーブ・ジョブズ』I、IIが英語版に続き、日本版も講談社から出版されました。11月の上旬に購入し、ちょっと読み出したところで、その量の多さと最初の取っつきにくさに、この2月まで「積ん読」状態にありました。 

昨年のブログにも書きましたが、私は古くからのマック派で、仕事ではWindowsを使わざるを得なくなりましたが、プライベート用として、マックは一度も手放さず、最近ではプレゼンや海外出張にはMac book airを持ち歩いています。もちろん、携帯電話はi-Phone、さらに十分に使いこなしているとは言えませんがi-Padのユーザーでもあります。

この2月の始めに、積んであったこの本を読み出し、読んでいるうちにはまり込み、久しぶりに睡眠時間を削り、一気に読み切ってしまいました。内容の紹介は多くの書評などが出されていますのでそちらに譲ります。

以前のブログでも書きましたが、二人のスティーブ、スティーブ・ジョブズ、スティーブ・ウォズニアックがジョブズの実家ガレージを作業場としてマイコン・チップを組み合わせた手作りパーソナルコンピュータ開発としてアップルを創業したのが1976年4月、われわれも、マイコンを使ったエンジン制御に注目し、秋葉原でマイコン・チップを購入して自作した制御用コンピュータでこれも自作したソフトを組み込み、クルマを走らせたのが1976年のことです。

ほぼ同じ時代にマイコンを使った様々な用途へのアプリ開発が進み、アップル社はマックからパソコンの進化と情報ネット化を牽引し,さらにi-Pod, i-tunes, i-Phone, i-Pad, i-Cloudと情報メディアのパラダイムを変えていきました。産業分野が違い、向こうはベンチャーの経営者、こちらはエンジニアと比べるべくもありませんが、われわれは自動車の電子化を進め、エンジン制御、車両走安制御、そして車両統合制御としてのハイブリッド、プラグインハイブリッドをこの制御技術の基盤の上につくりあげました。

自動車業界の情報化もECT, VICSとナビ連携があたりまえになり、各社のテレマティックスサービスがスマートフォンと繋がり、自動車もいよいよ情報ネット接続が標準になるユビキタス化を迎えています。

ジョブズの伝記を読みながら、この1970年代から現在に至る、マイコン応用からスタートする『製品』進化の歴史のラップに興味を引かされました。

1976年とコンピュータ

日本の電卓メーカーの依頼でインテルが4ビットマイコンを開発したのが1971年、GMが世界初のマイコンエンジン制御として、点火時期だけを制御するマイザー(MISAR)を開発しオールズモビル・トロネードに搭載したのが1976年、アップル社が彼らの最初のパソコン、アップルIをニュージャジー州で開かれた第1回米国パソコン・フェスティバルに出品したのが同じ1976年9月、われわれが秋葉原でかき集めてマイコン・チップから手作りで作り上げた助手席を占有するぐらい大きな制御用コンピュータでクルマが動きはじめたのも1976年秋、振り返ると1976年がエポックの年として繋がるように感じます。

そのマイコン制御に手を染めた76年か、77年、実験データ処理をやっている電算グループの先輩と自動車マイコン制御の将来として、エンジンから車両全体のネットに繋がる車両統合制御システムへの発展、さらにネットで販売店、そしてトヨタとつながり、メンテナンス情報のオンラインチェック、故障診断、サービス情報の提供などへの発展などを語り合ったことを思い出します。そして、いまその殆どが、実現しようとしています。

このマイコンの進化、制御の進化がなければ、ハイブリッドの実用化ができなかったことは明かです。

本当に顧客の求める商品を作るということ

話をスティーブ・ジョブズ伝に戻すと、ジョブズ自身がアイザックソンに伝記執筆を依頼し、亡くなる寸前までインタビューに応じ、また執筆内容には一切注文を付けず、かつての恋人に、彼の性格を、自己中心主義を通り越して精神疾患としての「自己愛性人格障害」と言わしめるところまで、良くも悪くも全人格、人生をさらけ出すさまざまなエピソードを紹介していることに、彼の、またアメリカ文化のオープンさに感動しました。

またマイクロソフトのビル・ゲイツから、グーグルのエリック・シュミットまでに至るライバル達との論争、さらにはアル・ゴアからオバマ大統領とのやりとりまで、さらに、彼の手がけた製品に対する、完璧主義の凄まじいやりかたに共感を覚えながら読み切りました。

彼の病状が悪化するなか、永年のライバル、ビル・ゲイツがふらっとジョブズの自宅を見舞いに訪れ、3時間も懇談し、それまでの彼らのビジネス思想の違い「アップルの世界、“機器ハード、ソフト、そしてコンテンツ構成までクローズし、システム全体のコントロールを手放さないジョブズの統合アプローチ」と、「規格化されたハード構成上で動くWindowsに代表されるOSを提供し、そのOS上を走る様々なアプリソフトの開発を解放するオープン水平モデル」を主張するゲイツが、その全く違う二人のアプローチについて議論をし、ジョブズの主張する「統合アプローチも成功することをアップルは示したが、それはスティーブが舵を握っている間だけはうまくいったが、将来的に勝ち続けられるとは限らない」と反論したとのエピソードなどを、ゲイツからの取材として紹介していましたが、この二人の巨人のこの論争がどのような決着となるのか、興味津々でこれからも見ていきたいと思います。

彼の死後も、i-Phone, i-Padの好調で、アップル社はとうとう時価総額で世界一、トヨタの3倍の時価総額というとてつもない会社に成長した記事を見て今更ながら彼のすごさを感じました。

製品開発では、あたりまえのように顧客第一主義が取り上げられています。言葉の上ではその通りですが、わたし自身はそれに違和感を覚えていました。ジョブズの言葉として、

『顧客が今後、なにを望むようになるか、それを顧客本人よりも早く掴むのが僕らの仕事なんだ。欲しいものを見せてあげなければ、みんな、それが欲しいなんてわからない。だから僕は市場調査に頼らない。歴史のページにまだ書かれていないことを読み取ることが僕らの仕事なんだ』

と言っています。

このセリフに強い共感を覚えました。コンシューマ・プロダクトの開発では、今の社会、顧客ではなく、将来の社会、顧客ニーズを発掘するのが開発屋の醍醐味です。社会、顧客のニーズ、意識を先取りし、サプライズを与えられる製品こと目指すべきものです。ジョブズのセリフに共通点を見つけ、うれしくなりました。

1990年の始め、業務用の実験データ解析、技術レポート作成、論文、特許のデータベース化など、個人業務用のパソコン端末導入を計画し、NEC9801も個別には使っていましたが、どうもなじめず、そこでマックと出会ったことがマックにはまり込んだ始まりです。

プリウス開発チームではマックを使用していた

その時代は既にスティーブ・ジョブズはアップルから追い出され、アップルの衰退が始まっていた時代でしたが、デモをやってもらったMacintosh PlusかMacintosh SEをみて、そのグラフィカル・ユーザー・インターフェース(GUI)のすばらしさに感激し、またこのGUIと標準仕様のデーターベースリンクソフトのハイパーカードのセンスに、これだと決めて職場に導入しました。

以前のブログでも紹介しましたが、初代プリウスの開発チームにもマックが業務用パソコンとして配られ、インターネットならぬ、社内イントラネット上のメーリングシステムが、開発情報の共有化に効力を発揮してくれました。しかし、システムの信頼性はお世辞にも良いとは言えず、当時はたびたびフリーズし、折角の解析結果や作成中のレポートの作り直しなど、トラブルの多さに泣かされた記憶もあります。

アップルが傾き、その再建にジョブズが復帰したのが1997年、これも初代プリウス発売の年です。アップルに復帰してからの話は、ここで紹介するまでもありませんが、IBM/モトローラ製のコンピュータ・チップセットからWindowsとも共通のインテル製に切り替え、1998年にはディスプレー一体、半透明なブルーボディのiMacを登場させ、怒濤の攻勢をかけ世界一の会社にまで立ち上げたのが、彼の完璧主義による統合アプローチであり、凄みすら感じさせられます。

