米国トヨタ本社のテキサス移転

少し旧聞となりますが、4月28日(月)にトヨタはこれまでカリフォルニア州(加州)トーランス市においていた米国本社をテキサス州プラノ市に移転すると発表しました。トヨタの発表によると、米国とカナダの企業活動全体を”One Toyota”ビジョンで行うためにプラノ市に移転し機能を集約すると説明しています。

もともとトーランス市に置かれていたのは、米国での販売、マーケッティング拠点であった米国トヨタ自動車販売の本社で、車両開発、生産、渉外機能とは別機能でした。その後、米国での現地生産、現地生産活動が増加するにつれ、米国全体の本社機能と位置づけられました。開発部隊のなかでも、筆者のようなエンジン屋にとっては、デトロイト近郊のアナーバー市にあるテクニカルセンターとともにトーランスの隣、ガーディナ市に置かれたラボが馴染みのある米国の拠点でした。そのガーディナラボは、エンジン評価、車両適合の拠点とともに、世界の自動車環境規制をリードしてきた加州大気資源局(CARB)と将来自動車環境規制のルールメーキング、試験法についての情報収集や、CARBとの認証届け出業務の重要拠点でもありました。プリウスの発売後は、実用的な次世代環境車としてCARBのスタッフ達が実用的なクリーン/グリーンビークルとして高く評価してくれました。それに意を強くして、全米どころか世界へハイブリッド車を広げる戦略の説明、将来ビジョン議論のためガーディナラボのメンバーとともにトーランス本社に何度も足を運んだ記憶があります。

このテキサス移転を伝える5 月のGreen Car Reportは、「Toyota’s Texas Move: Prius Maker Lands In Highest-Carbon State」との見出しでこのニュースを伝えています。テキサス州は温室効果ガス排出量が全米50州中1位、一州の排出量として、フランス、イギリス、カナダを超えています。これを根拠に、環境自動車プリウスを販売している会社が環境問題を重視していない州に本社を移したことを皮肉った見出しをつてけています。温室効果ガス排出最大州となっている要因としては、19もの火力発電所があること、化学工場が多いこと、都市部でも公共交通機関が少なく、もっぱら自動車、その自動車も大型ピックアップトラックや大型SUVが多いことが上げられています。一方、ハイブリッド車比率は全米平均を大きく下回っており、さらに、ペリー知事は地球温暖化懐疑論者であったことは有名です。

もちろん、様々な法規制や法人税率など企業活動のやり易さ、広い米国全体に散らばる拠点のコントロールセンターとしての地理的な条件からは加州よりもテキサス州が有利のようです。しかし、21世紀の企業ビジョンとして「環境・エネルギー問題へ対応する自動車の変革」を掲げ、ハイブリッドプリウス開発に取り組み、次世代自動車をリードしてきたトヨタが、環境規制をリードしてきた加州から「Highest-Carbon State」に移転したときの影響をどう判断したのか、知りたいところです。

何度かこのブログでも紹介してきたように、筆者自身は現役のクリーンエンジン開発リーダの時から、加州ZEV規制には反対を続けてきました。。大気汚染の深刻さを否定していた訳では決してありませんし、開発を手がけてクリーンエンジン車のクリーン度はCARBも太鼓判を押す経年車クリーン度NO1だったと自負しています。もちろん、排ガスシステムのリコールを命じられてことは一度もありません。クリーン度の改善手段として、まだまだエンジン車でもやれることがあり、やり遂げる自信もありました。さらに走行中ゼロ・エミッションの定義が納得できず、さらに今も基本的には変わっていませんが、短い航続距離ではクルマの機能としてエンジン車に起き買われないことが明かだったからです。。

1990年代の初めに、前述のロス近郊のCARBラボやサクラメントのCARB本部で、ZEV規制ルールメーキングスタッフ達や幹部達と、「走行中のZEVは誤解を招く、発電エミッションも入れて議論すべき」と激論を戦わせたことを思い出します。いわゆるエミッション・エルスオエア・ビークル論を戦わせました。そのときの彼らの反駁は、「カリフォルニア州には石炭火力はなく、クリーンな天然ガス火力と原発、さらにアリゾナ、コロラド州からの水力発電だから電力もクリーン、さらにオゾン濃度の高いロス地区、サクラメントには天然ガス発電所すらないので文字通りZEVだ」との主張でした。トヨタ社内のEV開発リーダーからも、あまりEV開発に水をかけないで欲しいと、クレームを付けられたのもこのころの思い出です。

僅かな台数のZEVを導入するよりも、触媒もついていない古いクルマ、いかにもエンジン失火のまま走っている故障車を減らすほうがよほど大気改善には貢献できるとの主張もしました。「効果が大きいのは判っているが、大気改善が進んでいない現状ではイメージ優先、ZEV規制を引っ込めるわけにはいかない」と言われてしまった。ロス地区のオゾン発生メカニズムや大気環境モデルを勉強をしたのもこの頃です。

その後、加州では、自動車のLEV規制や自動車だけではない様々な規制強化によりロスのオゾン濃度は低下をつづけ、またPMの改善も進んでいます。しかし、この環境改善効果は当時の議論のとおり、ZEV導入の効果はほぼゼロと言ってよいでしょう。自動車排気のクリーン化と古いクルマが新技術のクリーン車に置き換わり、さらに最近のニュースにあった停泊中の大型船舶電源として一般電力(グリッド電力)への切り替え、レジャー用船舶、アウトドア車両の規制強化などによる効果とされています。さらにPM2.5の排出源として、航空機からの排気の寄与率が高いとの調査結果も報告されています。

残念ながらZEV規制を止めることはできませんでしたが、CARBの幹部やスタッフ達とこうしたディベートをフランクにやれたことはアメリカのオープンさの表れとして良い思い出でした。”Prius”発表後は、この実用ハイブリッド車の開発努力とクリーンポテンシャルを高く評価し、新カテゴリーの先進技術パーシャルZEVカテゴリーを新設してくれるなど普及をサポートしてくれまいた。さらに環境保全の”リアルワールド重視”の部分では、技術的に納得できる提案は採用してくれるなど、オープンでフランクな信頼関係の構築ができたと思っています。

いまもZEV規制には、オゾンやPMといった都市部の大気汚染の規制としては”リアルワールド”での改善効果の少なさから賛成できません。特に自動車から排出されるCO2まで温暖化ガスとしてZEVに取り込んだ動きは、加州だけの問題ではなく、グローバルな問題、もう一度ZEVの定義について当時の議論を材料にCARB幹部やスタッフ達に反駁したいところです。CO2はどこで排出しても気候変動に影響を及ぼす温室効果ガスであり、走行中ゼロでも発電所での排出を含めて評価をすべき「エミッション・エルスオエア・ビークル」です。某社がZEVクレジット販売で利益を上げるのは異常、低カーボン車の普及によって環境保全に寄与できるとの主張は当時も今も変わりはありません。

CO2排出量ではあっという間に中国に抜かれてしまったが、アメリカは中国に続く世界二位、さらに一人当たりのCO2排出量では今でも群を抜く化石燃料多消費国、このアメリカがやっと本気で温暖化対策のためのCO2排出削減に舵を切ろうとしています。CAFÉ規制強化は決まりましたが、まだまだ大型ピック、大型SUVが好まれる国です。低CO2次世代車はハイブリッド、プラグインハイブリッド、電気自動車含めてわずかシェア3.8%と低迷しています。中国とともに、この国が低CO2に動かなければ低カーボンのグローバルな新たな削減活動の枠組み条約は成立しません。その中で、自動車の変革は待ったなしですが、実用技術の裏付けのない規制や、国際政治のパワーゲームで次世代自動車の普及が加速するわけではありません。

規制対応だけではなく、実際にクルマの魅力を高め、この次世代自動車比率を高めることが自動車分野の低カーボン化のポイントです。これをリードしてきたのがトヨタ、ホンダ、日産の日本勢、そのなかで我々は『Prius』で先頭を走ってきたとの強い自負を持っています。この次世代自動車普及の背中を押したのが、私自身、ZEV定義と規制には賛成できませんが、カリフォルニア州ZEV規制であったことは間違いないと思っています。『Prius』を筆頭に次世代自動車普及のアーリーアドプターとしてハリウッドのセレブ達やシリコンバレーなど西海岸の人たちからの強いサポートがあったことを忘れることはできません。

この話題の最中に、ピークオイル論ならぬ、ハイブリッドピーク論が話題になっています。*

*  Could U.S. Hybrid Car Sales Be Peaking Already–And If So, Why?

「アメリカのハイブリッド車販売は既にピークをすぎたのか、それは何故か?」

16 June, 2014 Green Car Report

http://www.greencarreports.com/news/1092736_could-u-s-hybrid-car-sales-be-peaking-already–and-if-so-why

 

ハイブリッド、プラグインハイブリッド、電気自動車含めた次世代自動車の2013年販売シェアは僅か3.8%、このうちプラグインハイブリッド、電気自動車併せて0.6%と比率としては増加していますが、ノーマル・ハイブリッドを押しのけコンベ車に置き換わっていく勢いはありません。

折しもトヨタは年内の水素燃料自動車販売を発表しましたが、電気自動車=ZEVの代替候補として実用化の暁にはクルマの航続距離に優れた水素燃料電池自動車の実用化支援活動をリードしてきたのも加州です。まだ、水素燃料電池自動車普及へのハードルは高く、これが『Prius』を名乗ったり、ポスト『Prius』になるには時間だけではなく、技術ブレークスルーも必要ですが、このアーリーアドプターマーケットも加州が務めてくれることは間違いないと思います。

しかし、いつになるか判らない水素燃料電池車普及の前に、全米で僅か3.8%のシェアの次世代自動車シェアを拡大していくには、やはり加州のユーザーにアピールでき、また環境性能としても電気自動車、水素燃料電池車と競合できる、ハイブリッドピーク論をぶっ飛ばす次の先進『Prius』出現に期待したいところです。

 

 

章一郎さんの日経“私の履歴書“とマスキープロジェクト

入社当時の仰ぎみたトヨタの先人たち
われわれの世代のトヨタOBは豊田姓のトップの方々を、内輪では姓を省略して英二さん、章一郎さんとお呼びしていました。4月から日経紙の“私の履歴書“欄にちょうど章一郎さんが寄稿されており、今日(17日)掲載16回のテーマが1970年米国大気浄化法(マスキー法)への対応をスタートとする、排ガス対策の話題でした。これまでも、噂に聞いていた芝浦の特殊研究室の話、入社当時遠くに垣間見た石田退三さん、昨年お亡くなりになった英二さんの話題、工場実習や生産管理部での実習でお見かけした大野耐一さん、静岡の研究所の私の席の近くでガスタービン車の開発を熱く語っておられた初代クラウンの車両主査中村健也さんなど、トヨタを築き上げた先達の方々が登場するたびに懐かしく読ませていただいていました。

