2000年マイナーチェンジでのビッグチェンジ

今日は2000年5月に発売を開始した初代プリウスのマイナーチェンジのエピソードをご紹介します。車両としてはマイナーチェンジ、外形デザインに大きな変更はなく、初代初期型についていた車両前後バンパーの防振ゴム、通称カツブシがなくなり、これで見分けることができます。いまでもこの黒いカツブシバンパーの初代初期型プリウスとマイナーモデルを見かけるとその健気さと、大切に使っていただいているお客様への感謝で胸一杯になります。

1997年12月、なんとか『21世紀に間に合いました』とのキャッチコピーで国内販売に漕ぎ着けることができましたが、正直言ってすぐに欧米導入をする自信はありませんでした。米国、欧州での販売スタートはこの2000年のマイナーチェンジからでした。初代の発売時にもトップや広報サイドから欧米導入を検討するようにとの話がありましたが、国内で経験を積み、それをフィードバックするためにマイナーまで見送ってもらいました。
しかしこの合間をついたホンダの初代インサイトに北米初の量産ハイブリッド車の座を明け渡してしまったことは今も癪の種ですが、こうした新技術一番のり競争が技術進化を加速させることも確かです。

マイナーチェンジ

実質的にはフルモデルチェンジだった2000年マイナーチェンジ

北米、北欧の氷点下40℃からアリゾナ、ネバダの50℃近い気温、コロラド州コロラドスプリングスから登っていく標高4301メートルのパイクスピークは特別としても、デンバー付近では標高2500mを超える峠道はざらで、加えて通常の小型車でも時速150キロ程度で流れているドイツアウトバーン走行で危険を感じないで走るには力不足であることは明らかでした。アウトバーンももちろん平たん路だけではありません。時速150キロで流れる3%を超える坂道もあります。それすら世界の走行環境からはほんの一部、その普及への次のマイルストーンとしたのが、北米、欧州導入を目指すこのマイナーチェンジでした。

さらに信頼性、耐久性品質の確保には万全を期したつもりですが、クルマからハイブリッド、その構成部品のエンジンまですべて新規開発、これまで作ったこともない部品のオンパレードです。17年たった後に開き直ると新技術、新システム、新部品に故障はつきもの、路上故障で走れなくなるとお客様へとんでもないご迷惑をおかけしてしまいます。国内海外を問わずお客様にご迷惑をおかけすることには変わりはありませんが、国内ならば故障時の処置をスピードアップさせ、御免なさいで乗り切ろうと覚悟を決めました。

これも以前のブログで紹介しましたが、初代発売と同時にシステム開発評価のスタッフ達が、故障修理支援、原因究明、対策の特別チームを結成し、24時間以内の処置完了、不具合再発ゼロを合言葉に国内販売店からの連絡に即応し飛び回ってくれました。初期不具合の多発で多くのお客様にご迷惑をおかけしましたが、その後のスピーディーな対応でご迷惑をおかけしたお客様からも声援の声をいただき、日本ユーザーの暖かさをしみじみ感じた二年間でした。

欧米で通用する基本性能の確保と日本での経験、信頼性品質向上への取り組みのフィードバック、欧米のクルマの使い方を想定した設計見直しが必要と判断しました。クルマはマイナーチェンジですが、モーター、発電機、インバータ、電池などハイブリッド構成部品の90%以上をすべて作り直すハイブリッドシステムとしてはほぼフルモデルチェンジ規模の大変更を行ったのがこの2000年のマイナーチェンジです。

生産販売を行っている初代プリウスの少なくはない不具合調査と修理支援、さらに不具合原因の対策とその効果の確認をやりながら、同時にシステムとしてのビッグチェンジを行う作業を同じスタッフ達にやってもらいました。初代と同様の超短期、息のつけない、これもまた誰も過去に経験したことのない苦しい開発だった筈です。多くの専門スタッフがいたわけではありません。初代プリウス開発の途中から加わった若手が戦力になり、初代をやり遂げたスタッフ達とこれまた少数精鋭、やり遂げたことが、さらにその先の二代目プリウス、ハリアーハイブリッド、エスティマへとトヨタ・ハイブリッド・システム(THS)が発展していきました。その意味でも、このマイナーチェンジがそれからのTHS拡大のエポックであったように思います。

白紙で見なおしたフェールセーフ制御

この、マイナーでのビッグチェンジで今のTHSの発展につながる、ハイブリッドシステム制御系変更のトピックスをいくつか紹介したいと思います。

その一つが、システム故障時にクルマを安全に退避させ、他の部品への不具合の波及を防ぐ、フェールセーフ制御の見直しです。エンジンと電気モーターを使い分けて走らせるのがハイブリッドです。走る、止まる、曲がる、クルマの基本機能を動かすエネルギー、電力をマネージするのがハイブリッド制御系、マイナーでこれを全く白紙から作り直す作業を行いました。

この基本部分が、フェールセーフ系の再構築と故障診断判定制御です。初代の立ち上がりでは、ハイブリッドシステム故障、部品故障を検出し、それぞれのコンピューターから故障信号が送られてくると、エネルギー、駆動力、電力供給を止めるシステムシャットダウンを基本としていました。制動力、操舵力維持の最低限の電力供給を行い、惰行で回避してもらいクルマを止めるやりかたです。

走行駆動力、制動力、操舵力を保障できない故障の最後の手段がシステムダウンです。開発段階でトンネルを出た直後のシャットダウンで生きた心地がしなかったとのスタッフからの報告も受けていました。車線の多い道路の右折待機中のシャットダウンなどなど、走行中のシステムシャットダウン制御が決して安心、安全なやりかたではないことはもちろん判っていました。しかし、当初は正常、故障判定をしっかり行って残りの走行機能でできる限りの退避走行をさせるだけのシステム設計の詰めまではできず、電池が使える時のモーター走行以外はシャットダウンを基本とせざるを得ませんでした。

エンジン、電気モーターの二系統の駆動源を持つのがハイブリッドですので、故障判定さえしっかりやれれば故障していていない動力源を使って退避走行させる機能は従来車以上にやれます。しかし、故障か正常か、仮に正常と判定したとしてもどこまでそれを使って良いか、その判定は簡単ではありません。飛行機は二重系が原則、場合によっては三重系での多数決で判定することも重要部分ではやっていると聞かされました。

二重系ではどちらが正常かの判定はできません。また三重系や故障検出センサーを増やしては、部品点数を増やし複雑にした分、故障確率が増え信頼性はかえって低下してしまいかねません。さらに自動車ではそこまでのコストを掛けた設計では実用化は難しくなってしまうことも開発屋の本音です。初代は止む無く、最後の歯止めがシャットダウンでした。

ハイブリッドではサービスの見直しが必要だった

マイナーでは、このシャットダウン制御の根本からの見直しを行いました。様々な故障モードでクルマの挙動としてどうなるか、その挙動と退避走行制御への切り替えでドライバーのパニック操作を引き起こしてしまわないか、制御プログラムだけの変更と疑似信号でのシミュレーション実験やデバッギングで済ませる訳にはいきません。構成部品一点一点の故障モード解析とクルマでの挙動解析とその確認実験、エンジンやトランスミッション、モーター設計スタッフ達、それぞれの制御設計スタッフ達とのデザインレビューの繰り返し、殴り合いまではいかないまでもその故障判定条件、設計判定条件のレビューでは喧々諤々の論争と、実際のクルマを使った故障再現とその確認の繰り返し作業でした。

この作業を通し作り上げたのが、その後のTHSの基本となる、故障診断、フェールセーフ制御系です。車両、システム挙動からの故障判定、部品信号モニターからの故障判定、さらにこのシステムレビューとクルマ、システム、部品レベルまでの正常挙動、異常挙動分析と故障診断を行い、このマイナーチェンジからシステム故障時もすぐにシャットダウンではなく、駆動力を出せるかぎりは走らせる方式へと切り替えていくことができました。

このシステム挙動分析、確認試験の繰り返しにより作り上げたもう一つの機能が、故障修理、整備の時に使う故障診断、修理サービスツール、システムの構築です。初代の立ち上がりに故障修理支援の特別活動を行った理由の一つが、この新しいハイブリッドシステムの修理書、サービスツール開発まで手が回らず、さらに販売店サービスマンの故障診断、修理トレーニングも十分に行えなかったこともあります。欧米展開を見送った理由の一つもこの故障診断、サービスツールの整備をやってからとの判断がありました。

初代立ち上がりでは、販売店トップから販売店での修理、サービスが難しいとのお叱りもいただきましたが、何とか特別活動チームの頑張りと、こうした特別チームの支援により乗り切りました。マイナーでの故障現象の判定ばかりではなく、故障部位、故障部品まで特定する新しい故障診断システムを整備し、さらに日本だけではなく、欧米拠点でのサービスマントレーニングも充実させたことが、振り返るとTHS発展のもう一つのターニングポイントだったと思います。

このブログを書いている最中に三代目プリウスのモーター制御系リコールのニュースが飛び込んできました。非常に残念なことですが、初代、マイナー、二代目、三代目とここで取り上げたシステム制御の信頼性、品質向上に取り組んだ蓄積がまだまだ有る筈、190万台ものお客様にご迷惑をおかけしてしまったことを肝に銘じ、迅速、確実な対応を進めてくれるものと信じています。

プリウスのある最初の正月 16年前の年末・年始

さすがに道で初代プリウスの初期型を見かけることは少なくなってきました。この初期型を我々は「カツブシ」と呼んでおり、前後のバンパーの黒い防振ゴムで初期型と2000年マイナー後を見分けることができます。

初期型の生産が豊田市にある高岡工場で始まったのが1997年の年の瀬の迫った12月10日、その年にお客様にお渡しできたのはわずか300台程度だったと記憶しています。発売とともにその年のカーオブザイヤーなど、自動車関係の賞を総なめにし、新聞、雑誌、TVと大きく取り上げられていましたので、街を走っていても注目の的でした。

生産を開始しディーラーで販売が開始しても、われわれ開発チームの仕事がそれで終わりではありません。ほっとするまもなく、チーフエンジニアやハイブリッド開発リーダーだった我々は様々なイベント対応や取材対応に追われ、そのころにはすでにマーケットでの不具合対策支援特別チームが動きだしていました。

通常のクルマなら、販売前にしっかりと修理書を作成し、サービスツールを用意し、新機構、新技術が使われる場合には事前に販売店のサービスマンに集まってもらい時間をとり説明と修理トレーニングを行っています。しかし今だから明かせる話ですが、プリウスではその修理書を充分吟味する時間もなく、サービスツールも開発中のハンディー版のみで、その不具合診断ソフトも十分ではありませんでした。