サプライズのある新しいものを作るためには

本書ではこのハード機器、OS、アプリソフト構成、さらにはそれで作りあげるコンテンツと統合システムまでコントロールしながらやる“エンドツーエンド”で製品を開発する例として『自動車会社』を例にあげています。しかし、一言追加して『昔はそうだった』とのコメントを残しています。以前に紹介したことがある、トヨタの車両主査制度で、かつての名物主査はこの統合アプローチのクルマ作りをやっていたように思います。

またジョブズは、自らを含め、

『クレージーな人たちがいる。反逆者、厄介者と呼ばれるひとたち。賞賛するひともけなす人もいる。しかし、彼らを無視することはだれにもできない。なぜなら、彼らは物事を変えたからだ。彼らは人間を前進させた。彼らはクレージーと言われるが、私たちは天才だと思う。自分が世界を変えられると本気で信ずる人たちこそが、本気の世界を変えているのだから』

と言っています。これも強い共感を覚えたセリフです。

プリウスハイブリッドの開発は、ジョブズがやったような完璧主義、統合アプローチの独裁的なプロジェクトではありませんでした。しかし、あの当時、トヨタが21世紀の自動車をやろうとそれまでの二番手主義をやめ、一瞬狂ったクレージープロジェクトだったと思います。開発チームにクレージーと呼べる人はいたかも知れませんが、天才は居ませんでした。しかし、開発チームとして、中核の何人かはサラリーマンではやれないような、完璧を目指し、端から見ると狂ったように取り組んだことは事実です。車両主査とシステムチーフのタイアップにより、完璧な統合アプローチにより「新しいクルマ」を作り上げたと今も自負しています。ジョブズのセリフ『昔はそうだった』のように、トヨタに限らず、サプライズを与え、時代を変える意気込みの未来のクルマに拘り抜いた、『統合アプローチ』のクルマ作りはできなくなっているように感じます。

如何に、大規模になろうが、また制御の固まり、ネットと繋がるクルマになろうが、クルマはクルマ、多くのお客様から未来のクルマと感じてもらい、またサプライズを感ずるクルマを、もういちどクレージー集団の『統合アプローチ』から生み出してもらいたいものです。

もう一つ、ジョブズの、強い共感を覚えた言葉を述べたいと思います。
『アップルの経営を上手くやるために働いているのではなく、最高のコンピュータを作るために仕事をしている』彼らしいセリフです。

今回のタイトルの『ハングリーであれ! 愚かであれ!』は、スティーブ・ジョブズが2005年6月12日にカリフォルニア州サンフランシスコの南、パラアルト市に美しく広大なキャンパスをもつ、スタンフォード大学の卒業式に招かれた時のスピーチの最後に学生達にあたえたメッセージのセンテンスです。
その中では、

(1)大学中退のいきさつ
(2)アップルから追放されるいきさつを例に、大切なものとそれを失うことについて
(3)死について

を語っています。
そして、最後に3度もこの『ハングリーであれ! 愚かであれ!』を強調してこのスピーチを終えているのが印象的でした。

‘You’ve got to find what you love,’ Jobs says
Stanford University news :http://news.stanford.edu/news/2005/june15/jobs-061505.html

自動車と品質、もの作り

プリウスがドイツで2年連続品質NO1を獲得

昨年の12月に、嬉しいニュースが飛びこんできました。
ドイツの自動車の安全・燃費・排ガス性能試験を行う公的認定機関であり、車検統計調査機関であるTUV・SUD(テュフ・ズード)が、毎年その3年後の車検結果から発表している既販車品質調査レポートで、故障率が一番少ないクルマとしてプリウスが選ばれたとの記事です。この数年、トヨタ車のリコール問題、品質問題で、プリウスを含め、世の中を騒がせてきただけにホットし、また品質のトヨタの名をはずかしめないようにと取り組んだ初代プリウスハイブリッドの品質向上活動が、今もしっかり根付いている証のニュースとしてうれしくなり祝杯を挙げました。

しかし、もちろん故障率ゼロではありませんし、この2年間にもブレーキABS制御系のリコール、初代プリウスの電気パワステリコール、電動ウオーターポンプのサービスキャンペーンと、不具合でお客様にご迷惑をお掛けしています。品質改善、その未然防止活動には限りがないことを肝に銘じて、さらにレベルアップを続けて欲しいと願っています。
  
この何年か、石油ストーブの一酸化炭素中毒事故、火災事故リコールとその回収修理キャンペーンがテレビ、新聞を賑わせていました。10年以上も前の製品でも、重大不具合故障が発生すると、さかのぼって緊急の回収修理が必要になることを痛感しました。また一連の自動車の不具合隠しが取り上げられたのも初代プリウス発売後で、それがどこまで波及していくのかヒヤヒヤしながら、やってきた開発プロセスにコンプライアンス上の問題がなかったかなど振り返りも行ってきました。

自動車のリコール制度

日本での自動車リコール制度は、私がトヨタ自動車に入社した1969年に制定され、その実施第1号がトヨペット・コロナのブレーキ油圧配管の腐食によりブレーキ油圧が抜け、ブレーキが効かなくなる問題でした。当時、入社し最初の集合教育と工場実習が終わると、7月頃から販売店に派遣され、販売店現場でのサービス・販売実習がありました。
1ヶ月間のサービス実習では、このブレーキチューブリコール実施を発表した直後で、毎日、毎日街の中を歩き回り、駐車中のコロナの床下を除き、年式を確認しリコール対象かどうか判別し、リコール回収修理の案内ビラを付けてあるくことが仕事でした。さらに、その実習から戻り、配属先が決まるとそれがそのリコール問題の設計担当職場でした。当時の課長がTVコマーシャルに出てリコール不具合の技術説明と緊急回収修理の呼びかけを行っており、この一連の出来毎が、製造会社のエンジニアとして信頼性品質確保の重要性、設計責任、製造責任の重要性を思い知らされ、学生気分が一基に抜けたきっかけだと記憶しています。

このリコール制度は何度か改定され、リコール隠し問題などが何度か取り上げられ、またインターネットが普及し、情報公開と迅速な回収修理が求められる時代となり、主管部署の国土交通省に「自動車のリコール・不具合情報」サイトが作られ、リコール情報の公開、不具合情報のホットラインなどが開設され、だれでもその情報にアクセスできるようになっています。

その後、マスキー排ガス対策プロジェクトに加わり、クリーンエンジン開発に携わってきましたので、排ガス浄化システムの排ガス性能リコール問題は開発陣にとって最大の関心時でした。排ガス性能保証は当時でも5年、5万マイル(8万キロ)、無鉛化されたとはいえまだまだガソリンスタンドや輸送過程で混入する鉛が残るガソリンを使い、オイルも純正オイルは殆ど使われず、触媒や排ガスセンサーの性能に影響を及ぼす成分が多いオイルも出回っていました。この中で、5年、5万マイルのクリーン度保証を開発段階で行うには、市場燃料やオイルの素性を調べ、走り方を調べ、ユーザーからクルマをお借りして排気性能を調べ、触媒や排ガスセンサーを回収し、劣化状況の調査をおこない、設計へのフィードバック、耐久試験用燃料、オイルを劣化しやすいものに変え、耐久試験条件もシビアなものに見直しを続けることの繰り返しでした。アメリカの規制当局は、既販車の排ガスチェックを厳しく実施し、規制レベルを超える車種には厳しくリコール命令を出し、BIG3は軒並み大規模なリコールを連発することになり、品質イメージの低下とともに巨額のリコール費用を費やすことになっていました。日本勢はこの排ガス性能の経年品質向上に、愚直に取り組み、これが日本車の品質全体を高め、大飛躍の要因となっていったと自負しています。コストダウンも厳しく求められましたが、その前に品質、品質とコストのトレードは御法度がトヨタの暗黙知でした。

私は幸いにも、開発を担当した排ガス浄化システムのリコール問題には遭遇しませんでしたが、市場調査データではヒヤヒヤすることは何度も経験しました。ある新技術チャレンジをした時には、市場チェックではグレーのデータがでて、当時の上司から、夜もおちおち眠れないと叱責をうけたことも記憶しています。実際の担当としても、夜も眠れなくなる心境になるのは確かです。僅かなコストダウンなど一端排ガスリコールを起すと一瞬で吹っ飛ぶどころか、その車種の収益全体も大幅に悪化させてしまいます。