今日の話題、マスキー法対応プロジェクト
今日(17日)掲載16回のテーマが1970年米国大気浄化法(マスキー法)への対応プロジェクトからスタートした排ガス対策の話題でした。このマスキープロジェクトに加わりクリーンエンジン開発に取り組んでいたのが、まさに私の青春時代、自動車エンジニアとして鍛えられた時期でした。最後の部分で“当時の技術陣の努力に感謝した”と書いていただいたことに、技術陣のはしくれにいた一人として嬉しくなりました。
ここで書かれているように、確かにこの時期、英二さんも、章一郎さんも静岡の研究所にしょっちゅう立ち寄られ、われわれマスキープロジェクトの実験室を視察され、激励をしていただいたことを思い出します。この排ガス規制を乗り切ったことが、ここまでのトヨタの発展、さらに日本自動車産業の発展の大きなマイルストーンだったことは間違いないと思います。

三元触媒に出会ってその初期性能の高さに目が点
自動車用エンジンで触媒を使いこなす方法、技術を見つけ出すことが、私の最初のテーマでした。その触媒の一つが、文中にもあった排ガス中の主要規制成分の一酸化炭素(CO)、ガソリンの燃え残り成分の未燃炭化水素(HC)、高温の燃焼で空気中の酸素と窒素が結びついて発生する窒素酸化物(NOX)の三成分を同時に一気に浄化する三元触媒でした。この三元触媒を使いこなすテーマが私の担当となり、英国Johnson Matthey社の試作品が手に入りトヨタの中で最初にエンジン実験をやったのが私だったと思います。エンジン排気管に入手した触媒を溶接してとりつけ、エンジンを一定回転、一定負荷(空気量を調整するスロットル弁を一定開度)に保ち、燃料を供給するキャブレターの燃料調整部を自分で調整して触媒の性能を見る味見試験が最初でした。この時の感激は今も忘れません。ぴたっと合わせると、CO、HC、NOXの三成分が、同時に一気に90%以上も浄化されてしまいました。まさに目が点状態、しかし10分もすると調整をしたはずのキャブの燃料供給状態が微妙に変わり浄化率がガタ落ちになることもすぐ経験しました。

三元触媒を使うために酸素センサーによる電子燃料制御エンジンへ
それを使いこなすために提案されていたのが、エンジンの排気管に燃焼ガス中の燃え残った酸素濃度を検出する酸素センサーをつけ、その信号によって三元触媒が最適な燃焼状態を制御する方式です。その酸素センサーを使って、シリンダーに供給する燃料を制御する方式に、キャブレターの燃料通路を制御する方式と当時としては高価な高級エンジンに使われ始めたシリンダー毎の吸気管にガソリンを噴射する電磁噴射弁をつけ燃料を制御する電子制御燃料噴射弁エンジン、トヨタの呼び方としてのEFI方式の二つがありました。このEFI方式はさらに噴射弁まで燃料を送るポンプまで別に持つため非常に高価な方式で、またドイツ・ロバート・ボッシュ社の特許でがんじがらめ、当時トヨタの開発陣の中でこれがどんなクルマにも使われるポピュラーな方式になると考えていたエンジニアはほとんどいませんでした。キャブレター方式もその燃料量を安定して制御することが難しく、どちらの方式でも三元触媒方式はすぐにはものにならないとの意見が主流だったと記憶しています。触媒だけではなく、酸素センサーも数時間の試験で検出特性が使い物にならないぐらいずれてしまう代物でした。マスキー規制にホンダCVCC方式がクリアできたとの報道もありましたが、広く様々なエンジン、車種に展開できる触媒方式を主力においていた米国Big3とトヨタ、日産勢はなかなか見通しをつけることができないでいました。燃料無鉛かの遅れや触媒を安定して使いこなす点火系の信頼性確保などの見通しがつかなかったためです。ひとまずはマスキー規制を緩和した暫定規制となり、この暫定規制と日本の50年規制に対応するCOとHCの二成分を触媒で除去する酸化触媒方式が本命となりました。章一郎さんの文章にある、英二さんが国会喚問で排気規制への対応遅れを追求され、実際にその開発の前線にいるエンジニアとして触媒方式の商品化見通しをつけることができず、悔しく、情けない思いをしたのもこの頃の話です。

EFI電子制御エンジン研究開発の担当がエンジン・システム・エンジニアの原点
ちょうどそうした時期に係長に昇格し、新米係長なら当分ものになりそうもない三元触媒を使うEFI電子制御エンジンの研究開発担当なら失敗してもダメ元、時間もあるからと私の担当になりました。この三元触媒をエンジンとして使いこなすテーマから、その手段としてEFI電子制御エンジン、そのデジタル制御化の開発に取り組めたのが、私のエンジン・システム・エンジニアとしての原点だったと思います。
その頃はがむしゃらに、夜昼なしに実験室にこもり、またクルマを使った試験で走り回りました。この三元触媒EFI電子制御エンジンの実用化を突き詰めるなかで、排気ガスのクリーン化だけではなく、クリーン度が上がるとそのポテンシャルを低燃費やエンジンのパワーアップにも振り向けることができることも解ってきました。エンジン、触媒、制御といった機能、部品単体としての開発だけではなく、エンジン・システム、車両システムとして開発に取り組むことの重要性を実感したのがこの時期の体験です。この流れのなかで、このEFI方式が6気筒エンジンや4気筒スポーツエンジン搭載車に使われるようになり、さらに4気筒の排気量の大きい一般車用エンジンから排気量の小さいエンジンまで広がっていきました。達成困難と思っていたマスキー規制もクリアでき、一時廃止していたスポーツエンジンも復活、さらに4弁エンジンやいままた低燃費エンジンとして大流行になったターボ過給エンジン、スーパーチャージャーエンジンが出せるようになったのもこのEFIエンジンのデジタル電子制御があっての話です。

システムとしての全体最適をハイブリッド開発マネージの最重点
このシステムエンジニアとしての体験と自覚が、ハイブリッドプリウスの開発リーダーとして生かせたと思っています。エンジン、駆動、その駆動系に入り込む発電機とモーター、エンジンの動力に加える電池電力、それぞれの個別最適化の組み合わせではハイブリッドシステムは開発できません。エンジン、駆動、発電機、モーター、電池、さらにはブレーキ、車両全体の電源供給までのハイブリッド全体システムとして、さらにクルマ全体としての最適化とその不具合未然防止に取り組むことができたことがハイブリッドプリウスの立ち上げに結びついたと確信しています。
目が点になる高い三成分浄化率をもった触媒があっというまに性能低下を起こし、また数時間の耐久試験で劣化し、そのさなかにエンジンが失火すると場合によってはメルトダウンしてしまう触媒をどのようにシステムとして使いこなし、これまた数時間の耐久試験で検出特性が変わってしまう酸素センサーをどのように使いこなしシステムとして商品化にこぎ着けたかは、次の機会にご紹介したいと思います。

「正念場」

あけましておめでとうございます。

年賀状2

我が家の道路からは北に富士山が見通せます。元旦の朝に、まず富士山を仰ぐのをその年のスタートの恒例行事としています。自宅を今の場所に選んだのも、富士山が見渡せ、また西には駿河湾を見渡せる環境が気に入ったためです。

以前勤務していたトヨタ自動車東富士研究所もまた、富士山のまさに裾野にあり、執務フロアーから途中に遮る建物もなく間近に富士山の頂上まで見渡すことができました。

今日は私がこの東富士研究所でマスキー対策クリーンエンジン開発プロジェクトを担当していた時代、1970年代初頭のいまから約40年ほど前の正月のエピソードを取り上げてみます。

正月休みあけの初日、東富士研究所では部員全員のミーティングが開かれ部長からの挨拶とその時の会社方針、部方針の説明があります。その当時、その全員集会の会場に何年か掲げられていたのが、当時の達筆な部長が墨痕あざやかに書かれた『正念場』の檄文です。

今では死語になりかかっている『正念場』という言葉ですが、語源由来辞典で調べると、意味としては、「ここぞという大切な場面」「真価を問われる大事な場面」と書かれています。

「正念」とは仏教語で、悟りにいたるまでの基本的な心得の一つで、雑念を払い仏道に思い念ずることで、字の通り「正しい心」「正気」が最も必要な場面を「正念場」というようになったと書かれています。

マスキー法は環境自動車普及への最初の「正念場」

当時はまさに世界中の自動車エンジニアは正念場を迎えていました。排気ガス中の大気汚染物質である一酸化炭素、ガソリンの燃え残り成分の未燃炭化水素、高温の燃焼で生成される窒素酸化物をエンジンから排出素濃度の十分の一以下にすることを求める、通称マスキー法、米国大気浄化法に適合するクルマの開発のまっただ中です。

私が担当していた、排ガス触媒を使う方式では、耐久試験では当時やっと使えることとなった無鉛ガソリンを使ってもあっという間に触媒劣化をおこしどんどんエミッションが悪くなり、さらに途中で点火プラグの摩耗、点火系の故障、キャブの不調などが起きると肝心のその触媒が溶けてしまう不具合の多発、実用の見通しをつけることはなかなかできない状態でした。

そんな中で、ホンダがCVCCエンジンを引っさげてアメリカ環境保護庁EPAで排ガス試験を受け、マスキー法クリアが大々的に取り上げられた年の正月全員集合での「正念場」が特に印象が深く残っています。

われわれ触媒コンバーター方式の開発チームはまさに今年こそ「正念場」との思いを強くしていたことを思い出します。触媒そのものの改良だけではなく、燃料中の微量な鉛をさらに減らすことを燃料会社にお願いし、失火がおこらないように、プラグ、点火分配器、イグナイター、燃料供給の信頼性向上に取り組み少しずつ耐久距離をのばしていきました。

いつ「正念場」の檄文が掲げられなくなったか記憶ははっきりしませんが、マスキー対策の本命として触媒方式が選ばれ、さらに触媒方式の中でも排ガス中の大気汚染三成分を同時にクリーンにする三元触媒がいわゆるデファクトとなっていきました。最初に話題となったCVCC方式はまもなくホンダのクルマからも消えていきました。

今振り返るとこの「正念場」を意識したのは、トヨタだけではなく、日本の全ての自動車メーカーエンジニアの心境であり、悟りにむかってとは言いませんが、まさに「正しい心」「正気」を研ぎすまして開発に集中していたのではないでしょうか?この「正念場」での集中が、その後の日本勢の発展に繋がるターニングポイントだったと思います。

環境と経済を両立させるための「正念場」

違う意味で今、人類、その世界、日本は「正念場」を迎えているように思います。人類の「正念場」は人類自身が作り出した環境問題、気候変動問題です。昨年秋に発表された気候変動に関する政府間パネルの5次レポートでは、このところの異常気象について、これまでのレポートよりも一段強い表現で、この原因が人為的な温暖化ガス排出によるものと断じています。

未だに削減に向けての国際合意はできていませんが、人類の未来にとって「正念場」、早急な合意形成と削減への取り組みが急務です。とはいえ、世界の経済を無視しての削減への取り組みは、現実的ではありません。今の世界の人口71億5675万8000人(1月2日13:25時点)人が生き続けるためにも、エネルギーが必要であり、それを供給している圧倒的部分は化石燃料です。製造業、サービス業どころか、漁業、水産、林産業を支えているのも化石エネルギーです。この化石燃料消費の削減と人類が生きていくための経済発展をどうやって両立させるかの「正念場」を迎えています。

