トヨタハイブリッド車累計販売600万と電動自動車の未来

昨日、私にとってうれしいニュースが飛び込んできました。すでに新聞で報道されているように、トヨタハイブリッド車の世界累計販売台数が昨年の12月末で600万台を突破したとのニュースです。以前のブログで、昨年3月末に達成した累計販売台数500万台記念の現役、OB含めたハイブリッド開発の仲間たちのパーティーを取り上げましたが、次の100万台まで9カ月、ピッチをさらに速めての達成です。正確な数字は掴んでいませんが、ハイブリッド、プラグインハイブリッド、電気自動車といった電動自動車の世界累計販売台数もまた1,000万台突破もまもなくと思います。

トヨタのハイブリッド車販売のスタートは1997年12月発売の「プリウス」ではなく、その年8月に発売を開始したミニバス「コースターハイブリッド」ですが、これは少量販売にとどまり短い期間で生産も停止していますので、この600万台のうち半数以上を占める「プリウス」がリードしてきたと言っても良いでしょう。

図1
図は1997年からのトヨタハイブリッド車の販売経過です。

1997年のわずか300台程度からスタートし、100万台までに118カ月、約10年かかりましたが、次の200万台からは各100万台増加に27、18、14、11ヶ月とピッチを速め、昨年3月末に到達した500万台から600万台まではわずか9ヶ月で到達しています。お買い上げいただいた全部のクルマが生き残っている訳ではありませんが、このクルマが自動車低CO2の牽引役を果たしていると思うとエンジニア冥利につきます。

電動化に先行する日本、海外でもやってくる

ただし、日本ではハイブリッドやEVなどの電動自動車販売シェアが20%を越えましたが、アメリカでは今年も昨年に続き販売新記録となったもののまだまだ3.84%のシェアにしかすぎません。

今、デトロイトで北米自動車ショーが開催されていますが、ロイター通信の論調は「エコよりもパワー」に回帰かとの見出しで、フォードF150、GMシルベラードといった販売が好調な大型ピックアップトラックの新型車をとりあげています。

中身をよく見ると、その大型ピックアップトラックもダウンサイジング過給、軽量化、アイドルストップの採用といった低燃費メニューが並び「エコ」はあたりまえになっており、その上でカウボーイハットが似合うアメリカのガラパゴスカーの大型ピックアップですら低燃費が社会のまたユーザーのアピールポイントとなってきており、「エコよりパワー」とは反対に着実に燃費意識が定着してきた証拠のように思います。

中国も新車販売がとうとう2000万台を突破し、世界全体でみると自動車販売はさらに拡大を続け、保有台数が増加しています。

こうした状況では、トヨタハイブリッド車累計販売600万台到達、世界の電動車両累計販売1,000万台到達といって浮かれている訳にはいきません。自動車の走行でのCO2排出にまず歯止めをかけるには、どんなタイプであれ自動車の電動化を加速させる必要があります。

トヨタのハイブリッド車を販売している国は80ヶ国に拡大していますが、国別シェア、台数でみるとまだまだです。さらに新興国では廉価な小型大衆車クラスの電動化もまた求められています。そのためにも、電動化部品および車両の現地化も必要です。

ハイブリッド、EV、燃料自動車はライバルでは無い

昨日、お台場の東京ビッグサイトで開催されている「カーエレクトロニクス技術展」「EV・HEV駆動システム技術展」を見てきました。日本の自動車電動化を支える部品技術、材料技術、計測技術、生産技術各社がブースを出していましたが、その広がりと熱気が大変印象的でした。

一般の見学者が多い、他の環境展やスマート何とやら展とは違い、実際にモノ造り、ビジネスにかかわる専門家が多い印象で、各ブースで熱心な商談、営業活動が行われ、また中国、韓国他、海外の参加者も目につきました。

この17年、トヨタハイブリッド車累計600万台がけん引役を務めました。自動車電動化を支える日本の部品、材料、計測機、開発ツール、生産機械がここまでに広がってきたことに口火を切る役割を務められたことを、少し自慢がしたくなりこのブログに取り上げました。

もちろん、感慨に浸り立ち止まっていてはこの激烈なグローバル次世代自動車競争を日本勢が勝ち抜き、生き抜いていくことはできません。

巷では、その発信源がどこかは判りませんが、ハイブリッド自動車、プラグインハイブリッド自動車、電気自動車、さらに水素燃料電池自動車をあたかもコンペティター関係にあるかのように対比、オン/オフ比較して語られているように思います。

さらにハイブリッド自動車と昨今の欧州勢のアプローチ、直噴過給ダウンサイジング、デュアルクラッチ多段変速機、アイドルストップ、気筒停止の低燃費車両を、これまたコンペティター関係として対比する論評を見かけます。そのあげくに、ハイブリッドは日本のガラカ―?などとのまで言われたこともあります。これはミスリード、不本意です。

電動化が将来自動車のコアなのは間違いない

クルマを動かすエネルギーの全部か、一部かは別としてエネルギーの貯蔵源を有効につかって高効率、低CO2を目指す目的は、ハイブリッドも、プラグインハイブリッドも、さらに電気自動車も水素燃料電池自動車も変わりはなくクルマの電動化がコア技術です。使われている技術分野も共通分が多く、そのモーター、インバーター、さらに電池の技術進化、低コスト化が進むといずれもさらにCO2排出を減らすことができます。その手段が電動化です。

またハイブリッドの定義はクルマを直接電気モーターで駆動するパスを持つクルマとなっていますが、ナビもオーディオもインパネ表示も、クルマを動かすための様々な制御もエンジン発電発生するか、充電電池から取り出すかは別としてクルマを動かすために消費しているエネルギーです。このすべてのクルマで消費するエネルギーの効率化を図るのが低燃費のアプローチで、これもハイブリッドでもノンハイブリッドであろうが変わりはありません。できる限りの減速エネルギー回生を行い、そのエネルギーを使ってエンジン停止中の補機、制御系を動かし低燃費化を図る部分が、強いて言うとノンプラグイン車とハイブリッドの違いです。

低燃費車の標準メニューとなってきているアイドルストップでは、その領域を拡大していくと軽自動車の低燃費車競争で競いあっているように、クルマが完全停止する前からエンジンを停止し低燃費効果の拡大が図りたくなります。停車中でもエンジン停止を行うようになると、パワステ油圧、ブレーキ油圧など従来はエンジン回転で駆動していた補機類のエネルギー源確保が困難になりパワステも、ブレーキ油圧発生、さらに夏のエアコン運転、冬のヒーター熱源のエンジン冷却水もまた電動化がやりたくなります。

こうした補機類の電気駆動もまたどんどん進んでいます。上級車や重量車ではこうした補機駆動のエネルギーもばかにならず、42V~48Vのマイルドハイブリッドがやりたくなります。マイルドまでいかなくとも、スズキのエネチャージ、日産ノート、マツダスカイアクティブも12V鉛電池の他に小さなリチウムイオン電池、キャパシタ―を使い、エンジンベルト駆動ですが減速時のエネルギー回収を行っています。これまた自動車の電動化です。

展示会でも日本各社の様々なタイプの電動化に向けた部品、材料、開発のためのツール、計測機がこれでもかというほど展示されていました。国内マーケットで低燃費自動車開発を競いあり、その部品、材料、計測ツール、開発ツール、さらにその生産技術開発が活発になり、展示会場で感じた熱気をさらに高め、その熱気のなかで次をになう人材が育っていけば次の700万台、1000万、2000万とさらに電動化車両の普及拡大を日本勢がリードできます。さらに、その低燃費車、部品、材料技術のグローバル展開を進めることが日本自動車産業の生きる道、この分野、この技術、この人材で地球市民として日本が貢献していくことを願っています。

トヨタ・アクアと東北復興、さらに日本の将来エネルギー

しっかりとオープンに議論してほしい原発再稼働問題

3.11から3年が経過しました。連日取り上げていた、新聞報道やテレビの三年経過した被災地の今に見入っていました。瓦礫の山こそ減ったようですが、なにか復興のスピードが遅いように思えてなりません。さらに、福島第一原発事故が大きく復興に陰をさしているようで、福島第一原発事故の放射能汚染で未だに自宅に戻れず避難している方が10万人強いらっしゃいます、この解決なくして本当の意味での復興はありませんし、日本の次もないと感じました。

原発問題については、何度かこのブログでも取り上げてきました。お亡くなりになった福一の吉田所長を主役とした門田隆将さんの“死の淵を見た男”、当時の原発事故を巡る福一現場、東電本社、イラ管さんが東日本消滅まで頭に浮かべてのイライラぶりから国際的な動きまで取り上げた船橋洋一さんの“カウントダウン・メルトダウン”など、さまざまな著作物、様々な事故調査報告書、さらに原発導入の歴史から原子力むら形成の経緯などの資料もあさりまくって読んでみました。

また機会があり、中電浜岡、東電福島第二も実際に見学させてもらい、東電、中電、関電、北電の方々、さらに何人かの原子力工学の研究者、大学教授の話も聞かせてもらいました。科学技術、工学からは、このブログで紹介した『想定外を想定する未然防止』だと当たり前と考える全電源喪失ケース、地震国日本での津波波高の最悪予測に目、口、耳を閉ざしてしまった『原子力神話』に、大きな怒りを覚えました。変えてはいけない最悪ケース、最悪条件をギブンとして、経済原理にのった対応策を考え出すのがエンジニアの役割です。安全保障条件を経済性とのトレードオフにしてはいけないことは科学技術・工学者としての初歩の初歩と教え込まれ、かつやってきました。今議論されている再稼働議論も、決して以前の『原子力神話』の状況に戻してはなりません。オープン、透明、我慢強く、公正な議論が必要です。

ものづくりの日本の将来は

これまでのブログで自分のポジションを述べているように、現地現物での確認、さまざまな情報の調査、分析を行ったうえでも私自身は原発再稼働は避けて通れない道と考えています。もちろん、日本科学技術、工学の英知を結集した上での安全確保の担保が前提です。その理由は原発なしでの不都合な真実がどんどん明らかになってきていると感ずるからです。まず、気候変動問題です。

環境技術で世界をリードしてきたはずですが、原発停止による化石燃料発電シフトにより日本が排出するCO2は大きく増えています。太陽光発電は急増していますが、それでも役不足であることは明らかで、そのうえ日本の立地条件からも風力発電にも多くは期待できず、地熱、小水力活用を含めても日本の電力供給をリニューアブル発電でまかなうことには無理があります。一方、安全性と経済性をトレードさせてはいけませんが、東日本震災からの復興、日本の成長のためにも国際競争力を維持できる価格のエネルギー供給が必要不可欠です。3.11後、エネルギー供給のほとんどが化石燃料、自動車など製品輸出でカバーできないほど化石燃料輸入が増加し、経常収支すら赤字に転落しかかっています。その電力価格は国際競争力を損なうほど高騰しています。

