プリウス開発秘話5 非常事態宣言

先日のトヨタの株主総会の報道を聞き、今から15年前の株主総会直後の出来事を思い起こしました。1996年7月、私は株主総会後を見計らって社内への「非常事態宣言アピール」を企てていました、社内に「このままではプリウスハイブリッド開発が立ち行かない。」とのプロジェクトの実情と今後の立て直しアクションの必要性を伝えようとしたのです。

クレイジー・プロジェクト

1997年12月初めを生産開始とする初代プリウスの開発にトップディシジョンが下りたのが1995年12月中旬でした。21世紀のスタンダードを目指すグローバルカーのスタディとしてスタートした社内コードG21プロジェクト、そのリーダー内山田(現技術担当副社長)の提案に対し、生産開始目標時期を1年以上も早める条件を付けた異例の決定でした。

そして、そのクルマはハイブリッド車とすることも同時に決定しました。ハイブリッド車の研究開発はそれまでもやっていましたが、G21用として選び出し、クルマの走りや燃費ポテンシャルを確かめるための最初の味見用として試作したハイブリッドシステムを載せた試作車がやっとよちよちと動きだした状態でした。また、その選び出したハイブリッドは、量産用どころか、試験研究用としてもトヨタでもまったくやったこともない機構のハイブリッドシステム、当時の同僚部長連の一部からは、成功するはずがない無謀なプロジェクト『クレイジー・プロジェクト』と言われていました。結果としては、その時に選んだシステムが、今のプリウスからレクサスにまで発展した、トヨタ・ハイブリッド・システムです。

車両主査はG21プロジェクトのリーダー内山田がそのまま担当することになり、1996年1月にはG21企画スタッフを増強して量産向けの車両開発がスタートしていきました。

その時点では、トップ方針として、G21の商品化はハイブリッドシステムだけを搭載するハイブリッド専用車にすることは決められていましたが、技術的はもちろん、経営的にも成立するかどうかは不明な状況、量産商品としてのフィージビリティスタディーも、マーケットスタディーもこれからでした。

年が明け1996年1月に入り、車両に搭載されるハイブリシステムの開発体制、組織、陣容をどうするかが、技術担当役員、部長連で喧々諤々、喧嘩腰の議論が戦わされました。決定を下したのは、当時の技術担当副社長からの鶴の一声、「このプロジェクトより優先のプロジェクトがあるなら言ってみろ!」の一言でした。何人かの技術担当役員、さらに設計担当の部長達の多くは成功する見込みは少ないと主張しており、同僚の部長達の間では開発責任者として貧乏籤を誰が引くかとの噂が流れるなか、カリフォルニア州向けのクリーンエンジン開発のリーダーをやっていた私に白羽の矢が立ち、電話で有無をいわせず担当役員から通告されたのが2月中旬のことでした。すぐ、それまでの勤務地である静岡の研究所から豊田市にある本社に出張し、状況のヒアリングを始め、2月29日(木)には単身赴任寮に引っ越しし3月1日(金)にはリーダーとしての勤務に入りました。

プリウスハイブリッド開発プロジェクトチームの直轄スタッフは4名、ここで選んだハイブリッドはこのブログでも何度か紹介した、エンジン発電機とクルマを走らせる電気モーターを独立にもち、エンジン停止させたまま、電気モーター単独でクルマを走らせることができるフル機能をもったハイブリッドでした。このフルハイブリッドでは、発電機やモーターによる電池の充放電やクルマのすべての電気系に電力を供給することになりますので、クルマの走行中はもちろん、停車中も電気で動くすべての部品に電気供給を行うなどエネルギー全体のマネージメントの設計とその取りまとめ役が直轄グループの役割でした。

エンジン、トランスミッション、制御コンピュータとその制御ソフト、ブレーキ、シャシー、ボデー、さらにはハイブリッドトランスミッションに組み込まれるモーター、発電機、それを動かす電気パワーコントロールユニット、さらにハイブリッド電池、ブレーキ、電動パワステなどなど、クルマの走る、曲がる、止るにかかわる構成システムとその部品、さらには電気で動くすべてのシステムと部品の設計スペックを確認し、各設計担当と決めていくこともこのグループの重要な機能です。従来設計組織の中にはないシステム設計企画と調整が役割の臨時チームが実態です。

車両主査とそのスタッフが決めた車両企画にもとづき、共同で性能目標を達成するハイブリッドのスペックを決めていくことが最初のスタッフの作業で、最初の試作車用としてはカローラクラス、1.5lエンジン搭載のハイブリッドスペックが机上計算で求められ、そのスペックで試作が進められていました。その評価を皮切りに、量産用として品質、信頼性も確保し、そのうえで生産することのできるスペックを決めていく作業のまとめ役です。まとめ役と言えば聞こえは良いのですが、スタート時は私を入れてもたった5人、既存の設計部隊の担当外、定義に入れられない項目は担当組織が確定するまでこのグループの担当、さらにドライバーが車に乗り込み、起動スイッチを入れるところから、走り、曲がり、止まり、さらに起動スイッチをオフするところまでの、アプリと称するハイブリッドシステムの起動、故障診断、停止、バックアップ、フェールセーフといった基本制御系、さらに走行制御系の設計まで、共同作業も含まれますが、プログラムのコーディング、デバッギング、さらには車両で発生した原因がわからない不具合の調査もこのスタッフの役割でした。

1996年の2月、3月の段階ではそのスタッフはオフイスの机に席を温める暇は全くなく、テストコース、実験現場、コンピュータールームと飛び回っており、リーダーに指名されたといえども、試作車の試乗や状況報告を求めたり、技術レクチャーを求めることもはばかられる状態でした。ハイブリッドシステムの企画書、説明書など参考資料を手渡され、自分でこのハイブリッドの中身を理解しようと悪戦苦闘する毎日を過ごしました。

5月に入ると、最初とほぼ同じ仕様での試作車の数が増え、さまざまな設計チーム、機能評価チーム、車両評価チームにクルマが配車されるようになり、開発が本格化していきました。この評価車両の増加と同期して、一気にさまざまな不具合が矢継ぎ早に報告されるようになってきました。これも、当然と言えば当然、まだまだ通常の車両開発に入れるフェーズではありませんから、山のような不具合報告がでるのは想定内でした。しかし想定内とはいえ、エンジン軸から発電機やモーター、車輪にトルクを伝えるインプットシャフトがぼきぼきと折れ、電池が煙をだし、テストコースや技術部構内道路のいたるところで試作車が故障停止、走行中にエンジンを止めたり、かけたりするたびに大きなショックを発生し、さらに燃費は従来車の2倍の目標にはほど遠い状況と、致命的とも思える深刻な不具合の報告の連続には、やはり無謀な『クレイジー・プロジェクト』との部長達の言葉が身に染みる状況に思え、このプロジェクトの幕の引き時とそのディシジョンプロセスを頭に浮かべるようになってきました。