日本は、東日本大震災からの復興、この大震災が日本人の「正気」を覚醒さえた次の再震災への備え、いよいよ加速する高齢化と少子化の中での経済成長と環境保全の両立です。アベノミクスで日本経済が久方ぶりに活気をとりもどしつつあります。しかし、まだまだ企業、市民の隅々まで行き渡った景気回復ではありません。ここで本格的な経済浮揚につなげないとこの世紀、少なくとも前半期での日本復活のチャンスを逃しかねません。この経済発展なしには、日本人を養う化石燃料輸入をまかなう稼ぎはできなくなります。さらに日本が存在していく基盤となる省エネ、新エネ、低カーボン技術、そのもの作り技術を磨くためにも経済発展は不可欠です。日本の復興、復活、それを牽引する経済成長と化石燃料消費削減を両立させていくための「正念場」だと思います。

低燃費、低CO2を目指す次世代自動車も、そのコアの電動化、ハイブリッドとそれをリードする日本勢にとっても「正念場」、マスキー対策と同様、今年をターニングポイントになり次の飛躍向かって欲しいものです。

GM再建にまつわるGMとの思い出

米政府のGM株売却で再建に一区切り

12月9日に米政府は、リーマンショック後に経営破綻したGMを救済する為の政府資金投入の担保として取得した株式を、その再建が軌道に乗ったため全て売却したと発表しました。

しかしながら株式売却をしても、再生GMの株価低迷のため回収できなかった政府資金は1兆円となるとの報道も紙面を彩っていました。一方でミシガン州のNPO自動車研究センターは同日、このGM救済などの自動車産業救済により、大規模な連鎖倒産を防ぎ263万人もの雇用維持ができ、この所得税税収を考慮にいれるとこの損失分を大きく上回る効果をあげ、米国経済史上最も効果の高かった政府介入だったとのレポートを発表しています。
http://www.cargroup.org/?module=Publications&event=View&pubID=102

確かに、当時GMやクライスラーが消滅したとすると、このレポートにあるように、裾野の広い自動車産業としてはその影響は図り知れず、米国だけではなく世界の経済にもっと深刻な影響を及ぼした可能性は高いように感じます。

またこのタイミングで発表されたメアリー・バーラ氏のCEO就任も、自動車会社大手としては世界初の女性CEO誕生として話題になっています。彼女は生え抜きのGMプロパーで、GM中堅幹部には多い社内の技術者養成学校GM Instituteの出身、電気工学専攻のエンジニアがキャリアの出発点だったようです。

その後GM内でキャリアを重ね、スタンフォード大でMBAを取得、CEO就任前はグローバル本社の人事担当上級副社長として再生GMトップのアカーソンCEOの片腕として組織改革に腕を振るったようです。この女性GMが再生なったGMをどのような方向に導いていくのか、その中でも私がライフワークとして注目する『次世代自動車』への変革をどのように進めていくのか非常に注目しています。

ビッグ3が牽引したクリーン自動車技術

私の自動車エンジニア人生を通して、今では死語になりかかっていますが米国ビッグ3の動きには注目を払ってきました。入社してほどなく、通称マスキー法、米国の大気浄化法対応の排ガス対策プロジェクト担当になり、自動車の排ガス処理として排気ガス浄化触媒を使いこなすことが与えられた私のテーマでした。

この時からビッグ3、そのなかでもGM、Fordのアプローチが我々のお手本でした。この排ガス対策からエンジン電子制御が導入されるようになり、今では現代の自動車には欠かせないマイクロコンピュータ制御もまたGM、Fordが先鞭を切っています。1975年当時、燃料噴射エンジンの研究開発担当の新米係長だった私はGM、Fordのエンジンデジタル制御開発中との新聞記事を見かけ、スタッフたちにこれを紹介し、その可能性を議論したことがマイコン制御に手を染めるスタートでした。

秋葉原にマイコンキットを買いに出張してもらい、そのマイコンキットの勉強会を開き、そこから自作で燃料噴射と点火時期制御用コンピューターを作りクルマを走らせたのがトヨタとしてのエンジンマイコン制御の始まりです。その後、日本勢は排ガス対策にもまた低燃費や出力向上にもメリットがある燃料噴射エンジンとその制御系のデジタル化(マイコン化)を急速に進めました。

一方ビッグ3は当初のコスト高を嫌って従来型の燃料供給装置であったキャブレターにこだわり、また燃料噴射も日本勢のシリンダー毎に噴射弁を設ける気筒噴射方式に対し、キャブの替わりに一本の噴射弁で燃料を供給するシングルポイント方式に主力を置く時期が続きました。これが、技術面としては日本勢がビッグ3をキャッチアップした切掛けになったように思います。一気筒4バルブエンジン、過給エンジンなど出力競争もまたこの噴射エンジンとマイコン化が支えました。

とはいえ、1990年代に入ってもビッグ3、特にGM、Fordはわれわれから見ると強大で、世界の自動車をリードする盟主でした。1980年代後半から強まった米国カリフォルニア州の排ガス規制強化の動きに対しても、その背景、規制動向、試験法などの技術面の動きは米国自動車技術会活動などを通し知り合ったGM、Fordのスタッフとの意見交換が絶好の情報収集機会でした。さらに、その委員会活動を通じて、試験法づくりのデータ収集や共同実験、さらには規制当局への提案書づくりなどルールメーキング活動へも積極的に参加するようになりました。

もちろん、この活動をリードしたのはビッグ3のスタッフたちでした。私は、低エミッション車開発リーダーとして、日本でこのビッグ3との交流、ルールメーキング活動を支援、年に何回かは情報交換とルールメーキング活動の相談のため米国に出張し、GM、Ford本社に担当スタッフを訪ねたものです。ハイブリッド開発担当になってからも、この繋がりは続き、新聞でも報道されたGMやFordとのハイブリッドや水素燃料電池自動車技術アライアンスの協議にも加わったこともあり、その交流は続きました。今日はその交流の経験から、ビッグ3、その中でもGMとのエピソードの一部をご紹介したいと思います。

自動車界の中心だったGM本社

私が最初にGM本社を訪ねたのは、確か1991年だったと思います。その前年に、カリフォルニア州からそれまでのマスキー規制よりはるかに厳しい低エミッション車規制、LEV(Low Emission Vehicle:低エミッション車)と触媒や排気ガスセンサーなど、排気浄化装置の故障を車載の制御用コンピューターで診断し故障時にはアラームを点灯する車載故障診断システム規制強化(OBD:On Board Diagnosis)が決まり、その規制方法、試験法についての意見交換を行うためでした。

当時のGM本社は、デトロイトのダウンタウンにあり、1980年代のベストセラー『晴れた日にはGMが見える』で表現された14階建ての同じ格好のビル4棟で構成されていました。日本勢の現地生産拡大の影響もあり、デトロイト地区の乗用車工場が閉鎖に追い込まれ、またダウンタウン地区からホワイトカラー従業員が郊外に脱出、今のデトロイト市の破綻に結びつく治安悪化が進行していた時期です。綺麗なのはGM本社の一角だけ、それを抜けると昼間から怪しげな人達が屯する治安の悪いゴーストタウンのような街を急いで通りぬけた記憶があります。

GM本社ビル内は別世界で、中心部が吹き抜け構造となっており、その周りにガラス張りの回廊があり各階の人の動きが見渡せ、その外側に会議室や執務室、幹部の個室が配置されていました。最上階14階がトップの執務スペースで、そこには入れませんでしたが、面会相手の背の高いすらっとした女性秘書の案内で面会相手の個室まで案内され、役員ですら大部屋が当たり前のトヨタとの大きな違いを感じました。

かつては「GMに良いことはアメリカにとって良いこと」と言われた時期もありましたが、当時のGMのエンジニアにも自分たちが自動車をリードしてきたとの強い自負をもった人たちが多く、GMよりも自動車の将来、環境保全の将来が大切と切り出すシニアエンジニアとの出会いに啓発されたのもこの時期でした。こうしたGM、Fordスタッフのコミュニケーションを通じ、遠い存在であったビッグ3の背中が正直確実に近づいてきたことを感じ始めたのもこの時期の印象です。

その後1996年に、1923年に建設されたその本社ビルから、少し南にあるデトロイトリバー沿いの再開発地区にたてられた高層ビルに本社を移転させました。GMが資本参加していた、ホテルのマリオットチェーンが経営するルネッサンスホテルもその一角を占めることから、ルネッサンスセンターともいわれるビルです。

このルネッサンスセンターの本社は、北米オートショー(デトロイトモーターショー)や米国SAE(自動車技術会)年次総会が開かれるコンベンションセンター、通称コボホールの建物の中も通る再開発時に作られたピープルムーバ―と名付けられたモノレールで結ばれており、SAE会場からピープルムーバ―を使ってGM本社を訪ねた記憶もあります。この時も、役員会議室の豪華さに驚かされたものです。

経済の世界では高層の本社ビルを建てた会社は傾くとよく言われますが、まさに言葉のとおり破産に至ってしまいました。いまは、この本社機能をGMの主力研究開発拠点を持つデトロイト北部のワーレン市(Warren)に移そうとの構想がるようです。またそうなると、財政破綻をおこし最悪の状況にあるデトロイト市にとっては大きな痛手との報道もあります。

GMに技術はあった

GMの破産は、短期の収益を重視するあまり、将来技術開発、特に環境技術開発を軽視したつけと言われています。1990年から2005年トヨタを退職するまで25年のデトロイトGM通いとその付き合いの経験からは、決して将来技術開発、環境技術開発を軽視したとの印象は受けませんでした。まだマイコンなるものが生まれてまもない時期にすでにエンジンマイコン制御の開発をスタートさせていたことに驚かされたのは大昔としても、1990年代初めの量産型電気自動車『EV1』の開発からプラグインハイブリッド車『VOLT』、さらに燃料自動車開発まで、こちらがうらやましくなるような豊富な研究開発陣容と設備、それぞれ課長クラスでも広い個室をもつオフィスが与えられ、さまざまな分野で手広く技術開発を続けていました。

『VOLT』の母体となったレンジエクステンダー型ハイブリッドも1990年初めには加州ZEV規制提案時にはすでに開発に着手していました。プリウスの発売後にGMとハイブリッド共同開発の話が出て、デトロイト本社の少し北、ワーレン市にある技術センターなどでGM開発スタッフとなんども意見交換と技術レビューをしましたが、すでに様々なハイブリッドシステムの開発を手掛けており、モーター、インバーター、電池、その制御と専門能力の高いエンジニアが我々のハイブリッドチーム以上に多いことに驚かされました。