久しぶりの円安で自動車産業の経営は好転していますが、ここでの稼ぎに陰りがでると一大事、稼ぎ分が目減りし定常的な経常赤字が続くと悪い円安が心配になります。科学技術立国を支える日本の生命線である研究開発活動を活発化させるためにも、経済成長とそのための安いエネルギー供給が不可欠です。さらに現代の農業、漁業も化石エネルギーに大きく依存する現状では、国民生活の安定のためにもエネルギー価格の高騰、悪い円安、さらに日本経済のシュリンクにつながる稼げない状況での最悪の円高は願い下げです。

福島第二原発でほとんど無傷の原発建屋と所内の連日の復旧作業を見学し、さらにアウトライズ地震津波への備えまで、カウントダウン・メルトダウンで3.11当時の福二原発の危機一髪の現場で陣頭指揮を執られたで増田所長に説明いただきました。最後に第二原発再稼働の可能性について質問させてもらいましたが、増田所長からは「復旧工事、安全対策が進んでも避難している方々がすべてお帰りにならない限りは、決して再稼働を口にすることはありません」とのコメントをいただきました。浅はかな質問が恥ずかしくなりましたが、すでに暗くなってからの帰路、避難地区の真っ暗な住宅地、国道脇の無人の駐車場にたむろするイノシシの群れを目にし、この増田所長の言葉の重みを痛感させられました。

原発の再稼働は被災地の復興、所在地のものづくりの発展に

東日本の復興を加速させるには、被災地の景気回復が第一、さらに復旧公共工事だけでなく、継続する産業を誘致して職を増やしていくことが必要です。アベノミクスの次の矢がでてこないことにイライラしていますが、まずは景気回復、その景気回復を大都市圏に集中させず、被災地、さらにサプライチェーンとして地方に拡大させていって欲しいと思います。被災した農業、漁業の復興支援とともに、職を増やしていくには安いエネルギー供給が前提になります。製造業の景気回復だけではなく、農業、漁業もの再建にも安いエネルギー供給が必要不可欠です。

トヨタOB、ハイブリッド屋の私としては、被災地区での製造業の期待の星として、トヨタの東日本地区での取り組みに注目しています。昨年車種別販売台数トップとなったトヨタ・アクアはトヨタ自動車東日本岩手工場、また昨年発売を開始したカローラハイブリッドは宮城大衡工場、このアクア・カローラハイブリッドに搭載する初代プリウス以来改良を続けた1NZ-FXEエンジンは宮城大和工場で生産しています。このハイブリッド車に搭載する電池もまたトヨタとパナソニックのジョイントベンチャー、プライム・アースEVエナジー株式会社の宮城工場で生産しており、昨年12月にはハイブリッド車の生産拡大により宮城工場での電池パック生産台数が累計100万台を突破したとのニュースリリースが発表されています。

さらに、アクアはプリウスCの名がつけられ、復旧なった仙台港からアメリカへと輸出され、またフランス工場で生産するヤリスハイブリッド用に電池パックなど、付加価値を高めた様々なハイブリッド部品がこれも仙台港から積み出されています。これらの構成部品もまた、現地生産比率が増えています。この生産拡大によって、職も増えているはずです。

物作りが日本を支え、すそのの広い自動車製造をコアとして、工場群を増やし、職を増やしていきます。東北地区でこの取り組みが着々と進行していることをトヨタOBとして誇らしく感じています。

この自動車製造、その部品製造には多量のエネルギーを消費します。トヨタ自動車東日本も省エネ、リニューアブルエネルギー利用にも積極的に取り組んでいるようですが、やはり安く、低CO2で、さらに安定したエネルギー供給がその発展を支えます。福島第二を除いても、東北には停止中の多くの原発があります。東日本大震災を乗り越えたこれら原発に、最悪ケース、最悪条件をクリアさせ、この大きな教訓をふまえた安全対策を施すことは可能と考えます。日本に多量の使用済み、使用中の核燃料棒が残っていることも目を反らせてはいけない不都合な真実、それを安定的に維持し、安全な後処理方法を生み出すことは、脱原発でも必要です。まさか、原発電力の一大需要地であった首都圏にその燃料棒を引き取るなどとは誰も言い出さないでしょう。

安全を確保したうえで、安定した稼働を続け、被災地、原発所在地ではこの原発稼働を前提に、原発特区として電力料金を大幅に下げるくらいのことを考えて欲しいと思います。ちなみに我が家は、3.11後の省エネを心がけて追いつかない高い電気料金を払っていますが、都市部に住む割増分のさらなる増加は覚悟しています。

筆者の出身は北海道ですが、ルーツは岩手、祖父は宮古の出身、私の小さいころに亡くなっていますが、祖母からは明治三陸津波の被災者だったと聞かされています。まだ、宮古を訪ねたことはありませんが、岩手各地の被災には胸が痛みます。岩手工場でのアクア生産は私にとっても希望の星、東北復興を加速ためにも安い、低CO2電力を使ったアクアの次なる進化を楽しみにしています。

プリウスのある最初の正月 16年前の年末・年始

さすがに道で初代プリウスの初期型を見かけることは少なくなってきました。この初期型を我々は「カツブシ」と呼んでおり、前後のバンパーの黒い防振ゴムで初期型と2000年マイナー後を見分けることができます。

初期型の生産が豊田市にある高岡工場で始まったのが1997年の年の瀬の迫った12月10日、その年にお客様にお渡しできたのはわずか300台程度だったと記憶しています。発売とともにその年のカーオブザイヤーなど、自動車関係の賞を総なめにし、新聞、雑誌、TVと大きく取り上げられていましたので、街を走っていても注目の的でした。

生産を開始しディーラーで販売が開始しても、われわれ開発チームの仕事がそれで終わりではありません。ほっとするまもなく、チーフエンジニアやハイブリッド開発リーダーだった我々は様々なイベント対応や取材対応に追われ、そのころにはすでにマーケットでの不具合対策支援特別チームが動きだしていました。

通常のクルマなら、販売前にしっかりと修理書を作成し、サービスツールを用意し、新機構、新技術が使われる場合には事前に販売店のサービスマンに集まってもらい時間をとり説明と修理トレーニングを行っています。しかし今だから明かせる話ですが、プリウスではその修理書を充分吟味する時間もなく、サービスツールも開発中のハンディー版のみで、その不具合診断ソフトも十分ではありませんでした。

最初のプリウス不具合対策は聖火リレー伴走車

立ち上がりには万全を期したつもりですが、開き直った言い方とはなりますが新機構・新技術がてんこ盛りのクルマで、不具合が起こることも想定の内として覚悟していました。それに備えて、ハイブリッドシステムの品質、信頼性監査のリーダーが、自分がチーフになり販売店サービスを支援とその対策チームによる特別活動をする提案してくれました。不具合報告を受けた販売店に出向き、サービスマンを支援しその対策処置をし、次にその不具合が起こらないように設計、製造段階への早い改善フィードバックを行うことがそのチームの役割です。

チームの初動は、実は12月10日~に販売を開始したクルマではなく、その前の量産トライのクルマを白ナンバー登録したイベント対応車でした。このプリウス量産トライ車が次の年に開催された長野オリンピック聖火リレーの伴走車として使われていましたが、このクルマで起きた不具合が最初だったと記憶しています。オリンピック聖火の伴走車ですので、きわめて低速の走行が継続し、そうした走り方の中で連続走行後のあるタイミングでいわゆる“ビックリマーク”を点灯し止まってしまう不具合です。これを解決したのも彼らのチームでした。

その伴走車の走り方から不具合発生までのシーケンスをヒアリングし、その走行パターンを自分たちの試験車で何度も何度もトライをし、システム制御チームからヒアリングをしながら原因を突き止めていく作業です。この原因もこの走行パターンでしかおこらないバグ、偶然に近い確率で起きる問題がほとんどで、突き止めるまでが大変です。

そこまで突き止めれば不具合対策は簡単です。これが年末年始を迎えての特別活動のトライとなり、また品質保証部隊、サービス支援部隊との連携、さらに、設計、生産、調達チームとのコミュニケーションネットワークもこうしたトライ、その各部隊へのフィードバックで太くなっていったように思います。

プリウスの不具合報告で幕を開けた1998年

本格的な活動は、その年末休暇入り前日の26日から30日までは休日出勤で、その後の大晦日から4日までは販売店の休みに合わせお休みのつもりでしたが、すぐその初日からの出動となってしまいました。

プリウスにハイブリッド部品を納入している大阪の会社が買われたクルマが納車後すぐに“ビックリマーク”点灯で動かなくなってしまったとの連絡です。Dレンジで走り始めようとしたら数センチ下がりそこで止まってしまったとの報告に、青ざめたことを覚えています。

チームメンバー3人がプリウスに乗り、すぐに大阪に出張し、販売店サービスと一緒に調査しました。サービス用ツールを使い吸い上げた故障時情報と、チームメンバーのシステム制御設計スタッフと共同で突き止めた不具合原因がモーター制御用コンピュータ不良でした。

このコンピュータを生産していたのがトヨタの広瀬工場で、すでに郷里へ帰省していた工場検査の責任者に会社に戻ってもらいました。休日出勤で検査ラインを動かし、大阪から持ち帰ったコンピュータを検査してクルマでおこした不具合が再現することを確認してもらいました。さらに、その不具合がモーター制御に使っている回転数と前後進判定をおこなっているセンサー信号を受ける海外製ICを構成しているトランジスター1個の製造不良であることまで、その日には突き止めていました。

全国の販売店サービスへの事例紹介と修理方法の連絡、連休明けにそのICの受け入れ検査の強化、コンピュータ検査ラインでの不具合落としプロセス追加など、戦略をまとめて大晦日と正月を迎えました。はらはら、ひやひやしながらの年末、年始でしたが、元旦にはプリウスのモニター車で京都の八坂神社に初詣に行き、ハイブリッドの発展を祈り、いつにない額のお賽銭をはずんだことを思い出します。

結局この不具合は、連休明けのアクションが功を奏し、このクルマとすでに配車していた数台のクルマで喰いとめることができました。

年始休暇明けには関東地区に大雪が降りました。初代プリウスでは、雪道や凍結路でタイヤがスリップすると、トランスミッションのギアが破損するモードがあるとのことで、トラクション制御に似たスリップ防止制御を入れていました。

これまた言い訳ですが、冬の確認とチューニングが不十分で、とてもトラクション制御と言える代物ではなく、場合によっては大きなショックが発生しましたが、これがまた怪我の功名、時ならぬ東京の大雪でこのトラクションもどき制御が結構スリップ防止に役立ったとのことを後で聞かされました。