最初のプリウス不具合対策は聖火リレー伴走車

立ち上がりには万全を期したつもりですが、開き直った言い方とはなりますが新機構・新技術がてんこ盛りのクルマで、不具合が起こることも想定の内として覚悟していました。それに備えて、ハイブリッドシステムの品質、信頼性監査のリーダーが、自分がチーフになり販売店サービスを支援とその対策チームによる特別活動をする提案してくれました。不具合報告を受けた販売店に出向き、サービスマンを支援しその対策処置をし、次にその不具合が起こらないように設計、製造段階への早い改善フィードバックを行うことがそのチームの役割です。

チームの初動は、実は12月10日~に販売を開始したクルマではなく、その前の量産トライのクルマを白ナンバー登録したイベント対応車でした。このプリウス量産トライ車が次の年に開催された長野オリンピック聖火リレーの伴走車として使われていましたが、このクルマで起きた不具合が最初だったと記憶しています。オリンピック聖火の伴走車ですので、きわめて低速の走行が継続し、そうした走り方の中で連続走行後のあるタイミングでいわゆる“ビックリマーク”を点灯し止まってしまう不具合です。これを解決したのも彼らのチームでした。

その伴走車の走り方から不具合発生までのシーケンスをヒアリングし、その走行パターンを自分たちの試験車で何度も何度もトライをし、システム制御チームからヒアリングをしながら原因を突き止めていく作業です。この原因もこの走行パターンでしかおこらないバグ、偶然に近い確率で起きる問題がほとんどで、突き止めるまでが大変です。

そこまで突き止めれば不具合対策は簡単です。これが年末年始を迎えての特別活動のトライとなり、また品質保証部隊、サービス支援部隊との連携、さらに、設計、生産、調達チームとのコミュニケーションネットワークもこうしたトライ、その各部隊へのフィードバックで太くなっていったように思います。

プリウスの不具合報告で幕を開けた1998年

本格的な活動は、その年末休暇入り前日の26日から30日までは休日出勤で、その後の大晦日から4日までは販売店の休みに合わせお休みのつもりでしたが、すぐその初日からの出動となってしまいました。

プリウスにハイブリッド部品を納入している大阪の会社が買われたクルマが納車後すぐに“ビックリマーク”点灯で動かなくなってしまったとの連絡です。Dレンジで走り始めようとしたら数センチ下がりそこで止まってしまったとの報告に、青ざめたことを覚えています。

チームメンバー3人がプリウスに乗り、すぐに大阪に出張し、販売店サービスと一緒に調査しました。サービス用ツールを使い吸い上げた故障時情報と、チームメンバーのシステム制御設計スタッフと共同で突き止めた不具合原因がモーター制御用コンピュータ不良でした。

このコンピュータを生産していたのがトヨタの広瀬工場で、すでに郷里へ帰省していた工場検査の責任者に会社に戻ってもらいました。休日出勤で検査ラインを動かし、大阪から持ち帰ったコンピュータを検査してクルマでおこした不具合が再現することを確認してもらいました。さらに、その不具合がモーター制御に使っている回転数と前後進判定をおこなっているセンサー信号を受ける海外製ICを構成しているトランジスター1個の製造不良であることまで、その日には突き止めていました。

全国の販売店サービスへの事例紹介と修理方法の連絡、連休明けにそのICの受け入れ検査の強化、コンピュータ検査ラインでの不具合落としプロセス追加など、戦略をまとめて大晦日と正月を迎えました。はらはら、ひやひやしながらの年末、年始でしたが、元旦にはプリウスのモニター車で京都の八坂神社に初詣に行き、ハイブリッドの発展を祈り、いつにない額のお賽銭をはずんだことを思い出します。

結局この不具合は、連休明けのアクションが功を奏し、このクルマとすでに配車していた数台のクルマで喰いとめることができました。

年始休暇明けには関東地区に大雪が降りました。初代プリウスでは、雪道や凍結路でタイヤがスリップすると、トランスミッションのギアが破損するモードがあるとのことで、トラクション制御に似たスリップ防止制御を入れていました。

これまた言い訳ですが、冬の確認とチューニングが不十分で、とてもトラクション制御と言える代物ではなく、場合によっては大きなショックが発生しましたが、これがまた怪我の功名、時ならぬ東京の大雪でこのトラクションもどき制御が結構スリップ防止に役立ったとのことを後で聞かされました。

この制御は、その後2000年マイナーチェンジでの改良、2003年の二代目プリウスの電動パワステ、回生協調ブレーキと連携してモーター制御を行うS-VSC(Steering-assisting vehicle stability control:横滑り防止システム)へと発展していきました。

現場が支えたプリウスの立ち上げ

この特別チームの活動は1998年秋まで続き、その後も特別との名称はなくなりましたが2000年マイナーチェンジでの欧米展開、さらにこれまでのサービス支援活動の経験を生かし2003年の二代目でさらに故障診断方式、診断ツール、修理マニュアルの大改訂へと繋がっていきました。このような活動が、昨年に累計500万台を超えたトヨタハイブリッドの発展を支えてきたと信じています。

一時、トヨタの安全品質問題での大転倒でプリウスのハイブリッド制御も疑われました。この安全・信頼性品質への初代からの取り組みが踏襲されていれば、疑いは晴れると信じていましたが、一抹の不安はぬぐえませんでした。しかし結果はご存知の通りで、米国運輸省、宇宙航空局NASAなど制御系の専門家が綿密な調査を行い、制御系には問題なしとの判定が下り、われわれのやり方は正しかったとホッとしました。

現場を見なければ良いクルマは作れない

このブログでも、現地、現物、現車の現場主義がトヨタウェイの基本と述べてきました。この現物主義は何も、トヨタ社内の開発現場、生産現場、サービス現場だけに限定したものではありません。

今日のブログで紹介した、海外製IC不具合では、このICを取り扱った商社スタッフの方々が飛び廻り、時間をおかず、試験装置を追加して輸入品の受け入れ検査を強化してくれました。海外調達部品の製造会社が倒産しかかり、その梃入れと欠品がでないように動きまわったのも、日本商社の方々とトヨタ調達スタッフです。ここも立派な現場です。

このような活動をしっかりマネージするマネージ現場、それをフォローし承認する役員そうの経営現場、このすべてを現場と呼んでいます。このさまざまな現場のコミュニケーションがとれたから、あのハイブリッド・プリウスは立ち上がれたと思っています。

最近クルマのプラットホーム統一化がエスカレートし、大規模モジュール化がブームになってきています。その対比として、ハイブリッドがその典型として擦り合わせ型の開発、現場主義は時代遅れなどと言われていますが、この扱いには大いに違和感を覚えています。

自動車メーカーの設計評価エンジニアが大規模Tier1メーカーに開発を丸投げしデスクワークエンジニアになってしまっては、ここでご紹介した活動はできません。今回ご紹介したICチップまでとは言いませんが、クルマの安全機能、商品機能にかかわる部品、構成システムを知らずして、ブラックボックス化しては良いクルマの開発はできません。

車両チーフエンジニアを中心に、各機能、各部品会社が共同でマーケット、クルマの使い方、使われ方に隅の隅まで目配りするトヨタの、また日本勢のクルマ作りはいかに大規模モジュールが避けられないにせよ、大切にしてほしいアドバンテージと思います。

20世紀の車より3倍の燃費の車へ

これまでに出版されたプリウスの本の多くでは、燃費2倍をめざしハイブリッドシステムの探索を行い、ハイブリッドシステムがプリウスに搭載したと書かれています。しかし、8月のブログでは、ハイブリッドスタディーチームが当時の技術部門トップであった和田明広副社長のところに、燃費向上目標2倍を提案したところ3倍を目標にしろと指示され、目を白黒させながら探索作業をスタートしたことを紹介しました。

そこでは、どのようなハイブリッドシステムを持ってきても、また車両諸元をいじっても3倍達成のメニューは見つけ出すことができず、ガソリンエンジンベースでは2倍強が限界との結論となり、その結果を恐る恐る和田副社長のところに報告に行ったところ、あっさりとその燃費2倍目標で進めようと言われ、拍子抜けしたと当時のスタッフの話を紹介しました。

今回はこの後日談をご紹介したいと思います。

開発中は「燃費の先祖返り」を繰り返したプリウス

この時提出された燃費2倍強の検討結果の中身も、エンジンの燃費マップは実測値ではあったものの、モーター・発電機の効率やそれを動かすパワーユニットの効率は、鉛筆をなめたとても実用では実現できそうもない高い効率をベースとしていました。量産開発目標として少しマージンを持って燃費2倍とするはずが、実のところはそのマージンを吐き出しても燃費2倍の目標にはほど遠い状態からの開発スタートです。

最初のプロトの試験では当時の公式燃費試験モードの10-15モードでリッター20キロを切るレベルで、その結果に愕然として車両チーフエンジニアの内山田さんをリーダー、私がサブリーダーとして燃費2倍特別タスクフォースチームを結成し、車両、エンジン、ハイブリッドシステム、回生ブレーキなどいたるところの燃費向上メニューを洗い出し、それぞれの目標達成と新たない燃費向上メニューを発掘する業務をスタートさせました。

開発の段階では少しずつの改良でやっとリッター24キロ…25キロ…と積み上げた燃費が、開発が進みあらたな試作車ができるたびに、一気にまた20キロ台まで低下し「燃費の先祖返り」とタスクフォースチームスタッフが恨めしそうに言っていたことを思い出します。

その後も紆余曲折があり、やっとたどり着いた認定試験結果がリッター28キロ、これがカタログ燃費となり、当初はカローラAT車の燃費15キロの倍、30キロが社内目標でしたが、比較車をカリーナに変更し燃費2倍と発表したのが初代プリウスの燃費2倍の顛末になります。

初代はこうして今だから告白できますが自分たちでも「苦しい」と言わざるを得ない言い訳が必要でしたが、二代目では車体をカリーナ相当にサイズアップしながらも10-15モード燃費35.5キロ、三代目ではさらにグローバルコンパクトとしてサイズアップしたうえで10-15モード燃費38.0キロと、初代から36%の燃費向上を果たし、燃費2倍は胸を張って言えるようになりました。

見えてきた燃費3倍

さてここからは、18年前を振り返って初代プリウスの車両企画と今の技術で燃費3倍の達成が可能か、考えてみたいと思います。初代プリウスと三代目プリウスの車両サイズを比較すると、見た目でもお分かりのようにグローバルコンパクトサイズとしてかなり大きくなっています。

初代プリウスでは「アウトサイドミニマム、インサイドマキシマム」をコンセプトとし、室内空間の広さを訴求点としました。とはいえ、インサイドミニマムの初代プリウスに比べて実はアクアのほうが、少し車室内スペースが大きくなっています。(初代プリウス [車室長]1850㎜*[車室幅]1400㎜*[車室高]1250㎜ [車室容積]3.24立法メートル、アクア [車室長]2015㎜*[車室幅]1395㎜*[車室高]1175㎜ 車室[車室容積]3.30立法メートル)