トヨタハイブリッド方式に近い遊星ギアを使ったいわゆる動力分割方式のハイブリッドもいくつか検討しており、この時紹介されたものが後に量産化された大型SUV用ハイブリッドや『VOLT』のシステムに繋がったように思います。しかし、かみ合わなかったのは、次世代自動車への取り組みと車種選択の考え方、さらに開発の方法論、体制論でした。

またハイブリッド開発が『EV1』開発をリードしたスタッフが中心だったためか、先に電気自動車、自動車の電動化ありき、将来自動車の開発よりも自動車の電動化そのものを目的化していることに違和感を覚えたことを思い出します。この時に付き合っていたエンジニアが『VOLT』開発段階のリーダーを務めたようですが、そのハイブリッド機構として遊星ギアを使った動力分割機構を使いながら、EV走行に拘るあまり、その機構をハイブリッド走行の効率向上に生かせず、燃費向上を疎かにしてしまったように思います。

このEVへの拘りは、実務エンジニアの拘りというよりも、技術開発マネージ陣(その殆どが『EV1』開発メンバー)のTHSハイブリッドに対する敵愾心と、経営トップのトヨタに対する拘りにあったように感じました。

言うまでもないことですが、技術に対する拘り、さらにライバルに対する敵愾心と競争心はあって当たり前で、そのフェアな競争の中で技術進化は進み、またイノベーションの引き金ともなります。しかし、その商品対象としてのクルマの商品機能向上、さらに将来のクルマに求められる社会的要求にこたえていくことがR&Dの目的で、ハイブリッドも電動化も、その電池開発、燃料電池開発もその達成手段に過ぎません。

これからの自動車をどう描くかに注目

GMだけではなく、ビッグ3が傾いたのも、研究開発はしっかりやっていたものの、分野別専門家集団のR&Dに留まり、クルマとしての商品技術開発につなげられなかったこと、またこれはメディア報道どおりですが、社会要請として自動車のクリーン化、低燃費化が強まるなか、収益源の大型SUV、大型ピック偏重の軸足を変えられなかったことによるように思います。

これはビッグ3だけの話ではありません。トヨタも、環境自動車への変革をリードしながら、米国ではビッグ3追従の大型SUV、大型ピックアップの増産にシフトさせたことがリーマン後の落ち込みのきっかけを作ったようにも思います。また、業務の細分化、専門分化の弊害もやや気になっています。

ここまで短期にGMを再生させた背景には、景気の回復とともに戻ってきた大型SUV、大型ピックアップのマーケット拡大と中国での販売増があるようです。GM破産の寸前に当時のリック・ワゴナーCEOが発表したプラグインハイブリッド車『VOLT』は、破産後の2010年に量産化され、再生のシンボルとして環境重視の広告塔的役割を果たしていますが、毎月2,000台程度の販売規模で収益には寄与してはいないでしょう。

乗用車の低燃費ハイブリッド車では、トヨタどころか直接のライバルのFordに大きく後れをとる状況です。『EV1』で先鞭を切った電気自動車も、今の第3次BEVブームには乗り遅れ、今年6月に発売を開始した『Spark EV』も11月までの累計販売台数が500台を切る状況で、環境自動車への舵切はうまくいっていないように思います。

しかし、『晴れた日にはGMが見える』ではありませんが、まだまだ日本勢、欧州勢では自動車の将来を引っ張るには力不足で、アメリカの自動車を変えるためにはGMが変化する必要があります。もはや大型SUV、大型ピックアップ一点張りではダメなことは自明で、しかしエコの押し売りではマーケットからソッポを向かれ、自動車バッシング、脱自動車を加速させかねません。

メアリー・バーラCEOが新生GMの舵をどのように切っていくのか、間違いなく環境自動車の方向に切り替えていかざるをえないと思いますが、これと自動車のエモーショナルな部分(走り、音色、走り心地)両立が求められる自動車変革をどのようなやり方でやっていくのか、アメリカの自動車マーケットも好調なだけに、その舵さばきに注目しています。

短期的には間違いなく売れ筋でお客様が求めている大型SUV、大型ピックアップトラックの環境性能をどのように上げていくのか、マーケットの低燃費、低CO2志向がどのようになっていくのか、これからもメアリー・バーバラCEO率いるGMの動きを見守っていきたいと思います。

豊田英二さんご逝去の報に触れて

 私の尊敬する豊田英二さんが、一昨日亡くなられました。今月12日に満100歳をお迎えになってのご逝去です。私がトヨタ自動車に入社した1969年当時の社長で、入社したての新人エンジニアにとっては入社式で仰ぎ見る存在で、直接お話をお聞きする機会が豊富にあったわけではありませんが、入社以降、私の最も尊敬する人は英二さんとなりました。

 仰ぎ見る人を「さん」付けて読んでいることに違和感を感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが、入社当時から上司や先輩も社長ではなく英二さんと呼んでおり、またわれわれ同僚の間でも英二さんと呼んでいたように思います。とはいえ、社長訓示や現場のご視察などから伝わってくる雰囲気は決して気さくな風ではなく、親しみやすさからこう呼んでいたわけではなかったと思います。何か経営者としてだけではなく、尊敬する大先輩のエンジニアとして上司、先輩たちも名前でお呼びしているのを聞き、われわれもそうお呼びすするのが当たり前と感じていました。

排ガス問題で英二さんを矢面に立たせたのが悔しかった

 入社当時は自動車の排ガスによる大気汚染問題が騒がれ始めた時期であり、米国のマスキー上院議員が提案した通称マスキー法と呼ぶエンジンから出てきた排気ガス中の大気汚染成分の一酸化炭素(CO)、燃え残りのガソリン成分(HC)、燃焼生成物の窒素酸化物(NOx)の90%削減を求める法案が提案されていました。トヨタとしても日本のモータリゼーションがスタートし、やっとクルマとしてアメリカでも認められ始めた時期で、この排気規制をクリアする技術を開発できなくては会社としての将来はありません。

 トヨタ社内では、富士山の裾野に設置された東富士研究所に排気ガス対策特別プロジェクトチームが結成され、私もそのプロジェクト要員として加わることになり東富士研究所の赴任したのが1971年11月でした。

 この自動車排気ガスによる大気汚染問題は、アメリカだけではなく、モータリゼーションが進み始めた日本でも問題となり、国内で自動車の排気ガス規制強化が大きく取り上げられるようになったのもこのころです。英二さんは、当時自動車工業会の会長としてこの規制強化議論の矢面に立たされ、国会での規制法案議論での参考人喚問でのやりとりが、メディアに技術開発の遅れ、後ろ向きの対応と叩かれ、開発現場のわれわれとしても悔しい思いをしました。

 このいきさつについては、以前のブログで取り上げていますが、英二さんもこのころを振り返り、このマスキープロジェクト対応がトヨタのエポックだったことを語っておられ、強い共感を覚えたものです。

英二さんの『聞く力』

 このマスキープロジェクト以降も、英二さんは東京ご出張の途中などで、東富士研究所に立ち寄られることが何度かありました。ご視察に対応したのはわずかの機会でしたが、それでも英二さんの徹頭徹尾の現場主義を肌身で感じる機会を得ることができました。会議室でのご報告ではなく開発中のエンジンやその部品も実験中のエンジン実験室のご視察、またはその開発エンジンを搭載したプロト車のご試乗とその場での報告がほとんどであったように記憶しています。

 その時も我々のような担当エンジニアの、今にして思うと拙い説明にも、決して途中に口を挟まれず、じっくりと聴いていただいた事が強く印象に残っています。ご質問も数は多くありませんでしたが、こちらがギクッとするような鋭いご質問にどぎまぎさせられた記憶があります。英二さんのお話が聴きたくて、自分の担当でない実験室にもついて回り、耳をそばだてて聴きのがすまいとしたことも懐かしく思い出されます。

 技術の的を射た厳しいご質問やコメントなどの注文・指示については若いエンジニアではなく、同行する部長・次長に直接お話しするなど、エンジニアとしてだけではなく、マネージとしても時間は短くとも強くご薫陶をいただいたと思っています。

 英二さんから直接ご指導いただいた会社の大先輩のお一人から、エンジニアおよびマネージャーの心得を伝えて頂きました。

『若いエンジニアの話は、眠くなっても、我慢をしてでも、じっくりと、途中に茶々をいれずに聴くこと。そうしなければ、だんだん本当のことを伝えてくれなくなる』

 その薫陶を受けた大先輩ご自身が役員になられてからも忠実にこの教えを実行されておられました。まさしく英二さんが研究所ご視察のときの状況そのままの心得でした。残念ながら、私自身はこの教訓を忠実には実行できたか自信は全くないのですが、なによりも現場主義の実践、若いエンジニアの話を現場でじっくり聴くことなどは心掛けてきたつもりです。

英二さんの次代の技術者への言葉

 私はハイブリッドプリウス開発、自動車の未来についてお話をする機会には、今もハイブリッド車プリウス開発の支援者であり、最大の理解者だった英二さんの言葉をトヨタのDNAとして紹介させていただいています。

 今回、その一部をご紹介したいと思います。

考える力『最近は技術のことでも経営のことでも調べようと思うと多くの情報が得られる。まさに情報の洪水といってもよい。便利なことには違いないが、下手をすると自分で努力して考える力を失うのではないかと思います。問題を解決するのは最後は自分自身であることを常に忘れてはなりません。(途中省略)道具と言えばせいぜい紙と鉛筆、算盤、計算尺であった時代でも、現在でも、観察力とか洞察力とかが最後の決め手になることには変わりはなりと信じます。エンジンやキャブレターに一部の調子を良くする必要があったとき、早速オシロスコープやストレンゲージをそこにつなぐことを考える前にエンジン全体とか自動車全体をもう一度よく観察して、次に部分の対策検討をするのが望ましい態度だと思います』 

物を見る目『技術者は物を良く見るということが大切だ。特に若い人達にとっては重要なことです。また実験をやるにしても現象をよく見ることが必要です。予想通りいくかどうかを見るだけでなく、先入観にとらわれずに現象そのものをよく見ることが必要です。』

モノづくり『モノづくりは価値を創造し、文明を創造する原点です。モノづくりは「技術」の発展と深いかかわりをもっています。言い換えれば、技術の進歩はモノづくりがあってこそ初めて生まれてくるのです。モノづくりは常に、それにたずさわっている「人」と「ノウハウ」の蓄積によってなされるものです。』

人づくり『人間がモノをつくるのだから、人をつくらねば仕事も始まらない。』

これらは、1996年に発行された社内誌に取り上げられた英二さん語録の一部です。

ハイブリッド開発を大いに喜んでいただけた

 マスキープロジェクト以降も、クリーン技術、低燃費技術には常に強いご関心をお持ちで研究所に来られる度にわれわれが開発検討を行っているエンジン実験室に足を運ばれ、エンジンの音色に耳を傾けられ、またその音を聴きながら開発部品を熱心にご覧になり、そのあと、場合によっては痛いところを突く鋭い質問、コメントを頂いたことを思い出します。私の開発担当では、できたばかりのマイコンエンジン制御のプロト車に試乗いただき、そのクルマがテストコースでエンストを起こし、走れなくなってしまったことも、今としては良い思い出です。