この制御は、その後2000年マイナーチェンジでの改良、2003年の二代目プリウスの電動パワステ、回生協調ブレーキと連携してモーター制御を行うS-VSC(Steering-assisting vehicle stability control:横滑り防止システム)へと発展していきました。

現場が支えたプリウスの立ち上げ

この特別チームの活動は1998年秋まで続き、その後も特別との名称はなくなりましたが2000年マイナーチェンジでの欧米展開、さらにこれまでのサービス支援活動の経験を生かし2003年の二代目でさらに故障診断方式、診断ツール、修理マニュアルの大改訂へと繋がっていきました。このような活動が、昨年に累計500万台を超えたトヨタハイブリッドの発展を支えてきたと信じています。

一時、トヨタの安全品質問題での大転倒でプリウスのハイブリッド制御も疑われました。この安全・信頼性品質への初代からの取り組みが踏襲されていれば、疑いは晴れると信じていましたが、一抹の不安はぬぐえませんでした。しかし結果はご存知の通りで、米国運輸省、宇宙航空局NASAなど制御系の専門家が綿密な調査を行い、制御系には問題なしとの判定が下り、われわれのやり方は正しかったとホッとしました。

現場を見なければ良いクルマは作れない

このブログでも、現地、現物、現車の現場主義がトヨタウェイの基本と述べてきました。この現物主義は何も、トヨタ社内の開発現場、生産現場、サービス現場だけに限定したものではありません。

今日のブログで紹介した、海外製IC不具合では、このICを取り扱った商社スタッフの方々が飛び廻り、時間をおかず、試験装置を追加して輸入品の受け入れ検査を強化してくれました。海外調達部品の製造会社が倒産しかかり、その梃入れと欠品がでないように動きまわったのも、日本商社の方々とトヨタ調達スタッフです。ここも立派な現場です。

このような活動をしっかりマネージするマネージ現場、それをフォローし承認する役員そうの経営現場、このすべてを現場と呼んでいます。このさまざまな現場のコミュニケーションがとれたから、あのハイブリッド・プリウスは立ち上がれたと思っています。

最近クルマのプラットホーム統一化がエスカレートし、大規模モジュール化がブームになってきています。その対比として、ハイブリッドがその典型として擦り合わせ型の開発、現場主義は時代遅れなどと言われていますが、この扱いには大いに違和感を覚えています。

自動車メーカーの設計評価エンジニアが大規模Tier1メーカーに開発を丸投げしデスクワークエンジニアになってしまっては、ここでご紹介した活動はできません。今回ご紹介したICチップまでとは言いませんが、クルマの安全機能、商品機能にかかわる部品、構成システムを知らずして、ブラックボックス化しては良いクルマの開発はできません。

車両チーフエンジニアを中心に、各機能、各部品会社が共同でマーケット、クルマの使い方、使われ方に隅の隅まで目配りするトヨタの、また日本勢のクルマ作りはいかに大規模モジュールが避けられないにせよ、大切にしてほしいアドバンテージと思います。

豊田英二さんご逝去の報に触れて

 私の尊敬する豊田英二さんが、一昨日亡くなられました。今月12日に満100歳をお迎えになってのご逝去です。私がトヨタ自動車に入社した1969年当時の社長で、入社したての新人エンジニアにとっては入社式で仰ぎ見る存在で、直接お話をお聞きする機会が豊富にあったわけではありませんが、入社以降、私の最も尊敬する人は英二さんとなりました。

 仰ぎ見る人を「さん」付けて読んでいることに違和感を感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが、入社当時から上司や先輩も社長ではなく英二さんと呼んでおり、またわれわれ同僚の間でも英二さんと呼んでいたように思います。とはいえ、社長訓示や現場のご視察などから伝わってくる雰囲気は決して気さくな風ではなく、親しみやすさからこう呼んでいたわけではなかったと思います。何か経営者としてだけではなく、尊敬する大先輩のエンジニアとして上司、先輩たちも名前でお呼びしているのを聞き、われわれもそうお呼びすするのが当たり前と感じていました。

排ガス問題で英二さんを矢面に立たせたのが悔しかった

 入社当時は自動車の排ガスによる大気汚染問題が騒がれ始めた時期であり、米国のマスキー上院議員が提案した通称マスキー法と呼ぶエンジンから出てきた排気ガス中の大気汚染成分の一酸化炭素(CO)、燃え残りのガソリン成分(HC)、燃焼生成物の窒素酸化物(NOx)の90%削減を求める法案が提案されていました。トヨタとしても日本のモータリゼーションがスタートし、やっとクルマとしてアメリカでも認められ始めた時期で、この排気規制をクリアする技術を開発できなくては会社としての将来はありません。

 トヨタ社内では、富士山の裾野に設置された東富士研究所に排気ガス対策特別プロジェクトチームが結成され、私もそのプロジェクト要員として加わることになり東富士研究所の赴任したのが1971年11月でした。

 この自動車排気ガスによる大気汚染問題は、アメリカだけではなく、モータリゼーションが進み始めた日本でも問題となり、国内で自動車の排気ガス規制強化が大きく取り上げられるようになったのもこのころです。英二さんは、当時自動車工業会の会長としてこの規制強化議論の矢面に立たされ、国会での規制法案議論での参考人喚問でのやりとりが、メディアに技術開発の遅れ、後ろ向きの対応と叩かれ、開発現場のわれわれとしても悔しい思いをしました。

 このいきさつについては、以前のブログで取り上げていますが、英二さんもこのころを振り返り、このマスキープロジェクト対応がトヨタのエポックだったことを語っておられ、強い共感を覚えたものです。

英二さんの『聞く力』

 このマスキープロジェクト以降も、英二さんは東京ご出張の途中などで、東富士研究所に立ち寄られることが何度かありました。ご視察に対応したのはわずかの機会でしたが、それでも英二さんの徹頭徹尾の現場主義を肌身で感じる機会を得ることができました。会議室でのご報告ではなく開発中のエンジンやその部品も実験中のエンジン実験室のご視察、またはその開発エンジンを搭載したプロト車のご試乗とその場での報告がほとんどであったように記憶しています。

 その時も我々のような担当エンジニアの、今にして思うと拙い説明にも、決して途中に口を挟まれず、じっくりと聴いていただいた事が強く印象に残っています。ご質問も数は多くありませんでしたが、こちらがギクッとするような鋭いご質問にどぎまぎさせられた記憶があります。英二さんのお話が聴きたくて、自分の担当でない実験室にもついて回り、耳をそばだてて聴きのがすまいとしたことも懐かしく思い出されます。

 技術の的を射た厳しいご質問やコメントなどの注文・指示については若いエンジニアではなく、同行する部長・次長に直接お話しするなど、エンジニアとしてだけではなく、マネージとしても時間は短くとも強くご薫陶をいただいたと思っています。

 英二さんから直接ご指導いただいた会社の大先輩のお一人から、エンジニアおよびマネージャーの心得を伝えて頂きました。

『若いエンジニアの話は、眠くなっても、我慢をしてでも、じっくりと、途中に茶々をいれずに聴くこと。そうしなければ、だんだん本当のことを伝えてくれなくなる』

 その薫陶を受けた大先輩ご自身が役員になられてからも忠実にこの教えを実行されておられました。まさしく英二さんが研究所ご視察のときの状況そのままの心得でした。残念ながら、私自身はこの教訓を忠実には実行できたか自信は全くないのですが、なによりも現場主義の実践、若いエンジニアの話を現場でじっくり聴くことなどは心掛けてきたつもりです。

英二さんの次代の技術者への言葉

 私はハイブリッドプリウス開発、自動車の未来についてお話をする機会には、今もハイブリッド車プリウス開発の支援者であり、最大の理解者だった英二さんの言葉をトヨタのDNAとして紹介させていただいています。

 今回、その一部をご紹介したいと思います。

考える力『最近は技術のことでも経営のことでも調べようと思うと多くの情報が得られる。まさに情報の洪水といってもよい。便利なことには違いないが、下手をすると自分で努力して考える力を失うのではないかと思います。問題を解決するのは最後は自分自身であることを常に忘れてはなりません。(途中省略)道具と言えばせいぜい紙と鉛筆、算盤、計算尺であった時代でも、現在でも、観察力とか洞察力とかが最後の決め手になることには変わりはなりと信じます。エンジンやキャブレターに一部の調子を良くする必要があったとき、早速オシロスコープやストレンゲージをそこにつなぐことを考える前にエンジン全体とか自動車全体をもう一度よく観察して、次に部分の対策検討をするのが望ましい態度だと思います』 

物を見る目『技術者は物を良く見るということが大切だ。特に若い人達にとっては重要なことです。また実験をやるにしても現象をよく見ることが必要です。予想通りいくかどうかを見るだけでなく、先入観にとらわれずに現象そのものをよく見ることが必要です。』

モノづくり『モノづくりは価値を創造し、文明を創造する原点です。モノづくりは「技術」の発展と深いかかわりをもっています。言い換えれば、技術の進歩はモノづくりがあってこそ初めて生まれてくるのです。モノづくりは常に、それにたずさわっている「人」と「ノウハウ」の蓄積によってなされるものです。』

人づくり『人間がモノをつくるのだから、人をつくらねば仕事も始まらない。』

これらは、1996年に発行された社内誌に取り上げられた英二さん語録の一部です。

ハイブリッド開発を大いに喜んでいただけた

 マスキープロジェクト以降も、クリーン技術、低燃費技術には常に強いご関心をお持ちで研究所に来られる度にわれわれが開発検討を行っているエンジン実験室に足を運ばれ、エンジンの音色に耳を傾けられ、またその音を聴きながら開発部品を熱心にご覧になり、そのあと、場合によっては痛いところを突く鋭い質問、コメントを頂いたことを思い出します。私の開発担当では、できたばかりのマイコンエンジン制御のプロト車に試乗いただき、そのクルマがテストコースでエンストを起こし、走れなくなってしまったことも、今としては良い思い出です。

ハイブリッド車プリウスの開発での思い出では、1997年10月10日の東京での新車発表会の開催前の会場で、ハイブリッドシステム紹介、部品展示のブースで若いエンジニアからの説明を途中に言葉を挟まれず、熱心にお聴きになり、新車発表に漕ぎ着けたことを非常に喜ばれ、ねぎらいの言葉をいただいたことが強い印象として残っています。

私が入社する前、昭和36年に日本自動車技術会の会長として米国自動車技術会(SAE)主催の国際会議に出席されたあと、SAEゴードン会長の『米国の伝統的精神は挑戦を受けた場合は受けて立ち、断固打ち破ることである』とのスピーチに対し、帰国後