車両全長は、初代プリウス 4275㎜に対しアクア3995㎜と少し短くなっていますが、ホイルベースはどちらも2550㎜。当初の計画をベースに、このサイズのクルマで燃費3倍の可能性を検証してみたいと思います。

なお、アクアの10-15モード燃費はリッター40キロ、1997年時点のカローラAT比較でもカリーナ比較でもまだ3倍には届いていませんが、かなり接近してきています。

この燃費向上の経緯は、エンジン熱効率の向上、モーター・発電機とそれを動かすパワーユニットの効率向上、さらに回生協調ブレーキによる回生効率の向上、電池の内部抵抗低減など充放電効率の向上、様々な回転引き摺り損失の低減、さらに車両重量も初代プリウスの1240㎏に対し、アクアの1050kgとその軽量化などありとあらゆる部分の地道な効率向上と損失の低減です。

初代プリウスではハイブリッド化による重量増が150㎏程度ありましたが、その後のモーター・発電機の高回転化と高電圧駆動、パワーユニットやハイブリッド電池のコンパクト化、軽量化などによりハイブリッドとしても80㎏程度の軽量化を実現していますので、これと車両軽量化で1050㎏に抑えたと言えると思います。これらが、燃費リッター40キロ実現の道のりです。

1990年台半ばからみて燃費3倍はあと一歩のところに来ています。トヨタOBとして、新型アコードや新型フィットにハイブリッドの効率・燃費で抜かれたのはやはり苦い思いが去来しますが、それでも一自動車エンジニア、一自動車ファンとしてはライバルの登場の歓びの方が大きくあります。

アコード、フィットの燃費向上メニューを見ても、しっかりとプリウス、アクアをベンチマークし、抜くための技術メニューを積み上げてきたというのが伝わってきます。知財権やコストなどを含め「やれるやれない」は別として、このホンダの高効率のエンジンおよびハイブリッド技術をトヨタの持つハイブリッド技術を融合させた「いいとこ取り」をやるとさらに燃費を向上させることが出来るのは間違いありません。

内部抵抗が小さく充放電効率の高い軽量コンパクトなリチウムイオン電池の採用や、最高効率39%と抜かれてしまったエンジン最高熱効率を抜き返し、ガソリン初の40%以上を目指すこと、トランスミッション内の引き摺り損失を減らし回生効率を高めること、車両軽量化もBMW i3のような車両骨格にカーボンファイバー採用までいかなくともまだ余地があり、このメニューを加えていくと初代プリウス以上の車室スペース、ラゲージスペースのクルマで燃費3倍達成が視野に入ってくるように思います。

低燃費技術を拡げることが大事

エンジン最高熱効率の推移

図はガソリンエンジンの最高熱効率の年代での推移になります。初代プリウス用ハイブリッドの探索スタディーを行った時の、量産ガソリンエンジンの最高熱効率は32%程度で、アトキンソン高膨張比サイクルと低フリクション技術を手一杯織り込んだ初代プリウス用エンジンで35.2%、三代目プリウス用エンジンが38.5%、今年の新型フィットのエンジンがホンダの公表値として39%強となり、いよいよ40%越えが次のターゲットとなってきています。こうして40%を超えて42~43%が見えてくると、エンジンの教科書では熱効率が高い特徴を持つ説明されている自動車用小型ディーゼルエンジンの最高効率に肩を並べることになります。

因みに私が燃費3倍の実現が気になり始めたのは最近のことです。電気自動車が今のクルマに代替していける見通しがつかず、さらに日本では3.11以降の電力の火力発電シフトによりプラグイン自動車CO2削減は期待が出来なくなりました。さらに、中国を筆頭に新興国のモータリゼーションが急激に進み、この国々ではさらに石炭火力の比率が高く、電気自動車へのシフトはCO2削減も、大気汚染防止でも逆効果、ハイブリッドを筆頭とする低燃費車の普及を急ぐことがCO2排出削減の切り札となります。

この日本の低燃費技術をできるだけ早く現地化し、グローバルなCO2削減に貢献していくことが日本の自動車エンジニアの責務と考えるからです。もちろん、コスト低減も新興国マーケットでは欠かせません。

自動車CO2削減の実効をあげるには、燃費2倍どころか燃費3倍、次は4倍(4倍のメニューは私の頭には描けず、次の世代に委ねますが)へと技術進化へチャレンジし、それを世界に広めていくことです。

これこそ、日本の自動車エンジニアに期待したいところです。少し前に触れましたが、ゴーンさんは何を勘違いしたのか、中国での電気自動車普及を叫び、日本、欧州では電気自動車が普及していかないのは充電インフラ不足と責任転嫁をしています。地球環境保全、大気汚染改善が自動車変革の目的であり、電気で走行させることが目的ではありません。中国を初めアジアの新興国では今後も電力のCO2量は高いままという予測もあり、そうした国々では電気自動車は必ずしも環境に優しくはありません。ただし、国・地域によっては大きく環境負荷を低減出来る所もあり、そうした中で最適なモビリティを、健全な競争の中で提供されるようにしていくことが理想なのは間違いないでしょう。

確実なCO2削減を進めていこう

先月23日まで、ポーランドの首都ワルシャワで開催されていた気候変動枠組み条約第19回締約国会議(COP19、ワルシャワ会議)のメインテーマは、2020年をスタートとする、全世界としての温暖化ガス排出削減への取り組み枠組について合意の方向を探ることでした。2015年までに、先進国、途上国すべてが参加し温暖化ガス削減に取り組むとの合意で閉幕しましたが、合意内容としては国際条約としての強制力のある『約束』『義務』という言葉のない、自主的な『貢献』というあいまいな合意となってしまいました。

日本は温暖化ガス削減目標として、このCOP19で鳩山政権時代の2009年COP15で掲げた2020年までに1990年比25%削減の大胆な目標を撤回し、2005年比3.8%削減、1990年比では3.1%増の提案を行い、途上国だけではなく、先進国の一部や参加していたNGOからの袋叩きにあってしまいました。これが、脱原発としたときの今の日本の不都合な真実で、一部の環境NGOが叫んでいる「脱原発の上で25%削減死守」などどうすれば実現できるのか私には想像することも不可能な未来です。

日本のハイブリッド車は、まだまだ自世界の自動車保有台数の1%にも届いていませんが、確実にクルマのCO2削減に貢献しています。このハイブリッドが牽引する低燃費車の普及により、日本、アメリカとガソリン消費量そのものもピークを打ち減少に向かい始めています。日本の技術で、新興国への低燃費車普及を加速させることも、日本国内だけでのCO2削減量を補いグローバルなCO2削減に貢献できます。これで、国内削減目標をまけてくれとは言えませんが、日本として責務の一端は負えると思います。

もちろん、8月のブログでも述べたように、グローバルCO2の削減で実効を上げるには実走行燃費の向上が必要です。公平に同一条件で燃費ポテンシャルを比較する試験法が公式燃費モード、その公式試験モードの結果がカタログ燃費です。このカタログ燃費で評価できない、低温時ヒーター運転、高温多湿時のエアコン運転、高速、登降坂など実走行の様々な走行での燃費向上にも目配りしていくことにより実走行燃費もカタログ燃費の向上率に近づいていきます。

どこまで迫っていくのか、これからのハイブリッド車燃費競争激化を楽しみにしています。

ITS世界会議とプリウス

「ITS世界会議 東京2013」が開催されました

先週18日、東京お台場のビッグサイトで開催されたITS世界会議併設の展示会に行ってみました。最終日のせいか、アベノミクスの余波か、はたまた元気回復の自動車業界が温度をとっている大会のせいか、最近のスマートグリッド、エコ技術の大会・展示会に比べると活気を感じました。

このイベントを取り上げたTVや新聞はもっぱら「自動運転実用化近し」との報道に終始していました。しかし、展示会場を駆け足で回った印象ではまだ「どこまで人で、どこまで自動運転か」ということを法律の扱い・PL問題をふまえて慎重な説明も多く、それの到来はまだまだ先と少し安心をしました。

安心した理由としては、もし一気に自立型の全自動運転を目指すとすると、個人の自由で最もパワフルな乗り物であるモビリティをドライバーから切り離すことになり、根っからのフリーモビリティ派である私から運転する楽しみを奪うことになってしまうことをほんの少し心配したからです。この全自動自動車では、外形デザイン、内装を除くとまさにコモディティ化への道、フリーモビリティを否定する方向でもあることの心配です。

ハイブリッド開発のボスがITSのボスに

今週のタイトル、「ITS世界会議とプリウス」はあまり脈絡がなさそうですが、大いに関係があり、その関係をこのブログでは取り上げたいと思います。少し今日の本題から脱線しましたが、このフリーモビリティと将来としてハイブリッド車プリウスの開発に取り組んだ仲間であり、われわれハイブリッド開発チームを役員として監督したボスがこの「ITS世界会議東京2013の日本組織委員会委員長のITS Japan会長の渡邉浩之さんです。我々は「ナベさん」と呼んでいました。

「1997年12月京都COP3のタイミングに併せてハイブリッド専用車プリウスの量産を開始する」とトップが決めたのが、その期日へ残り2年となっていた1995年12月でした。まだ、テストコースどころか構内道路もまともに走ることができない状態での決定に、社内技術部門の同僚部長蓮からクレージープロジェクト、その近くには近づきなくないとの声も聞こえてきているなか、晴天の霹靂、ハイブリッド開発リーダが私に回ってきたのが翌年の3月、すでに残り22ヶ月を切る段階でした。

あるラインからは陰に陽に、このプロジェクトを止めるのはあんた、駄目と見極めたら被害が広がらないうちに止める提案をあげてくれと言われていました。

富士の裾野にあるトヨタの研究所から、豊田市の本社におかれたハイブリッド開発チームに加わったものの、プロト車の試乗どころか、あんたに説明をする時間もないからと資料一式を渡され、久しぶりの自習でハイブリッド機構の勉強をやりながら、もし止めざるをえないとしたらどのような状況になったときか、どのタイミングが被害を少なく止められるか、その止める想定まで考えた1997年12月までの日程計画を作り上げること、その上で開発作業の安全作業を願いすることがリーダとしての最初の仕事でした。

もちろん、開発を推進し軌道に乗せることがリーダの責務ですから、止めるシナリオは私の頭の中だけに留めていた話です。

さまざまな開発チームが検討を進める試作車が増えるにつれ、毎日のようにテストコースで「クルマが止まった」「電池から煙を吹いた」「まともに試験ができないので何とかして欲しい」など不具合報告が殺到し始めたのが1996年5月~7月にかけてのことです。この不具合調査とその対策を進める人材も不足しており、人集めをお願いしながら、少しハイブリッド機構の勉強が頭に入ったところで、開発体制をどう立て直すか、頭をかすめ始めた止め方、止め時のアクションシナリオなど切羽つまった状況に陥っていました。この時の事情は、2011年7月のブログ“非常事態宣言”に詳しく述べています。