アメリカでは、1990年代に入ってもBIG3の排ガスリコールが続き、また様々な既販車の排ガスチェックでも、保証期間を超えた古いクルマや、排ガスシステム故障車から排出される大気汚染影響が大きいことが分かり、このブログでも何度かとりあげたカリフォルニア州のローエミッション車規制では、排気ガス性能としての保証が15年15万マイル(24万キロ)保証と自家用車としてはほぼクルマの一生のクリーン度を求められることになりました。この、保証期間延長の理由として、トヨタ、日産、ホンダなど日本勢の経年車のエミッションチェックで、保証期間後もそのクリーン度が高く、故障も少ないとのデータを集め、保証期間延長の根拠とされてしまいました。トヨタ社内の一部からは、コストの掛け過ぎ、過剰品質ではとの声を上がりましたが、品質最優先を貫いてくれたトップ方針が揺らぐことはありませんでした。

ハイブリッドと品質

プリウスの品質問題に話を戻しますが、確かにハイブリッド車は従来車に比べハイブリッド電池、電気駆動系、さらに回生ブレーキなど部品点数が大幅に増加します。構成部品点数が多いことは、従来車と同じ品質レベルなら統計的には故障率が上がってしまうのは必然です。さらに、制御系が大規模になり、人間の操作を電気信号にかえ、その信号とクルマの走行状態、様々なシステムの作動状態信号からコンピュータで駆動力、制動力などを制御する、バイ・ワイヤシステムの固まりとなり、一つの不具合がお互いに影響しあうことも心配されました。加えて、初代では新システム、新部品の固まり、トヨタ車として恥ずかしくない品質、トヨタ車品質への信頼感から初物のハイブリッド車をお買い上げいただいたお客様に不具合多発でその信頼を裏切ってはとのプレッシャーは担当スタッフ一同、押しつぶされそうになるほど強いものがありました。確かに、立ち上がりの故障率は高く、トヨタ車だかと信頼して買っていただいたお客様に多大のご迷惑をお掛けしました。

何度か、発売後の品質向上活動についてはこのブログで触れましたが、部品点数が圧倒的に多いハイブリッド車を従来車レベル以上の信頼性品質にしていくには、それだけの活動をしたスタッフの存在があり、その活動の中で、部品工場の中にまで入り混んで不具合の真因究明と対策を共同で行って来た仲間達と、それを理解して取り組んでくれた多くの工場現場、部品会社、材料会社の方々の活動の賜です。

一連のトヨタリコール問題で、大規模になってきた電子制御系がやり玉にあがり、いろいろ取り上げられました。プリウスのブレーキリコールもその代表例の扱いでした。もちろん、プリウスのブレーキ不具合は、ブレーキ性能に影響を及ぼす適合不良の不具合ですが、いわゆるプログラムバグではありません。トヨタ品質の観点からすると、結果論ですが、トヨタお設計、評価基準が甘いと云わざるを得ないと思います。

フロアーマットとアクセルレバーの干渉、アクセルペダルの戻り不良の問題以外として、電子制御系も疑われた一連の“予期せぬ加速”問題では、昨年アメリカの運輸省から連邦航空宇宙局NASAを含めた大々的な調査結果として“電子制御系”は白との判断が下され、ほっとしました。しかし、ハイブリッドの品質向上活動で力を入れたのは電子制御系だけではありません。初代プリウス発売当時の業務メモを見ながら、私の怪しい記憶を絞ってみても、不具合の三分の二は部品故障、それも水漏れ、油漏れ、部品欠品、異物混入といった従来車でもよくある不具合が占めていました。ハイブリッド制御系でも、半田付け不良、IC素子の不良など、これまた故障モードとしてはよくある不具合、これを一つ一つ原因を究明し、流失防止、再発防止を図る地道な活動が続けられたことが、従来車を越える品質レベルを達成した理由です。結局はこの品質向上活動の「ヒューマンネットワーク」を維持し、改善を続けてきた「人」がいたから、ここまで発展できたと断言できます。

個人的な経験ですが、つい最近、夜中に突然停電があり、びっくりしました。原因はエアコン室外機コンプレッサー駆動モーター内の短絡でした。修理に来られたサービスマンと話をしましたが、コスト削減のため海外製部品に切り替えてからこのような不具合が多くなったと言っておられました。初代プリウスでも海外部品の不具合には泣かされました。2代目プリウス以降では、厳しいコスト低減活動を続ける中で、海外部品の採用がどんどん増えてきました。もちろん、品質とコストのトレードは許されませんが、環境自動車普及のためには、品質レベルを維持した上でさらなるコスト低減が厳しく求められています。海外調達を増やしても、その部品メーカーがその現地の会社と一緒にハイブリッド品質を確保した結果であり、品質NO1はこれを克服した第一歩だと思います。

日本のもの作りと品質

年始のテレビ番組を見ていると、ビジネス系チャンネルで「日本のもの作り」が話題となっていました。その論点は「日本のもの作り」の重要性が叫ばれ始めたのはここ10年ほどで、1990年以前にはあまり話題にもなっておらず、「日本のもの作り」が怪しくなってきたから叫ばれるようになったとの主張を巡る議論でした。40年以上もクルマという「もの作り」現場で過ごし、現地、現物、市場の厳しさをたたき込まれてきた私としては、その経験の少ないコメンテーター達の、“以前はそれほど「もの作り」が重要との意識はなかった”との論点には賛成できませんが、最近怪しくなってきているとの意見には同感です。

その議論ではそれではどうするとの議論はありませんでしたが、尽きるところは人、人から人への伝承、ヒューマンネットワーク、人材育成が鍵、この点で今回のドイツでの品質NO1は、その人から人への伝承、自動車組み立て工場から部品現場、それも海外調達先に至るまでのヒューマンネットワークと、トヨタ・ハイブリッドの「もの作り」スピリット伝承の成果と嬉しくなったわけです。

グローバル化、調達の多様化が叫ばれ続けています。この異常な円高の中で、日本での量産商品としての「もの作り」を続けることは厳しくなってきています。しかし、調達の多様化、海外部品の採用と言っても、「設計仕様書」「試験法・評価基準書」など書類のやり取りと「契約書」では、品質確保はできません。また、アセンブリーメーカーやティア1/2といった部品メーカーもまた、その全ての構成部品一点一点の品質チェックを行い、製造工程、検査工程の全てを掴んでいるわけではありません。尽きるところは、人から人への伝承、フィロソフィーの伝承、ヒューマンネットワークでやって行かざるを得ないとと思います。様々なメンバー、会社の品質向上活動を通じて、その構成部品とシステムのデザインレビュー、工程観察、機能チェックを続けることにより数多くのコスト低減の知恵も生み出されたと思います。

いよいよ、ハイブリッド車の本格的なグローバル競争時代突入の様相、トヨタ、そして日本勢もうかうかしておられない状況です。燃費性能で、ヒュンダイ・ソナタハイブリッド、フォードフュージョンハイブリッドと、トヨタのカムリ・ハイブリッドを上回るハイブリッド車も続々登場してきています。環境性能で負けては洒落になりませんので、その巻き返しを急ぎ、「もの作り」「ヒューマンネットワーク」を生かした安心・安全品質NO1維持が日本の生きる道です。
己を知り、敵を知り、驕ることない日本自動車エンジニアのチャレンジを期待します。

マイコンエンジン制御の黎明

東芝12ビットマイコンTLCS12

先日、東京12チャンネルの「なんでも鑑定団」を見ていると、一般用に売り出した日本初のマイコンキットが出品されていました。それは1976年に東芝から発売された12ビットマイコンTLCS12Aを使ったマイコンキットです。当時の価格が10万程度でしたが、鑑定団のつけた今の価値は100万でした。新品状態で取り扱い説明書も箱も残っていたので、この値段が付いたようですが、ちょうど我々もこの時期にこのマイコンを使ったエンジン制御をやり始めていたので、このTLCS12Aとの名前を聞いて懐かしくなりました。