『米国が挑戦者として対等に扱う以上、我々は実力を発揮しなければならないのです。他人のやっていることを学んでまねをするだけではなりません。それではただ相手に圧倒されるだけであります。我々の創意と工夫と知恵によって、さらに我々の努力を加えることによりよって、よい車をつくりあげなければなりません。もし我々に創意、工夫、努力、困難に立ち向かう勇気に欠けるならば我々は一敗地にまみえざるをえないでしょう。』

と述べられています。このお気持ちをひしひしと感じ、マスキーエンジン、そのごの低燃費エンジン、高出力エンジンの開発に挑戦者の気持ちで取り組んできたつもりです。

ハイブリッド開発では、この我々の創意、工夫、知恵、努力、困難極まる技術開発へのチャレンジを評価いただけた笑顔であったと今も思い浮かべています。

こころより、ご冥福をお祈り申し上げます。

プリウス開発と和田明広氏

初代プリウスの開発で技術部隊の総指揮の任にあたったのが、要素技術開発から車両開発までトヨタ自動車の技術部門を率いておられた副社長の和田明広氏でした。そのころトヨタの富士の裾野にある研究所でクリーンエンジン、低燃費エンジンの開発リーダーを務めていましたが、出張先に担当役員からすぐ電話するようにとのメモが入っており、電話をするとプリウスに搭載するハイブリッド開発のリーダーとしての本社転勤の申し渡しを受けました。

新型車の開発の話は小耳に挟んでいましたので「量産化が決まったら多分そのクリーンエンジン開発の一部は自分の担当となる」とは思っていましたが、その一部どころかハイブリッド開発そのもののリーダーとはまさに晴天の霹靂で、たしかその電話の段階では「まだエンジン開発でやりたいこともあるし、ハイブリッドは次のチャレンジ技術なのでもう少し若手にやらせたらどうですか」とお断りしたように記憶しています。

ただ電話口の役員はその断りの返答を「ノーチョイス」と切り捨て、すぐに本社に出向きこの人事を決めた二人の常務のところに行って話を聞くようにと言い切りました。

この時の「ノーチョイス」という発言は、和田副社長が技術部の部長・役員達に「このプロジェクト以上に重要なプロジェクトがあると言うなら言ってみろ!」との量産ハイブリッド開発プロジェクトの組織化を指示された一言があり、その啖呵が回りまわって私のボスからの「ノーチョイス」の一言になったとのちのち聞かされました。

こうした和田さんの強力なリーダシップが、「クレージー」と呼ばれたプリウス・プロジェクトを実現させた大きな原動力となったのは間違いありません。

プリウス開発初期には「雷」も「和田節」も封印

和田明広さんはこのブログで以前にご紹介したトヨタの車両主査制度を確立された、初代クラウンの車両主査中村健也さん、初代カローラの車両主査長谷川龍雄さん後の数多くの車両主査の方々の中でも特に異彩を放たれた車両主査で、そこから役員になられた根っからのクルマ屋として尊敬するお一人です。

設計技術にはとびっきり厳しく、副社長になられても開発レビュー・設計レビューで、常に厳しいコメントを述べられ、またそれが的を射ているだけに指摘された担当部長連からは悔し紛れに「万年係長」と言われていました。

私自身もハイブリッド担当になってから、どこで雷がおとされるのかと楽しみ(笑)にしていましたが、一向に雷が落とされず、人員増強、部品選定、トラブル発生のご報告でもそれらをしっかりと冷静に受け止めていただき、手厚くサポート頂けたことに狐につままれていた気持ちでいたことを覚えています。

しかし1997年12月のプリウス量産開始のちょっと前、10月か11月か記憶は怪しいのですが、和田さんから私とチームのスタッフに「お前らの設計はへぼだ!」といつもの和田さんに戻った雷を落とされました。ただし私は「プリウス・ハイブリッドがやっと半人前でも認知してもらえた」と感じ、肩の荷が少し軽くなったことを思い出します。

「石橋を叩いても渡らない」と揶揄されていたトヨタが、なぜあのハイブリッドプリウスの開発に突き進んだのか、私も断片的には聞いていましたが、それがトップ役員の議論で決まったのか、また本当にやれると思っておられたのか、どのようなご判断でお決めになったのが一度はお聞きしてみたいと思っていました。

そんな中、和田さんと直接お話をする、つまり久しぶりにお元気な和田節を聞かせて頂く機会を得ることができました。お聞きするはずの質問を繰り出す間もなく、和田さんの口から出るクルマへ掛けられる情熱、竹を割るような明確なクルマ開発論を聞かせて頂ける、大変有意義で幸福な時間でした。

「市場の声を聞くな」の真意

和田さんの名言に「自分が乗りたいクルマ、使いたいものを作るんだ」、「市場の声は聞くな」、「(もの=部品を)足せば、かならず引くものがある(減らすことができるもの=部品)がある」というものがあります。これらはクルマとしての全体最適の思想で、お会いしたときもクルマ開発論に話が終始してしまいました。

「市場の声は聞くな」は、誤解を招く危険もありますが、私も全く同感に考えています。現在主流となっている「マーケット調査」に基づく「市場の声」は、今聞こえてくる声を収集したに過ぎず、単なる最大公約数のそうした声に従って生まれてくるクルマは陳腐なものになってしまいます。

『「市場の声」の先』を考え実現させるのが、プロのクルマ屋、ハイブリッド屋の仕事です。ハイブリッドプリウスの開発では「市場の声」を参考にしようにも「ハイブリッド??」の状況で、「自分の乗りたいクルマ、作りたいクルマ」にどれくらい近づけられるかの視点で開発を進めました。

もちろんお客様を全く見ずに、技術者のエゴむき出しで、自己満足の為に作っては良いクルマなどは出来ません。それらは特にエンジン・駆動・制御だの個別技術、個別要素の部分で現れますが、こちらに対しては「乗ったり使ったりするのは、それら技術ではなくあくまで「クルマ」」という視点を持ち、自分が乗ってみたいクルマとしての最適をあのプリウス開発でも和田さんが描いていたことを今回も再確認させていただきました。

和田さん流の技術開発操縦術

初代プリウス開発のエピソードとして、今も記憶に残っているのが、1997年12月のプリウス発売開始の半年も前、3月末に東京で行ったハイブリッド・システムの技術発表会です。

まだ開発状況は不具合の山が残る状態で、量産デザインで試作する正式試作車も遅れに遅れまだ動き出していない状況にも関わらず、ハイブリッド量産の発表をさせられる羽目になり開発陣は梯子に上らされることになりました。

この発表では和田さんがこのハイブリッド量産化の背景や狙いを説明され、私が技術内容を報告しました。その時のQ&Aセッションで、ある記者のかたから「50万以上に販売価格が高くなるのでしょうね?」との質問に、和田さんが「50万以上つけたら、お客様に受け入れてもらえない。受け入れてもらえる価格で出しますよ」とお答えし、これが大きくとりあげられたことを記憶しています。

一部のプリウス紹介本には、奥田さんのセリフとして紹介されていますが、これは和田さんのセリフです。この答えこそが如実に和田さんのクルマ作りへのお考え、その和田さんが率いた当時のトヨタのクルマ作りの考えがでています。エコであろうが、ほかの商品機能であろうが、お客様がその価値を認めてくれるクルマ作りとの考え方です。

1997年12月の立ち上がりまでは、コストアップ、収益性についての注文はほとんどなく、これも異例中の異例のことで、まずは開発を完了させ販売に漕ぎ着けることに集中することができました。しかし、生産開始に見通しがついたとたんに、先の一言「設計がヘボ、量産の設計ではない!」との雷が飛んだわけです。そこからの、品質向上と原価低減活動のすさまじさについては機会があれば紹介したいと思いますが、それがトヨタ流であり、こうした事がハイブリッドが販売の中心となった今につながったと思っています。

和田さん自身もこれまで、プリウスをご自分の愛車として使われ、最近クラウン・ハイブリッドに切り替えられたとのことで、そのクラウンの助手席に乗せていただき昼食の場までもご一緒し、その僅かの間でも今のハイブリッドの出来やクルマの出来について話が弾み、それが尽きることがありませんでした。

根っからの自動車屋の和田さんのエネルギーをいただいた楽しい時間でした。

和田明広オーラルヒストリー:みんカラ 正岡貞雄さんのブログ内
http://minkara.carview.co.jp/en/userid/1135053/blog/28915926/
和田明広名言集:
http://systemincome.com/main/kakugen/tag/%E5%92%8C%E7%94%B0%E6%98%8E%E5%BA%83

日本の原子力技術はどうなる?

吉田昌郎氏の逝去の報せ

3.11当時の福島第1原発所長、吉田昌郎氏がお亡くなりになりました。ご冥福をお祈り申し上げます。以前のブログで、3.11のあの時から昨年7月脳出血で倒れられる10日前のインタビューまで、吉田所長の福島第1発電所現場責任者としての活動をとりあげた“死の淵を見た男”に日本人の現場力として強い印象を受けた話を紹介しました。

この死去のお知らせの後、東電から早々と吉田氏の死因はあの原発事故による放射線被ばくではないとの発表があり愕然とさせられました。もちろん病理学的には発表に間違いはないでしょうが、あまりにも非人間的な発表です。吉田所長のあの現場で自分だけではない部下たちの死をも覚悟し、様々な外乱も受けながら事故処理に取り組まれた肉体的、精神的ストレスが影響しなかった訳はありません。まさに殉職されたといっても過言ではないと思います。いかに放射能被ばくの影響とはチラとも言われたくなくとも、あまりにも組織の論理優先の対応に愕然としました。

慎重を重ねた上での再稼働を

何度かブログで書いたとおり、私は世界のエネルギー事情、地球温暖化緩和を考えると原発は必要と考え、将来の自動車も夜間の原発発電で余る低CO2電力をプラグイン・ハイブリッド電池の充電用に電力料金も深夜電力料金よりもさらにディスカウントしてもらい使わせてもらおうとのシナリオを描いていました。原発安全神話をすべて信じていたわけではありませんが、地震国・津波被害国の日本ではその対応を行なっていて当然と考え、それに対して想定外なるセリフが飛び出したことすら信じがたく、あれほどもろく原発安全神話崩れさるとは考えてもいませんでした。

しかし私はそれでも脱原発へと宗旨替えはしていません。もちろん、なによりも安全最優先であり、それこそ地に落ちた日本科学技術の英知を集め念には念をいれた安全確認、その判定を行い、地元、国民に対する十分な説明をしたうえでの再稼働が大前提です。

その上での電力会社の都合だけではなく、被災地の復興、日本経済再生のためにも、さらに地球温暖化抑制のためにも原発再稼働は必要というのが私のスタンスです。

3.11以後、確かに原発なしでも11年、12年と夏冬の需要期を乗り切りました。石炭、石油、LNG火力へのシフトと節電の効果です。静岡東部の私の自宅も東電エリアで、電力料金値上がりももうばかにならなくなっていますが、産業界への影響はもっと甚大です。もの作りにはエネルギーが必要で、ただでさえ安くはなかった日本の電力代が、火力発電へのシフト、原発停止、円安と値上げにつぐ値上げで悲鳴が聞こえてきています。