ハイブリッド車プリウスの開発での思い出では、1997年10月10日の東京での新車発表会の開催前の会場で、ハイブリッドシステム紹介、部品展示のブースで若いエンジニアからの説明を途中に言葉を挟まれず、熱心にお聴きになり、新車発表に漕ぎ着けたことを非常に喜ばれ、ねぎらいの言葉をいただいたことが強い印象として残っています。

私が入社する前、昭和36年に日本自動車技術会の会長として米国自動車技術会(SAE)主催の国際会議に出席されたあと、SAEゴードン会長の『米国の伝統的精神は挑戦を受けた場合は受けて立ち、断固打ち破ることである』とのスピーチに対し、帰国後

『米国が挑戦者として対等に扱う以上、我々は実力を発揮しなければならないのです。他人のやっていることを学んでまねをするだけではなりません。それではただ相手に圧倒されるだけであります。我々の創意と工夫と知恵によって、さらに我々の努力を加えることによりよって、よい車をつくりあげなければなりません。もし我々に創意、工夫、努力、困難に立ち向かう勇気に欠けるならば我々は一敗地にまみえざるをえないでしょう。』

と述べられています。このお気持ちをひしひしと感じ、マスキーエンジン、そのごの低燃費エンジン、高出力エンジンの開発に挑戦者の気持ちで取り組んできたつもりです。

ハイブリッド開発では、この我々の創意、工夫、知恵、努力、困難極まる技術開発へのチャレンジを評価いただけた笑顔であったと今も思い浮かべています。

こころより、ご冥福をお祈り申し上げます。

VVT-iとハイブリッド

VVT-iとは

VVT-iと云ってもなじみがないかもしれません。VVT-iはバリアブル・バルブ・タイミング・インテリジェント(Variable Valve Timing Intelligent: VVT-i)の略称、エンジン吸入弁の吸い込みタイミングを可変にする可変バブルタイミング機構のことで、今ではトヨタのガソリンエンジンにほぼ標準として搭載されています。

そして、このVVT-iはプリウスのハイブリッドエンジンにも使われ、大きな役割を果たしています。このVVT-i開発にも、エンジンの先行開発担当として関わり、思い出深いエピソードがありましたので、ご紹介し、さらにハイブリッドプリウスのエンジンとして、どのような役割を果たしたのかお伝えしたいと思います。

VVT-iは1995年8月にクラウン用、排気量3リッターの直列6気筒エンジン、2JZ-GEに使われたのが最初です。当時、エンジンの先行開発では、排気のクリーン化が大命題であり、またそれと同時に自動車エンジン屋の普遍的な大きな開発テーマとして、出力向上、燃費向上、この三本柱のバランスのとれた両立がありました。

80年代に入って停滞したエンジンのクリーン化

1979年に起こった第2次石油ショック後、アメリカで燃費規制が制定され、日本でも燃費向上のガイドラインが定めら、今に至る低燃費エンジンの開発競争が勃発しました。この低燃費技術として開発が進められていたテーマの一つがVVT-i機構です。しかしながら、石油ショックが一段落つき、日本が後にバブル経済と呼ばれることにある景気状況を迎えると、いつしかクリーンも一段落、低燃費も喉元も過ぎればなんとやら、1980年代の後半には、エンジンの出力競争に戻りかけていました。

日本の各社はその新技術開発を競い合い、このエンジンに空気を吸入し、燃焼させ排気する基本となる吸排気弁の動かし方を可変にする機構開発も開発競争の大きなターゲットとしました。ホンダは1989年に通常はエンジンの燃焼が良くなるリフトの小さい状態で運転し、高速回転になると、エンジン吸気量を増やすために大きなリフト量に切り替えるVTECを開発し評判となりました。

トヨタも、VTECに負けてなるものかと、カローラやスプリンターのスポーツ車用4A-GEエンジンを吸気3弁、排気2弁の5弁エンジンとし、さらにバブルリフトではなく、吸気バルブのタイミングの2段階のOn/Offで切り替える可変バブル機構を採用し、リッター100馬力達成をぶち上げるなど、抜きつ抜かれつを繰り広げていました。
クルマの企画チームからは、なにがなんでも高出力、排気のクリーン化は規制強化ならやらざるを得ないができる限り低コストでやって欲しいと強く求められる状況でした。

なんとか実用化にこぎつけたVVT-i

私が、エンジンの研究グループから、すこし量産技術開発に近い先行開発グループに移動し、アメリカ・カリフォルニア州で議論が始まった、マスキー規制のさらに10分の1レベルまでにクリーン度を高めるローエミッション・ビークル規制(Low Emission Vehicle: LEV)規制対応用エンジン開発プロジェクトを担当することになったのが1989年、同時にこの低燃費エンジン開発チームも担当することになりました。

アメリカの燃費規制CAFÉは、販売台数に応じたクルマの平均燃費による方式で、当時のVVT-i開発チームは、アメリカで販売台数が多く、CAFÉ規制値に影響度が大きい、カムリの燃費向上を目標に、それに搭載する4気筒エンジンを対象に開発検討を続けていました。しかし、燃費向上テーマには見向きもされず車両企画チームからも、エンジン量産設計チームからも採用の声はなかなか掛からず、スタッフのモチベーションも下がりかけていました。

我々は将来エンジンのクリーン化、性能向上、低燃費、低コスト技術の研究開発を行うのが役割のチームですが、やはりやるからには量産のクルマに採用される技術を狙いたいというのが、エンジニアの心意気です。時代に合わなくなったと云われても、いつ何時またそのテーマが重要になるかは誰にも判りません。プロジェクトリーダーにとっても、そのようななかなか買い手のつかないテーマをどうするかの判断に迷うところです。さらに、LEVクリーン自動車開発の他、様々な厳しい環境規制が提案されており、研究開発テーマ、組織の再編も私の役割でした。テーマの凍結、チームの解散も頭をよぎりましたが、自分のやってきたテーマに拘りもたなくては、技術開発はできません。開発担当スタッフやチームリーダーからは、いずれ低燃費の時代がくることを信じて、このテーマを続けることを強く要望されました。

そこで、少し時代に合わせて、開発の方向と売り先を見直すことをお願いしました。燃費向上最優先から、まずは性能向上、さらに今となってはマッチポンプであったことを白状しますが、厳しくなる排気規制に対応する排気デバイスの役割も兼ねさせ、排気浄化だけの追加デバイス廃止の可能性を検討してもらい、僅かのコストアップで性能向上が実現できるとのシナリオに書き直しました。 

またターゲットエンジンも、上級車に搭載する6気筒エンジンに切り替え、車両も新技術にお金を出してくれそうな、クラウンに的を絞り、量産エンジンチームの一部トップからはVTECに性能向上ではかなわないからダメなど、外乱もありましたが、紆余曲折のうえ、1995年のクラウン採用にこぎ着けることができました。さらに、エンジニアの拘りとして、プライオリティを下げた燃費向上効果も引き出すことができました。これが契機となり、このVVT-iは他のガソリンエンジンにも次々と採用されるようになりました。

プリウスに貢献したVVT-i技術

初代プリウスのエンジンも当然このVVT-iが最初の企画から標準仕様でした。このVVT-iが、性能、燃費、排気性能向上の役に立ったばかりではなく、思わぬところで、初代プリウスの開発で商品としてのクルマができるかどうかを左右する大課題の解決の決めてとなってくれました。

プリウスのハイブリッドでは、燃費向上のため、停車中どころか、低中速走行もエンジンを止めモーター走行を行うことが基本コンセプトです。アクセルを緩めるとエンジンを止め、アクセルを踏み加速要求をするとエンジンが掛かり、また電池が空になると自動的にエンジンを掛け、次ぎの加速に備える必要もあります。そのエンジン停止、次ぎの始動の度に大きなショックが発生し、開発段階初期のクルマでは、大きなショックでエンジンを発電機と車軸やモーターの出力軸に分割する遊星ギアに動力を伝達するインプット軸が折れたり、またその反動でトランスミッションケースが破損したりと、商品として成立できるかどころの騒ぎではない大問題、解決の見通しも着かない状態が続きました。このとき、エンジン担当スタッフが提案してきたのが、VVT-iの活用でした。図に初代/2代目プリウスに搭載した1NZ-FXEエンジンの断面図と、VVT-iの吸排気弁作動図を示します。

エンジンを起動させるときのショックは、発電機でエンジンを回し始める時に、吸い込んだ空気を圧縮するときの抵抗で回転力の変化が大きくなり、それがショックを大きくする一因となっており、まず、回り始めのショックを小さくするには、図に示すようにVVT-iの作動を、一度吸い込んだ空気を次ぎの圧縮開始後まで吸気弁を開いている状態までずらし、もう一度吸気側に戻すことにより、圧縮する空気を減らしてやることが効果的です。ディーゼルエンジンでよく使うデコンプ(圧縮抜き)と同じ原理です。そこからエンジンを点火し、トルクを出させるまでの繋ぎ、エンジンの点火を止め、ショックなく回転を停止させるまでの作動、さまざまなエンジン制御、またその制御による排気性能への影響、潤滑への悪影響などなど、副作用の検討と対策を加え、さらに他のさまざまなショック対策を加え、エンジン起動停止に気がつかないほど(大げさ?)と云われるまでに仕上げることができました。VVT-iの効用は大きかったと思います。

今のハイブリッド車はプラグインハイブリッド車を含め、内燃エンジンと電気モーター駆動のハイブリッドです。VVT-iエンジンが、このエンジン/EV走行切り替えを高頻度で行うトヨタのハイブリッド成立に大きな役割を果たし、またこのVVT-iを活用した効率を高めるアトキンソンエンジンが低燃費、クリーンのハイブリッドを支えています。

エンジンも主役の一つ、自動車エンジン屋が競い合い、さらに日本勢が先進欧米エンジン技術を少しでも超えたいとやってきたことが日本の自動車の躍進であり、ハイブリッドに行き着いた所以です。最近、もうエンジンの出る幕ではない、エンジンのやることはなくなったとの声を聞くことが多くなり、残念に思います。技術競争、切磋琢磨、まだまだやることはあるように感じます。エコは大切、その上で、出力、レスポンス、音色、スムースさなど、ハイブリッドの主役の一つ、エンジンの存在をアピールできるハイブリッドエンジンを巡る競争を期待します。

セリカXXとスープラと5M-GEエンジン

私は、以前書いた通り、アメリカのマスキー法という厳しい排気規制に対応するクリーンエンジン開発を皮切りにさまざまなクリーンエンジン開発プロジェクトを担当しました。今回はその中で、印象深かったプロジェクトの一つの思い出を書こうかと思いま。そのエンジンは、マスキー規制後トヨタ初の上級スポーツ車用エンジン5M-GE、そしてそれを搭載したクルマが日本名セリカXX、アメリカ名スープラです。(リンクをクリックするとGAZOO内のページが開きます。)