このようなこれまでにはないハイブリッド車といえども車両主査が実務の最終責任者であることが、先人が築き上げたトヨタのクルマづくりの根幹をなす車両主査制度です。ハイブリッドリーダーはそのサポート役です。

共有された「危機」

幕の引き時は頭に浮かべ、さらに影響の小さい順番に、やめ時のマイルストーンを置いた裏の開発日程計画は作っておきましたが、車両主査、そのスタッフと多発する不具合の整理を行い、その対策検討体制、組織を作り上げ、右往左往の開発から、緊急事態をお互いに理解しあい、不具合現象ごとに関連部署のスタッフを集め、リーダーを明確にした組織横断のタスクフォース活動を中心に有事の体制で開発を乗り切っていこうと舵をきったのが、冒頭で述べた7月上旬、新役員のハイブリッド担当が公表された株主総会が終わったあとのタイミングでした。そのときに、私が作った緊急事態宣言のアピール文をばらまき、体制変更と、増員にと走り回りました。

大きな不具合の多発にもオタオタとせず、車両からの手も的確にうち、遅れ遅れのスケジュール調整をやってくれる車両主査のディシジョンとリーダシップに何度も助けられる思いをしました。

私はトヨタのエンジニアとして39年、そのすべてを開発設計現場で過ごしました。その間、トヨタにとって有事と感じたのは、60年代後半から70年前半にやってきたアメリカの大気浄化法、通称マスキー規制に対応するクリーンエンジン開発と、それが引き金になり矢次早にやってきた日本の50年、51年、53年排気ガス規制に対応するクリーンエンジン開発だったと思います。このマスキー法対応プロジェクトの開発要員としてエンジン屋のキャリアをスタートさせた私にとっても、トヨタの有事として、技術分野、専門分野を超えたプロジェクト体制を引いた最初がこのマスキー法対応プロジェクトでした。当時のトップからもこの対応に後れをとっては、自動車企業として成長できないとの危機感が伝えられ、臨戦態勢をとり開発に取り組み、大きな技術課題を克服していったことが今の成長に繋がったものと確信しています。ハイブリッド開発にもその経験が生かせたと思っています。
図は、その時に作成して配布した、緊急事態宣言の一部です。

緊急事態宣言
緊急事態宣言

プリウスハイブリッド開発は、このマスキープロジェクトに比べると、公表前ならば止めるとの選択肢もあっただけに、このときほど有事とは言えませんが、トップ・プロジェクト、チャレンジプロジェクトです。やり遂げることができれば、そのインパクトは大きく、また技術開発陣にとっても大きな自信になります。しかし、逆に量産商品として大きな不具合をマーケットで起こせば、トヨタのイメージダウンどころか、21世紀にやり遂げなければいけない環境自動車としてのメニュー「ハイブリッド」に傷をつけることになってしまいます。この1996年7月の状況で、こうならないようにやめ時も意識し、有事として開発を進めるプロジェクトに切り替え、紆余曲折、量産化にたどり着くことができました。

幸いにも、やめる提案は結局しないで済み、マーケットでの不具合でお客様にご迷惑をおかけしましたが、不意打ちの大きな不具合は起こさず、速い品質向上活動で乗り切ることができました。さらに、その後、弛まず続けてきた品質向上、性能向上、原価改善努力もあり、ここまで成長してきたとの感慨を深めています。

常に有事の想定を

もちろん、有事の体制が連続して続けられるわけではありませんが、このような緊急事態、企業としての勝負の時、有事を意識した組織、体制、人材活用、そのマネージ、危機管理は非常に重要です。

一昨年からの、意図せぬ急加速問題は、マットの問題、シャフトの問題の範囲に帰結し、制御系での疑いは晴れましたが、その兆候をキャッチした後の、有事との判断遅れが、ここまでの拡大につながったと銘記すべきと感じました。それでも、その後の以前のトヨタWayに戻る、真摯なアクションが事態の速い沈静化をもたらしたものと思います。

トヨタだけではありませんが、日本の自動車エンジニアの中でも、マスキー対応など、本当の有事の体験者が少なくなり、さらにプリウスハイブリッドのような21世紀の自動車パラダイムチェンジを意識した『クレイジー・プロジェクト』のマネージメント体験者も少なくなり、平時のやり方としてのマニュアル・エンジニアが増加しているように感じられます。

大震災以後、さらに原発事故にたいする政官の動きをみるにつけ、日本には基本的には有事の議論すら置き去りにし、想定外におしとどめてきたように思え、この有事にこそリーダシップを発揮する人材がいなくなっていることに愕然としています。

この災害に一番機能したのが、有事を想定した組織である、自衛隊、警察、消防の方々であったことは明らかで、政官が有事、緊急事態のもとで機能不全を露呈させました。
有事に活躍できる、人材の発掘、長期的にはその育成が急務です。

これは、政官だけではなく、企業も同じ、グローバル競争、そのうえでの資源、環境、技術ナショナリズム勃興など今が有事、企業内でも戦略・ビジョンと現場の知恵を結集できる有事の人材発掘と育成に取り組むことが時代の要請ではないでしょうか?

緊急事態宣言後、どのようにこの事態を乗り切っていったかは、また機会がありましたら、開発秘話としてお伝えしていきたと思っています。

21世紀への先駆ける、ナンバー1を目指したプリウス開発

先日の新聞記事で、「開発中の日本の次世代スーパーコンピューター『京』が、スパコン性能ランキングで1位になり、これは02年~04年に首位だった海洋研究開発機構の『地球シミュレータ』以来となる国産で7年ぶりの首位奪還」と報道されました。

この分野は09年の事業仕訳で、民主党の蓮舫議員が「なぜ世界一を目指すのか、二番ではだめですか?」のセリフで有名になったものです。実際に予算削減が行われたかどうかは定かではありませんが、その状況の中での世界一奪還には、この事業仕訳で追及されたことも発奮材料となった強い意志による快挙と感じました。蓮舫議員は、「1位が自己目的化しないように、学術、産業界の将来の明るい夢に具体的につなげていくことを期待する」とのコメントを残していますが、もちろん、このコメントにある「学術、産業界の未来の夢につなげる」ことを目指し、事業仕訳の狙いでもあった「無駄を排除したぎりぎりの予算で」の条件はついて当たり前ですが、科学技術立国日本のシンボルとしてもこれからも世界一維持をめざし、手を緩めずにその進化に取り組まれることを期待します。これで、昨年世界一であった中国勢(NUDT天河一号A)の巻き返しも見もの、フェアな競争があってこそ科学技術は正常に進化していきます。