水力資源の再開発、地熱、バイオ発電の拡大は大賛成です。しかし、このリニューアブルエネルギー拡大にも限界があり、さらに経済原理抜きでの拡大は財政的にも持続化可能なものにならないことは自明です。

稼働していなくても多大なコストを要する原発

私は根っからの現地・現物派です。原発のこれからを自分の眼で確かめたく思い、昨年は津波対策の防潮堤工事、冷却用非常電源工事をやっていた中電浜岡原発を見学させていただき、今年の1月には福島第2原発の見学をさせていただきました。もちろん、どちらも運転停止中で、原子炉格納容器の天井がはずされ、燃料プール、圧力容器の下部までくまなく見せてもらいました。

福島第2では増田所長自ら時間を割いていただき、発電所作業操作のトレーニングを行うシミュレーター室で3.11当日の電源喪失、冷却系ダウンからリカバーの様子のシミュレーター動作をオペレータ室計器盤の動きや警告音、さらにオペレータの緊急作業まで当時の経過を臨場感あふれる経過として体験させていただきました。

次に原子力建屋の内外、海水を被り使えなくなった非常用ディーゼル発電機建屋、津波被害の痕跡が残る埠頭と所内をすみから隅まで予定の時間を超えて見せていただき、当時の状況を説明いただきました。昨日発売された文芸春秋に、これもブログでとりあげた福島第1原発事故を扱った“カウントダウン・メルトダウン”の筆者船橋洋一氏のインタビューによる福島第2発電所増田所長の3.11大震災と大津波襲来から冷温停止までのさまざまな活動を語った会談記事がのっていましたが、見学時にお聞きした通り、所長はじめとする所員の方々、協力会社の方々など発電所現場の方々の献身的な活動が生々しく語られていますので、興味のあるかたお読みすることをお勧めします。

浜岡も福島第2も、運転停止中ですので使用済み燃料棒、使用中の燃料棒が燃料プールに保管されており、その状況まで見せていただきました。いまもなおその燃料棒自体を冷やし続けることが必要であること、そしてその膨大な燃料棒が溜まっている状態も目の当たりに見ることができました。

見学は大震災から20ヵ月も経過した今年の1月でしたが、福島第2だけでも、維持管理のための復旧工事、安全対策などのためその見学時も毎日3000人以上のかたが作業を行っておられるのが印象的でした。停止中でも膨大な作業続けることが求められ、さらに廃炉にも多くの専門家が必要です。さらに後処理にも何年にも私多くの専門家が研究開発に取り組むことが必要になります。

日本にはこの福島第1、第2で大災害後の緊急事態に献身的に対応された多くのスタッフ、関連会社のかたがたがおられます。また各地の原発にも同じように多くのエキスパートがおられるはず、さらに原子力関連の研究者、開発者も多いはずです。脱原発の声で、この方々のモチベーションを下げ、散らしては日本にとっては大きな損失です。

原子力技術の継承を

もちろん過去の排他的な原子力村の論理、根拠がなかった安全神話を排し、国際的にも通用する安全チェックと規制体制を作り上げることが前提ですが、脱原発への後戻りはできないことはこの溜まりに溜まった燃料棒を見て痛感させられました。

福島事故に対しては真摯に反省したうえで、専門家人材を散らさず、その事故対応、緊急対応をされた発電所現場スタッフ他多くの専門家の貴重な体験を生かし、原発の安全確保、安全性を追求した次世代原発、後処理技術などに取組むこと、世界にこの体験を発信することも日本の責務と思います。

私の専門である自動車では、ここ当分は電気自動車が今のクルマに代わって普及することはないと思います。私も自動車に安くかつ原発比率が高まりより発生CO2が下がる深夜電力が使えることを期待してプラグイン・ハイブリッド(PHV)の開発をスタートさせましたが、3.11がその将来シナリオを大きく狂わせてしまいました。

シェール革命などで、石油燃料枯渇の心配が遠ざかった今は、CO2削減の目的にしても電気自動車、PHVなど外部電力充電を行うプラグイン自動車の意味はほとんどなくなっています。低CO2電力による充電がPHVによるCO2低減の前提ですが、リニューアブル電力でわずかの台数を充電する程度ではCO2低減効果はわずかに留まります。

電力安全担保は前提ですが、日本のエネルギーセキュリティ確保、CO2削減のためにも原発の少なくとも維持は必要と考えます。少なくとも原子力技術を目指す人材が枯渇すると、後処理すら日本自力ではできなくなってしまうことを憂いています。

Boeing787電池火災事故 航空機と自動車の安全設計思想の違いについて

アメリカ、日本と立て続けに発生したボーイング787機のリチウムイオン電池火災事故の調査が、アメリカ連邦国家運輸安全委員会(National Transportation Safety Board: NTSB)と日本運輸安全委員会(JTSB)それぞれで事故調査が進められています。

現在のところ、電池火災を引き起こした真因までは突き止められておらず、各航空会社に引き渡された全ての787機に対し、飛行停止命令が出され、その対策と再開にはかなりの期間が必要との観測が多数を占めている状況です。

電池発火原因はNTSB、JTSBが電池の専門家も加え進めており、その結果を待ちたいと思いますが、この発火不具合という重大不具合を見過ごしたプロジェクト組織、その運営、認定プロセスについて、自動車の開発と対比させて考えてみたいと思います。自動車もリチウムイオン電池を量産車で使い出した端緒で、この空の問題は決して対岸の火事ではないのです。

なぜボーイング787はリチウムイオン電池を大量採用したのか?

ボーイング社では、この787機の事故についてボーイング社HPに特別サイトを新設し、787開発責任者であるマイク・シネット氏による説明ビデオにて電気系・電池の両システムの紹介と787機でリチウムイオン電池を採用した理由を解説しています。
http://787updates.newairplane.com/787-Electrical-Systems/Batteries-and-Advanced-Airplanes

もちろん、今現在は事故調査が進行中ですので、事故原因についての言及はありませんが、787機でなぜ、リチウムイオン電池を採用したのかの理由を、その前の777機でのNi-Cd電池スペックと比較して説明しています。

図1

この諸元を比較すると、大幅な軽量化を図ったうえに12.5倍の電池電力量を実現し、先端フライバイワイヤーを装備する軽量・低燃費最新鋭機にとっては飛びつきなるような魅力的な技術であったことがうかがえます。

複雑で厳密な『はず』の航空機の開発・認定プロセス

しかし、旅客機の開発プロセスでは安全性が最優先で、新機種開発スタートから完成・量産機の生産、商用フライトまでさまざまなプロセスがあり、安全性についてはありとありうる厳しい試験、評価、確認が行われます。

最終的にはアメリカ連邦航空局(FAA)、欧州航空安全局(EASA)から、厳しい規則、規定・基準の審査を受け、長時間の単体試験、地上試験、テストフライト行い、型式証明・耐久証明を取得し、FAA、EASAの審査、承認を経てようやく商用フライトにこぎつけることができます。もちろん、自動車の認可にも日本なら道路運送法による規定と、認可申請手続きはありますが、この航空機ほどの厳密な保安規定はありません。

今回なぜこの様な多種多様な設計プロセス、試験プロセス、認可プロセスをすり抜けてコマーシャルフライトでの事故に至ったのかを考えると、このプロセスのどこかで「このような電池火災はおこらない『はず』」と、「電池の熱暴走が起ってもセル内で食い止められる『はず』」などといった、半ば思考停止に陥った状態にあったのかとも思います。

少なくとも、ボーイング社の開発責任者にとっても、FAAの型式証明、耐久証明発行の安全審査を行う担当官も「想定外」の事故だったことは明かです。しかし、なぜ思考停止、想定外になってしまったか、少し航空機の開発プロセス、認可プロセスをかじった私としては不思議でなりません。この問題の究明については、単に電池の問題に留めるだけではなく、開発プロセス、認可プロセスの技術だけではなく、これを見過ごしたヒューマンエラーの真因まで掘り下げて欲しいと願っています

ハイブリッドには取り入れなかった航空機開発プロセス

さきほど「航空機の開発プロセス、認可プロセスを少しかじった」とか来ましたが、それは初代プリウスのハイブリッドシステム開発に取り組んでいる最中でした。そのハイブリッドという名のとおり、このシステムは二つの動力源をその特徴を生かして使い分けて時には混合して使うものです。そのため「走る」「曲がる」「止る」の基本機能全てをドライバーの操作を信号に置換え電子制御で行うバイ・ワイヤー化が必須でした。

その安全性、信頼性保証を進める上で、当時の役員から、航空機の開発、設計、評価、監査プロセルを参考にするようにとの指示があり、当時小型飛行機用エンジン開発を進めていた社内チームのリーダーから航空機の開発プロセスについてレクチャーを受けました。

ただしかし、最終的にはハイブリッドの開発には、この航空機の開発プロセスを踏襲することはしませんでした。航空機の安全チェックを踏襲するとなると必要な人員が、それもその分野での専門技術者が当時のチームの2~3倍必要で、開発期間もチェックプロセスだけでも3倍は必要と判断されたからです。

それぐらい航空機には、作業プロセス、チェックプロセス、その実施体制まで厳しい規定があり、ハイブリッド開発ではとてもじゃないが踏襲しようにもできなかったというのが正直なところでした。

もちろん、航空機のケースとは別に、一般のお客様に安全に使っていただくクルマの開発が自動車にとっても最優先課題です。航空機と同様までの開発プロセスは踏襲できませんでしたが、安全性・信頼性最優先は同じで、また自動車は航空機とは違い、開発初期段階から「実際のクルマ」での安全確認チェックを行うことができ、それを徹底する手法を取りました。

試験では、電池を強制ショートさせ、強制過充電で電池パックから煙を出すまで、どうすればダメになるか、どうすれば致命的な故障に陥るか、徹底的なデザインレビューと、その指摘リスクをクルマで確認しまくりました。さらに機能設計、部品設計、製造プロセスに渉るデザインレビュー、未然防止活動の連続の中でなんとか量産に漕ぎ着けました。

初期不具合を多発させお客様にご迷惑をお掛けしましたが、幸いにも「想定外」「不意打ち」のシビア・インシデントに入る不具合を起こすことはありませんでした。

巨大な国際分業の航空機

超大規模で長期にわたる787開発と、短期間で一気呵成に行われたハイブリッド開発プロセスを単純に比較することは不適当と思いますが、なぜ787でこのようなシビア・インシデント要因がすり抜けてしまったのか、なぜ「思考停止」「想定外」に陥ってしまったのか、航空機と自動車の違いはありますがパワートレーン・プロジェクト・マネージャーとして考えてみたいと思います。