TLCS12Aが発売された当時は、エンジン制御にマイコンを採用することが自動車エンジニア間で話題となり始めていた時期でした。GMからは4ビットマイコンでガソリンエンジンの点火時期だけを制御するMISAR(Micoroprocessed Sensing and Automatic Regulation)の実用化が近いとの報道がながれ、またフォードから燃料制御、点火時期制御をおこなうEECというマイコン制御システム(EEC)量産化の報道が流れていました。     

このフォードのEECに採用されたのが、東芝TLCS12ビットマイコンで、後になって知ったのですが、フォードからのオファーで東芝と共同が開発をしたものでした。このマイコンは、エンジンの制御用として12ビットが選別されたとのようで使いやすいマイコンでした。とはいえ周辺環境が揃えられていない時代です、最初は担当のエンジニアやテクニシャンがビット操作による機械語からプログラムを作り、その後、今のプログラム言語に比べると遙かに原始的な言語であるアセンブラーとその命令セットのマクロでプログラムを作るっていました。

GMのMISARは1978年にオールズモビル・トロネードに、フォードEECは1978年リンカーン・ベルサイユに採用され、エンジン・マイコン制御時代の幕開けが訪れました。今ではV!0、V8といった多気筒大排気量エンジンやスポーツエンジンから軽自動車のエンジンまで、燃料噴射、点火時期、アイドル回転数、ノック制御がコンピューター制御となり、エンジン・マイコン制御は当たり前のものになっています。

トヨタのマイコンエンジン制御開発のスタート

当時の東芝EEC担当エンジニアの方が書かれたレポートによると、フォードがエンジンのデジタル制御に手を付け始めたのは1971年、それも当時出始めたミニコンピューターを使った実験用がスタートとのことです。インテル製の世界初のマイクロプロセッサー4004が発表されたのが1971年4月、本格的な8ビットマイクロコンピュータチップ8008が発売されたのが1972年ですから、その先見性の高さには敬服します。日本勢はまだまだ欧米勢の背中をあとから追いかけている状況でした。我々トヨタがGM/フォードが、このマイコンを使ったエンジン制御を開発しているとの情報を得たのは1975年頃だったと記憶しています

トヨタ自動車でのマイコンエンジン制御開発のスタートは、私が係長をやっていたチームの若いスタッフが、1976年の夏ごろに、このTLCS12Aを使ったエンジン制御用の自作バラックキットでエンジン制御を行ったのがスタートでした。

これがマイコンキットを使ったのか、バラのチップセットを入手して作ったのか、記憶は定かではありませんが、秋葉原で部品を買い求め、半田付けでエンジン制御用コンピューターを作り、燃料噴射と点火時時期制御のプログラムを組み、クルマに取り付け走らせたところがスタートでした。この際に12ビットマイコンを選んだのは、マイコンはエンジンが吸い込む空気の量をはかり、噴射弁(インジェクター)の噴射時間により噴射量制御を行いますが、この空気の計測と噴射量の時間制御に丁度良い分解能が12ビットだったと判断してのものでした。

16ビットマイコンも出始めた時期でしたが、これでは大げさすぎるし、8ビット2ワードで組むと面倒だし、当時のマイコンの能力では制御のための計算時間が掛かりすぎるしと、それで12ビットのTLCS12に飛びついたと担当者から聞きました。EFIエンジン制御用としては、このTLCS12Aを選びましたが、スタッフがマイコンやそのプログラムの勉強のため、買い込んだのはTLCS12Aマイコンキットのすぐ後に販売を開始したNEC TK-80キットで、これを数多く買い込んで熱心に勉強していました。

私もこの勉強会いは何回か付き合いましたが、緻密なプログラム作りのセンスは自分にはないとすぐにギブアップ、若いスタッフに任せてしまいましたので、マイコンとは開発マネージャーとしての付き合いです。このバラックセット手作りコンピューターの時代のエピソードとしては、この試作車が走り出してすぐ、まだデバッグも不十分のまま、研究所に視察にこられた当時の英二社長が試乗され、よりにもよってその時に故障を起してテストコースでスタックしてしまったことなどを思い出します。

こんなエンジニア達の手探りの探求時代の後、GM MISAR、フォード EECに刺激を受け、トヨタでも本格的にエンジン・マイコン制御開発をスタートさせたのが1977年の始めでした。丁度フォードと共同開発を行っていた東芝からオファーがあり、我々のチームと東芝の共同開発で本格的なシステム設計に入り、まずは助手席の上に鎮座する基本機能検討用のブレッドボードと大きなコンピューターを試作してもらい、そこから設計スペックを決め、周辺回路の集積化、マイコンスペックの決定を行い、量産試作用の集積化したコンピューター(ECU:Electronic Control Unit)を設計していくという、当時の自動車屋にとっては未知のプロセスであるコンピューター開発を経験することができました。

その後の市販化においては、デンソーが加わり、東芝はマイコンチップセットを供給し、周辺回路、制御プログラムはトヨタ+デンソーの3社開発で進めるようになりましたが、スタート時に、少人数のエンジンシステムチームが東芝のエンジニアと向き合って、ブレッドボードコンピュータを作り、エンジン制御プログラムを作り、クルマに搭載してその評価を行い、量産ECUスペックを決めていくといったプロセスを経験できたことは、(自分でプログラムコーディング、デバッギングは行わず、口先介入の役割ではありましたが)大変貴重な経験であり、ハイブリッドシステム開発にも生かせたように思います。

コンピューターの進化(怪物化?)

他の日本勢のマイコン制御エンジンの市販化の先陣をきったのは、1979年日産セドリック・グロリアに採用したECCS、この時代はトヨタVS日産の激烈な先陣争いの時期で、このエンジンのマイコン制御化もその一つでした。排気のクリーン化の手段からスタートしてエンジン・マイコン制御でしたが、日産に先を越され、トヨタは少し遅れ1980年にクラウンに採用したのが始まりです。

その後のマイコンの性能向上、集積度アップは著しく、8ビットマイコンの性能が大幅に向上したため、演算速度でも、分解能でも12ビットマイコンを使うメリットは少なくなり、エンジン制御用マイコンも1980年代の後半には8ビットマイコンに切り替わっていきました。

しかし、今のパソコンではメインメモリーが4ギガ、8ギガが当たり前、ハードディスクではテラバイトのものが1万円以下で手に入る時代です。当時、ROM容量で40k程度、それを使って、6気筒エンジンのEFI制御、点火時期制御、アイドル回転数制御、さらに故障診断まで行っていましたので、隔世の感を感じずにはいられません。

しかし、この大容量のメモリーと超高速演算のマイコンで、35年前のエンジン制御から、走り、スムーズさ、燃費、クリーン度などクルマの機能としてどこまで進化させることができたのか、考え直す時期にきているようにも感じます。当時は一人のエンジンエンジニアが、そのプログラム全部を頭に入れていましたが、今のエンジニアはどうでしょうか?

今年なくなったスティーブ・ジョブス氏が仲間のスティーブ・ウォズニアック氏と組んで、マイコンチップを使ったアップルIを作ったのが、1976年3月でした。前にブログで書きましたが私も1990年からもマック派、プリウスの開発グループにもマック派が多く、開発チームの連絡ツールとしてイントラネットの端末にもっぱらマックを使っていましたので、この1976年春の符合が嬉しくなった記憶があります。なおに、スティーブ・ウォズニアック氏は大のプリウス党とのことで、こちらもマック派の私としては嬉しい反応でした。

参考:
半導体の歴史 マイコンの開発と発展(日本半導体歴史館HP)
http://www.ssis.or.jp/shmj/index.html

TLCS12 EEC
東芝科学館HP 世界初の自動車エンジン電子制御(EEC)マイコン
http://kagakukan.toshiba.co.jp/manabu/history/1goki/1976eec/index_j.html
東芝 自動車制御マイコンの開発(PDFファイル)
http://www.iir.hit-u.ac.jp/iir-w3/file/CASE07-04TOSHIBA.pdf

車両横滑り防止装置の義務化とハイブリッド

昨年、「道路運送車両の保安基準の細目を定める告示」の一部改正され、今までは任意の装着であった、車両横滑り防止装置(ESC=Electronic Stability Control)とブレーキアシストシステムの装着が、自動車の走行安全性向上の効果が大きいことから、その装着が義務づけられることになりました。
「乗用車の制動装置に関わる協定規則(第13-H号)」の改正
(PDFへのリンクです。)

この改正により、普通車の新型生産車は2012年10月1日、継続生産車は2014年10月1日以降に生産される自動車については、これらの装置がなければ日本国内では販売できないこととなりました。軽自動車も、それぞれその2年遅れで装着が義務づけられます。

このESCはメーカーにより呼び方が違い、トヨタではVSC(Vehicle Stability Control)と呼んでいます。さらに、ハイブリッド車など電動パワーステアリングを採用したクルマでは、このVSC機能と電動パワーステアリングなどを統合制御したS-VSC(Steering assisted VSC)、VDIM(Vehicle Dynamic Integrated Management)といった名前でも呼ばれています。

車両横滑り装置とは?