緊急事態宣言
緊急事態宣言

ここで述べた“非常事態宣言書”の檄文をつくり、私なりのアクションプランを作って最初にぶつかっていった役員が、1996年6月に新任の役員として、われわれハイブリッド開発特別チーム、ハイブリッドのコア部品である電気駆動部品を開発するEV(電気自動車)開発部を担当することになった渡邉浩之さん――「ナベさん」です。

「ナベさん」との「こだま会議」で情報共有

これ以外にも二つの部を担当しており、ただでさえ多忙を極める新任役員にじっくりと状況を聞いてもらう時間をとることは困難でした。しかし、できるだけ早く危機感を共有していただき、他の役員、他の部署との連携強化と人員補充、組織強化を行なわないと手遅れになります。もし万一止める決断をしなければいけなくなった場合にも、役員との状況判断の共有化が不可欠です。

そこで、秘書にスケジュールを聞き出してとった手段が、豊田の本社から東富士研究所への出張の新幹線車内会議です。研究所までは三河安城から三島までの「こだま」を利用します、当時も今も「こだま」のグリーン車はガラガラでほぼわれわれの独占状態で、1時間強の「こだま」会議室で状況をご説明し、有事対応を相談し、賛同いただいたことが、このプロジェクト立て直しのきっかけでした。「こだま」会議では足りないところは、研究所までのクルマ会議、そこから三島にある自宅にもよらず豊田へのトンボ返りも、今振り返ると良い思い出です。

最優先で週1回の、情報共有化と車両主査、車両担当役員を交えた情報共有とプロジェクトマネージの戦略会議をセットしてもらい、これが生産開始まで欠かさず続けられました。節目節目では、このメンバーで夜間に試作車に仮ナンバーをつけ、現地、現物、現車での確認試走を行い、これも状況共有化として機能しました。

共に抱いた未来のパーソナルモビリティ

「ナベさん」は役員御就任前にはクラウンの車両主査をされていた方ですので、クルマの試走はお手の物で、カーブの多い山道を選んだ試走コースのブッ飛ばし振りにはビックリさせられたものです。そこでハイブリッド車の将来、クルマの将来について話をしたのが、パーソナルモビリティとしてのクルマの未来です。

エコだけでは不十分、エコは当然でその上で魅力あるパーソナルモビリティへと進化させようとの共通の想いが2代目、3代目へとハイブリッド進化への取り組みの原点だったように思います。幸いにも「ナベさん」にこのプロジェクトを止める相談をすることなく、1997年12月の生産開始、販売開始を迎えることができました。

その後も「ナベさん」を囲むハイブリッドOB会や、クルマの未来を語る会など、主に呑む機会でご一緒していますが、次は大盛況だったITS世界会議とそこで盛り上がっていた自動車の全自動運転の未来、パーソナルビリティの未来など、美味しいワインを呑みながら自動車の夢についての共有化を進める約束をいただいています。

豊田英二さんご逝去の報に触れて

 私の尊敬する豊田英二さんが、一昨日亡くなられました。今月12日に満100歳をお迎えになってのご逝去です。私がトヨタ自動車に入社した1969年当時の社長で、入社したての新人エンジニアにとっては入社式で仰ぎ見る存在で、直接お話をお聞きする機会が豊富にあったわけではありませんが、入社以降、私の最も尊敬する人は英二さんとなりました。

 仰ぎ見る人を「さん」付けて読んでいることに違和感を感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが、入社当時から上司や先輩も社長ではなく英二さんと呼んでおり、またわれわれ同僚の間でも英二さんと呼んでいたように思います。とはいえ、社長訓示や現場のご視察などから伝わってくる雰囲気は決して気さくな風ではなく、親しみやすさからこう呼んでいたわけではなかったと思います。何か経営者としてだけではなく、尊敬する大先輩のエンジニアとして上司、先輩たちも名前でお呼びしているのを聞き、われわれもそうお呼びすするのが当たり前と感じていました。

排ガス問題で英二さんを矢面に立たせたのが悔しかった

 入社当時は自動車の排ガスによる大気汚染問題が騒がれ始めた時期であり、米国のマスキー上院議員が提案した通称マスキー法と呼ぶエンジンから出てきた排気ガス中の大気汚染成分の一酸化炭素(CO)、燃え残りのガソリン成分(HC)、燃焼生成物の窒素酸化物(NOx)の90%削減を求める法案が提案されていました。トヨタとしても日本のモータリゼーションがスタートし、やっとクルマとしてアメリカでも認められ始めた時期で、この排気規制をクリアする技術を開発できなくては会社としての将来はありません。

 トヨタ社内では、富士山の裾野に設置された東富士研究所に排気ガス対策特別プロジェクトチームが結成され、私もそのプロジェクト要員として加わることになり東富士研究所の赴任したのが1971年11月でした。

 この自動車排気ガスによる大気汚染問題は、アメリカだけではなく、モータリゼーションが進み始めた日本でも問題となり、国内で自動車の排気ガス規制強化が大きく取り上げられるようになったのもこのころです。英二さんは、当時自動車工業会の会長としてこの規制強化議論の矢面に立たされ、国会での規制法案議論での参考人喚問でのやりとりが、メディアに技術開発の遅れ、後ろ向きの対応と叩かれ、開発現場のわれわれとしても悔しい思いをしました。

 このいきさつについては、以前のブログで取り上げていますが、英二さんもこのころを振り返り、このマスキープロジェクト対応がトヨタのエポックだったことを語っておられ、強い共感を覚えたものです。

英二さんの『聞く力』

 このマスキープロジェクト以降も、英二さんは東京ご出張の途中などで、東富士研究所に立ち寄られることが何度かありました。ご視察に対応したのはわずかの機会でしたが、それでも英二さんの徹頭徹尾の現場主義を肌身で感じる機会を得ることができました。会議室でのご報告ではなく開発中のエンジンやその部品も実験中のエンジン実験室のご視察、またはその開発エンジンを搭載したプロト車のご試乗とその場での報告がほとんどであったように記憶しています。

 その時も我々のような担当エンジニアの、今にして思うと拙い説明にも、決して途中に口を挟まれず、じっくりと聴いていただいた事が強く印象に残っています。ご質問も数は多くありませんでしたが、こちらがギクッとするような鋭いご質問にどぎまぎさせられた記憶があります。英二さんのお話が聴きたくて、自分の担当でない実験室にもついて回り、耳をそばだてて聴きのがすまいとしたことも懐かしく思い出されます。

 技術の的を射た厳しいご質問やコメントなどの注文・指示については若いエンジニアではなく、同行する部長・次長に直接お話しするなど、エンジニアとしてだけではなく、マネージとしても時間は短くとも強くご薫陶をいただいたと思っています。

 英二さんから直接ご指導いただいた会社の大先輩のお一人から、エンジニアおよびマネージャーの心得を伝えて頂きました。

『若いエンジニアの話は、眠くなっても、我慢をしてでも、じっくりと、途中に茶々をいれずに聴くこと。そうしなければ、だんだん本当のことを伝えてくれなくなる』

 その薫陶を受けた大先輩ご自身が役員になられてからも忠実にこの教えを実行されておられました。まさしく英二さんが研究所ご視察のときの状況そのままの心得でした。残念ながら、私自身はこの教訓を忠実には実行できたか自信は全くないのですが、なによりも現場主義の実践、若いエンジニアの話を現場でじっくり聴くことなどは心掛けてきたつもりです。

英二さんの次代の技術者への言葉

 私はハイブリッドプリウス開発、自動車の未来についてお話をする機会には、今もハイブリッド車プリウス開発の支援者であり、最大の理解者だった英二さんの言葉をトヨタのDNAとして紹介させていただいています。

 今回、その一部をご紹介したいと思います。

考える力『最近は技術のことでも経営のことでも調べようと思うと多くの情報が得られる。まさに情報の洪水といってもよい。便利なことには違いないが、下手をすると自分で努力して考える力を失うのではないかと思います。問題を解決するのは最後は自分自身であることを常に忘れてはなりません。(途中省略)道具と言えばせいぜい紙と鉛筆、算盤、計算尺であった時代でも、現在でも、観察力とか洞察力とかが最後の決め手になることには変わりはなりと信じます。エンジンやキャブレターに一部の調子を良くする必要があったとき、早速オシロスコープやストレンゲージをそこにつなぐことを考える前にエンジン全体とか自動車全体をもう一度よく観察して、次に部分の対策検討をするのが望ましい態度だと思います』 

物を見る目『技術者は物を良く見るということが大切だ。特に若い人達にとっては重要なことです。また実験をやるにしても現象をよく見ることが必要です。予想通りいくかどうかを見るだけでなく、先入観にとらわれずに現象そのものをよく見ることが必要です。』

モノづくり『モノづくりは価値を創造し、文明を創造する原点です。モノづくりは「技術」の発展と深いかかわりをもっています。言い換えれば、技術の進歩はモノづくりがあってこそ初めて生まれてくるのです。モノづくりは常に、それにたずさわっている「人」と「ノウハウ」の蓄積によってなされるものです。』

人づくり『人間がモノをつくるのだから、人をつくらねば仕事も始まらない。』

これらは、1996年に発行された社内誌に取り上げられた英二さん語録の一部です。

ハイブリッド開発を大いに喜んでいただけた

 マスキープロジェクト以降も、クリーン技術、低燃費技術には常に強いご関心をお持ちで研究所に来られる度にわれわれが開発検討を行っているエンジン実験室に足を運ばれ、エンジンの音色に耳を傾けられ、またその音を聴きながら開発部品を熱心にご覧になり、そのあと、場合によっては痛いところを突く鋭い質問、コメントを頂いたことを思い出します。私の開発担当では、できたばかりのマイコンエンジン制御のプロト車に試乗いただき、そのクルマがテストコースでエンストを起こし、走れなくなってしまったことも、今としては良い思い出です。

ハイブリッド車プリウスの開発での思い出では、1997年10月10日の東京での新車発表会の開催前の会場で、ハイブリッドシステム紹介、部品展示のブースで若いエンジニアからの説明を途中に言葉を挟まれず、熱心にお聴きになり、新車発表に漕ぎ着けたことを非常に喜ばれ、ねぎらいの言葉をいただいたことが強い印象として残っています。

私が入社する前、昭和36年に日本自動車技術会の会長として米国自動車技術会(SAE)主催の国際会議に出席されたあと、SAEゴードン会長の『米国の伝統的精神は挑戦を受けた場合は受けて立ち、断固打ち破ることである』とのスピーチに対し、帰国後