ハイブリッドプリウスの開発でも、間違いなく世界一、世界初を意識して開発に取り組みました。世界初のハイブリッドとの厳密な定義では、プリウスは該当しません。プリウス発売後の講演で、わたしも紹介していましたが、まだガソリンやディーゼル自動車が主流になる前、ポルシェの名前のハイブリッド車が内燃機関自動車の弱点をカバーするものとして開発されています。今年のジュネーブモーターショーのポルシェ・ブースでこの世界初のハイブリッド自動車を、「ポルシェ918スパイダー」、「ポルシェカイエンハイブリッド」「ポルシェパラメーラハイブリッド」と並べ、誇らしげに展示していました。1997年にプリウスの発売に先駆け、アウディ社が60台のディーゼルハイブリッドを市販しましたが、ベースのディーゼル車と燃費は変わらず、その60台のみで打ち切りになっていました。プリウスは量産ハイブリッド車世界初と紹介しましたが、発売を前にその物言いが議論になり、当時のトップが量産というなら最低限 月1,000台の生産は必要との決断をいただき生産規模を決めたいきさつがありました。われわれ開発陣も、量産世界初というからには、継続して販売できるようなクルマを目指そう、一回限りの広告宣伝車ではなく、21世紀のスタンダードを目指すとの想いと志で一致していました。

ハイブリッドでのナンバー1争い

1990年~1995年にかけては、アメリカ・カリフォルニア州の大気環境規制強化として、究極のクリーン車として排気ガスを出さないゼロエミッション車、すなわち電気自動車の販売をある一定量の販売を、GM、FORD、Toyotaなど販売台数の多い7社に義務付けるZero Emission Vehicle(ZEV)規制の導入を決めました。各社とも電気自動車の開発に力をいれましたが、マーケット商品として、実用化のハードルは非常に高く、ハイブリッドもZEVと認められる可能性もあるとして、ハイブリッドの研究開発が一時盛んに行われました。この7社のほとんどは、ハイブリッドの開発もやっていたと思います。

1993年になると、カリフォルニア州はエンジンをもつハイブリッド車はZEVとは認めないとの決定を下し、ZEVをめぐるハイブリッド開発競争は沈静化しました。しかし、トヨタをはじめとする日本勢は、排気のクリーン化というよりも、ハイブリッドによる燃費提言、CO2排出削減に着目してハイブリッド開発を継続したようです。トヨタは量産化一番乗りとして地球温暖化問題が議論された京都COP3開催に合わせ、1997年12月の販売開始を目指しました。初代プリウスは国内向けに限定したことから、ホンダはそれから2年弱遅れの1999年9月にアメリカ初を謳い文句にインサイトの発売を開始しました。われわれも、一番乗り競争にやぶれ悔しい思いを何度もし、その度に次の巻き返しを誓いあいましたので、このときのホンダさんの悔しさと、2人乗りであっても燃費NO.1の奪還と、アメリカ初のタイトルを何が何でも手にいれようとの本気度を痛切に感じました。当然、開発スタッフに、負けてはなるものかと次の指示を出したことを覚えています。

2000年マイナーチェンジのプリウスでは、電池、モーター、トランスミッションからインバーターに至るまで、ハイブリッドのほぼすべての部品を作りかえるぐらいの大改良をやりましたが、国内の公式燃費値が30越えの目標を達成できず、10-15モードで29㎞/lに留まってしまい、次の年2001年に発売されたシビックハイブリッドの29.5㎞/lに抜かれてしまいました。これはホンダが間違いなくプリウスを意識してチャレンジした燃費と思っていますが、気を緩めると抜かれるのが当然です。

私は目前に次の2003年のモデルチェンジが迫っていましたが、このまま同クラスのハイブリッドの後塵を拝しては本家ハイブリッドの沽券に係わると、コンパクトクラス燃費NO1の奪還の檄を飛ばし、仕様小改良の申請を行い31㎞/lと抜き返してもらいました。その上、2003年のモデルチェンジでは、35.5㎞/lとさらにダントツ一番を獲得しました。もちろん、お互い様でしょうが、相手の技術は細部の細部まで調べ上げ、その次の手まで考えながら追いつかれない様、抜かれない様にチャレンジし続けることが技術進化の源と今も信じています。

今以上、これ以上を求める競争が、技術進歩を生んだ

燃費の一番争いについて述べてきましたが、もちろんクルマとしてのトップ争いは燃費だけではありませんし、公称燃費値の競争だけを意識しているわけではありません。2003年モデルチェンジは走りの性能向上、静かさなどなど、内輪ではコストを下げて収益性の改善も目標、燃費も社内目標では実走行での燃費向上が優先度の高いターゲットでした。しかし、カタログにも載り同じ試験のやり方で同じ走行モードを走り測定される公称値も大切な目標です。

グローバルに激烈な開発競争を繰り広げている自動車の世界で、すべての面でダントツ一番を目指すことはほぼ不可能です。おかげさまで、昨年の販売台数ではお客様にダントツ一番の評価を頂いたことは、開発に携わったものとしてはどの一番よりもうれしいことですが、これで天狗になっては進化が止まります。“走る”、“止まる”、“曲がる”の基本性能ではまだまだ学ぶべきクルマ、改良すべき点が多々あります。技術進化に終点はありません。燃費ナンバーワンを守りつつ、その他の性能でもそれぞれのナンバーワンに使づける努力が大切です。

もちろん、新技術導入やカタログにのるスペックの一番争いや、Car of the Year受賞争いだけがチャレンジではありません。初代プリウスでは、故障が多く、品質の面でお客様にご迷惑をおかけしましたが、迅速な故障原因の究明と的確な修理支援に開発スタッフの精鋭による特別チームが全国を走り回り、故障部品の再発防止、品質向上に即断即決、部品製造現場にまで入り込み、現場の人たちとともに品質向上に努めてくれました。ハイブリッドではない普通車の品質レベルが目標で品質一番をめざしたわけではありませんが、この活動が功を奏し、普通車の品質レベルを上回るどころか、初代最後の年2002年には、アメリカのJ.D.パワー品質ランキングでカローラやシビックなど普通車を押しのけてコンパクトクラスナンバーワン品質を獲得することができました。これは今もわれわれの勲章です。

ハイブリッド開発はそれまでのトヨタの80点主義からの脱皮をめざすものでした。どの分野であっても、1番をめざしてこそ、1番になる可能性が出てきます。2番狙いでは、結局2番にすら届かないことが通例です。さらに現代のシステム規模が大きくなった科学技術開発では、一人の天才ではなく多くの知恵と努力を結集させなければその一番狙いの目標に近づくことすらできません。最近、若者の理系離れが進み、科学技術分野で世界一の声を聴くことが少なくなったのではと心配をしていました。スパコン『京』の世界一奪還にならい、2番狙いではなく多くの一番狙いのチャレンジを期待します。