このESC、VSCは急激なハンドル操作、旋回中に凍結路に進入したりして自動車がドライバーの予期しない状態で不安定な横滑り状態になったことを、クルマのヨーレートセンサー(旋回方向への回転角変化速度検出センサー?=スピンなど車両の急激な回転姿勢変化)とハンドルの操舵角センサー、加速度センサー、4輪それぞれの車輪速センサーの信号をもとに検出し、ブレーキ(ABS: Anti-lock Brake System ),駆動パワー(TRC:Traction Control)、場合によってはハンドルの操舵力を制御して、安定状態に戻す制御システムです。

これまではオプション設定でしたが、走行安全性向上に効果が大きいこと、また日本では欧米に比べ装着率が上がらないことから装着が義務づけられることになりました。

もちろん、タイヤの性能や、車両の重量配分、サスペンション形状、そのチューニングなどによって決まる、クルマの基本的な走行安定性能を越える、無茶なアクセル操作や、急激なハンドル操作による横滑りまですべて安定状態にできるわけではありませんが、雪道など凍結路や、高速でカーブを回っているときにたまに遭遇してヒヤッとする水溜りに進入したときなどに車両の横滑り防止に効果を発揮します。

走行安全の基本は、「走る」「止まる」「曲がる」の様々な走行状態でどんな場合でもしっかりタイヤが路面とグリップしている状態で走らせることです。ラリーレースやジムカーナ-では、タイヤを滑らせ、それをアクセルワーク、ハンドル操作で車両姿勢をコントロールして走らせるドリフト走行もありますが、これはあくまでもレースでの話、一般道路ではしっかりグリップを確保して走らせることが安全ドライブの基本です。ある国では、一般路でタイヤをスリップさせ煙を出しながら発進したり、ドリフト走行をしたりすると、無謀運転、危険運転として検挙されることもあります。

まず「走る」状態での不安定状態はタイヤのスリップです。雪道発進でのスリップ、凍結路に飛び込んだときのスリップ、このスリップを検知してエンジン出力を絞り駆動力を減少させグリップ状態にもどすのがTRCです。トヨタでは1987年のクラウンにオプションとして採用したのが最初でした。私はこの機能開発段階のエンジン制御担当マネージャとしてこのプロジェクトに付き合いました。当初の狙いが雪道発進性の向上でしたが、生まれてからトヨタに入社するまで北海道で過ごした私としては、雪道でも凍結路でもスリップ・グリップを自分でつかみながらアクセルコントロールで走らせるのが当たり前の感覚、最初のシステムでは自分のアクセル操作よりもとろい発進しかできず、過剰介入と感じ、TRCの効果が理解できませんでした。
しかし、北海道の士別にあるテストコースである程度スピードを出して雪道、凍結路を走ってみると、旋回時にスリップを検出して駆動力抜いてくれると冬の運転で安心度が増すことを実感しその将来性に注目しました。
WikipediaのTRC(トラクション・コントロール)ページ

ちょっと脱線しますが、F1レースやカートレースのクルマでもTRCが使われていた時期がありました。F1では運転技量の差が小さくなるとのことで2008年に禁止されましたが、トヨタのモータースポーツ担当者からTRC採用されているときのレーシングドライバーの反応として面白い話を聞きました。アメリカのカートレースで、一人のドライバーはTRCの採用でコーナーリングが楽になったと大好評、もう一人のドライバーはかえってやりにくくなった、制御の過剰介入だとのクレームをつけたとの話です。想像がつくかもしれませんが、後者の過剰介入といったドライバーは後にF1にも参戦した世界的に有名なドライバーで、前者はそこまでの成績を残すことが出来なかったドライバーです。

一般のクルマでは、タイヤグリップをしっかり確保する安全走行が第一、しかしTRCの例でも、北海道のドライバーは当初(私もそうでしたが)発進時にはTRCを解除し、スリップをさせながらグリップ点を探り、スピードがでてからTRCボタンを入れるケースが多かったようです。深い轍からの脱出では、どうしても前後にクルマを揺すりスリップさせながら脱出させるケースも多く、TRC制御でどこまでやるかはまだまだ微妙なところが残っています。

ハイブリッドとVSC

プリウスのハイブリッドシステムでは、その機構上、タイヤがスリップしたときの遊星ギアのある軸が設計保証回転数を超える危険があるため、初代からタイヤスリップを検出してモーター駆動力を抜くスリップ防止制御の採用が不可欠でした。TRCとほぼ同様の駆動力制御を行いますが、こちらは部品の保護が目的ですので、従来のTRCのようにキャンセルスイッチは付けられません。初代はかなり荒い、ショックがでるような制御でしたが、一部のユーザからはTRCもどき制御として好評でした。しかし、北海道のユーザからは、雪道発進性や、タイヤが埋まってしまった状態からの脱出ができないと苦情もいただき、キャンセルスイッチの採用を要望されました。しかし、部品保護のため、アクセルの踏み込み方ではスリップ駆動力を与えることで勘弁してもらいましたが、今のプリウスはどうでしょうか?

「止まる」状態での不安定状態はタイヤのロックです。雪道、凍結路、水たまりでのブレーキ時に、タイヤがロックしてしまい、クルマの挙動が不安定になる現象です。この状態で制動距離を短くするには、ロック、グリップの限界状態で制動をかけるのが大切で、その制御を行っているのがABSです。これも北海道出身の私としては、ABSが開発されるまでは人間ABS、いわゆるポンピングブレーキでカバーするのが常識でしたが、技量によっても差が出ます、慣れといっても初雪の時には感がもどらず、また片輪ロック、旋回時ロックではやはりどん状況でも制動力を維持してくれるABSの必要性を強く感じました。

エンジン開発担当の時は、この「止まる」ABS機能とは直接関係を持ちませんでしたが、初代プリウスのハイブリッドでは制動機能として、モーターを発電機として回生発電を行い、油圧ブレーキとのあいだで回生協調ブレーキを採用することになり、ブレーキ機能、ABSとも関わりを持つことになりました。ハイブリッド開発チームにブレーキエンジニアを派遣してもらい、回生協調ブレーキの回生発電と油圧ブレーキでの制動力の分担割合の調整方法などブレーキチームとコミュニケーションを密にしながら開発に取り組みました。低燃費の追求でぎりぎりまで回生発電による制動力を出すことを要求し、初代ではカックンブレーキと指摘されるなど、ブレーキグループを苦労させることになってしまいましが、今ではさらに回生分を増やし燃費を向上させながらブレーキフィーリングの改善も実現しています。

ハイブリッドのABSでは、これもハイブリッドの機構からくる思わぬ制御性悪化に遭遇しました。トヨタのハイブリッドシステムTHSでは、エンジン、発電機、モーターが遊星ギアを介して接続されており、さらにその駆動力がギアを介しデフ軸からドライブシャフト、ホイール、タイヤと途中にクラッチを持たずに機械的に繋がっています。形のうえでは、ホイール、タイヤの重量(慣性重量)が重くなった状態です。この状態では、タイヤがロックし、ABSが作動しブレーキ油圧を抜いても、従来のクルマのようにはタイヤがグリップを回復し回り出すのが遅れ、ABS性能が低下してしまうとの現象です。これは、応答性の良い電気モーターを使って、タイヤを回す駆動力を与えることにより解決しました。これが、駆動力と制動力をレスポンスの良い電気モーターで積極的に横滑り防止にも使ってやろうとの切掛けの一つになったと思います。