『米国が挑戦者として対等に扱う以上、我々は実力を発揮しなければならないのです。他人のやっていることを学んでまねをするだけではなりません。それではただ相手に圧倒されるだけであります。我々の創意と工夫と知恵によって、さらに我々の努力を加えることによりよって、よい車をつくりあげなければなりません。もし我々に創意、工夫、努力、困難に立ち向かう勇気に欠けるならば我々は一敗地にまみえざるをえないでしょう。』

と述べられています。このお気持ちをひしひしと感じ、マスキーエンジン、そのごの低燃費エンジン、高出力エンジンの開発に挑戦者の気持ちで取り組んできたつもりです。

ハイブリッド開発では、この我々の創意、工夫、知恵、努力、困難極まる技術開発へのチャレンジを評価いただけた笑顔であったと今も思い浮かべています。

こころより、ご冥福をお祈り申し上げます。

ハイブリッドの燃費目標はそれまでの2倍ではなく3倍だった

『初代プリウス』は21世紀のスタンダードカーをスタディ(調査・研究)する「G21」という社内コードのプロジェクトから誕生した車になります。この「G21」は当初、ハイブリッドを搭載する事を目的としたプロジェクトではありませんでした。

世界のスタンダートサイズであるコンパクトクラスの車両パッケージ計画からスタートし、このスタディで定められた方向性は「アウトサイドミニマム、インサイドマキシマム」という車室の拡大や車両軽量化という『初代プリウス』のコンセプトに結びつきました。

この「G21」の車両主査に指名されたのが、当時技術開発部門の組織改革活動のリーダーをしていた現トヨタ自動車の会長、内山田竹志さんです。1993年秋に「G21」企画チームが発足、1994年の中ごろの最初の提案が「『カムリ』並みの室内空間をもちカローラ以下の外形のコンパクトカー、燃費は従来エンジン車ベースで50%向上」というものあったことは、いろいろなプリウス開発物語で紹介されています。

しかしながらこの燃費50%向上提案が、当時の技術開発部門統括の副社長であった和田明広さんから「50%程度の向上ならばこのプロジェクトは中止、2倍を達成しろ」と言い渡されて、この途方も無い2倍という目標の為が量産初のハイブリッド車であるプリウス開発へとつながっていったとされます。私も講演などでも、このエピソードを取り上げて紹介してきました。

今日の話題は、この低燃費ハイブリッド・スタディの目標は実は燃費2倍ではなく、当初は燃費3倍だったとの話です。とはいえ、今までの解説本や説明が間違っていたという訳では無く、プリウスが車両企画・開発である「G21」プロジェクトとハイブリッド・スタディプロジェクトが合流したことによって誕生したたために、起こった話となります。これらは私が開発に参加する前の話でしたので、私にとっても少しモヤモヤとしていた部分ですが、当時のメンバーへ話を聞く中で真相が見えてきましたので、すこしややこしいかもしれませんがここに書き残しておこうかと思います。

「G21」とは別に進められていたハイブリッド・スタディ

ハイブリッドの研究開発は、それまでも汚染問題や石油ショックを引き金とする石油資源問題などを契機に何度も研究開発が進められてきました。1990年代の初めには米国加州でZEV規制(ゼロエミッション車)規制が提案され、その時もZEV対象は電気自動車でしたが、当時の電池では航続距離、車両価格など実用化は困難。その代替として、電池の搭載量を減らし電池充電電力を使いきったらエンジン発電機で充電しながらガソリン車に近い航続距離を確保するレンジ・エクステンダー・ハイブリッドがZEVとして認められる可能性が高いとのことで、ビッグ3やトヨタ、三菱といった日本勢もこのタイプのハイブリッドの開発を行っていました。

しかし1993年、加州がエンジンをもつハイブリッドはどんなタイプでもZEVとは認めないと決め、各社のハイブリッド開発は中止もしくはスローダウンしてしまいました。トヨタはその前年のリオ地球環境サミットの議論を受け、持続可能な開発のテーマとしてハイブリッドの燃費低減、CO2削減ポテンシャルに注目し、研究開発を続けました。

「G21」の車両スタディと並行して行っていたそれまでのハイブリッド研究開発をリセットし、低燃費・低CO2ハイブリッド探索スタディを開始したのが1995年のことです。これが、プリウスに搭載されることになるハイブリッド開発が実質的にスタートした時でした。このスタディチームは発足すると、低燃費・低CO2ポテンシャルの高いハイブリッドシステム選定作業に入りました。

この際の想定車両は「G21」ではなく、米国での最量販車である『カムリ』が選ばれ、エンジン・変速機・ハイブリッドシステム構成の様々な組み合わせでのシミュレーションスタディが行われました。

このハイブリッド・スタディチームが検討計画と燃費2倍のターゲット目標を、当時の技術担当副社長の和田さんに説明にうかがったところ、和田さんの口から出てきたターゲットは燃費3倍へとのチャレンジだったそうです。ハイブリッド・スタディはこの燃費3倍を目標にかかげ、エンジンの効率向上メニュー、モーターや発電機の効率向上手段、減速回生の回収効率アップ、回生効率アップにもつながるタイヤの転がり抵抗低減や空気抵抗の低減、車両の軽量化など、当時の技術で考えられるメニューを入れて検討を続けたものの、燃費3倍に近づくハイブリッドシステムと車両の諸元は見つけ出せなかったとのことです。

スタディチームがその結果をもって、雷が落とされるのを覚悟で、恐る恐る和田副社長のところに「燃費2倍強ならばやれそうだが、燃費3倍は見通しがつきません」と報告にいくと、あっさりとその燃費ベストで進めようと言われ、拍子抜けをしたと当時直接報告したスタッフから聞かされました。

先日、和田さんにお目にかかった時に、最初の燃費3倍の目標設定と、燃費2倍以上のベストで進めようとのご指示の経緯をお聞きしたところ「燃費3倍と言った記憶はないが、最初に高い目標を設定しなければその目標以上には決してならないよ。そんな気持ちから言ったのではないか?」とかわされてしまいました。

将来スタディが合流してスタートしたプリウス開発

このハイブリッド・チームの報告を聞いていた和田さんが、「G21」の燃費50%向上提案に対してNGを出し、ハイブリッド採用を頭におかれ燃費2倍と内山田さんに指示されたというのが真相のようです。

その後、内山田さんがこのハイブリッド・スタディチームと相談し、『カムリ』想定だったハイブリッドの企画をG21車両に切り替え、最初の機能検討用プロトの試作をスタートさせたのが1995年6月、ここからまっしぐらに1997年12月量産開始のプリウス開発に突き進んだのは、さまざまな本に紹介されているとおりです。

この時、燃費2倍以上として選びだしたのが、今の『プリウス』から『アクア』『クラウンハイブリッド』からレクサスのハイブリッド車までに搭載されているTHSIIの母体である、発電機とモーターをセットでもつフルハイブリッドシステムTHSです。

まだこの最初のプロトが走ったともいえない、動いた段階の1995年12月、京都COPに合わせ2年後の生産開始プロジェクトとしてGoサインがだされ、そのハイブリッド量産プロジェクトのリーダーを指名されたのがこの私ということになります。

ハイブリッドの燃費向上は継続的な取り組みによる

ただし燃費3倍どころか、報告したこの燃費2倍以上の見通しも、いや量産目標燃費2倍の達成ですら、実際に量産車開発をスタートしてみると一筋縄ではいきませんでした。開発がシミュレーション通りいかないのはもちろん織り込み済ですが、最初のプロト車では燃費2倍どころか50%向上も実現できず、シミュレーション上は35km/Lは出るはずのところが『カローラ』クラス想定の10-15モード燃費30㎞/Lにも程遠い20㎞/Lすら切る状態です。

“走る、曲がる、止まる”のクルマの基本性能も全く見通しがつかない状態でしたが、ハイブリッド化の意味は低燃費・低CO2であり、この目標が未達では販売する意味はありません。急遽、燃費2倍を達成するために設計・評価チーム横断タスクフォースチームを結成、生産開始まで燃費向上と維持に知恵を絞りまくり、当初のカローラの2倍、30km/Lから、窮余の一策で比較車両をカリーナ比に変更して燃費2倍、28km/Lとしました。この比較車種の変更は非常に情けないもので、いまだから話せる裏話です。

この28km/Lの達成すら容易ではありませんでしたが、この燃費2倍タスクフォース活動に取り組んだことにより、エンジン・駆動・ハイブリッドからブレーキ・タイヤ・空調からナビ・インパネ表示等など車両に至る隅から隅までのエネルギー消費状況を掴むことができるようなっていきました。この成果が、2000年の改良で29.0km/L、2002年改良31.0㎞/L、2003年の2代目35.5㎞/L、2009年の3代目38.0㎞/L(いずれも燃費最良グレードの10-15モード燃費)へと燃費性能の更なる進化に繋がっていったものと確信しています。

モード燃費ではなく実用燃費の向上が大切

燃費2倍は日本で公式に使える指標として10-15モード燃費の2倍を目標にしましたが、もちろん、燃費は実用燃費が大切でありモード燃費は一つの物差しでしかありません。10-15モード燃費2倍を目標に置きながら、当初から様々な走行での燃費向上率と10-15モード燃費とのギャップを意識しながら燃費向上を進めてきました。

最初のプロト車では、比較車と想定した『カローラ』と並走させ、都市内では50%以上の燃費向上を記録したものの、富士の裾野にあるトヨタの研究所からの夏の富士、箱根周辺のエアコンを聞かせた走行などでは燃費向上がほとんどなく、青ざめてしまったことが何度もあります。

初代以降の燃費向上の取り組みも、実走行燃費向上に力を注いできました。エンジンを停止させた状態でもエアコンを作動させる電動エアコンの採用や3代目で採用した排気熱回収なども、実走行燃費の向上策です。

しかし、モーター、発電機の高効率化、バッテリー充放電効率の向上、補機電力の省電力化、ブレーキバイワイヤの回生協調ブレーキの進化などハイブリッドのエネルギーマネージの最適化は、どうしても発進、加速、定常、減速、停止としった燃費評価モード運転での向上感度が大きくなり、カタログ燃費と実走行燃費のギャップをなかなか詰められないことも悩みでした。しかし、実走行燃費の感度が小さくても、一つ一つの向上技術を進化させていくことがこれからも重要と思います。

コンベ車の燃費も、アイドルストップから減速時までエンジンストップを拡大、さらにオルタネーターによる回生と、ハイブリッドの低燃費メニューを取り込み、大幅な燃費向上を競いあっています。

フルハイブリッドもうかうかできませんが、初代以降のハイブリッド用エンジンの効率向上、発電機/モーター効率の向上、電池の進化、車両軽量化技術の進化スピードを見渡すと、当時の和田さんが提示された燃費3倍は、比較車を当時の『カローラ』『カリーナ』とおくともう少しで実現できるレベルになっているように思います。実走行燃費2倍はほぼ実現できそう、実走行燃費3倍の実現はノーマルHVではまだまだ厳しそうですが、和田さん流にいうならば次のチャレンジターゲットとしておいてみてはどうでしょうか?