規制をクリアしたスポーツエンジンを

クリーンエンジン開発といっても、エンジンだけの開発、そして排気ガスのクリーンン化だけを目的に研究開発を進めているわけではありません。エンジンをクルマの搭載した状態で、お客様の様々な使い方を想定し、実際に5年5万マイル(8万キロ)なり、現在のカリフォルニア規制では15年15万マイル(24万㎞)といった途方もない期間、距離を走行した後のクリーン度保障できるシステムを開発することがわれわれの役割です。世界中で使われるさまざまな燃料、オイルを使ってもクリーン耐久性を保障できるように、さらに、排気ガス性能だけではなく、燃費も、エンジン性能も、極低温のエンジン始動からエンジンにとって厳しい夏の高温状態での急坂登坂、ロッキー越えなどを空気の薄くなる高地の走行でのドライバビリティ、始動性としってといったエンジンがらみの車両品質項目まで、目標性能を達成できるエンジン構成、触媒、排気管といったエンジン諸元、その制御システム諸元を決めて量産設計担当に提案していくことを仕事としていました。

新しいエンジンを開発する場合には、まずはその素性が大切、最初の試作が出来上がり、エンジンだけで一通りの性能評価をすませるとすぐに従来のクルマを改造してそのエンジンを搭載し、クルマとしての評価を開始します。セリカXX(セリカダブルエックス)と言っても、知らない世代も増えてきていますが、1978年に発売したトヨタのスポーツカーです。それまでの4気筒エンジンのみのセリカから、アメリカへの輸出も意識し、排気量の大きな6気筒エンジンを搭載するため、エンジンルーム長くしたロングノーズ2ドアハッチバッククーペでした。

アメリカでは「X」という名称は映画等の指定などあまり良いイメージを喚起しないとのことから、XXをやめてスープラの名前で販売されました。日本でも3代目となる1986年発売のモデルからスープラの車名になりましたので、そちらの名であれば憶えておられる方も多いのではないかと思います。その2代目セリカXXに搭載されていたのが直列6気筒エンジンで排気量を2.8Lに拡大し、DOHCバルブレイアウトのスポーツ仕様にした5M-GEエンジンでした。

国内での5M-GE搭載は、1981年に発売し、第2回日本カーオブザイヤーを受賞したソアラに1982年の部分改良で搭載したのが最初でしたが、アメリカ向けのスープラとクレシーダ(日本名マークII)に搭載が計画されており、排気規制や燃費規制が厳しくクリーン度の長期耐久保障が求められるアメリカ向けのクリーンエンジン開発が先行して行われていました。われわれのエンジンチームでセリカXXを改造してその試作エンジンを搭載し、正式の試作車を作る前にクリーン度評価を目的に走り出しました。

自動車開発エンジニアの特権

排気規制強化の前には、トヨタでもセリカ1600GT、コロナマークII 2000GSSさらにはトヨタ2000GTなどスポーツエンジンを搭載したスポーツカーやスポーティーカーがありました。しかり、排気規制強化とその後の石油ショック後に導入された燃費規制により、このような高回転高出力、高い応答性も要求されるスポーツエンジンで、クリーン度と低燃費とその走行性能を両立させることが困難でその搭載を打ち切ってしまっていました。

そのような状況の中で、燃料噴射エンジンとそのマイコン制御化、触媒の性能向上など、クリーンエンジン技術がレベルアップし、スポーツエンジン復活を目指そうと再復活の第1陣が2T-GEエンジン搭載のカローラレビン、その第2陣がこの6気筒排気量2.8リッター5M-GEで当時の技術的には一番厳しいアメリカの排気規制に対応した高性能スポーツ車復活へのチャレンジプロジェクトでした。排気触媒などクリーンシステムフル装備で、ヤマハスペシャルチューンのトヨタ2000GT用エンジンの150馬力、コロナマークIIGSS用エンジンの145馬力を超える170馬力の高出力エンジンでした。

大抵は試作エンジンを搭載した最初手作り改造車が、そのターゲットとする生産車よりも良く走る車になるのが通例です。従来車の搭載エンジンに比べはるかに高性能なエンジンを搭載するわけですから走るのは当たり前、量産使用に仕上げていく段階で、その変速機もその出力、トルクを伝えるために補強が必要になり、シャシー、ブレーキ、タイヤ、ホイールもそれ相当の補強が必要になり車両重量が生産開始までに増えてしまいます。クルマの重量が増えると、さらに衝突安全上も補強が必要になり、さらに重量が増えるというパターンになり、これが最初の改造試作車が一番良く走ることになる理由です。

この5M-GE搭載の最初の改造セリカXXの走りがとにかく印象的でした。テストコース内の走行で200km/h近くで走れるクルマとしては、1960年代後半に300台ほどの限定販売をした6気筒2リッターの3Mエンジンを搭載したトヨタ2000GTがありましたが、それいらいの高速走行可能なクルマでした。試験の合間を見ては、そのクルマをテストコースに持ち出し、高速ドライブを楽しんでいました。

2000GT
トヨタ2000GT

様々なプロフェッショナルが、実際の経験を共有してこそ本当の開発ができる

エンジンレーシング時や急加速時のもたつき、息つき、またショックが大きい状態はエンジン燃焼が不完全で、クリーンではない証拠です。まず、エンジン本体の燃料噴射弁の位置と空気を吸い込む吸気ポートかたちなど、本体回りの最適化を行い、そのうえで噴射量や点火時期の制御プログラムを変えながらチューニングしていきます。このチューニング状況を確認すると称して、試験の合間を見ては、この改造車を持ち出し、テストコースの周回路や、サーキット路を走り回っていました。

その時に、車両の走行試験を行うテストドライバーに試乗してもらったときことが大変印象的でした。彼らも試験用として購入したヨーロッパのスポーツカーで、200km/h越の走行経験はいっぱいあり、またそのようなクルマでテストドライバーの腕を磨いていました。しかし、彼らにとっても実際のトヨタ車で200㎞/h走行を行ったのは2000GT以来、これでドイツのアウトバーン走行や高速カントリー走行の車両開発ができると非常に喜んでくれました。アウトバーンでの連続200km/h走行、ハイパワーを使う、様々な走行環境での走行など、クルマを走らせての評価ができる自前のエンジンがやっと手に入ったとの歓迎のコメントでした。

クルマあってのエンジン開発、エンジンあっての車両開発、それがクルマ開発の両輪であることをその時に痛感させられました。夢中にやってきたクリーンエンジン技術開発の取り組みが、5M-GEソアラ、セリカXX、スープラに繋がり、次にシリンダーあたり4つの吸排気弁、6気筒で計24個のバルブの1G-GE、その過給エンジン1G-GTE、セリカに搭載した3S-GE、その過給エンジン3S-GTE、1986年のスープラに搭載した7M-GEとその過給エンジン7M-GTEと、米国向けを中心にさまざまなスポーツ車向けのクリーンエンジン開発を担当してきました。この高性能エンジン開発が、クリーン、低燃費エンジン開発をけん引し、そのエンジンが、アメリカや欧州でも通用するクルマ開発に繋がったように感じています。

その頃は車両評価のテストドライバー、シャシー屋、ブレーキ屋、走安(走行安全性)屋、ドラビリ屋(車両ショック、もたつきなど車両としての運転フィーリング性能評価)のエンジニアたちと将来のクルマについての議論をし、そのクルマ用のエンジンの将来について話をしました。

その時の経験と実感から、どんなエンジン、どんなハイブリッドを担当しようが、常にクルマでの性能を意識して、さらにテストドライバーの指摘を理解し、自分で確認ができるようにやってきました。

開発時にも拘りを

ハイブリッドプリウスの開発でも車両での開発を常に意識しました。しかし、このときは5M-GE スープラの開発のときとは違って、なかなかクルマとしての評価ができるハイブリッドを提供できませんでした。なかなかまともに走れるクルマが出来てきませんので、シャシー、ブレーキ、ステアリングといった車両設計評価のスタッフ、さらにクルマ全体の仕上がりを評価し、チューニングしていく車両評価のスタッフやテストドライバーには大変苦労を掛けたと思います。クルマ開発の両輪、まともに走れるハイブリッドシステムを搭載するクルマを提供できなければ、クルマそのものの開発も進みません。

やっとまともな試験ができるようになったのは、生産開始の6カ月前、それから量産型電池が出来上がり、突貫工事でハイブリッドを仕上げたのが3カ月前でした。
次々とでてくる課題ごとのタスクフォースチームを結成し、常に車両での確認を判断基準として、超短期のハイブリッド開発を乗り切ることができました。プログラムのバグですら車両評価の中でテストドライバーや、クルマの評価スタッフが見つけ出したものも多くありました。

ハイブリッドが典型ですが、最近は制御が複雑、大規模になり、その開発作業、チューニング、デバッグをコンピューター上で行い、クルマでの評価、確認がなおざりになってきているように感じます。どんな大規模な制御系が必要なシステムであれ、クルマを安心、安全、クリーン、低燃費に走らせる機能の一部です。トヨタ車両開発の根幹は、車両軸の全体最適の視点で開発をリードする車両チーフエンジニア制度でした。

トヨタだけではなく、全体最適とそのなかでのチーフエンジニアの個性を感ずるクルマが少なくなった印象を受けます。エコの前に、クルマとしての全体最適、その上で走りとそのフィーリングでも欧州車に負けてなるものかといったクルマ屋としての拘りを感じられるハイブリッド車の出現を期待します。

1970年代の自動車開発競争。「マスキー法」の思い出

「マスキー法」の衝撃

「マスキー法」という名前にピンとくる人はもう少なくなってきているかもしれません。
「マスキー法」とは、一般的に酸性雨、オゾン層保護、都市大気汚染防止のために制定されたアメリカ合衆国連邦政府大気浄化法の1970年改定案を指し、この名は提案者であるアメリカ・メイン州知事から連邦上院議員に当選した、エドマンド・シクストウス・「エド」マスキー氏から名付けられたものです。
当時、ロサンジェルスなどの西海岸大都市において、光化学スモッグなど自動車排気を原因として大気汚染レベルの急激な悪化が社会問題となっており、それに対処するために打ち出されたマスキー法は、内容としては自動車排気ガスのクリーン度を従来の10分の1以下とすることを求める極めて厳しい内容でした。
その厳しさは、60年代後半からアメリカへとクルマを輸出しはじめていた、トヨタや日産など日本勢だけではなく、当時の巨大なビッグスリーにとっても技術的にも全く対応の見通しがつかない、今でいう未知のブレークスルー技術を必要とする規制案でした。

結局このマスキー法そのものは、どの自動車メーカーとしても達成の見通しがつかないとのことから、1974年に廃案となり、新たな規制緩和法案が成立し実施されました。しかし、この強烈な法案が契機となって各社が将来の環境対応に備えたことから、排気ガス浄化触媒の導入、その前提となる無鉛ガソリンへの切り替え、エンジンの燃焼制御の技術など、今につながる自動車エンジンの発展に繋がったのは間違いのないことだと思います。