2代目プリウスでは、回生協調ブレーキの制動力制御性を高めた、本格的なブレーキ・バイ・ワイヤーシステム、ECB2(Electronically Controlled Brake System2)が採用されました。油圧ブレーキと回生ブレーキの協調度合いを強め、積載量や乗車人員の違いによる制動力配分の最適化、これも今回から採用が義務づけとなったブレーキアシスト機能の強化、モーターTRC、これらを組み合わせたVSC、さらにVSCで横滑りを検知したときABS/モーターVSCに加え、VSCと電動パワステの操舵力アシストの協調制御(いわゆる、若干のカウンターステアを与える制御)で走行安定性をさらに向上させるS-VSC(Steering-assisting VSC)を採用しました。レクサスハイブリッドでもこのシステムをベースとしたVDIMが採用されています。

千差万別なドライブ環境、義務化が到達点ではなくこれからも進化を

エンジンマイコン制御、エンジン電子スロットルによるTRC、そしてハイブリッドの回生協調ブレーキとモーターTRCと、電子制御系の進化に歩調を合わせて、エコ・低燃費だけではなく、車両の駆動力、制動力を制御して発進性、旋回性、制動性、さらにそれを駆使した横滑り安定性まで、クルマの開発屋として付き合ってきました。その技術進化には隔世の感を覚えます。しかし、それだけに敢えて、“制御のまえにクルマの基本を大切に”を強調したいと思います。

安全な走りの基本はタイヤのグリップ、そのレベルを決めるのはタイヤ、シャシー、重量、その配分などによるタイヤへの加重分配、それをきっちりと抑え、駆動、制動力をその走りに必要なだけきちっと応答性良く出せるエンジン、モーター、電池、ブレーキの基本設計を行い、その上での制御です。それも、テストコースの整備された一定の路面だけではなく、実際の季節、温度、積雪量、日射など、さまざまと変化するReal Worldでの路面状況で基本のタイヤグリップ状況の確認が重要です。ドライバーの技量も千差万別、難しいことですが過剰介入と言われず、しかし横滑り回避をしっかりするクルマが目指すところです。

横滑り制御の装着義務づけの話から脱線してしまいましたが、ハイブリッドもこの横滑り防止・VSC機能の面でもモーター駆動、回生制動機能を生かし、その先頭を走ってきました。クルマの基本を抑えたうえで、応答性良く、駆動力と制動力を発揮できる電気モーター駆動をさらに進化させることで、安全、エコ、低燃費はあたりまえとして、さらにクルマを楽しく、快適に走らせるためにもまだまだ進化させることができると思っています。

セリカXXとスープラと5M-GEエンジン

私は、以前書いた通り、アメリカのマスキー法という厳しい排気規制に対応するクリーンエンジン開発を皮切りにさまざまなクリーンエンジン開発プロジェクトを担当しました。今回はその中で、印象深かったプロジェクトの一つの思い出を書こうかと思いま。そのエンジンは、マスキー規制後トヨタ初の上級スポーツ車用エンジン5M-GE、そしてそれを搭載したクルマが日本名セリカXX、アメリカ名スープラです。(リンクをクリックするとGAZOO内のページが開きます。)

規制をクリアしたスポーツエンジンを

クリーンエンジン開発といっても、エンジンだけの開発、そして排気ガスのクリーンン化だけを目的に研究開発を進めているわけではありません。エンジンをクルマの搭載した状態で、お客様の様々な使い方を想定し、実際に5年5万マイル(8万キロ)なり、現在のカリフォルニア規制では15年15万マイル(24万㎞)といった途方もない期間、距離を走行した後のクリーン度保障できるシステムを開発することがわれわれの役割です。世界中で使われるさまざまな燃料、オイルを使ってもクリーン耐久性を保障できるように、さらに、排気ガス性能だけではなく、燃費も、エンジン性能も、極低温のエンジン始動からエンジンにとって厳しい夏の高温状態での急坂登坂、ロッキー越えなどを空気の薄くなる高地の走行でのドライバビリティ、始動性としってといったエンジンがらみの車両品質項目まで、目標性能を達成できるエンジン構成、触媒、排気管といったエンジン諸元、その制御システム諸元を決めて量産設計担当に提案していくことを仕事としていました。

新しいエンジンを開発する場合には、まずはその素性が大切、最初の試作が出来上がり、エンジンだけで一通りの性能評価をすませるとすぐに従来のクルマを改造してそのエンジンを搭載し、クルマとしての評価を開始します。セリカXX(セリカダブルエックス)と言っても、知らない世代も増えてきていますが、1978年に発売したトヨタのスポーツカーです。それまでの4気筒エンジンのみのセリカから、アメリカへの輸出も意識し、排気量の大きな6気筒エンジンを搭載するため、エンジンルーム長くしたロングノーズ2ドアハッチバッククーペでした。

アメリカでは「X」という名称は映画等の指定などあまり良いイメージを喚起しないとのことから、XXをやめてスープラの名前で販売されました。日本でも3代目となる1986年発売のモデルからスープラの車名になりましたので、そちらの名であれば憶えておられる方も多いのではないかと思います。その2代目セリカXXに搭載されていたのが直列6気筒エンジンで排気量を2.8Lに拡大し、DOHCバルブレイアウトのスポーツ仕様にした5M-GEエンジンでした。

国内での5M-GE搭載は、1981年に発売し、第2回日本カーオブザイヤーを受賞したソアラに1982年の部分改良で搭載したのが最初でしたが、アメリカ向けのスープラとクレシーダ(日本名マークII)に搭載が計画されており、排気規制や燃費規制が厳しくクリーン度の長期耐久保障が求められるアメリカ向けのクリーンエンジン開発が先行して行われていました。われわれのエンジンチームでセリカXXを改造してその試作エンジンを搭載し、正式の試作車を作る前にクリーン度評価を目的に走り出しました。

自動車開発エンジニアの特権

排気規制強化の前には、トヨタでもセリカ1600GT、コロナマークII 2000GSSさらにはトヨタ2000GTなどスポーツエンジンを搭載したスポーツカーやスポーティーカーがありました。しかり、排気規制強化とその後の石油ショック後に導入された燃費規制により、このような高回転高出力、高い応答性も要求されるスポーツエンジンで、クリーン度と低燃費とその走行性能を両立させることが困難でその搭載を打ち切ってしまっていました。

そのような状況の中で、燃料噴射エンジンとそのマイコン制御化、触媒の性能向上など、クリーンエンジン技術がレベルアップし、スポーツエンジン復活を目指そうと再復活の第1陣が2T-GEエンジン搭載のカローラレビン、その第2陣がこの6気筒排気量2.8リッター5M-GEで当時の技術的には一番厳しいアメリカの排気規制に対応した高性能スポーツ車復活へのチャレンジプロジェクトでした。排気触媒などクリーンシステムフル装備で、ヤマハスペシャルチューンのトヨタ2000GT用エンジンの150馬力、コロナマークIIGSS用エンジンの145馬力を超える170馬力の高出力エンジンでした。

大抵は試作エンジンを搭載した最初手作り改造車が、そのターゲットとする生産車よりも良く走る車になるのが通例です。従来車の搭載エンジンに比べはるかに高性能なエンジンを搭載するわけですから走るのは当たり前、量産使用に仕上げていく段階で、その変速機もその出力、トルクを伝えるために補強が必要になり、シャシー、ブレーキ、タイヤ、ホイールもそれ相当の補強が必要になり車両重量が生産開始までに増えてしまいます。クルマの重量が増えると、さらに衝突安全上も補強が必要になり、さらに重量が増えるというパターンになり、これが最初の改造試作車が一番良く走ることになる理由です。

この5M-GE搭載の最初の改造セリカXXの走りがとにかく印象的でした。テストコース内の走行で200km/h近くで走れるクルマとしては、1960年代後半に300台ほどの限定販売をした6気筒2リッターの3Mエンジンを搭載したトヨタ2000GTがありましたが、それいらいの高速走行可能なクルマでした。試験の合間を見ては、そのクルマをテストコースに持ち出し、高速ドライブを楽しんでいました。