プリウス、ハイブリッドの13年間

プリウス年間販売新記録樹立

今年、プリウスの国内販売台数は11月までに29万7563台に達し、1990年にカローラシリーズ(カローラ/スプリンター)が記録した30万8台という年間販売台数記録まで2445台に迫っており、登録業務の終了している今日時点(30日)でこの記録を超えていることは確実となっています。
カローラが記録を作った1990年は国内自動車販売台数が778万台と史上最高を記録した年で、ご存知の通り国内販売台数はこれをピークに低下の一途を辿っています。昨年などは、リーマンショックに起因した不況による消費の冷え込みの影響などによってピークの1990年に比べ40%も低下した461万台となっていましたが、今年はエコカー補助金の効果などもあって少しだけ持ち直し国内販売台数は500万台に届くか届かないかという数字が予測されています。このような状況下での販売台数記録の樹立というのは、少なくない意義があるのではないかと個人的には思っています。
初代プリウスから、今のプリウスの企画まで、開発に携わってメンバーの一人として、ここまで多くのお客様にご愛用いただいていることに心より感謝申しあげます。また、国内外の至る所でプリウスが当たり前の普通のクルマとして走っているのを見かけるようになったことに隔世の感を覚えます。
そこで、初代プリウスの発売をスタートさせた丁度13年前の12月のことを思い出し、今年最後のブログとして、欧米に追いつき追い越せと取り組んできた自動車屋として、次の自動車技術として何とかリードしたいと取り組んだハイブリッドプリウスの生産時のエピソードをご紹介し、少し怪しくなってきた日本のリードをどうまき直すか考えてみたいと思います。

プリウスが生まれた日

プリウス発売
プリウス発売

1997年12月10日(水)に豊田市にあるトヨタ自動車高岡工場のカローラ生産ラインの隣に作られたサブラインからプリウスの初号車がラインオフしていきました。とはいえ、私はいくつか残っている心配点の対応に追われ、残念ながらこのラインオフ式には参加できませんでした。
また、通常ではラインオフしたクルマはそのまま各地の販売店に送られ、お客様の手元に届くのですが、この時のプリウスは少し違っていました。実は、クルマの品質としてお客様にお出しして良いかの最終判定をする出荷品質確認会議が次の11日にまで繰り延べになってしまっていたのです。
出荷品質確認会議というのは、開発から生産、そして品質保証の実務責任者が一堂に会して生産開始前まで行って来た様々な不具合対策の状況とその確認結果のレビューを行い、さらに現地現物でクルマを最終確認する場です。この会議を経た上に、更に工場の管理責任者の承認を得て、ようやくクルマは実際に出荷されることとなります。
とはいえ、通常のクルマであれば生産がこの段階に達しているのであれば、出荷品質確認会議も、生産サイドと品質保証サイドそして車両企画グループの少人数が参加した、一種のセレモニーで終わるところです。しかし初代プリウスでは、出荷の最後の最後まで確認を行い、実務部隊のスタッフと責任者が共同責任として出荷にGOサインを出すこととしました。この提案に異議を唱えるスタッフはいませんでした。それは、関わった皆の心に、最後の最後まで現地現物で品質の追及をするという「Toyota Way」が埋め込まれていたからに他ならないと私は思っています。
その会議が終わってようやく、プリウスは生産された高岡工場から、続々とトレラーに積まれて各地の販売店さんに向かって送り出されていきました。これが世界で初めて「量産されたハイブリッド・カー」が生まれた瞬間です。

街を走り始めるプリウス

この12月の年始年末休みまでの間、販売店にお届けしてお客様に納車した台数は約300台でした。たった300台ですが、このハイブリッドプリウスが、一般の道路で走り始め、最初の連休を迎えます。先ほど書いたように万全を期し、また安全・安心性能は念には念を入れて確認し、意地悪に意地悪の試験を繰り返し送り出したつもりです。しかし、不安を抱いて送り出したというのが正直なところでした。
今だから白状しますが、新規システムや新部品のオンパレードで完全新設計のクルマです、故障の発生はあって当然と覚悟していました。更にそれに加えて、開発期間も短いことから修理書の作成も不十分、販売店サービススタッフへの説明とトレーニングに費やす時間も非常に限られたものとなり、状況は決して楽観できるものではありませんでした。
もちろん、安心、安全に関わる問題が発生したケースでは、生産を停止させ、また既にお売りしたクルマへの緊急対処が行うこと、さらにそこまで至らない不具合であっても、早急な原因究明と修理を行い、不具合をおこした部品やシステムの改良・改善をスピーディに行うこと、これが全く新しい機構ハイブリッドを備えたクルマを世に送り出す我々の使命だと考えていました。
そこで、不具合を起したクルマのお客様へのご迷惑を最小現に抑え、また販売店サービスの修理活動を支援し、そのクルマでの再発を防止し、さらにその不具合の真因を探り、それが広がらないように処置をする特別チームを発足させました。この特別チームの結成は、ハイブリッド開発に加わっていた車両評価のベテランスタッフの提案でした。

プリウスサポート特別チームの働き

特別チームの活動開始日は1997年12月22日の月曜日。チームは品質保証部隊のオフィスを拠点として、また全国販売店のサービス活動も支援することになりますので、トヨタ内のサービス部門とも連携をとった活動を行います。メンバーは基本的には常に動けるように拠点に待機し、販売店が店を閉める年末の30日~1月4日も帰宅はするもののホットラインは常に繋いでおき直ぐに緊急出動を出来る体制をとりました。またインバータや電池、ハイブリッドトランスミッションなど、ハイブリッド用の大物新設部品を全国主要サービス拠点にストックする手筈も整えました。
初動は、26日(金)の大阪であったように記憶しています。大阪のある会社に納車したプリウスが、その会社の構内で故障コーションを点灯して止まったとの報告です。その連絡を受け、HVQRと名付けたチームメンバーがモニター用として使っているプリウスで豊田から大阪まで走り、販売店スタッフと一緒にその不具合状況を確認しました。ほぼ故障原因の目星をつけ、その可能性がある部品をいくつか交換し、再発しないことを確認し、その日のうちに交換部品を回収し帰ってきました。
我々はすぐに原因の絞り込み作業に入り、問題報告内容と回収された部品から、トヨタの工場で製造しているモータ/発電機制御用のコンピュータの不具合が原因と突き止めました。そこで我々は、連休で停止中の工場検査ラインを稼働し、故障を起した部品を特定する検査を行うこととしました。その工場の検査担当スタッフは長期連休で帰省中でしたたが、すぐに工場に駆けつけてラインを動かしてくれました。
なぜそこまでしたかというと、その部品単独の問題か、設計上の問題かの特定を早急に行う必要があると判断したからです。これが設計に起因する問題ならば、すでに販売店さんに配車したクルマやすでにお客様に納車したすべてのクルマと、連休明けに計画している生産予定のクルマ全てに問題があることとなり緊急措置が必要となります。対策が打てるまでの生産中止も覚悟しました。もし、部品単独の問題であっても、その不具合の可能性を掴み、その部品製造と検査段階にフィードバックをかけ、不具合部品のコンピュータ製造工場納入への流出防止と製造ラインでの再発防止へのアクションが必要です。
検査の結果は、海外半導体メーカ製の小さな半導体チップを構成している多くのトランジスター回路のたった一個の不良でした。そこまで突き止め、工場検査担当、コンピュータ設計担当、納入部品の商社と、納入済み部品の再検査、輸入部品の検査強化による不具合部品の流入防止、部品製造会社での再発防止と流出防止のアクションプランを29日の内には決め休みに入ることができました。これ以外に、2件の不具合連絡を受けましたが、いずれも30日までに処置を決めることができました。
これはほんの一例にすぎません。このような臨機応変、冗談抜きに特別チームによる24時間体制のスピーディな修理支援、原因調査、改善対策の活動を続け、プリウスの不具合発生率は1998年秋には立ち上がりの時期に比べて三分の一までに低減されました。しかし、こうした不具合発生で多くのお客様にご迷惑もお掛けしました。せめて、修理はスピィーディに、また同じ不具合の再発だけは避けようと取り組みました。お叱りもいただきましたが、多くの励ましもいただき、これも特別チームスタッフやその活動を見守っていたわれわれの支えでした。