プリウス開発と和田明広氏

初代プリウスの開発で技術部隊の総指揮の任にあたったのが、要素技術開発から車両開発までトヨタ自動車の技術部門を率いておられた副社長の和田明広氏でした。そのころトヨタの富士の裾野にある研究所でクリーンエンジン、低燃費エンジンの開発リーダーを務めていましたが、出張先に担当役員からすぐ電話するようにとのメモが入っており、電話をするとプリウスに搭載するハイブリッド開発のリーダーとしての本社転勤の申し渡しを受けました。

新型車の開発の話は小耳に挟んでいましたので「量産化が決まったら多分そのクリーンエンジン開発の一部は自分の担当となる」とは思っていましたが、その一部どころかハイブリッド開発そのもののリーダーとはまさに晴天の霹靂で、たしかその電話の段階では「まだエンジン開発でやりたいこともあるし、ハイブリッドは次のチャレンジ技術なのでもう少し若手にやらせたらどうですか」とお断りしたように記憶しています。

ただ電話口の役員はその断りの返答を「ノーチョイス」と切り捨て、すぐに本社に出向きこの人事を決めた二人の常務のところに行って話を聞くようにと言い切りました。

この時の「ノーチョイス」という発言は、和田副社長が技術部の部長・役員達に「このプロジェクト以上に重要なプロジェクトがあると言うなら言ってみろ!」との量産ハイブリッド開発プロジェクトの組織化を指示された一言があり、その啖呵が回りまわって私のボスからの「ノーチョイス」の一言になったとのちのち聞かされました。

こうした和田さんの強力なリーダシップが、「クレージー」と呼ばれたプリウス・プロジェクトを実現させた大きな原動力となったのは間違いありません。

プリウス開発初期には「雷」も「和田節」も封印

和田明広さんはこのブログで以前にご紹介したトヨタの車両主査制度を確立された、初代クラウンの車両主査中村健也さん、初代カローラの車両主査長谷川龍雄さん後の数多くの車両主査の方々の中でも特に異彩を放たれた車両主査で、そこから役員になられた根っからのクルマ屋として尊敬するお一人です。

設計技術にはとびっきり厳しく、副社長になられても開発レビュー・設計レビューで、常に厳しいコメントを述べられ、またそれが的を射ているだけに指摘された担当部長連からは悔し紛れに「万年係長」と言われていました。

私自身もハイブリッド担当になってから、どこで雷がおとされるのかと楽しみ(笑)にしていましたが、一向に雷が落とされず、人員増強、部品選定、トラブル発生のご報告でもそれらをしっかりと冷静に受け止めていただき、手厚くサポート頂けたことに狐につままれていた気持ちでいたことを覚えています。

しかし1997年12月のプリウス量産開始のちょっと前、10月か11月か記憶は怪しいのですが、和田さんから私とチームのスタッフに「お前らの設計はへぼだ!」といつもの和田さんに戻った雷を落とされました。ただし私は「プリウス・ハイブリッドがやっと半人前でも認知してもらえた」と感じ、肩の荷が少し軽くなったことを思い出します。

「石橋を叩いても渡らない」と揶揄されていたトヨタが、なぜあのハイブリッドプリウスの開発に突き進んだのか、私も断片的には聞いていましたが、それがトップ役員の議論で決まったのか、また本当にやれると思っておられたのか、どのようなご判断でお決めになったのが一度はお聞きしてみたいと思っていました。

そんな中、和田さんと直接お話をする、つまり久しぶりにお元気な和田節を聞かせて頂く機会を得ることができました。お聞きするはずの質問を繰り出す間もなく、和田さんの口から出るクルマへ掛けられる情熱、竹を割るような明確なクルマ開発論を聞かせて頂ける、大変有意義で幸福な時間でした。

「市場の声を聞くな」の真意

和田さんの名言に「自分が乗りたいクルマ、使いたいものを作るんだ」、「市場の声は聞くな」、「(もの=部品を)足せば、かならず引くものがある(減らすことができるもの=部品)がある」というものがあります。これらはクルマとしての全体最適の思想で、お会いしたときもクルマ開発論に話が終始してしまいました。

「市場の声は聞くな」は、誤解を招く危険もありますが、私も全く同感に考えています。現在主流となっている「マーケット調査」に基づく「市場の声」は、今聞こえてくる声を収集したに過ぎず、単なる最大公約数のそうした声に従って生まれてくるクルマは陳腐なものになってしまいます。

『「市場の声」の先』を考え実現させるのが、プロのクルマ屋、ハイブリッド屋の仕事です。ハイブリッドプリウスの開発では「市場の声」を参考にしようにも「ハイブリッド??」の状況で、「自分の乗りたいクルマ、作りたいクルマ」にどれくらい近づけられるかの視点で開発を進めました。

もちろんお客様を全く見ずに、技術者のエゴむき出しで、自己満足の為に作っては良いクルマなどは出来ません。それらは特にエンジン・駆動・制御だの個別技術、個別要素の部分で現れますが、こちらに対しては「乗ったり使ったりするのは、それら技術ではなくあくまで「クルマ」」という視点を持ち、自分が乗ってみたいクルマとしての最適をあのプリウス開発でも和田さんが描いていたことを今回も再確認させていただきました。

和田さん流の技術開発操縦術

初代プリウス開発のエピソードとして、今も記憶に残っているのが、1997年12月のプリウス発売開始の半年も前、3月末に東京で行ったハイブリッド・システムの技術発表会です。

まだ開発状況は不具合の山が残る状態で、量産デザインで試作する正式試作車も遅れに遅れまだ動き出していない状況にも関わらず、ハイブリッド量産の発表をさせられる羽目になり開発陣は梯子に上らされることになりました。

この発表では和田さんがこのハイブリッド量産化の背景や狙いを説明され、私が技術内容を報告しました。その時のQ&Aセッションで、ある記者のかたから「50万以上に販売価格が高くなるのでしょうね?」との質問に、和田さんが「50万以上つけたら、お客様に受け入れてもらえない。受け入れてもらえる価格で出しますよ」とお答えし、これが大きくとりあげられたことを記憶しています。

一部のプリウス紹介本には、奥田さんのセリフとして紹介されていますが、これは和田さんのセリフです。この答えこそが如実に和田さんのクルマ作りへのお考え、その和田さんが率いた当時のトヨタのクルマ作りの考えがでています。エコであろうが、ほかの商品機能であろうが、お客様がその価値を認めてくれるクルマ作りとの考え方です。

1997年12月の立ち上がりまでは、コストアップ、収益性についての注文はほとんどなく、これも異例中の異例のことで、まずは開発を完了させ販売に漕ぎ着けることに集中することができました。しかし、生産開始に見通しがついたとたんに、先の一言「設計がヘボ、量産の設計ではない!」との雷が飛んだわけです。そこからの、品質向上と原価低減活動のすさまじさについては機会があれば紹介したいと思いますが、それがトヨタ流であり、こうした事がハイブリッドが販売の中心となった今につながったと思っています。

和田さん自身もこれまで、プリウスをご自分の愛車として使われ、最近クラウン・ハイブリッドに切り替えられたとのことで、そのクラウンの助手席に乗せていただき昼食の場までもご一緒し、その僅かの間でも今のハイブリッドの出来やクルマの出来について話が弾み、それが尽きることがありませんでした。

根っからの自動車屋の和田さんのエネルギーをいただいた楽しい時間でした。

和田明広オーラルヒストリー:みんカラ 正岡貞雄さんのブログ内
http://minkara.carview.co.jp/en/userid/1135053/blog/28915926/
和田明広名言集:
http://systemincome.com/main/kakugen/tag/%E5%92%8C%E7%94%B0%E6%98%8E%E5%BA%83

ハイブリッド開発とゴールデンウイークの思い出

自動車会社の連休の利用法

今年のゴールデンウイークは、気象庁から低温情報が出され、また北アルプス白馬岳では新雪なだれによる遭難があり、北海道からは降雪のニュースが届くなど冬のGWといった様相で、これからの後半も天気は回復しそうですが寒い日が続きそうです。

自動車会社などの製造業では、平日の祭日を操業日とする代わりに、その分を年末年始やお盆時期に集めて長期連休を設定する事が多く、いつのころからかこの5月の飛び石連休の中日を埋めて長期連休にするようになりました。

基本的には、帰郷・海外旅行・家族サービス・リフレッシュなどそれぞれ待ちかねて連休を迎えますが、この長期連休はそのためだけではなく、新型車やモデルチェンジの生産ラインの切り替え作業、製造設備の入れ替えに使用されます。エンジン、トランスミッションと言った大型ユニット部品でも、新開発の生産ライン切り替えなどでこの連休を活用し、その生産準備や生産ライン保守要員は、逆にこの連休に臨時出勤をしてこの切り替え、保守作業を行う稼働時にはやれない極めて重要な作業期間として使われます。

初代プリウスでは、クルマも新型なのは勿論、エンジン・トランスミッション・ハイブリッドシステム、さらにブレーキ・パワステと全て新規開発で、部品を含めた生産ライン準備には、夏休みの長期休暇を利用しました。夏の連休明けから先週のブログで紹介したこの生産ラインを使った量産ライン試作、トヨタ用語での号試を行い、この号試車で品質・信頼性・燃費や走行性能・ドライバビリティなど機能品質の最終チェックとチューニングし、そこで摘出した不具合の設計変更、工程変更とその確認作業を行って12月10日の量産車としての生産スタートに漕ぎ着けた訳です。

2000年5月のこのゴールデンウイークに生産ラインの切り替え作業を行ったのが初代プリウスのマイナーチェンジ版で、このマイナーチェンジ後にプリウスは日本限定ではなく米国・欧州での販売を開始しました。クルマはマイナーチェンジでしたが、ハイブリッドシステムは、発電機・モーター・インバータから電池・システム制御コンピュータ・制御プログラムまで全て新規開発となり、さらに米国、欧州それぞれの排気規制や燃費規制など法規制への対応を行うなど、ほぼフルモデルチェンジに近い切り替えをこのゴールデンウイークを使って行ったことを記憶しています。

続く二代目プリウスでは、4月には発表を行って初代の生産を早めに打ち切り、また生産工場もこれまでと違う工場に切り替えることが決定していたため、生産ラインを新設して号試を早め、8月の連休に生産ラインの最終整備を行って、9月生産開始・販売開始に漕ぎ着けました。この連休明けに生産した最終号試車を使って新車発表やジャーナリスト試乗、メディア試乗用としたのは、これも先週のブログでご紹介した通りです。