787機は機体の70%近くが海外メーカーを含めた約70社をTier1として製造・設計された国際共同開発事業です。参加企業は下請けを含めると世界で900社、日本企業の担当比率35%を筆頭にイタリア、イギリス、フランス、カナダなど多くの国の企業が分担生産に参加しています。

またそれに加えて、リチウムイオン電池、炭素繊維複合材など、低燃費化のための世界中の最高技術を結集した機体と云われています。ここに、なにかすり抜けに繋がった要因があるように感じます。ボーイング社はこの世界に広がる900社もの会社と、どのようにコミュニケーションをとり、どのようにデザインレビューを行い、どのようにリスク確認、その評価をおこなったのでしょうか?正直言うと、あまりにもスパンが広すぎます。

この電池システムのケースでも、外部電力供給系APU全体は米国プラットアンドホイットニー社の担当、電池向け充電装置を米国セキュラプレーン・テクノロジー社、その電気系統システムインテグレートを仏タレス社、電池管理ユニットを日本関東航空計器、電池セルがGS-ユアサの国際分業です。

これにボーイングが加わり、そのような作業分担、チェック体制、評価分担、デザインレビューを行ったのか、この構成を考えるだけでもそのマネージメント、コントロール、信頼性、品質チェックの大変さは想像できます。さらにそれぞれにその分野の専門エンジニアを加えて行うことは極めて至難であり、実際にはほぼ不可能です。

現地・現物が喪失した開発の怖さ

アウトソーシングを頭から否定するつもりはありませんが、専門ではないエンジニアが多く加わった仕事をどのようにやってまとめ上げていくのかを考えると、心配というか正直「抜けなく、想定外まで想定した作業はとてもやれないのでは?」という印象を抱いています。この中で、当然「想定すべき」不具合モードを「起こりえない不具合モード」としてすり抜けさせてしまったのではないのかというのが、私の予想です。

航空機でも自動車でもモジュール化が大流行して居る中で、そのモジュール規模を拡大しTier1に集め、アッセンブリーメーカーのエンジニアが、このTier1に仕様書を投げ込むためにCADとシミュレーションだけに精通したデスクトップエンジニアになってきているのではと心配です。

開発・評価もTier1に丸投げで、またTier1もチェック項目の多さ、作業量、報告量の多さからアウトソーシングを多用し、どこで経験エンジニアが育ち、技術蓄積ができるのかもう一度考え直し踏みとどまって欲しいと思います。

モジュール化、機能分散は時代の流れであり、自動車でも必然の流れかもしれません。しかし、クルマの安全、信頼性、品質は譲ることの出来ないトッププライオリティです。現地、現物、現実のクルマ、マーケットの経験で芯を通すことが大切です。また「全体最適」「想定外」を想定する目配りや、個人主義ではなく組織の壁を越えての取り組みは日本人の得意なところですので、その人材力を生かして欲しいものです。

ボーイング787リチウムイオン電池発火事故について

ボーイングの新型機787のリチウムイオン電池発火事故が、連日大きな話題となっています。バッテリ電気自動車(BEV)やプラグインハイブリッド車(PHEV)はもちろん、新しく販売されるノーマルハイブリッド車にもリチウムイオン電池を搭載する車が増えており、この電池からの出火は自動車屋としても人ごとでは済ますことができない事象です。

ANAのケースは飛行中の発火ですので、一歩間違えば大災害に繋がりかねないシビアインシデントに位置づけられ、これを受けて米連邦航空局(FAA)は同型機の運行停止命令をだし、この判断を日本をはじめ他の国も追従し、原因がはっきりし対策が施されるまでは世界中で飛行停止措置がとられました。このバッテリ発火の原因調査は、米国運輸安全委員会(NTSB)、日本航空安全委員会が連携をとりながら進めていますが、日本の発火事故では電池が完全に炭化状態になっており、真因を突き止め抜本対策を行うまでにはかなりの時間を要しそうです。

飛行輸送が厳しく制限されているリチウムイオン電池

航空機への搭載以外にも、リチウムイオン電池の航空機による輸送については、2010年9月のUPS貨物機がドバイ空港付近で墜落した事故や2011年7月にアシアナ航空のジャンボ貨物機が済州島沖で墜落した事故のいずれもが大量のリチウムイオン電池を積載しており、墜落原因がこうした貨物としてのリチウムイオン電池からの出火による可能性が高いとされています。この事故を受けて、リチウムイオン電池の航空機での輸送については、国連の専門機関、国際民間航空機関(UN-ICAO)が発行する爆発物等の輸送基準に関する技術指針を改訂し、今年の1月1日に国際航空運送協会(IATA)が厳しい新基準を出した矢先の出火事故になります。この規則では、電池セル、組電池、組み込み機器毎にきめ細かく輸送単位、パッキングの仕方、輸送申請などが規定されています。

今回のケースは、787機体装備機器の出火ですから、このIATAの危険物航空輸送規定に係わる話ではありませんが、新しく航空機用として採用するにあたり、自動車とは比べものにならない位の安全設計とそのチェック、監査が行われ、認定、運行許可にも何重もの安全レビュー、チェック、審査をすり抜けての発火事故がなぜおきたのか、そしてそれを何故防げなかったのかが非常に気になっています。

ニッケル水素時代でも電池は怖かった

次世代自動車のコアは自動車の電動化で、その方向性を軽量コンパクト、かつ大きなパワーを発生し、大きなエネルギーを貯蔵できる電池の進化がその実用化を支えています。初代プリウスで採用し、現在もノーマルハイブリッド車の主力であるニッケル水素電池は、セルあたりの電圧が1.2Vと一般的なリチウムイオン電池3.6Vと約三分の一、セル当たりの蓄積できるエネルギー量も少ないので、内部ショートや過充電による発火不具合には強いと言われています。

それでも内部ショート、過充電でのセルの膨れ、無理矢理充電を続けると起こる水素を発生や発煙に至る不具合モードはありますので、この安全対策と保護制御の設計とその確認には念には念を入れて取り組みました。ハイブリッド担当を指名され、最初と2回目の立て続けで出張した先は、電池製造予定の工場と電池開発の研究所でした。自分から電池担当スタッフにアレンジしてもらった出張でした。

私自身は電池の素人ながら、量産初のハイブリッド車に搭載する、それも初物の電池をどのように使いこなし、どのように安全品質、寿命品質を確保しくか、車両システムリーダーとしても電池が開発の成否を握るプライオリティの高い構成部品と考えており、その製造と開発の現場をこの目で確かめ、電池開発のスタッフと話を聞きたかったのが理由です。

リチウムイオン電池は、出力密度もエネルギー密度もニッケル・水素電池の比ではありません。ノーマルハイブリッド用ならまだしも、搭載する電池のエネルギー量はプラグインハイブリッド車でノーマルハイブリッド車用の3倍~5倍、バッテリ電気自動車では20倍~50倍にもなります。

原則論としては、搭載エネルギー量が増えれば、また電池セル当たりのエネルギー量が増えれば、発火不具合の程度は大きくなると言われています。プラグインハイブリッド車、バッテリ電気自動車でも、このリチウムイオン電池の安全確保、発火防止には何重もの安全設計、安全対策を行ったうえ量産に踏み切っていることは間違いありませんが、自動車以上に厳しい安全指針、チェック、監査を行ったはずの飛行機でですら起こしてしまった発火事故です。自動車でも、発火事故が起これば、折角スタートを切った自動車の電動化、とくにプラグイン自動車の普及に暗雲が垂れ込めます。

開発屋として開き直る訳ではありませんが、飛行機であれ、自動車であれ、新技術を導入するケースでは、初期不具合発生はよくあることではあります。初代プリウスのハイブリッドでもいくつかの初期不具合を発生させお客様にご迷惑をお掛けしました。しかし、自動車では車両火災、暴走、さらに高電圧を使う量産電動自動車として感電、この三つの重大不具合防止を、開発プロジェクトの最重点マネージメント項目として取り組み、これはやり遂げることができたと今も自負しています。もちろん、その安全設計、確認作業にギリギリまで現地、現物、現車で取り組んだスタッフ達の知恵と、さらに汗と涙の結実でした。

作り手の顔の見えないものづくりの怖さ

さて、日本の自動車開発の特徴はすり合わせ型、その典型がハイブリッドと言われました。ただその後、このすり合わせ方式では時代遅れ、もっとモジュール化を進めるべきという意見が多く出ました。また、自前主義、系列化は時代遅れと言われ、さらに不況の影響もありますが技術開発までアウトソーシング化の波が押し寄せています。

私はこの流れに危惧を抱いており、新聞報道だけからの印象ですが、今回の787事故のマネージ的な要因として、モジュール化、開発のアウトソーシング化、開発の丸投げなど、行き過ぎが背景にあるように感じました。新聞報道によると、電池本体、電池制御、電池パック、電池システム、APUと呼ぶ外部電力供給システムと関連部分だけでも様々な国の様々な企業がこの電力供給システムの開発と製造を担当しています。

ボーイングのプロジェクトマネージャー、チーフエンジニアの存在が希薄です。この状況でも誰が統括責任だったか浮かびあがってきません。もちろん、ボーイングのプロジェクトマネージョー、チーフエンジニアが電池の構造、化学組成、その制御、不具合モードの一つ一つまで情報共有をしてディシジョンしていけるとは思いません。しかし、新規採用システムや部品で、シビアインシデント/アクシデントに繋がりかねないものは、その不具合防止の鍵を握る部分がどこで、どの会社の誰がキーマンかは掴んでマネージメントする必要があると思います。あれだけの大規模、新技術テンコ盛りの開発でもプロジェクトマネージメントの抑えどころはあるはず、当初のボーイングのコメントにもその深刻さ、当事者意識を感じなかったのは私だけでしょうか?

自動車も行き過ぎのモジュール化、アウトソーシング化で、部分的にせよ車両/システム機能に影響を及ぼす部分を丸投げにしてしまっては、技術力低下、品質低下を招いてしまいます。まだ自動車は、飛行機ほどの大規模システムではありません。車両全体機能に目配りする車両チーフエンジニアをコアとして開発プロジェクトマネージはやっていけるはずです。

日本のもの作りは、個々の加工技術の職人芸に注目があつまっていますが、これだけではなく、トヨタの車両主査制度に代表される、車両という商品作りにベクトルを合わせ、多くの構成機能開発部隊から部品会社、それを組立てる車両工場、さらには販売、サービスまで、プロジェクトスルーでマネージするチームプレーのプロジェクトマネージ組織とその人材群が大きな特徴だと思っています。

最近もトヨタ車のリコール報道がありました。トヨタ車だけではなく、日本車のリコールが多発しています。車両開発のプロジェクトマネージメント力低下、開発の丸投げ、過度なアウトソーシング化による技術力低下が要因ではと心配しています。787電池発火事故を他山の石として、この心配が杞憂に終わり、人材力と人材ネットワークを基本とするすり合わせ型を進化させた日本ならではのベクトルを合わせたチームプレーによるプロジェクトマネージ方式を作り上げ、次世代自動車でのリードを拡げて欲しいものです。

トヨタ・ハイブリッド・システムTHSの2013年問題?