2000GT
トヨタ2000GT

様々なプロフェッショナルが、実際の経験を共有してこそ本当の開発ができる

エンジンレーシング時や急加速時のもたつき、息つき、またショックが大きい状態はエンジン燃焼が不完全で、クリーンではない証拠です。まず、エンジン本体の燃料噴射弁の位置と空気を吸い込む吸気ポートかたちなど、本体回りの最適化を行い、そのうえで噴射量や点火時期の制御プログラムを変えながらチューニングしていきます。このチューニング状況を確認すると称して、試験の合間を見ては、この改造車を持ち出し、テストコースの周回路や、サーキット路を走り回っていました。

その時に、車両の走行試験を行うテストドライバーに試乗してもらったときことが大変印象的でした。彼らも試験用として購入したヨーロッパのスポーツカーで、200km/h越の走行経験はいっぱいあり、またそのようなクルマでテストドライバーの腕を磨いていました。しかし、彼らにとっても実際のトヨタ車で200㎞/h走行を行ったのは2000GT以来、これでドイツのアウトバーン走行や高速カントリー走行の車両開発ができると非常に喜んでくれました。アウトバーンでの連続200km/h走行、ハイパワーを使う、様々な走行環境での走行など、クルマを走らせての評価ができる自前のエンジンがやっと手に入ったとの歓迎のコメントでした。

クルマあってのエンジン開発、エンジンあっての車両開発、それがクルマ開発の両輪であることをその時に痛感させられました。夢中にやってきたクリーンエンジン技術開発の取り組みが、5M-GEソアラ、セリカXX、スープラに繋がり、次にシリンダーあたり4つの吸排気弁、6気筒で計24個のバルブの1G-GE、その過給エンジン1G-GTE、セリカに搭載した3S-GE、その過給エンジン3S-GTE、1986年のスープラに搭載した7M-GEとその過給エンジン7M-GTEと、米国向けを中心にさまざまなスポーツ車向けのクリーンエンジン開発を担当してきました。この高性能エンジン開発が、クリーン、低燃費エンジン開発をけん引し、そのエンジンが、アメリカや欧州でも通用するクルマ開発に繋がったように感じています。

その頃は車両評価のテストドライバー、シャシー屋、ブレーキ屋、走安(走行安全性)屋、ドラビリ屋(車両ショック、もたつきなど車両としての運転フィーリング性能評価)のエンジニアたちと将来のクルマについての議論をし、そのクルマ用のエンジンの将来について話をしました。

その時の経験と実感から、どんなエンジン、どんなハイブリッドを担当しようが、常にクルマでの性能を意識して、さらにテストドライバーの指摘を理解し、自分で確認ができるようにやってきました。

開発時にも拘りを

ハイブリッドプリウスの開発でも車両での開発を常に意識しました。しかし、このときは5M-GE スープラの開発のときとは違って、なかなかクルマとしての評価ができるハイブリッドを提供できませんでした。なかなかまともに走れるクルマが出来てきませんので、シャシー、ブレーキ、ステアリングといった車両設計評価のスタッフ、さらにクルマ全体の仕上がりを評価し、チューニングしていく車両評価のスタッフやテストドライバーには大変苦労を掛けたと思います。クルマ開発の両輪、まともに走れるハイブリッドシステムを搭載するクルマを提供できなければ、クルマそのものの開発も進みません。

やっとまともな試験ができるようになったのは、生産開始の6カ月前、それから量産型電池が出来上がり、突貫工事でハイブリッドを仕上げたのが3カ月前でした。
次々とでてくる課題ごとのタスクフォースチームを結成し、常に車両での確認を判断基準として、超短期のハイブリッド開発を乗り切ることができました。プログラムのバグですら車両評価の中でテストドライバーや、クルマの評価スタッフが見つけ出したものも多くありました。

ハイブリッドが典型ですが、最近は制御が複雑、大規模になり、その開発作業、チューニング、デバッグをコンピューター上で行い、クルマでの評価、確認がなおざりになってきているように感じます。どんな大規模な制御系が必要なシステムであれ、クルマを安心、安全、クリーン、低燃費に走らせる機能の一部です。トヨタ車両開発の根幹は、車両軸の全体最適の視点で開発をリードする車両チーフエンジニア制度でした。

トヨタだけではなく、全体最適とそのなかでのチーフエンジニアの個性を感ずるクルマが少なくなった印象を受けます。エコの前に、クルマとしての全体最適、その上で走りとそのフィーリングでも欧州車に負けてなるものかといったクルマ屋としての拘りを感じられるハイブリッド車の出現を期待します。

1970年代の自動車開発競争。「マスキー法」の思い出

「マスキー法」の衝撃

「マスキー法」という名前にピンとくる人はもう少なくなってきているかもしれません。
「マスキー法」とは、一般的に酸性雨、オゾン層保護、都市大気汚染防止のために制定されたアメリカ合衆国連邦政府大気浄化法の1970年改定案を指し、この名は提案者であるアメリカ・メイン州知事から連邦上院議員に当選した、エドマンド・シクストウス・「エド」マスキー氏から名付けられたものです。
当時、ロサンジェルスなどの西海岸大都市において、光化学スモッグなど自動車排気を原因として大気汚染レベルの急激な悪化が社会問題となっており、それに対処するために打ち出されたマスキー法は、内容としては自動車排気ガスのクリーン度を従来の10分の1以下とすることを求める極めて厳しい内容でした。
その厳しさは、60年代後半からアメリカへとクルマを輸出しはじめていた、トヨタや日産など日本勢だけではなく、当時の巨大なビッグスリーにとっても技術的にも全く対応の見通しがつかない、今でいう未知のブレークスルー技術を必要とする規制案でした。

結局このマスキー法そのものは、どの自動車メーカーとしても達成の見通しがつかないとのことから、1974年に廃案となり、新たな規制緩和法案が成立し実施されました。しかし、この強烈な法案が契機となって各社が将来の環境対応に備えたことから、排気ガス浄化触媒の導入、その前提となる無鉛ガソリンへの切り替え、エンジンの燃焼制御の技術など、今につながる自動車エンジンの発展に繋がったのは間違いのないことだと思います。

また、マスキー規制対応に苦闘している最中に、1973年10月の第四次中東戦争を契機とした第1次オイルショックが発生しました。欧米や日本などの石油輸入国では、輸入石油消費量削減を目的に自動車の燃費規制(アメリカ連邦では自動車メーカー別に販売車両の平均燃費の上限を規制し、これを超えた場合には罰金を科すCAFÉ法案=Corporate Average Fuel Economy)が制定されました。当時の自動車技術上の常識では、「マスキー法」が求める排気クリーン度の向上と「CAFÉ法」が求める低燃費は一方をよくすればもう一方が悪化するというトレードオフの関係と考えられていましたが、各社の自動車エンジニア達は知恵を振り絞ってこのジレンマの打破を図り、その中から、燃料噴射エンジン、エンジンのマイコン電子制御化、車両軽量化などさまざまなクリーン&低燃費エンジン技術が芽吹き花を咲かせ、今のクルマはこの両者をしっかりと両立するように考えられています。

マスキー・プロジェクトに育てられた私

1969年にトヨタに入社した私は、トランスミッション関係の設計を担当したのち、このマスキー法対応エンジン車開発プロジェクトに加わることになりました。このマスキー・プロジェクトは静岡にある東富士研究所に会社全体のさまざまな部署から人が集められてスタートしたもので、エンジン担当を希望していた私にも声がかかりその一員となったのが、1971年の秋のことでした。最初の担当テーマは、触媒をエンジン排気に取り付けてそれを使いこなすことでした。まずはものの試しと、当時はまだ一般的だった有鉛ガソリン(ノッキング防止材としての鉛の入ったガソリン)を使ってエンジンを回してみれば、1時間もしないうちに、みるみる触媒の浄化性能が低下していく始末。規制で求められている浄化性能の保証距離は8万km、いまは1時間でダメになるこの触媒をどうすればそこまで持たすのか、技術課題の先の遠さに茫然とした記憶があります。