我々のような技術部の開発部隊は、基本的にはこの長期連休には休みを取りますが、このように連休を開発作業の重要なターゲットとして開発計画を練っています。

初代プリウス開発前のGW

加えて記憶に残っているGWの思い出は、初代プリウス生産販売まで7ヶ月半の時期にあたる1997年のものです。当時の新型車の標準開発日程では、生産開始の1年前には正式ボデースタイルとシャシー構造・エンジン・トランスミッションなど主要部品を量産設計諸元に基づいた正規仕様で試作し、この試作品を使った正式試作車を作成することになっていました。この正式試作車を用いて量産仕様の品質・信頼性・耐久性・操作安全性・燃費・排気・ドライバビリティ・制動性など生産設計仕様を決めていくのです。

1997年のプリウス開発の際には、その正式試作が3月末まで遅れ、連休明けにはその正式試作車を使った各設計部隊、車両機能試験評価部隊による性能機能評価、品質評価、信頼性確認作業を一斉にスタートさせる必要に迫られていました。この評価作業・不具合摘出作業を行った後に、そこで見つかった問題点に対して対策の設計変更・工程変更を行って、生産ライン・部品生産準備作業に入って行くことになります。この日程は販売開始日に向けて絶対必要な項目が並んでおり、これ以上の遅れは販売の遅れを意味します。

正式試作車が設計仕様通りに作られていても、様々な新規部品の固まりを集めて組み上げて、見てくれだけをクルマにした状態では直ぐこの評価作業に入ることはできません。この正式試作車を用いて、ハイブリッドシステムとしてのチューニング作業と、コンピュータだけではやりきれないシステム制御全体でのデバッギング作業が必要となります。

このシステムの作業を行ったのが、ハイブリッド開発リーダーの私が直接設計評価部隊として担当することになったハイブリッド制御システム設計チームです。ハイブリッド制御システムとしても、量産仕様のフェールセーフ制御、このフェールセーフ保証や始動操作の基本となる様々な故障診断制御仕様を組み込むのはこの正式試作車が初めてで、それまでは暫定版での対応していました。

この量産仕様の全ての基本機能を織り込んだハイブリッドシステム制御プログラムを作りあげ、デバッグを行い、さらに設計仕様のもとづくチューニングを行い連休明けに各設計・評価チームにデリバリーする正式試作車全てにこの確認済みの制御プログラムを提供するのが連休前までの必達ターゲットでした。

さらにこのチームは、一般道路走行用にコロナを改造した開発評価用試作車を作り、陸運局に改造申請を行って白ナンバー取得し、連休明けからのエコキャンペーンの一環でスタートするジャーナリスト・メディア試乗用車両へこの制御プログラムの折り込みとデバッギング、チューニング作業も合わせて行うことが求められていました。

それまでも、当時でも労基法ぎりぎりの状況で、マネージャーとして心苦しいまでの開発作業を行ってもらっていましたが、今度はそれに輪をかけて厳しい状況が訪れていたのです。

連休前の深夜12時に完成したプログラム

連休までに見通しを付けられなければ、臨時出勤を行っても連休明けには間に合わせることが求められていました。私の方針としても、またこのハイブリッド制御の基本部分担当課長も、この連休の臨時出勤(臨出)は避けたいと思っていました。

私にはそれ以前のクリーンエンジン開発担当の時代に、連休の臨出でほろ苦い経験があります。当時の上司指示で私がリーダーとなって若いスタッフで夏の連休の臨出での実験評価を行うこととなったのですが、その日は暑い天気の良い行楽日和の連休初日で、エンジンを使った実験をやりながらもどんどんスタッフのモチベーションが下がって行く状態に陥り、集中力も欠ける状態になっていきました。

私は作業安全上も問題と感じ、結局三日の予定を一日で打ち切り、そのときは夏休みでしたので、次ぎの日にはグループ全員で海水浴にでかけたことを想い出します。実験データは初日の一日だけしかありませんから、残りは作文によって報告書を作りました。これが今もほろ苦く感ずる経験です。

初代プリウスではなんとかゴールデンウイーク前日までにこの作業を追い込み、連休は全員一斉に取ろうと宣言をし、連休前の最終日ほぼ深夜12時にこの全ての作業を終わらせて全員帰路についたことを今でも鮮明に記憶しています。

ここでやったデバッギング、チューニング作業の品質は高く、連休明けにデリバリーを行って、この正式試作車での評価作業が順調にスタートできたことも、日程どおりの号試、量産立ち上がりに繋がる大きなマイルストーンとなったように思います。

さて昔話が続きましたが、このGWでの私の過ごし方を報告して終わりにします。私は40年来の趣味として、仲間と共同で西伊豆の沼津を拠点にヨットを保有し、草レース活動や連休のクルージングを楽しんできました。初代プリウス開発担当となって以降、定年を迎えて三島の自宅に戻るまではなかなか時間が取れず、すっかり塩気が抜けてしまってレース要員としては使いものにならなくなってしまいましたが、連休のクルージングだけは天気が崩れないかぎり参加しています。今年も27日の船での宴会をスタートに、恒例の西伊豆クルージングを楽しんできました。

最初に書いたように肌寒い天気ではありましたが、天気に恵まれて視界は良好で、船の上から富士山と雪を頂く南アルプスを眺めながら、16年前のクルージングに出かけられなかったGWことをふと想い出し、ここにこうして書かせて頂きました。

沼津大瀬崎沖から望む富士山と南アルプス
沼津大瀬崎沖から望む富士山と南アルプス

トヨタハイブリッド車が累計500万台を突破

先週のブログの最後で、トヨタ自動車が発表した、「トヨタ自動車、ハイブリッド車のグローバル累計販売台数が500万台を突破」のニュースをお伝えしました。

この500万台突破をお知らせするトヨタの記念コンテンツ(http://www.toyota.co.jp/jpn/tech/environment/hv5m/)には当時プリウスの車両主査(車両チーフエンジニア)を務めた、現トヨタ自動車副会長の内山田さんのメッセージ動画や、記念動画、1997年から現在までの累計販売台数の推移グラフが紹介されています。

次ぎの自動車をわれわれがリードしようとして、多くの仲間達の熱い想いと寝食を忘れた取り組みに支えられ、内山田さんが車両チーフエンジニア、私がハイブリッドシステム開発リーダーと二人三脚で数多くの修羅場を乗り切って送り出したのが初代プリウスです。

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プリウスが目指したのはモータリゼーションの発展によってエネルギー資源問題、環境問題、渋滞、交通事故といった自動車のネガティブインパクト増大を抑え、自動車のさらなる発展をめざす21世紀のグローバルスタンダードカーのリードオフ役となることでした。

内山田さんのメッセージにもあるように、このようにエネルギー資源や環境問題の緩和に貢献していくには、普及拡大が前提になります。私もハイブリッド開発エピソードをお話するときには、当時から『いかにそのクルマが低燃費で環境性能がいかに優れていても、テストコースだけを走るプロト車や、ショールームに飾るショーカーでは意味がない、買っていただき、走り、使い、それを喜んでいただけるクルマ』が目標と申しあげてきました。そのハイブリッドが、15年で累計販売台数500万台突破、感無量であるとともに、このバックにこのハイブリッド車を選び愛用されている500万のユーザーの方々がおられることの重さをジワッと感じています。

これまで何度か、このブログで開発エピソードや発売初期のエピソードをお伝えしていますが、世界中の多くのお客様に支えられここまでたどり着くことができました。

1997年に販売開始された2つのハイブリッド

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図はこのトヨタ記念コンテンツにあった1997年から現在までの累積販売台数のグラフです。

トヨタでのハイブリッド車販売スタートは、1997年12月の初代プリウスではありません。その年の8月、トヨタのコミュータバス、コースター・ハイブリッドをプリウスに先駆けて発売を開始しています。このハイブリッドの狙いは、燃費よりも排気のクリーン化で、ディーゼルエンジンの変りにターセルやスターレット、カローラに使っていた排気量1.5リッタのガソリンエンジンを使ったシリーズタイプのハイブリッドです。電池は鉛、外部充電型ではなかったように記憶していますが、電池をエネルギーバッファーとして使い、エンジンは発電用として走行負荷の変動をできるだけ抑え、排気浄化能を高めていました。
大都市の幼稚園バスや、北海道のリゾート施設の送迎用として使われていました。台数は多くはありませんが、このハイブリッドバスが最初です。

その1997年の総販売台数は、トヨタのニュースリリースによると、0.3千台と書かれており、累積500万台達成を表したこのグラフの中では、線としても識別できるレベルではありませんが、このハイブリッドバスと、1997年12月10日に豊田市にある高岡工場から各地の販売店に運ばれ、その年に登録された約300台のプリウスが最初の一歩を刻んでいます。

カーオブザイヤー受賞後に生産開始

初代プリウスは、この年の日本カーオブザイヤーなど多くの賞をいただきましたが、日本カーオブザイヤーの受賞条件はその年に量産車としてお客様に販売したクルマが対象です。
10月の新車発表後、11月にちょうど次の年の冬期オリンピックが開催される長野を拠点とし、その競技会場巡るコース設定で行ったジャーナリスト、メディア試乗会で走りを確認にただき、河口湖にあるリゾートホテルで開催された日本カーオブザイヤーに臨みました。その試乗車は、先週のブログに書いた量産トライの号試車で、まだ生産開始をしていない状態でのエントリーと異例中の異例ながら、トヨタの次世代自動車へのチャレンジを評価いただき受賞することができましたが、それを受け取るためにも年内には量産と言える規模の登録を行うことが条件だったと思います。

この長野での試乗会もなんとか間に合わせた突貫作業で、システム開発担当スタッフはまだまだ猫の手も借りたい状態のなか、この時期に開発現場にいると邪魔な私などのマネージャーを集めてこれらイベントに参加しました。この長野の試乗会でも、走行中のシステムダウンが発生、原因究明にきりきり舞いをしたことを思い出します。

最近は自動車ジャーナリストからトヨタのハイブリッド車に対し、エコは良いがクルマの魅力に欠けるなどの厳しい声も聞こえてきますが、この初代ではクルマの基本性能としてはまだまだの状態でしたが、自動車ジャーナリストの方々、メディアの方々も日本発の自動車技術として応援に回っていただきました。

何とか、12月10日の生産開始までに、システムダウン不具合対策や、最後の品質、信頼性確認作業を済ませ、この日本カーオブザイヤー受賞の条件をクリアさせることが出来ました。これも今としては、なつかしい思い出です。

ハイブリッドは普及はこれから更に

丁度このブログがアップされる今、豊田市で、開発に携わってきたメンバーが集まり、ハイブリッド15年、累計販売500万台の記念パーティが開催され、OBの私にも声がかかり、
この原稿を書き終えた後で豊田に出発する予定です。