また、マスキー規制対応に苦闘している最中に、1973年10月の第四次中東戦争を契機とした第1次オイルショックが発生しました。欧米や日本などの石油輸入国では、輸入石油消費量削減を目的に自動車の燃費規制(アメリカ連邦では自動車メーカー別に販売車両の平均燃費の上限を規制し、これを超えた場合には罰金を科すCAFÉ法案=Corporate Average Fuel Economy)が制定されました。当時の自動車技術上の常識では、「マスキー法」が求める排気クリーン度の向上と「CAFÉ法」が求める低燃費は一方をよくすればもう一方が悪化するというトレードオフの関係と考えられていましたが、各社の自動車エンジニア達は知恵を振り絞ってこのジレンマの打破を図り、その中から、燃料噴射エンジン、エンジンのマイコン電子制御化、車両軽量化などさまざまなクリーン&低燃費エンジン技術が芽吹き花を咲かせ、今のクルマはこの両者をしっかりと両立するように考えられています。

マスキー・プロジェクトに育てられた私

1969年にトヨタに入社した私は、トランスミッション関係の設計を担当したのち、このマスキー法対応エンジン車開発プロジェクトに加わることになりました。このマスキー・プロジェクトは静岡にある東富士研究所に会社全体のさまざまな部署から人が集められてスタートしたもので、エンジン担当を希望していた私にも声がかかりその一員となったのが、1971年の秋のことでした。最初の担当テーマは、触媒をエンジン排気に取り付けてそれを使いこなすことでした。まずはものの試しと、当時はまだ一般的だった有鉛ガソリン(ノッキング防止材としての鉛の入ったガソリン)を使ってエンジンを回してみれば、1時間もしないうちに、みるみる触媒の浄化性能が低下していく始末。規制で求められている浄化性能の保証距離は8万km、いまは1時間でダメになるこの触媒をどうすればそこまで持たすのか、技術課題の先の遠さに茫然とした記憶があります。

また、当時のエンジンでは点火プラグの燻りや、点火分配器(今のエンジンではもう使われていませんが、接点切り替え式ディストリビューター)の接点摩耗などによるエンジン失火は当たり前、エンジン失火が起こると未燃焼のガソリンが触媒に流れ込み、そのすべてが触媒の中で燃焼するために、触媒が火の玉のようになり溶けてしまう故障も頻発、自動車で触媒を使うことは無謀とも言われた時代でした。

その後も、燃料と空気の比率を理論上完全燃焼する比率(理論混合比)に制御して運転すると、排気ガス中の一酸化炭素、未燃炭化水素(未燃ガソリン成分)、窒素酸化物の規制対象三成分を同時に除去できる三元触媒システムの開発を担当することになり、高い浄化率で使いこなすために、燃料噴射エンジン(EFI)とその理論混合気運転のための噴射燃料の精密制御、さらにそれを発展させたマイコン制御、それらを駆使することでクリーン化の見通しがついた4バルブエンジン、その過給エンジンなど、そのご自動車用ガソリンエンジンの主流となった開発テーマを次々と担当できたことは、今振り返っても非常にラッキーだったと思っています。

その中でも、もちろん極めつけに技術ハードルが高かったのがマスキー法プロジェクト、まさに修羅場の連続、そのプロジェクトを担当し、量産に辿りついた経験が、現役最後の修羅場プロジェクト初代プリウスハイブリッド開発にも生かせたではと思っています。

向かい風の中の開発

クリーン&低燃費エンジンの開発にいち早く取り組んだのがトヨタ、日産、ホンダといった日本勢でした。燃料噴射エンジン、マイコン電子制御の進化が、4バルブエンジン、過給エンジンといったクリーン、低燃費に加えて商品力強化のポイントとなった高出力エンジンの開発を可能にし、日本自動車勢の大きな成長を遂げる牽引力になったことは確かです。

余談ですが、1972年に本田はマスキー法をクリアするエンジンとしてCVCCエンジンを発表、1973年末に生産を開始しました。当時は触媒を使わず、有鉛ガソリンも使えるエンジンとして大きな反響を呼び、バイクメーカーの印象が強かったホンダがクルマの世界での地位を築くきっかけとなったものです。トヨタや日産は触媒方式を本命として開発中でなかなかその実用化に見通しをつけることかできず、50年、51年、53年規制(西暦ではそれぞれ1975、1976、1978)を巡っての国会審議では、当時の豊田英二社長が参考人としてCVCCを引き合いに開発の遅れを厳しく責められ、メディアでも叩かれ、国会議員、規制官庁のお役人、技術委員会の先生方が開発現場を視察されるときには、開発担当のエンジニアであった私としては見せたくもないエンジン失火で無様にも溶かしてしまった触媒を展示用に集めさせられ、大変悔しい思いをしましたものです。しかし、結局はクリーン、低燃費、高性能エンジン競争の中で、CVCCエンジンは消え、触媒、燃料噴射、電子制御エンジンが主流となっていきました。(

その当時の悔しい思いもあって、ハイブリッド開発ではどこにも負けたくない、世界初として世に送り出したいとの想いがプリウス開発のモチベーションになったことは事実です。

日本車のアメリカ進出を後押ししたのは最初から環境技術だった

さらに余談ですが、マスキー法制定ののちに、日本でも昭和50年規制、51年規制、53年規制と立て続けに排気規制導入とその規制強化が行われ、53年規制の規制数値がマスキー法のレベルと同じであり、この53年当時ではマスキー法が廃案となり、緩和規制値のなっていたため、官・学・産からメディアへの説明では日本が世界一厳しい規制を導入したと伝えられ、今でのその説明がまかり通っています。しかし、アメリカの規制では、エンジンも触媒も冷えた状態からのエンジンスタートに対し、日本ではエンジンも触媒も暖まった浄化性能を発揮できる状態での試験、さらにアメリカでは加速度も車速も日本の10モード試験法に比べるとはるかに厳しい走行条件での試験と、対応技術としては、アメリカ規制対応がはるかに厳しいものでした。燃費規制も同様、試験法の数値だけで、各国、各地の規制レベルの厳しさ比較を時々見かけますが、このブログでは何度も繰り返していますがそれはナンセンスな比較です。

さらに、このアメリカの排気ガス規制では、経年使用車両でのリコールサーベイ試験がいち早く採用され追跡調査が行われるようになりました。燃料一つとっても、規制の合否判定や公式耐久試験に使われる認証用公式ガソリンに比べると、実際の広いアメリカで使われる燃料は、触媒劣化に影響する微量鉛や硫黄がはるかに多いものが使われていました。またオイルも純正はほとんど使われず触媒毒となるリンや硫黄添加量の多いものもあり、さらにメンテナンスも基準通り実施されていることは殆どない実際のユーザーのクルマで排気チェックが行われます。その結果が不合格となると厳しくリコール命令が下されます。
また、試験のパターン以外で意図的に排気システムの作動の解除や制限を禁止するデフィートデバイス規定、規制条文で規定できない部分にも最善を尽くすことを約束させるGood Faith Efforts条項など、どれもこれも、欧州や日本に比べても厳しい規制方式でした。

排気規制の狙いは、当然ながら都市の大気汚染問題の解決が目的です。そのクリーン度の判定として、アメリカ、欧州、日本ほか各国、各地域でさまざまな試験法、こまごまとした規定、基準が定められています。さらに、それをすべてクリアすれば良いというわけではなく、実際に使われた経年車のクリーン度、さらに実際の大気環境の改善度が重要です。世界中のクルマの使い方、燃料の品質、オイルの品質、メンテナンスの状況を調べ、その実際の使用環境で高いクリーン品質を確保することなど、我々はトヨタの先輩連から手抜きをしない品質確保とGood Faith Effortsをたたき込まれました。

トヨタ、日産、ホンダの日本勢は、この排気クリーン品質でも優等生でした。実際のマーケットのリコールサーベイではビッグスリーが大規模な排気リコールを繰り返すなか、不合格車ゼロの記録を続け、アメリカ環境保護局(EPA)、カリフォルニア州大気資源局(CARB)の規制当局からも信頼を勝ち取ることができました。この実績も、日本勢がアメリカ自動車マーケットで成長を遂げることができた一因です。

燃費規制、地球温暖化緩和を目的としたCO2排出規制でも考え方は同じです。公平にそのポテンシャルを評価する尺度としての公式燃費・CO2も重要ですが、排気のクリーン度と同様、実際にそれぞれの地域、それぞれのドライバーがクルマを走らせたときの燃費削減、CO2排出低減の実効をあげることが目的であり、その目的のためのGood Faith Effortsが求められていることと自動車の開発屋は銘記すべきと思います。

脱石油、低カーボンを目指す、持続可能な社会の次世代自動車の開発は、マスキー法以上に自動車メーカーとして生き残れるかどうかを左右するまさに修羅場の到来です。しかし、その本質を押さえ、マスキー法、CAFE規制に愚直に、歩みを止めずに取り組んだように、志を持ち、ハートの熱い人材を集め、さらに材料、部品、日本のものづくりの総合力を発揮できれば、日本勢が今回も次の自動車開発をリードしていけると確信しています。

マスキー法から現在に至るまで、トヨタ*日産*ホンダの、それぞれ相手を意識し合った、「抜きつ、抜かれつ」の技術開発競争もパワーの源泉であり、その中で、意識したくても人は育ったように思います。激烈な技術開発競争の中で、次の人材が育っていくことを期待します。

 

 

)これ以前にマツダによって量産化され、一部の排出ガス性能の高さを有していたロータリーエンジンも、このホンダのCVCCエンジンも当時の純粋なエンジニアリングの結晶としては大いに評価されるべきものでした。しかし、最初の章で私が書いたように、70年代以降の自動車には、排気のクリーン度と低燃費の両立が求められたのです。そして、これらのエンジンは、それまでのジレンマを乗り越えることができず、結局主流となることはなく、CVCCは歴史の中の存在となり、ロータリーは現状では愛好家向けのエンジンにとどまっています。

『リアルワールド』と自動車の環境性能

自動車における『リアルワールド』『バーチャルワールド』

『リアルワールド』、この言葉は『バーチュアル=仮想』”VirtualWorld”の対比として、よく使われる表現ですが、自動車の開発エンジニアの中でこの言葉が意識され、使われるようになったのは1980年代後半のことです。

自動車排気ガスのクリーン度や燃費は、どこの国、地区でも、クルマを実験室に設置されたローラーの上に載せ、そのローラーが道路上を走るのと同等の抵抗になるように調整した上で、国、地域毎に定められた走行パターン(時々刻々のクルマのスピード、アイドルの停止時間が定められたクルマの走らせ方)を、決められた試験燃料を使い、それも気温、湿度、エンジンを停止させてから試験開始までの駐車放置時間などなどが詳しく決められた条件に沿って走り、その結果から、その国、その地域の規制値、規制条件に合致しているかが判定されます。合格証がもらえると、そこからクルマを生産、そして販売することができるようになります。クルマを道路上ではなく、シャシーローラーでの試験で評価することから、これを『バーチャル』、実際の道路を走行した状態を『リアルワールド』と言っています。