本当の「もの作り」は作るだけではない

こうした、クルマとして、ハイブリッドシステム全体として信頼性、品質向上の弛まぬ活動、この活動とリンクした構成部品の一点一点に至るまでの改善作業をやりきる力が日本のもの作りパワーの源泉と実感しました。この活動の結果として、従来車よりも30%近く部品点数の多いハイブリッド車が、アメリカの品質調査などの市場調査、コンサルタント会社J. D.パワー社が選ぶ、2002年コンパクトカークラスの初期品質NO1の獲得を果たすことができました。これはわれわれにとっても、今も大きな勲章です。
ハイブリッドシステムというシステムイノベーションにチャレンジしたうえで、この日本のもの作りパワーで量産技術としてとんでもないレベルの信頼性、品質向上に取り組でくれた人たちの活動に支えられ、安全、安心、さらに懐にも優しく、これからの当たり前のクルマとして、20年ぶりの国内販売新記録に結びついたものと思います。
イノベーション技術にチャレンジする人材、そのチャレンジ技術を量産商品としての信頼性、品質の作り込み、さらに現場の知恵に知恵を重ね弛まぬ改善に取り組んでいる人材、そのチームプレーと共同作業を行える人材群が日本のアドバンテージです。
「~に先駆けて」がプリウスの由来、また「21世紀に間に合いました」のキャッチフレーズで送り出した初代プリウス、国内販売新記録を記録する最量販車にまで育てていただきました。そろそろ、次は「~に先駆けて」のイノベーション技術にチャレンジするプリウスの役割に戻る時期かもしれません。それがどのようなチャレンジになるのか、その夢を描きながら来年を迎えたいと思っております。

初代プリウス・ハイブリッドのトラクション制御顛末記

最初は機械部品保護の為だったトラクション制御

初代プリウスのハイブリッドシステムには、モータによるスリップを低減する制御を採用していました。

この機能はクルマのマニュアルにも、クルマの販売店や修理工場向けにお出しする新型車解説書、修理書にもあまり詳しく説明は加えていませんでした。
当時の新型車解説書を見ても、THS(トヨタハイブリッドシステム)の説明部分に、たった2行の説明として

7. その他の特徴と注意
(1)THSは滑りやすい路面などで駆動輪がスリップし、前輪の車輪速度が後輪に対し過大になると、駆動力を抑制し、スリップを低減する制御を行います。

との記述があるだけで、それ以外の解説はどこを眺めても出ていません。

これはこの制御が基本的にはTHS部品が壊れないように保護することが目的で取り入れたもので、はじめからTHSの売りの機能として開発したものでは無かったからです。

そもそもこれは、THSがそのような場合にたまたまタイヤのスリップを抑制するトラクション制御に近い作動を行うことから、この制御を行ったときに故障と思われないようにスリップインジケータ灯を点灯するとともに、この機能を説明書に書き加えたのが真相です。

今では、250万台以上ものトヨタのハイブリッド車に搭載されるようになったTHS(トヨタハイブリッドシステム)ですが、この時にこの部品保護が狙いから始まったスリップ抑制制御が、後々の回生ブレーキ制御やステアリング制御と連動してクルマのスリップ安全性を高める先進VSC(Vehicle Stability Control)へと発展しています。

THSのトラクション制御のメカニズム

ではもう少し細かくTHSのトラクション制御について説明しましょう。
THSトランスミッション_図1

THSのハイブリッドトランスミッションの説明には、必ず動力分割機構の構成と、各走行状態でのエンジン・発電機・モータの運転状態を説明する共線図が示されています。
図1は初代プリウス・ハイブリッドトランスミッションのカットモデルです。THSには通常のオートマ車にあるトルクコンバータも変速ギアも、クラッチもさらには後進のギアもありません。
中央付近に動力分割機構と呼ぶ遊星ギアがあり、それにエンジン、発電機、モータが接続され、機械的にはかなりシンプルな機構となっています。
THSトランスミッション_図2

図2はこの動力分割機構部の接続模式図です。
図にあるように、エンジンは遊星ギアのリングギアとサンギアの間に置かれたピニオンギアを取り付けているキャリアに接続され、発電機は真ん中のサンギア、モータは外周部のリングギアに接続されています。さらにモータが接続されているリングギアはチェーンとギアを介しデフギアに繋がれており、デフギアに2分割されその2つのシャフトに先にホイールがありタイヤが取り付けられています。THSではこのように、エンジン、発電機、モータ、そしてモータからタイヤは、機械的に接続されていることになります。

この遊星ギアの動作を説明するときによく共線図というグラフが使われます。
THSトランスミッション_図3
THSトランスミッション_図4
図3と図4はこの共線図をつかって、タイヤスリップ抑制のトラクション制御やタイヤのロック防止ブレーキ制御(ABS)の挙動変化を説明します。

遊星ギアでのサンギア、キャリア、リングギアの回転数は、この共線図にしめされるように、タイヤのスリップやロックのような状態でも、図のように直線関係を保ったまま変化します。

THSでは、エンジンを止めたままでのモータによるEV走行や、エンジン運転を行いながら発電機で電池を充電させ、下り坂での減速回生、ブレーキを踏んだ時の回生などを行っています。また、後退走行ではモータを逆回転させることによってクルマを動かしています。

このような機構を用いることによってTHSは、さまざまな運転状態、作動状態、環境条件でドライバーの走行要求に応じてクルマを走らせることを可能としています。

しかしこの機構は様々な走行に柔軟に対応できる一方、逆にその動作範囲の広さから一部の条件下では、衝撃が構成部品の設計条件を超えて部品の破損を招く、もしくは大きなショックやドライバーの意図しないクルマの挙動を引き起こす恐れもありました。