皆と一緒にこの15年、500万台の美味しい酒を酌み交わしたいと思っています。

しかし、世界で10億台を超える自動車保有台数の中で、なんとか0.5%シェア、まだ1%にも届かないことも肝に銘記する必要があります。

今日の日経新聞に「エコカー苦戦」の記事が載っていました。電気自動車の販売がはかばかしくないことを題材に、新興国でのVWを代表とするコンベ車の低燃費車普及を対比させ日本のエコカー苦戦との論調でした。

この中で、エコカーの市場規模拡大を取り上げていましたが、コンベ低燃費車であれ、ハイブリッドであれ、これから目指すのは全てのクルマのエコ性能向上です。100%エコカーが目標、100%を目標にすると、エコ性能だけではなく、クルマとしての基本性能、走る喜び、持つ喜び、買う喜びを感じていただけるクルマの総合力での競争が決め手です。

クルマの総合力発揮にも低燃費エンジンとともに強力モーター、強力な電池のフルハイブリッド機能が力を発揮すると思います。1%、5%、10%、さらに100%へとカテゴリーは問いませんが自動車の電動化、何らかのハイブリッド技術が次世代自動車の進化をリードしていくことを確信しています。

二代目プリウスで達成しようとしたもの

新型クラウンに付けられた「ハイブリッド・シナジー・ドライブ」バッジ

街を走っていても、新型クラウンを結構見かけるようになりました。前面グリルのデザインは好き嫌いがあるようですが、以前のおとなしい印象から強いインパクトを与えるチェンジを意識したことは伝わってくるように思います。このフロントデザインは別として、私は走りながらリアにも注目しています。リアはフロントほどの個性的なデザインをしているわけではありませんが、先月のブログで紹介したリアにある「ハイブリッド・シナジー・ドライブ」のバッジをどうしても目で追ってしまうのです。

ハイブリッド・シナジー・ドライブ
ハイブリッド・シナジー・ドライブ

レクサスのハイブリッドにはこのバッジがついていませんので、リアの車名バッジに『‘XXX’h』とハイブリッドのしるしである『h』がついているかどうかで見分ける必要があります。これはアメリカのレクサス販売が、「「ハイブリッド・シナジー・ドライブ」バッジを付けると、トヨタと同じハイブリッドだとのイメージがつくので嫌だ」と言って、われわれ開発側の提案を跳ね除けたからという裏話があります。とはいえその後、レクサスの販売店で「ハイブリッド・シナジー・ドライブ」バッジのついたクルマが欲しいと言われるお客様が結構おられると聞いて「さもありなん」とにんまりしたことを思い出します。

街を走る新型クラウンの多くにこの「ハイブリッド・シナジー・ドライブ」バッジがついており、前モデルに比べてハイブリッド車比率が格段に増加し、ハイブリッドが当たり前にクルマに成長してきたことを実感します。

号試白ナンバーでの一般道での試験・開発

3月の2代目プリウスから採用した「ハイブリッド・シナジー・ドライブ」バッジ採用の経緯でご紹介したように、二代目ハイブリッドプリウス開発の狙いは、グローバルコンパクトカーとして、我慢のエコカーから普通のファミリーカーへの進化でした。

新型車の発売に向けて、その本格的な生産開始を前に、クルマの最終組み立てを行うアセンブリーラインが完成後、その生産ラインを使って工程調整や作業員のトレーニングなど、クルマとしての最終的な不具合出しとその対策をおこなう量産トライを行います。トヨタ用語でこれを号口試作、略して号試と呼んでいます。殆どの場合。この号試時期に車両の最終認可が下り、この号試で作った車も新車届出をして正規の白ナンバーをつけ、一般道路を走り回ることができるようになります。

開発の最終段階のこの時期は、この白ナンバーが付けられた号試車を使い試作車の評価で見過ごしてしまった不具合や、最終量産部品であらたな不具合がないかの最終チェックに忙殺されます。開発担当、設計スタッフにとって、最後の忙しい時期がこの号試段階です。担当するシステムや部品に不具合があると、この改善作業を予め決められている量産開始日程までに間に合わせ、その対策確認作業を仮に徹夜をしてでもやり遂げることが求められます。

初代プリウスも、このハイブリッドシステムのビッグチェンジを行った二代目も、いろいろこの段階でのトラブルはありましたが、なんとか量産開始日程に間に合わせ、遅れなく新車発表イベント、販売店での新車販売イベント、新車デリバリーに漕ぎ着けることがでました。

なおこの号試前の開発段階では、前モデルや既販車を改造した試作車の改造申請をおこなった白ナンバー試作車か、試作車に仮ナンバーをつけてこっそりと夜中に走りにいく程度で、大っぴらに一般道を走り回るのは、この号試白ナンバー車からになります。私自身、初代も、二代目もこの号試白ナンバー車を借り出し、いろいろなところを走り回りました。

もちろん、様々な分野のクルマ評価のプロ達が、この段階でも日夜一般道、テストコースを走り回り、最終不具合チェックと、対策が必要な箇所を調べ回っていますので、評価のプロでもない私の出る幕は少ないのですが、開発リーダーとして手がけたクルマですので、評価のプロ達からの報告を自分でも確認したくなり出張の合間を見て、また週末になると時間がとれる限りはこうした白ナンバー車で走り回ること心がけ、またそれが楽しみでもありました。

二代目プリウスでは、新型車の発表を量産開始予定の2003年9月の半年近い前、4月のニューヨークモーターショーで行い、このタイミングで外形デザインも公表しましたので、通常のケースよりは早くこの正式モデルでの仮ナンバー運行試験を行っていましたが、白ナンバーでの運行はこの号試車からでした。

2代目プリウスでのTHS性能強化メニュー

以前も紹介したように、二代目プリウスはハイブリッドが次世代自動車のコアに成長させるためのホップ、ステップ、ジャンプのステップの飛躍をめざしたものでした。クルマの企画段階において、主なマーケットとして期待していたアメリカからの販売計画台数の提示は開発サイドとしてはがっくりするほど少なく、アメリカからも欧州からも我慢のエコカーでは勝負ができないとの声高の要求ばかりでした。スポーツカーを目指す訳ではありませんが、世界中の様々な走行環境を考慮に入れると初代のパワー不足は明か、グローバルカーとしてのステップジャンプを成功させるためにも、環境性能の進化と走行性能の進化は必要不可欠でした。

図1

計画初期段階ではエンジン排気量アップも候補にあげましたが、これにはトランスミッション幅を大幅に縮める必要があり、3代目プリウスで採用したモーター回転数を高回転化するリダクション方式が不可欠で、これにはTHSトランスミッションも1からの新設になってしまいます。コスト低減も大きな開発課題であり、提示された企画台数では設備投資もかさみ、役員からも生産サイドからも賛同が得られませんでした。

この中で行える出来る限りの出力アップをしようとして、エンジン燃費を悪化させない範囲でギリギリ高回転化を行い、さらに発電機の許容最高回転数を高め、フルパワーが使える実走行の車速域をできるかぎり低速域まで拡げるとのやり方で進めたのが二代目プリウスのハイブリッド開発でした。

図に示すように、初代(2000年マイナーチェンジ後)では、時速100キロ以上でなければ使えなかったエンジンと電池出力の合算のシステム最高出力が使える車速を約時速80キロまで低めに設定し、さらにモーター制御やインバータの改良で低中速出力を大幅に高めることができました。

加速で電池アシストパワーを使ってしまうと、再び電池のアシストパワーを使うにはエンジン充電を行う必要があります。この電池充電はエンジン発電で行うので、アシストパワーを使った状態での高速登坂など走行パワーが大きな状態での電池充電ではエンジンパワーにも余裕が必要です。このギリギリのレベルアップをめざしたのが2代目プリウスのハイブリッド開発でした。

アメリカと日本では「エコと走りの両立」を達成したと自負

白ナンバー号試車が使えるようになって、一般道路で早速確認したかったのがこのパワーでの走りです。丁度、号試後半のクルマに白ナンバー登録をして、それを最初の広報宣伝イベントのジャーナリスト試乗会に使うことになりました。そのクルマの事前チェックとすり合わせ運転を開発スタッフ有志が引き受けることになり、私は既に開発スタッフとしては一番の年寄りでしたが、早速手をあげてその一台を引き受けました。

うろ覚えですが8月の最終週に土日の二日を費やし、初代、二代目プリウスの夜間試乗コースだった奥三河山間部を走り回り、さらに名神・北陸道、その年に運用を開始した舞鶴若狭道路、中国自動車道路、さらに1号線の鈴鹿越えなど、日当たり500km、二日で約1,000kmのドライブでした。図1に示す、システムフルパワーを目一杯使う走りをやってみて、この様々な走行条件での試乗で、日本、アメリカの速度域・走り方なら、なんとか我慢のエコカーから言われないレベルと確認することができました。

しかしこれでも、速度無制限アウトバーンでの高速登坂で非力さを感ずるレベルであることは図1のシステム出力からも明かでした。アウトバーン走行でも、時速200キロ以上の連続走行はポルシェ、BMWといえども普通ではありません。しかし、最低限時速150キロから180キロへの追い越しを安心してやれるレベルは必要です。三代目プリウスでエンジン排気量を1.8リッタとし、前述のモーターリダクションタイプのハイブリッドトランスミッションを新設し、グローバルな次世代ファミリーカーを実現してくれました。

もちろん、このアウトバーンも、走行車速が高い欧州のカントリー路でも安全、安心してコーナリングトレースができるシャシー、タイヤ、ステアリング性能がこの走りを支えてくれるレベルに到達していることは言うまでもありません。今年は、欧州での欧州チューニング、欧州工場生産のTHSハイブリッド車を走らせ、そのレベルを確認することを現在計画中です。

ちなみに、この二代目白ナンバー号試車のすり合わせ走行での燃費も23キロ/台を記録し、「ハイブリッド・シナジー・ドライブ」のキャッチフレーズ、「エコと走りの高度な両立」を確認することができたことも、記憶に残る想い出です。

ハイブリッド競争時代が始まった

このブログを書いている最中に、トヨタハイブリッド車の累計販売台数500万台達成のニュースが飛びこんできました。16年目での大台突破です。感慨深いものがありますが、これでも世界の自動車保有台数のまだ1%にも到達していません。石油燃料消費の削減、自動車からのCO2排出削減に貢献していくには、次ぎの1,000万台、2,000万台突破を早める必要があります。このためには、エコ性能はもちろん、環境性能、走行性能、クルマとしての魅力を高めていく努力をさらに積み重ねていくことが必要です。

そろそろハイブリッド=トヨタの独壇場に強力なライバルも登場してきそうです。強力なライバル達と競い合い、お客様にクルマの魅力としてサプライズ感じていただける、次ぎのTHS/THSII、「ハイブリッド・シナジー・ドライブ」の進化を期待しています。