先週8月15日の日経新聞に「トヨタ2013年問題、HV特許切れは危機か、機会か」との記事が掲載されました。要諦としては「これまでトヨタのHV特許によって、欧米、韓国勢のハイブリッド車参入が遅れていたものの、2013年にトヨタの特許が切れるとこぞって参入する。ハイブリッドマーケットが賑わえばハイブリッド用電池に使うリチウム資源の確保に向かい、このところ一時のブームが沈静化していたリチウム資源獲得競争が激化する可能性がある。またトヨタの特許問題がネックで開発が進まなかった中国でのハイブリッド車開発も進む可能性もあり、日本もうまくすればハイブリッド車革命の恩恵に浴せる可能性がある」との記事でした。

HV特許で参入が阻まれた?

実のところ、トヨタのHV特許が、他社のハイブリッド車の新規参入を妨げているとの記事にはびっくりしたというのが正直な感想です。このシナリオ通りに「トヨタのHV特許が切れて新規参入が活発になり、ハイブリッドマーケットが拡大する」なら大歓迎ですが、トヨタのHV特許があったからこれまで他社の参入が阻まれていたとの論調にはいろいろな意味で「?」を感じてしまいました。

というのも、このブログでも紹介した通りで、20世紀初頭のローナーポルシェハイブリッド車を引き合いにだすまでもなく、自動車用ハイブリッドは量産こそ「21世紀に間に合いました!」と先駆けることができましたが、古くから研究開発はさまざまなメーカー、研究所が行ってきたもので、また今では大手自動車メーカーの殆どがハイブリッド車を販売している状況であり、特許によってトヨタが独占している状況という訳ではありません。

初代プリウスで採用し、今ではトヨタ/レクサスの乗用車、ミニバン、SUVに搭載しているエンジン停止、EV機能を持つフルハイブリッドであるトヨタ・ハイブリッド・システム(THS)は、遊星ギアを使ったユニークな機構を採用しましたが、この遊星ギア機構自体はレオナルドダビンチの時代にも動力伝達機構として文献にも載っており、また自動車用動力伝達、変速機構としては極めてポピュラーな機構です。

さらに、THSと同じ構成のハイブリッドシステムは1950年代にアメリカの自動車部品会社から基本特許が出願されており、当時のモーター設計技術、モーター制御技術では車両搭載用の試作には至らなかったようですが、機構そのものはバラックモデルとして作動確認まで行われていたようです。初代プリウス搭載のTHS開発スタート時の特許調査でも、この特許がピックアップされており、すでに有効期限切れであったと報告を受けています。

もちろん、部品設計、制御技術、生産技術など様々な応用特許は出願していますし、今もハイブリッド開発は続いていますので、更にその応用特許の数は膨れ上がっていると思いますが、それでも他社のハイブリッド車の新規参入を阻むような状態ではないと思います。

特許での独占は考えていなかった

また、特許の有効期限は基本的には出願日から20年で、唯一有効期限として「先発明主義」をとっていたアメリカも1995年以降では出願日からの有効期限20年となりました。1995年はまさにTHSの本格的な研究開発をスタート年ですので、これからも2013年問題と指摘される特許が何を差すのか思い当たりませんでした。

また私の現役時代には、トヨタとして、環境技術、安全技術の発明考案については、特許によるトヨタの独占、技術の囲い込みをしないとの方針が議論され、ハイブリッドもその方針をとると再確認したことを記憶しています。もちろん、研究開発にも人、物、金を掛けましたので、その先行投資分の補填程度の応分の実施料は請求させていただいていたとは思いますが、決して特許による独占はめざしてはいませんでしたので、当時その中心に居た人間としてこの記事には腑に落ちないものです。

もちろん、開発エンジニアとしては他社の特許に抵触しない新しいアイデア考案を目指して開発を行っており、特にコンペティターの技術は意地でも使いたくないというのが正直なところで、抵触しそうなことが判れば、開発をやり直すことすらありました。ですから、例えばホンダがトヨタと違うハイブリッド方式を採用したことは良く理解ができました。しかしそれはあくまでエンジニアのプライドや意地といったもので、「特許で縛られているから、ハイブリッド参入が遅れた」というのは、環境対応自動車の開発を迫られ続けている大手自動車メーカーの参入が遅れた理由とはならないものです。
   

それはさておき、ハイブリッド競争の激化は大歓迎

日本では、ハイブリッド車の新車販売に占めるシェアが、昨年始めて10%を超えましたが、今年に入り、エコカー補助金の復活もあり、また環境意識の高まり、我慢のエコカーからFun to Driveなエコカーへの技術進化などにより、ハイブリッド車が大躍進を遂げ、シェア30%に届こうとの勢いとなっています。量産型ハイブリッドを送り出し、一部で「ハイブリッドの父」と呼ばれた私にとって、ハイブリッド普通の魅力あるクルマとして、輸入石油の削減、低カーボンに寄与するまでに成長してきたことを喜んでいます。

しかし、日経の記事にあるように、欧米でのハイブリッド車販売はまだまだで、リーマンショック前の2007年はシェア3%と急拡大を見せたアメリカでのハイブリッド車販売も2009年以降は販売台数だけではなく、シェアも低下、さらにトヨタ車の予期せぬ加速問題に端を発したリコール問題が大きく影響し、シェア2%を切るまでに低下しました。

今年は、震災影響などによるタマ不足も解消し、また他社からの新しいハイブリッド車の参入もあり、ハイブリッド車としての販売新記録となりそうな勢いです。しかし、それでもまだまだ日本ほどの勢いはありません。欧州もしかり、中国ではもっと極端、昨年のハイブリッド車販売台数は年間で2,580台、電気自動車の5,579台の半分にも満たない状況との報道もありました。

この日本以外でのハイブリッド車販売の伸び悩みがトヨタ特許のせいとは思ってもいませんが、何らかの2013年問題が、日経記事にある『ハイブリッド車革命』の阻害因子になっており、これがクリアされるのなら、トヨタ独占との意見には異議がありますが、歓迎すべきことと思います。

2013年問題がクリアされ、ハイブリッド車の新規参入が増え、次世代マーケットが拡大、賑わいを見せ、その中で、ハイブリッド車普及に共同で取り組んでいただいた、日本の様々なハイブリッド関連、材料、部品、工作機械メーカーの出番が増えることは大歓迎です。

アメリカで何度もあったハイブリッド特許裁判

さて、ハイブリッド特許問題と聞くと、私はいつもビクッとします。今日のブログで取り上げたトヨタ出願のハイブリッド特許の話ではなく、何度か訴えられた特許侵害訴訟での体験です。開発段階では、もちろん関連の侵害しそうな特許の洗い出しと判定は何度も何度も行います。また、黒、グレーの案件なら、その回避検討を徹底して行います。しかし、生産を開始した後で、発見される特許や、相手からの侵害警告を受けることもないわけではありません。

相手が自動車会社、部品会社のケースでは、そのほとんどはクロスライセンスや、金銭上の和解に持ち込めますし、そういったグレーゾーンの特許についてはお互い様ということもあり、ライセンシーフィーも世間水準がありそれほど揉めた記憶はありません。しかし、ハイブリッドでは、アメリカで評判になり、販売台数が増えるにつれ、町の発明家、研究者からの侵害警告とその特許訴訟が頻発しました。

凄腕の弁護士が、そのような個人の発明家、研究者の出願特許を拾い上げ、巨額な成功報酬を受け取る契約で特許訴訟を起すケースです。私自身こういった被告側の証人として何度も引っ張り出され、相手弁護士からの誘導尋問もありの尋問の経験は思い出したくもない経験です。しかしそのいずれもが、勝訴かそれに近い和解となり、会社としても販売停止や吹っかけられた巨額な賠償金の支払いは免れました。

とはいえ、ハイブリッド技術の開発の最中に海外に何度も呼び出され、長時間拘束され、犯人扱いの尋問を受けることは、如何に訴訟社会のアメリカでは当たり前とは言え、気持ちの良い体験ではありませんでした。

日本のハイブリッドは特許だけで生きているのではない

2013年問題に戻りますが、競争維持、先行技術保護の点から特許ももちろん重要ですが、日本のハイブリッド車をここまで進化させ普及させてきた日本の自動車開発力、もの作り技術がこれからも日本の大きなアドバンテージです。特許の実施権を供与したからと言って、技術供与を行い、同じ部品を提供したとしても、同じレベルの信頼性、品質を持ったハイブリッド車をそう簡単に作りあげることはできません。

THSの開発とここまでに至るには、トヨタだけではなく、材料、部品、工作機械から海外調達の商社の方々まで、知恵をギリギリと絞り、現場に入り、専門家同士のシビアな議論を続け、弛まぬ開発、改良、改善への取り組みが行われました。このもの作りネットワーク、そのトータルマネージが機能している限り、一部の特許期限が切れようが、ハイブリッド技術として日本が空洞化する心配はそれほどありません。

ハイブリッド車など次世代自動車は人類全体の地球エネルギー資源保全、気候変動抑制としてその普及を加速させる必要があります。日本だけの独占、囲い込みは許されませんが、中国、東南アジアでの普及拡大の技術移転には日本もの作り専門家集団の活躍が必要であり、その基盤となる日本次世代自動車マーケットの世界に先駆けた拡大と自動車産業全体の活性化により、これからも世界の次世代自動車への変革を日本がリードしていくことを期待しています。

 『ハングリーであれ! 愚かであれ!』 スティーブ・ジョブズ伝より

ジョブズの伝記を読み終えました

昨年10月にガンのため、56才でなくなったアップル社の創業者、スティーブ・ジョブズが、生前に直接彼の伝記執筆を米国「TIME」誌編集長、CNNのCEOなどを務めた著名な伝記作家ウォルター・アイザックソンに依頼し、彼の死後、10月末に彼の執筆したハードカバー版2刊もの『スティーブ・ジョブズ』I、IIが英語版に続き、日本版も講談社から出版されました。11月の上旬に購入し、ちょっと読み出したところで、その量の多さと最初の取っつきにくさに、この2月まで「積ん読」状態にありました。 