この言葉を耳にしたのは、1990年にアメリカに出張したときに会ったGMのシニアなエンジニアからでした。その彼が、”Real World Driving Condition”との言葉を口にし、『バーチュアル』のローラー上のクリーン度判定だけにとらわれるのではなく、自動車メーカーのエンジニアも実際に使われる様々な条件、すなわち『リアルワールド』でクリーンにしていく必要があると言い出しました。後で述べるように、厳しい規制が決められ、それに合格するクリーン自動車に切り替えてきても、『リアルワールド』の都市大気汚染がなかなか改善されず、アンチ自動車のような厳しい規制強化が議論され始めたことが切掛けでした。

もちろん、排気ガス規制、燃費規制、それを決める公平な尺度としての試験法は、『リアルワールド』での大気改善、石油消費量の削減が目的で定めらものですが、そもそもは排気ガスのクリーン度を判定する試験法をして定められ、その後の石油ショックで燃費規制が実施されると、同じ試験法で燃費も同時に評価するようになりました。試験法は一つの尺度、クリーン度、燃費、それぞれ別々の試験法が定められると、その評価と規制に合格するように開発する手間はそれだけ増えていきますので、メーカー側は簡単な試験法を歓迎してきました。

1970年12月、自動車交通の多い大都市での光化学スモッグなど、都市大気汚染問題が深刻化し、マスキー法として有名なアメリカでの厳しい排気ガス規制、大気浄化法改定案が制定されました。続いて、日本、欧州と同様の厳しい排気ガス規制が導入され、日本では光化学スモッグ発生頻度が下がり、1980年代に入ると排気対策としては一段落、ホット一息ついて、次は燃費とエンジンの性能向上競争に明け暮れた時代でした。

もちろん、排気ガス規制を満足したうえでの燃費とエンジン性能向上競争ですが、私もこの時代、セリカ、スープラ、ソアラ用として、4バルブエンジン、その過給エンジンの研究開発と高性能エンジンではより高度なクリーン技術が必要になるため、そのクリーン技術開発に取り組んでいました。

アメリカでは、排気ガス規制の中身として、長期間、長距離使用の経年車保証規定が盛り込まれており、実際に経年車の排ガスチェックが行われるようになりました。成績の悪いメーカーは排気浄化システムリコール命令を出され、触媒の交換などが求められ、台数によっては1車種数百億円といった巨額なリコール費用を要し、この排気ガスリコールを起すと経営にも影響する大問題との認識でした。

Big3はこの排気ガスリコールを多発、巨額のリコール費用負担の他、このリコール多発も一つの要因として、品質問題が悪いとの印象をお客様に植え付けていったように思います。一方、日本勢は成績優良、われわれも実際に使われる地域ごとのガソリンの質、オイルの成分、クルマの使い方、メンテナンスの実態にまで目を光らせ、規制で制定された方法よりもはるかにシビアな社内試験法まで設定し、品質向上に取り組んでいました。今振り返ると、これが『リアルワールド』を意識した始まりだったように思います。しかし、このときは”RealWorld”との言葉は使ってはいませんでした。

この実際にお客様が使う走行環境、条件での品質向上の真面目な取り組みが、トヨタのクルマはこわれない、品質が高いので安心して使えるとお客様の評価を高めたばかりではなく、規制を決め、その評価法を決める規制当局からも信頼されるようになっていったとおもいます。私が開発に関わった1970年代から1990年代前半には、トヨタはアメリカで経年車の排気ガス規制オーバーによる排気浄化システムリコールを一度たりとも起さなかったことが、今でも私の誇りです。 

『リアルワールド』”Real World”と言葉が実際に使われ、それを巡って次ぎの排気規制値や、さまざまな規制方法、評価法が議論されてきたのが、最初に述べたように、1990年に入ってからです。

カリフォルニア規制を導いた『リアル』

われわれは、排気浄化システムの品質向上に務め、経年車の排気ガスチェックでも良い成績を収め、正直、ガソリン自動車の排ガス問題はもう深刻なレベルではないと思っていました。しかし、1980年の後半に、アメリカのカリフォルニア州から耳を疑うような厳しい排気ガス規制強化案が提案されました。これが、いま電気自動車の宣伝にもつかわれるゼロエミッション車(ZEV)の販売義務づけ規制を含む、カリフォルニア州のZEV(Zero Emission Vehicle)/LEV(Low Emission Vehicle)規制です。

この規制案をクリアする排気ガスシステムの開発に早急に目鼻を付ける必要があり、このとき私はその開発リーダに指名されました。

余談ですが、マスキー対策、ZEV/LEV規制、そしてプリウスハイブリッドの開発と、どういう訳か、とんでもないプロジェクトを担当させられ続けてきたのが私の自動車開発屋としてのキャリアです。その合間に、セリカ、スープラ、ソアラ、初代レクサスなど、胸がときめく高出力エンジンの開発にも携わることができました。

1980年代は、主に将来エンジンの研究開発を担当し、アメリカ出張の機会はありませんでしたので、リーダに指名され、なぜこのような厳しい規制が提案されるのか、自分の目、耳で確認してきたいと思い立ちました。丁度、ロスで開催されるこの規制の公開ヒアリングへの出席をかねて、現地調査とカリフォルニアの規制当局CARB(California Air Resources Board=カリフォルニア州 大気資源局)スタッフとの懇談をセットとしたアメリカ出張を計画しました。丁度、6月中旬だったと思います。

この時、今回の表題である『リアルワールド』に目を開かされました。日本からのロスへのフライトでは、サンフランシスコ上空から西海岸沿いをロスに南下し、海岸にあるLAX空港に着陸します。真っ青な上空、空の青と海の青が美しい西海岸を飛行します。ロスに近づくにつれ、上空は真っ青にも関わらず、地上は視界が悪くなり、たなびく薄茶色の霞みに覆われてきました。これが、ロスの光化学スモッグだったのです。上空からでも、目では追えないぐらい広いロスの市街地全体をこのスモッグが覆いつくしていました。
当時の東京上空のスモッグに比べても、遙かに厚く広いスモッグでした。

数日後に、スモッグの状況がよく見えるといわれる、ハリウッドの北にある、天文台で有名なグリフィスヒルの展望台に連れて行ってもらい、ロス市街地のスモッグの状況を観察することができました。この日も、天気が良く、また気温が高く、絶好の?光化学スモッグ観察日よりでして。ロスのダウンタウン上空も霞が掛かっていますが、そこからさらに東の山麓付近に、薄茶色が他よりも際だって濃いスモッグが漂っている地区が見渡せました。それが、光化学スモッグの主成分であるオキシダント濃度が高い地域で、そこに入ると目に刺激を受け、咳き込んでしまい、また刺激臭を感ずるひどい状態であるとのことでした。実際の光化学スモッグのひどさが体感できました。

ロス地区の最高オゾン濃度推移

図は、ロスの当時の光化学スモッグ原因物質であるオキシダント濃度平均レベルの年ごとの推移です。(1997年 私の博士論文より引用)マスキー法から、厳しい排気規制が実施されてきましたが、それでもオキシダント平均濃度は、それほどドラスティックには低下していませんでした。健康への影響度から定められた、アメリカ連邦の環境基準値を遙かに超える水準で、それを下回る見通しが全くつかないなかで、ZEVを含む厳しい排気ガス規制が提案されてきたわけです。

このときの『リアルワールド』が、その後も私が自動車環境問題を考え、開発に取り組む時の基本指針の一つになりました。環境規制法規に則った、法規適合性(コンプライアンス)だけではなく、その法規が制定された所以の実際の環境問題に有効な技術を開発し、それを普及させることが大切との考えです。

ロスの光化学スモッグレベルはいまだに、この環境基準を達成できていませんが、LEV規制とそれに続くさまざまな対策により、この95年以降も濃度低下が進み、もう一息といった状況にきているようです。

『リアルワールド』での実効性こそが肝要

このロスの光化学スモッグを代表とする、大都市の大気汚染問題は自動車が密集する大都市特有の問題と捉えてきましたが、『リアルワールド』の実態として地域限定のローカルな問題だけではないようです。最近日本の日本海側の都市で、オキシダント濃度が高まり、光化学スモッグ警報が発令する日が増加してきており、それが黄砂だけではなく、中国から偏西風にのってやってくる汚染物質の影響とのことです。『リアルワールド』を日本に限定するだけではすまなくなってきています。

この論からいうと、地球温暖化問題はさらにグローバルな問題、『リアルワールド』かつ『グローバル』に取り組む必要があります。その数台のクルマがゼロエミッションでも、また日本だけがローカルに取り組んでも、その効果は微々たるもの、しかし『リアルワールド』『グローバル』な技術として世界をリードできれば大きな効果をもたらすことができます。

この温暖化ガス排出削減にもつながる燃費規制、CO2規制への対応も、この『リアルワールド』『グローバル』の考え方が重要と思っています。もちろん、規制レベルを公平に評価する尺度としての試験法に沿って、高い燃費性能を発揮させることも重要ですが、それと同時にこの『リアルワールド』で燃費改善、CO2削減効果をどう高めるかの実効が重要です。

トヨタだけではないと思いますが、社内基準として、東京/名古屋市街地渋滞モード、六甲/富士/箱根登坂モード、欧州市街地/郊外/高速/超高速、米国市街地/フリーウエー、さらには低温始動ヒーター作動運転、高温エアコン冷房運転など、実際の使用環境の代表的な運転条件を定めた『リアルワールド』を意識したさまざまな試験基準を作っています。
それを尺度としながら、ハイブリッドプリウスの開発は進めてきました。

以前のブログにも書きましたが、『リアルワールド』は千差万別です。燃費では、確かに大気汚染が深刻な信号ストップが多く、低速走行が中心の大都市での排気クリーン度評価を再現性よく、簡単にとの趣旨から作られた日本の10-15モードの燃費を、『リアルワールド』走行で出すことはきわめて困難であり、『リアルワールド』の代表ではないと思います。

以前、EV走行レンジについて述べたブログで扱った、アメリカの販売店での展示車にはその窓ガラスに公式燃費値を所定の書式で書いたレベルを貼ることが義務づけられています。これが通称ラベル燃費で、その算出法は非常に複雑、その値を算出するには冬の低温エンジン始動ヒーター作動運転から夏の高温エアコンフル作動運転などさまざまな運転モードの燃費を計測し、その値から算出します。6年ほどまえに、当時のラベル燃費値では、ユーザーが実際の走行で記録する燃費との乖離が大きいと訴えられ、改訂されたのがこのレベル燃費算出法です。平均的なユーザーが『リアルワールド』の使い方の中でだせる燃費値に近い値であることは確かですsq。

そろそろ日本独自に拘らず、このような試験法も『リアルワールド』を意識した上での国際標準を目指す時期にきているのではないでしょうか?

しかし、『リアルワールド』&『グローバル』での低カーボン自動車の実現はそう簡単なものではありません。ハイブリッド、その電池、自動車の電動化と先頭を走ってきた日本勢が、『リアルワールド』『グローバル』の視点で、この先もリードを保ち、実効のあがる環境保全に貢献していって欲しいものです。