特に、アイスバーンなど滑りやすい路面でのタイヤスリップ(図3 ❶→❷の変化)やタイヤロック(図4 ❸→❹の変化)などでは、タイヤ速度の急激な変化が、共線図の特性によって、モータや発電機の回転数を大きく変化させてしまいます。

この回転数の急激な変化は、モータや発電機の電圧、電流の大きな変動を引き起こし、場合によっては、電流/電圧制御用のパワー素子を破損してしまうことが判りました。また、この回転数の急変はトランスミッション部品やデフ部品の破損を招く懸念もありました。

我々はこれを防ぐため、急激なタイヤスリップを防ぐ制御、すなわちモータ回転の急上昇を防ぐ回転制御を行うことにしました。これは、まさにアイスバーンなどの発進時や先回時にタイヤスリップを防ぐトラクション制御ほぼ同じ動作です。上にも書いた通り、初代プリウスでは、最初はトラクション制御を目的とはせず、まずは部品保護からこの制御を採用したのです。

また、タイヤ回転数の急激な変化としては、アイスバーンなど滑りやすい路面でブレーキをかけたときのタイヤロックもあります。これを防ぐのがABS(アンチロックブレーキシステム)です。プリウスでは、重いモータがチェーンとデフを介しタイヤにもつながっており、一度タイヤがロックしてしまうと、従来のクルマのABSにくらべ、ブレーキに油圧を抜いても、なかなかタイヤが回ってくれない状況もおこりました。言い換えると、ABS制御の効きが悪い状態です。
これも、応答性の良いモータに電流を流し、少しタイヤを回してやることで解決しました。

開発は実際の環境で行わなくてはならない

初代プリウスの開発は、1997年12月の販売開始を決めて量産プロジェクトをスタートさせたのが1995年の12月です。このようなタイヤのスリップやロックがおきやすい、アイスバーンや雪道で評価、確認を行えるチャンスは95~96年と96~97年の2回の冬だけ、しかも95~96年の冬はまだ試作品ができたばかり、商品にするクルマとして評価出来るレベルではありませんでした。

残りのチャンスは96~97年の冬だけ、それでも生産開始前までに10ヶ月以上も間があり、その状況では開発はまだまだ最終仕様からはほど遠い状況でした。タイヤスリップ防止、ロックからの復帰制御の大枠は確認され、部品保護の見通しはつけてはいましたが、クルマのショックや挙動をチューニングするには至るところが未完成の状態でした。

極低温や高温での試験として、クルマを低温室や高温室に入れて走らせ、評価・チューニングすることはいつでも出来ます。しかし、疑似環境やコンピューターを使ったシミュレーションでの確認だけでは、実際のクルマの多種多様な路面状態や運転状態を網羅することはできません。

アイスバーン、雪道と一口でいってもその状況は様々です。さらに、それに加え実際の道路での登坂、降坂運転での確認は、冬に実地で行うしかないのです。結局、最後の最後は、北半球の夏の時期に冬を迎えるニュージーランドにクルマを持って行き、そこの高地で、気温が下がって雪が降るのを祈りながらチューニングと確認を行いました。

開発は販売後も続く

こうして開発を終えた初代プリウスは1997年の12月に発売を開始したのですが、すぐそのトラクション制御が問われる状況が東京と北海道で発生しました。

年が明けた1月の中旬、東京で何年かに一度の大雪が降り、その雪道でトラクションらしき制御が働き、他のクルマが動けなくなったのに、スリップを防ぎながら走れたとの報告と、その時に大きなショックが発生したとのお客様からの報告が我々の下に入ったのです。
インターネットの情報サイトでは、トラクション制御の隠しモードとも紹介されました。

一方北海道からはまた別の報告があり、これは普通のクルマのようにトラクション制御をカットさせるスイッチを付けて欲しいとの要望でした。従来のトラクションコントロール採用車では、雪道走行に慣れたドライバー用に制御キャンセルスイッチを付けていました。雪国のベテランドライバーにとっては、過剰制御で走りにくい、また雪道の轍からの脱出が難しいとの苦情もあったためです。

しかし、THSのトラクション制御の本来の狙いは、部品の保護が目的であり、キャンセルスイッチは採用できません。
その後は、キャンセルスイッチが無くても過剰制御にならないよう、また応答性良く駆動力を出せる電気モータと、さらにブレーキバイワイヤと電気モータによるパワーステアリング機能を協調させたS-VSC(Steering Assisting Vehicle Stability Control)へとそのトラクション制御を進化させ、ハイブリッド自動車ならではの走行安定性、操舵性を実現させることによってその返答とさせて頂きました。コンピューター上だけで、またきちっと整備され管理された路面のテストコースだけでは、実際のクルマの開発はできません。

自動車開発で大切なこととこれからの自動車産業

今回の解説とエピソードは、クルマの走る、曲がる、止まるに関わる新しいシステムを商品として世に送り出す時の、現地、現物、クルマの挙動としての確認が重要な例としてご紹介しました。

最近よくメディアの記事に、電気自動車であればコンピューター産業がそうなったように、汎用化した部品を組み立てることによって自動車メーカーでなくても簡単に自動車が作れるとの論調を目にします。また、このような意見の中には、このように参入障壁が下がることによって、大メーカーによって寡占化し硬直化した自動車産業が再活性化されることがメリットとして述べているものも多くあります。ですが、私はこのような意見に大いに疑問を抱いています

ここに書いた通り、商品として、世界中の様々な走行条件、環境条件、路面状態で、安心、安全にお使い頂けるクルマを作るのはそれほど簡単なことではありません。これは電気自動車であろうと、何も変わるものではありませんし、変えてはいけないものです。

ベンチャー企業等が夢を持って自動車産業に参入することは歓迎しますが、自動車を商品として販売するのにも最も重要な安心・安全の保証ができる設計評価技術や生産技術は簡単に得られるものではありません。そしてその部分で不安を覚えるクルマが、消費者の方々に広く浸透することなどないだろうとも思います。これは現状の自動車産業を擁護するという意図ではなく、新たに自動車産業に入ろうとする方々にはそのレベルに到達してほしいとのエールを含めた、私からの意見です。
また、今の自動車会社の設計評価や生産技術のエンジニアも、このクルマとしての最重要な基本部分に念には念をいれて取り組んで欲しいと思います、そしてそれこそがこの自動車産業を未来に続くものにするということを、肝に銘じて欲しいと願っています。

プリウス開発秘話 2 ハイブリッドの始動

今、世界中で150万台近いプリウスが走り回っています。クルマだけに限らないと思いますが、エンジニアにとって自分がその誕生に関わった製品が、世の中に受け入れられ多くの人々に使用していただけるというのは、この上のない喜びです。特にプリウスのように、未踏の領域に挑戦するものであればなおさらです。