昨年のブログにも書きましたが、私は古くからのマック派で、仕事ではWindowsを使わざるを得なくなりましたが、プライベート用として、マックは一度も手放さず、最近ではプレゼンや海外出張にはMac book airを持ち歩いています。もちろん、携帯電話はi-Phone、さらに十分に使いこなしているとは言えませんがi-Padのユーザーでもあります。

この2月の始めに、積んであったこの本を読み出し、読んでいるうちにはまり込み、久しぶりに睡眠時間を削り、一気に読み切ってしまいました。内容の紹介は多くの書評などが出されていますのでそちらに譲ります。

以前のブログでも書きましたが、二人のスティーブ、スティーブ・ジョブズ、スティーブ・ウォズニアックがジョブズの実家ガレージを作業場としてマイコン・チップを組み合わせた手作りパーソナルコンピュータ開発としてアップルを創業したのが1976年4月、われわれも、マイコンを使ったエンジン制御に注目し、秋葉原でマイコン・チップを購入して自作した制御用コンピュータでこれも自作したソフトを組み込み、クルマを走らせたのが1976年のことです。

ほぼ同じ時代にマイコンを使った様々な用途へのアプリ開発が進み、アップル社はマックからパソコンの進化と情報ネット化を牽引し,さらにi-Pod, i-tunes, i-Phone, i-Pad, i-Cloudと情報メディアのパラダイムを変えていきました。産業分野が違い、向こうはベンチャーの経営者、こちらはエンジニアと比べるべくもありませんが、われわれは自動車の電子化を進め、エンジン制御、車両走安制御、そして車両統合制御としてのハイブリッド、プラグインハイブリッドをこの制御技術の基盤の上につくりあげました。

自動車業界の情報化もECT, VICSとナビ連携があたりまえになり、各社のテレマティックスサービスがスマートフォンと繋がり、自動車もいよいよ情報ネット接続が標準になるユビキタス化を迎えています。

ジョブズの伝記を読みながら、この1970年代から現在に至る、マイコン応用からスタートする『製品』進化の歴史のラップに興味を引かされました。

1976年とコンピュータ

日本の電卓メーカーの依頼でインテルが4ビットマイコンを開発したのが1971年、GMが世界初のマイコンエンジン制御として、点火時期だけを制御するマイザー(MISAR)を開発しオールズモビル・トロネードに搭載したのが1976年、アップル社が彼らの最初のパソコン、アップルIをニュージャジー州で開かれた第1回米国パソコン・フェスティバルに出品したのが同じ1976年9月、われわれが秋葉原でかき集めてマイコン・チップから手作りで作り上げた助手席を占有するぐらい大きな制御用コンピュータでクルマが動きはじめたのも1976年秋、振り返ると1976年がエポックの年として繋がるように感じます。

そのマイコン制御に手を染めた76年か、77年、実験データ処理をやっている電算グループの先輩と自動車マイコン制御の将来として、エンジンから車両全体のネットに繋がる車両統合制御システムへの発展、さらにネットで販売店、そしてトヨタとつながり、メンテナンス情報のオンラインチェック、故障診断、サービス情報の提供などへの発展などを語り合ったことを思い出します。そして、いまその殆どが、実現しようとしています。

このマイコンの進化、制御の進化がなければ、ハイブリッドの実用化ができなかったことは明かです。

本当に顧客の求める商品を作るということ

話をスティーブ・ジョブズ伝に戻すと、ジョブズ自身がアイザックソンに伝記執筆を依頼し、亡くなる寸前までインタビューに応じ、また執筆内容には一切注文を付けず、かつての恋人に、彼の性格を、自己中心主義を通り越して精神疾患としての「自己愛性人格障害」と言わしめるところまで、良くも悪くも全人格、人生をさらけ出すさまざまなエピソードを紹介していることに、彼の、またアメリカ文化のオープンさに感動しました。

またマイクロソフトのビル・ゲイツから、グーグルのエリック・シュミットまでに至るライバル達との論争、さらにはアル・ゴアからオバマ大統領とのやりとりまで、さらに、彼の手がけた製品に対する、完璧主義の凄まじいやりかたに共感を覚えながら読み切りました。

彼の病状が悪化するなか、永年のライバル、ビル・ゲイツがふらっとジョブズの自宅を見舞いに訪れ、3時間も懇談し、それまでの彼らのビジネス思想の違い「アップルの世界、“機器ハード、ソフト、そしてコンテンツ構成までクローズし、システム全体のコントロールを手放さないジョブズの統合アプローチ」と、「規格化されたハード構成上で動くWindowsに代表されるOSを提供し、そのOS上を走る様々なアプリソフトの開発を解放するオープン水平モデル」を主張するゲイツが、その全く違う二人のアプローチについて議論をし、ジョブズの主張する「統合アプローチも成功することをアップルは示したが、それはスティーブが舵を握っている間だけはうまくいったが、将来的に勝ち続けられるとは限らない」と反論したとのエピソードなどを、ゲイツからの取材として紹介していましたが、この二人の巨人のこの論争がどのような決着となるのか、興味津々でこれからも見ていきたいと思います。

彼の死後も、i-Phone, i-Padの好調で、アップル社はとうとう時価総額で世界一、トヨタの3倍の時価総額というとてつもない会社に成長した記事を見て今更ながら彼のすごさを感じました。

製品開発では、あたりまえのように顧客第一主義が取り上げられています。言葉の上ではその通りですが、わたし自身はそれに違和感を覚えていました。ジョブズの言葉として、

『顧客が今後、なにを望むようになるか、それを顧客本人よりも早く掴むのが僕らの仕事なんだ。欲しいものを見せてあげなければ、みんな、それが欲しいなんてわからない。だから僕は市場調査に頼らない。歴史のページにまだ書かれていないことを読み取ることが僕らの仕事なんだ』

と言っています。

このセリフに強い共感を覚えました。コンシューマ・プロダクトの開発では、今の社会、顧客ではなく、将来の社会、顧客ニーズを発掘するのが開発屋の醍醐味です。社会、顧客のニーズ、意識を先取りし、サプライズを与えられる製品こと目指すべきものです。ジョブズのセリフに共通点を見つけ、うれしくなりました。

1990年の始め、業務用の実験データ解析、技術レポート作成、論文、特許のデータベース化など、個人業務用のパソコン端末導入を計画し、NEC9801も個別には使っていましたが、どうもなじめず、そこでマックと出会ったことがマックにはまり込んだ始まりです。

プリウス開発チームではマックを使用していた

その時代は既にスティーブ・ジョブズはアップルから追い出され、アップルの衰退が始まっていた時代でしたが、デモをやってもらったMacintosh PlusかMacintosh SEをみて、そのグラフィカル・ユーザー・インターフェース(GUI)のすばらしさに感激し、またこのGUIと標準仕様のデーターベースリンクソフトのハイパーカードのセンスに、これだと決めて職場に導入しました。

以前のブログでも紹介しましたが、初代プリウスの開発チームにもマックが業務用パソコンとして配られ、インターネットならぬ、社内イントラネット上のメーリングシステムが、開発情報の共有化に効力を発揮してくれました。しかし、システムの信頼性はお世辞にも良いとは言えず、当時はたびたびフリーズし、折角の解析結果や作成中のレポートの作り直しなど、トラブルの多さに泣かされた記憶もあります。

アップルが傾き、その再建にジョブズが復帰したのが1997年、これも初代プリウス発売の年です。アップルに復帰してからの話は、ここで紹介するまでもありませんが、IBM/モトローラ製のコンピュータ・チップセットからWindowsとも共通のインテル製に切り替え、1998年にはディスプレー一体、半透明なブルーボディのiMacを登場させ、怒濤の攻勢をかけ世界一の会社にまで立ち上げたのが、彼の完璧主義による統合アプローチであり、凄みすら感じさせられます。

サプライズのある新しいものを作るためには

本書ではこのハード機器、OS、アプリソフト構成、さらにはそれで作りあげるコンテンツと統合システムまでコントロールしながらやる“エンドツーエンド”で製品を開発する例として『自動車会社』を例にあげています。しかし、一言追加して『昔はそうだった』とのコメントを残しています。以前に紹介したことがある、トヨタの車両主査制度で、かつての名物主査はこの統合アプローチのクルマ作りをやっていたように思います。

またジョブズは、自らを含め、

『クレージーな人たちがいる。反逆者、厄介者と呼ばれるひとたち。賞賛するひともけなす人もいる。しかし、彼らを無視することはだれにもできない。なぜなら、彼らは物事を変えたからだ。彼らは人間を前進させた。彼らはクレージーと言われるが、私たちは天才だと思う。自分が世界を変えられると本気で信ずる人たちこそが、本気の世界を変えているのだから』

と言っています。これも強い共感を覚えたセリフです。

プリウスハイブリッドの開発は、ジョブズがやったような完璧主義、統合アプローチの独裁的なプロジェクトではありませんでした。しかし、あの当時、トヨタが21世紀の自動車をやろうとそれまでの二番手主義をやめ、一瞬狂ったクレージープロジェクトだったと思います。開発チームにクレージーと呼べる人はいたかも知れませんが、天才は居ませんでした。しかし、開発チームとして、中核の何人かはサラリーマンではやれないような、完璧を目指し、端から見ると狂ったように取り組んだことは事実です。車両主査とシステムチーフのタイアップにより、完璧な統合アプローチにより「新しいクルマ」を作り上げたと今も自負しています。ジョブズのセリフ『昔はそうだった』のように、トヨタに限らず、サプライズを与え、時代を変える意気込みの未来のクルマに拘り抜いた、『統合アプローチ』のクルマ作りはできなくなっているように感じます。

如何に、大規模になろうが、また制御の固まり、ネットと繋がるクルマになろうが、クルマはクルマ、多くのお客様から未来のクルマと感じてもらい、またサプライズを感ずるクルマを、もういちどクレージー集団の『統合アプローチ』から生み出してもらいたいものです。

もう一つ、ジョブズの、強い共感を覚えた言葉を述べたいと思います。
『アップルの経営を上手くやるために働いているのではなく、最高のコンピュータを作るために仕事をしている』彼らしいセリフです。

今回のタイトルの『ハングリーであれ! 愚かであれ!』は、スティーブ・ジョブズが2005年6月12日にカリフォルニア州サンフランシスコの南、パラアルト市に美しく広大なキャンパスをもつ、スタンフォード大学の卒業式に招かれた時のスピーチの最後に学生達にあたえたメッセージのセンテンスです。
その中では、

(1)大学中退のいきさつ
(2)アップルから追放されるいきさつを例に、大切なものとそれを失うことについて
(3)死について

を語っています。
そして、最後に3度もこの『ハングリーであれ! 愚かであれ!』を強調してこのスピーチを終えているのが印象的でした。

‘You’ve got to find what you love,’ Jobs says
Stanford University news :http://news.stanford.edu/news/2005/june15/jobs-061505.html