また、当時のエンジンでは点火プラグの燻りや、点火分配器(今のエンジンではもう使われていませんが、接点切り替え式ディストリビューター)の接点摩耗などによるエンジン失火は当たり前、エンジン失火が起こると未燃焼のガソリンが触媒に流れ込み、そのすべてが触媒の中で燃焼するために、触媒が火の玉のようになり溶けてしまう故障も頻発、自動車で触媒を使うことは無謀とも言われた時代でした。

その後も、燃料と空気の比率を理論上完全燃焼する比率(理論混合比)に制御して運転すると、排気ガス中の一酸化炭素、未燃炭化水素(未燃ガソリン成分)、窒素酸化物の規制対象三成分を同時に除去できる三元触媒システムの開発を担当することになり、高い浄化率で使いこなすために、燃料噴射エンジン(EFI)とその理論混合気運転のための噴射燃料の精密制御、さらにそれを発展させたマイコン制御、それらを駆使することでクリーン化の見通しがついた4バルブエンジン、その過給エンジンなど、そのご自動車用ガソリンエンジンの主流となった開発テーマを次々と担当できたことは、今振り返っても非常にラッキーだったと思っています。

その中でも、もちろん極めつけに技術ハードルが高かったのがマスキー法プロジェクト、まさに修羅場の連続、そのプロジェクトを担当し、量産に辿りついた経験が、現役最後の修羅場プロジェクト初代プリウスハイブリッド開発にも生かせたではと思っています。

向かい風の中の開発

クリーン&低燃費エンジンの開発にいち早く取り組んだのがトヨタ、日産、ホンダといった日本勢でした。燃料噴射エンジン、マイコン電子制御の進化が、4バルブエンジン、過給エンジンといったクリーン、低燃費に加えて商品力強化のポイントとなった高出力エンジンの開発を可能にし、日本自動車勢の大きな成長を遂げる牽引力になったことは確かです。

余談ですが、1972年に本田はマスキー法をクリアするエンジンとしてCVCCエンジンを発表、1973年末に生産を開始しました。当時は触媒を使わず、有鉛ガソリンも使えるエンジンとして大きな反響を呼び、バイクメーカーの印象が強かったホンダがクルマの世界での地位を築くきっかけとなったものです。トヨタや日産は触媒方式を本命として開発中でなかなかその実用化に見通しをつけることかできず、50年、51年、53年規制(西暦ではそれぞれ1975、1976、1978)を巡っての国会審議では、当時の豊田英二社長が参考人としてCVCCを引き合いに開発の遅れを厳しく責められ、メディアでも叩かれ、国会議員、規制官庁のお役人、技術委員会の先生方が開発現場を視察されるときには、開発担当のエンジニアであった私としては見せたくもないエンジン失火で無様にも溶かしてしまった触媒を展示用に集めさせられ、大変悔しい思いをしましたものです。しかし、結局はクリーン、低燃費、高性能エンジン競争の中で、CVCCエンジンは消え、触媒、燃料噴射、電子制御エンジンが主流となっていきました。(

その当時の悔しい思いもあって、ハイブリッド開発ではどこにも負けたくない、世界初として世に送り出したいとの想いがプリウス開発のモチベーションになったことは事実です。

日本車のアメリカ進出を後押ししたのは最初から環境技術だった

さらに余談ですが、マスキー法制定ののちに、日本でも昭和50年規制、51年規制、53年規制と立て続けに排気規制導入とその規制強化が行われ、53年規制の規制数値がマスキー法のレベルと同じであり、この53年当時ではマスキー法が廃案となり、緩和規制値のなっていたため、官・学・産からメディアへの説明では日本が世界一厳しい規制を導入したと伝えられ、今でのその説明がまかり通っています。しかし、アメリカの規制では、エンジンも触媒も冷えた状態からのエンジンスタートに対し、日本ではエンジンも触媒も暖まった浄化性能を発揮できる状態での試験、さらにアメリカでは加速度も車速も日本の10モード試験法に比べるとはるかに厳しい走行条件での試験と、対応技術としては、アメリカ規制対応がはるかに厳しいものでした。燃費規制も同様、試験法の数値だけで、各国、各地の規制レベルの厳しさ比較を時々見かけますが、このブログでは何度も繰り返していますがそれはナンセンスな比較です。

さらに、このアメリカの排気ガス規制では、経年使用車両でのリコールサーベイ試験がいち早く採用され追跡調査が行われるようになりました。燃料一つとっても、規制の合否判定や公式耐久試験に使われる認証用公式ガソリンに比べると、実際の広いアメリカで使われる燃料は、触媒劣化に影響する微量鉛や硫黄がはるかに多いものが使われていました。またオイルも純正はほとんど使われず触媒毒となるリンや硫黄添加量の多いものもあり、さらにメンテナンスも基準通り実施されていることは殆どない実際のユーザーのクルマで排気チェックが行われます。その結果が不合格となると厳しくリコール命令が下されます。
また、試験のパターン以外で意図的に排気システムの作動の解除や制限を禁止するデフィートデバイス規定、規制条文で規定できない部分にも最善を尽くすことを約束させるGood Faith Efforts条項など、どれもこれも、欧州や日本に比べても厳しい規制方式でした。

排気規制の狙いは、当然ながら都市の大気汚染問題の解決が目的です。そのクリーン度の判定として、アメリカ、欧州、日本ほか各国、各地域でさまざまな試験法、こまごまとした規定、基準が定められています。さらに、それをすべてクリアすれば良いというわけではなく、実際に使われた経年車のクリーン度、さらに実際の大気環境の改善度が重要です。世界中のクルマの使い方、燃料の品質、オイルの品質、メンテナンスの状況を調べ、その実際の使用環境で高いクリーン品質を確保することなど、我々はトヨタの先輩連から手抜きをしない品質確保とGood Faith Effortsをたたき込まれました。

トヨタ、日産、ホンダの日本勢は、この排気クリーン品質でも優等生でした。実際のマーケットのリコールサーベイではビッグスリーが大規模な排気リコールを繰り返すなか、不合格車ゼロの記録を続け、アメリカ環境保護局(EPA)、カリフォルニア州大気資源局(CARB)の規制当局からも信頼を勝ち取ることができました。この実績も、日本勢がアメリカ自動車マーケットで成長を遂げることができた一因です。

燃費規制、地球温暖化緩和を目的としたCO2排出規制でも考え方は同じです。公平にそのポテンシャルを評価する尺度としての公式燃費・CO2も重要ですが、排気のクリーン度と同様、実際にそれぞれの地域、それぞれのドライバーがクルマを走らせたときの燃費削減、CO2排出低減の実効をあげることが目的であり、その目的のためのGood Faith Effortsが求められていることと自動車の開発屋は銘記すべきと思います。

脱石油、低カーボンを目指す、持続可能な社会の次世代自動車の開発は、マスキー法以上に自動車メーカーとして生き残れるかどうかを左右するまさに修羅場の到来です。しかし、その本質を押さえ、マスキー法、CAFE規制に愚直に、歩みを止めずに取り組んだように、志を持ち、ハートの熱い人材を集め、さらに材料、部品、日本のものづくりの総合力を発揮できれば、日本勢が今回も次の自動車開発をリードしていけると確信しています。

マスキー法から現在に至るまで、トヨタ*日産*ホンダの、それぞれ相手を意識し合った、「抜きつ、抜かれつ」の技術開発競争もパワーの源泉であり、その中で、意識したくても人は育ったように思います。激烈な技術開発競争の中で、次の人材が育っていくことを期待します。

 

 

)これ以前にマツダによって量産化され、一部の排出ガス性能の高さを有していたロータリーエンジンも、このホンダのCVCCエンジンも当時の純粋なエンジニアリングの結晶としては大いに評価されるべきものでした。しかし、最初の章で私が書いたように、70年代以降の自動車には、排気のクリーン度と低燃費の両立が求められたのです。そして、これらのエンジンは、それまでのジレンマを乗り越えることができず、結局主流となることはなく、CVCCは歴史の中の存在となり、ロータリーは現状では愛好家向けのエンジンにとどまっています。