さて、前の「プリウス開発秘話」では、カメマークの表示についてお話ししましたが、今回は従来のガソリンエンジン車と大きく変わったプリウスの始動方法と電子式シフトの開発について少しだけ説明したいと思います。

敢えてエンジンをかけた初代プリウス

最初に掲げたとおり、プリウスを含めたハイブリッドが決して珍しいものではなくなり、始動時にエンジンのかからないクルマであることを驚く方も少なくなってきていると思います。ですが、クルマの始動というのはドライバーにとっては非常に大切な所作(儀式?)であり、この一つ一つのシーケンスをどう決めていくのか、その新しい形となるハイブリッドの始動について初代のプリウスの開発設計段階で、様々な議論を喧々諤々と行い、クルマの操作系としての設計指針との整合を取りながら様々な検討をして決めていったことを、今でも鮮明に憶えています。
その結果、初代のプリウスでは、あまり大きく始動・操作系を変更するとドライバーが違和感を受け運転への集中が削がれる可能性があるとの判断のもと、スタートは従来のようにキーを差し込んで、それをひねってエンジンを始動させるという、従来のクルマと同じシーケンスを採用しました。
初代プリウスで搭載していたハイブリッドシステムでも、エンジンを掛けずにモータだけで走らせることが構造上可能でしたが、敢えてスタート時には必ずエンジンを起動させ、システムの正常チェックをし、触媒暖機制御が終了したのちにエンジン停止を行い、モータ走行をさせていました。
その理由は先ほど書いた違和感をドライバーが受けることなくする為であり、というのも当時は、エンジンの始動音とクルマの揺れを、クルマが正常であるかどうかの判断材料の一つにしていた方も多くいたことからでした。また、走行中にエンジンを止めることは燃費向上に寄与するハイブリッドの力を感じることのできる最大の動作のひとつですが、その走行中のエンジン停止ですら「このクルマはエンストするから気持ちが悪い」などとのご意見もいただいたものです。

トヨタ・ハイブリッド・システム(THS)の始動メカニズム

THS
上の図はTHSの構成を示すもので、ご覧いただければ解かるとおり、エンジン軸、発電機、さらにはモータ軸とデファレンシャルギアへ伝達するクルマの駆動力となる出力軸が、遊星ギアの三つの軸に繋がっており、従来のガソリンエンジン車のミッションのようにそれぞれの軸の駆動力を遮断するクラッチはついていません。
THSではギアを介してそれぞれの軸が機械的に繋がっていますので、エンジンを起動させるために発電機をスタータモータとしてエンジンを回転させるときや、エンジンがガソリン蒸気に点火してエンジンパワーを発生したとき、モータでクルマを駆動するとき、さらには減速時にモータを発電機として作動させ回生発電をするときなど、エンジン、発電機、モータ三つの駆動力発生源のどれかを動かす時には、その反作用として他に軸にも反力が伝わる構造となっています。ドライバー操作によらない、エンジン始動や停止による反力によって、クルマが動いたり大きなショックが発生しないように、反力キャンセル制御を行っていますが、最初の始動時や停車中には、安全・安心保証のためドライバーの操作にも制約をつけ、その操作状況を表示し、正規のシーケンスから外れる可能性のあるときには警告音をだしています。
たとえば、スタート時、クルマが停車中であり、スタート操作でクルマが動き出さないことを保証するために、ブレーキを踏んで油圧がでていること、さらにはPレンジに入れてあることをスタート(Ready)条件とし、最初にエンジン始動を行うシーケンスを採用していました。これが成立していないとエンジンが始動せず、またReadyもオンにはなりません。またその状態で、ドライバーがクルマから離れないように、ドアをあけると警告音を出していました。また、停車中のNレンジでは、エンジン始動を行わず、この状態で長時間放置されると、電池の充電ができずにからになってしまうこともあるため、音声により、エンジンを始動し充電ができるように、Pポジションに入れ、Dレンジ操作を行うよう音声ガイダンスを行なうなど、安全、安心保証を考えられる限り考えて設計、評価を行いました。
また、クルマの発進についても様々な検討を行いました。例えば、あまりマナーの良い運転ではありませんが交通量の多い道で、右折時に停車状態から急加速して対面の直進方向から来るクルマを抜けるようにして運転するケースなどは、その運転の是非はあるものの決して見ることの少なくない状況だと思います。ここでクルマに求められるのは、モータ走行からエンジン始動しエンジンパワーを出して急加速することで、もしこのケースでエンジンがかからなければ衝突の危険すらあります。

エンジン起動はクルマの安心の基本中の基本

初代開発当時は、AT車の走行中のエンストは走行安全にも関わる大きな市場問題との認識がある時代でした。その中で、エンジン停止走行をしょっちゅう行うハイブリッド車で、エンジンの確実な始動保証は高いハードルです。強力な電池とスタータ(発電機)によるエンジン高速回転、さらにこの高速回転での確実な燃料噴射と点火、加えて、燃料噴射や点火、さらには発電機や電池など、エンジン起動不良の要因になる故障は、その前兆現象を含め検出感度を高めて検出するなどして、さまざまな意地悪評価を行い、寒冷地、高温地域、山岳路、大都市の渋滞路などを走り回り、耐久走行試験を繰り返し、最後は清水の舞台から飛び降りる覚悟でエンジン始動、停止シーケンスを決めていきました。
ボタン一つで、スタートできるようにしたのは2代目プリウスからですが、今では従来のエンジン車までボタンスタートとなり、またガソリンエンジン車でアイドリングストップ機構を備えるクルマも多くなり、エンジン停止が当たり前の時代になってきたように感じます。
しかし、古いエンジン屋にとっては、長期間使われる自動車エンジンの始動保証は非常にハードルの高い課題との認識でした。エンジン起動技術や故障診断システムの進化、スタータや補機バッテリー品質の向上などにより、エンジン停止システムの実用化が進んできているとは思いますが、エンジン起動はクルマの安心、安全性能保証の基本中の基本であり、信頼性品質のさらなる向上に期待します。

プリウス開発秘話1:初代プリウスのカメマーク

時の流れは早いもので、初代プリウスを発売してから今年で13年目となります。プリウス開発に関するエピソードなどは、有難いことに発売後にそれを扱った幾つもの本が出版され、私もインタビューや講演などで語る機会を頂いたりしています。しかしながら、そのような場では、文字数や時間の制限などで、漏れてしまうものもがありますし、当時は現役の会社員としてなかなか口にできなかった話もあります。これからプリウス開発秘話として、そのようなエピソードを時々紹介していきたいと思いますので、お付き合いいただければ幸いです。

さてでは初回である今回は、初代プリウスのインパネに表示されていたカメマークの話をしようと思います。

カメマークとは

通称カメマーク、正式には出力制限ウォーニングインジケータランプと呼びます。当時の解説書では「モータ、ジェネレータ、HVバッテリー、インバータの過負荷運転によるHVバッテリー残量の低下防止のため、出力制限運転中であることをランプの点灯により運転者に警告します」と説明しています。この警告灯は初代プリウスの1997年12月の生産車から2000年5月の初代マイナーチェンジまでの期間のクルマだけ採用されたもので、このマイナーチェンジの時に廃止をしましたので、このカメマークのことを記憶にとどめておられる方は少なくなったのではないでしょうか。解説書の説明のように、通常のドライブで発揮できる走行パワーを大幅に下回った場合に、その状態を認識せず追い越しをしてヒヤッとされることや、いつもよりもパワーが足りない時にそれをすぐに故障と判断せれることがないよう、ドライバーにその状態を明確に知って頂くために設定しました。

出力制限を設ける理由

さて、なぜ出力制限を設けるかというと、クルマを電気モータで駆動するクルマは従来のクルマと少し違って長時間運転を続けると過負荷運転となってしまい、それに起因した部品の破損や故障に至らないよう、多くの部位をその出力を絞る行うことを前提として部品設計を行っているからです。

「出力制限などせず、長時間運転ができるような設計を行えばよい」と思われるかもしれません、しかしながら満足な長時間運転に耐える設計を行うとなると、モータ、ジェネレータ、電池、インバータの冷却能力を大幅アップさせ、かつ温度上昇のスピードを抑えるためにそれらやパワー素子のサイズアップなどを行わねばならず、それはクルマの重量増、搭載容積の低下、そしてなによりコスト上昇に直結します。

このため我々は、様々な走行条件、使用環境を想定しながら、ギリギリの厳しい条件では出力制限を行うという判断をし、それによりハイブリッドの実用化にこぎ着けました。

出力制限の具体例を挙げると、夏の山路のアップ・ダウン走行では、登坂時の電池アシストおよび降坂時の大きなパワーの回生充電で電池が高温になることから、この出力制限を設定する必要があります。また、このような走りを続けた場合には、モータも高温になって設計保証温度を超える危険があることから、出力制限を行っています。さらに、モータやジェネレータを動かすパワー素子がつまったインバータは、坂道発進時にアクセルコントロールでクルマを止めている状態では、一瞬に大電流が流れるため出力制限を行っています。なお、この出力制限は、故障の防止、寿命低下の防止、重量増の抑制、部品のコンパクト設計、さらにはコスト増の抑制のため、今も全てのハイブリッド車で実施しています。

カメマーク採用のいきさつ

初代プリウスのケースでは、最初の企画段階では、日本の高速道路での走行を想定して、通常の高速登坂走行で少し余裕を持たせてエンジンの出力やアシストパワー、電池の搭載容量を決めました。ですが、プロトタイプを作って実際にクルマを走らせてみると、様々な状況で出力制限に引っかかること、またそれを引き起こす要因が継続する条件もあることが判ってきました。特に富士や伊吹、さらには六甲、箱根などの登坂では、電池パワーアシストを使い過ぎると当初企画通りのエンジンパワーだけでは、流れにのった走行ができなくなることもあったのです。これは改造申請をした正規の白ナンバー試験車ができ、一般路をいろいろ走ることができるようになってから明かになった問題です。

また、もう一つの電池の出力制限としては、電池の温度が低いときの出力制限があります。寒冷地の冬で、電池温度が低下するにつて急激に出せる出力が低下してしまう特性です。ハイブリッドの特徴ですが、電池からの出力が低下しても、その分をエンジン出力で補うことができればパワーダウンなくクルマを走らせることができます。しかし、初代プリウスの企画段階のエンジン最高出力は40kW、エンジン出力で補うだけの余裕はありませんでした。急遽、設計仕様を大幅に変更しない範囲で出力向上を図り、結局43kWの最高出力まであげましたが、これでも不十分、最後の決断として電池アシストパワーとエンジンパワーを加えた通常の走行可能パワーをある割合低下してしまったときに、出力制限灯を点灯し、運転者に注意を促すことにしました。これが、カメマーク採用のいきさつです。

もちろん、カメマーク点灯は故障ではなく上記の通りクルマを守る為に組み込んだ仕様です、しかし今だから正直に白状しますが、性能不十分の言い訳であることに違いはありません。ただ、可愛らしいカメの表示と、理解のある日本のお客様に恵まれたことから、一種のユーモアとして好意的にお受け取りいただき、大きな苦情を戴かなかったことには、今も大きな感謝の念を忘れてはいません。しかし、クルマの基本特性として不十分であることは明かであり、我々はすぐにこの問題に取り組み、エンジン出力をさらに向上させることによって、電池の出力制限があっても、初代で決めた全体出力低下の割合を下回らないシステムに改良し、最初のマイナーチェンジ後のプリウスでカメマークを廃止することができました。

互いに補えるからこそ「ハイブリッド」

また上記のエンジン出力の強化に加え、電池も冷却性能の改良、電池の充放電効率の改良、低温性能の向上などに取り組み、電池の出力制限頻度そのものも減らすように改良を続けてきました。電気駆動系の出力制限について、世界中の様々な走行条件、使用環境条件の中で色々なことを学びましたが、この中でハイブリッドシステムにおけるエンジンの重要性もいまさらながら思い知らされました。実際のクルマの走行では電池の高低温、エネルギーを使い切った等の状況は決して珍しい事態ではありません。電池の過熱状態、低温状態、または充電量が減った状態で無理矢理出力を出してしまうと、電池の劣化につながり、電池寿命も短くなります。

我々が開発したハイブリッドでは、このような電池の出力を絞る必要がある条件では、エンジンパワーを増やすことによって電池の保護も行っているのです。出力制限というと良くない事に思われるかもしれませんが、ハイブリッドが個人ユーザの通常の使い方では、電池の途中交換を必要としないレベルにまでも進化したのは、きめ細かい電池保護の出力制限制御をしているからこそなのです。

プリウスを発売したとき、ハイブリッドの説明として電気とエンジンの「いいとこどり」をしていると説明しました。いま考えると、すこしこれでは言葉足らずだったかなとも思います。電気とエンジンは、お互いの「いいとこ」だけを使っているのではなく、互いの「いいとこ」を引き出す為にお互いが相手の「欠点」を補いあっている素晴らしいパートナーなのです。

ハイブリッドの開発を行ったというと、クリーンな電気駆動をクルマの世界に取戻して、脱エンジンの道筋を作ったと思われがちです。しかし、実際に開発を行った私が抱いたのは、およそそれとは逆で、実際の様々な走行環境の中で“大事に大事に”使う必要がある電池やモータを補うエンジンの頼もしさ、そしてポテンシャルの大きさでした。エンジンはプラグインを含むハイブリッドに、電池の保護、クルマの走行パワーの確保、心地よいエンジンサウンドとともにFun to Driveな走行の楽しさを今も、これからも与えてくれると私は確信しています。