プリウス開発秘話 「非常事態宣言とナベさんの思い出」

弊社コーディアのホームページを8年振りにリニューアルするタイミングで昨年末から2度目のお休みをしていたブログを再開することにしました。多くの愛読者のご支援に力を頂いていましたが、度重なる自動車会社不正に、ただでさえ不得意な文章を書く意欲を低下させてしまい、ずるずると休載をつづけていました。しかし、まったナシの筈のクリーン&低カーボン車への転換に、黄信号が灯り、それをリードしてきた日本勢にもマーケットをリードするにはパワー不足、その日本自動車エンジニアの叱咤、激励のつもりでブログを再々開することにいたしました。気が向いた時に、更新するつもりでおりますのでご支援よろしくお願いたします。

再開初回のテーマは、プリウス開発秘話シリーズとしてお伝えしてきた初代プリウス開発時のエピソードにすることにしました。タイトルは「非常事態宣言とナベさんの思い出」としました。 

この「非常事態宣言」とのタイトルのブログは、2011年7月に掲載しており、その第2弾となります。(2011年7月7日 コーディアブログ 第52回)

図 非常事態宣言 平成8年(1996年)7月1日発行
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東日本大震災後4ヶ月がたち、福島第1原発大惨事の冷却システムがやっと安定的に動き出した時期、日本にとっての一大有事への対応との対比で、トヨタにとって、また私にとって有事だったプリウス開発での「非常事態」対応について紹介しました。首都圏含め、日本の半分以上に人が住めなくなる可能性もあった有事と比較するのは不相応ですが、政官財(東電トップ)が機能不全を露呈させたあの有事対応との比較を意識した投稿でした。

このブログで紹介した「非常事態宣言」を書いた時期は、1996年7月1日、丁度トヨタの株主総会直後、新役員体制がスタートしたタイミングです。誰も、どこも量産商品としてはやったことのないフルハイブリッド車をそれも、まともに走ったこともないシステム構成で2年のうちに新型車としての発売することを目標に走りだしたものの、当然のことながら次々と重大不具合が発生し、対応の見通しが全くつかない時期でした。
この時の詳しい状況は、この「非常事態宣言」のブログをお読み下さい。

ブログの抜粋
「山のような不具合報告がでるのは当然で想定内でした。しかし想定内とはいえ、エンジン軸から発電機やモーター、車輪にトルクを伝えるインプットシャフトがぼきぼきと折れ、電池が煙をだし、テストコースや技術部構内道路のいたるところで試作車が故障停止、走行中にエンジンを止めたり、かけたりするたびに大きなショックを発生し、さらに燃費は従来車の2倍の目標にはほど遠い状況と、致命的とも思える深刻な不具合の報告の連続には、やはり無謀なクレージープロジェクトとの部長連の言葉が身に染みる状況に思え、このプロジェクトの幕の引き時とそのディシジョンプロセスを頭に浮かべるようになってきました。」と表現しています。 

そんな状況の中で、このハイブリッド・プロジェクト「BR-VF室」と電気駆動系の設計部隊「EV開発部」担当役員となったのが、クラウンのチーフエンジニアだったナベさんこと、渡邉浩之氏でした。この前回の「非常事態宣言」ブログでは、名前までは紹介しませんでしたが、この「非常事態宣言」とそのアクションプランは、そもそもナベさんへの説明用として作成したものでした。ナベさんが新任役員として担当する部署は、「BR-VF室」、「EV開発部」のほか、東富士のFP部、海外サービス部と結構広く、この「非常事態宣言」を説明し、これからを相談させてもらう時間がなかなかとれませんでした。そこで、目をつけたのが東富士出張の新幹線会議です。秘書から、出張日程を聞き出し、三河安城から三島までのこだま号グリーン車の約1時間40分が格好の報告時間、こだまの号のグリーン車はいつもがらがら、人に聞かれる心配もない独占会議室として、詳しい報告をし、対応策の相談に乗って貰いました。さらに三島から富士の裾野にある東富士研究所までのクルマの中では、さらに進めて具体的なプロジェクトマネージの体制や、人員増強についても相談をすることができました。このこだま号の中の1時間40分の報告で、「状況は分かった。このアクションプランを全面的に支援するから、すぐに具体化しよう」との一言が体制立て直しのスタートでした。Cordia Blog_20160810_2
車両チーフエンジニアを中心とする車両開発がトヨタのDNAとして定着しています。しかし、ハイブリッド車プリウスの開発は従来の遣り方をぶっ壊せとスタートしたプロジェクトで、車両チーフエンジニアも車両開発経験のない内山田さん(現トヨタ会長)が指名されていました。彼と私は同期入社の顔見知り、アクションプランは事前に相談していましたが、従来のやり方をぶっ壊せと言われなくとも従来のやりかたでは出来ないことは明かでした。そこで活用したのが、チーフエンジニアを中核に、重大課題毎にリーダーを決め機能横断タスクフォース活動により開発を進めるやり方です。チーフエンジニア経験の豊富なナベさんの後押しももらい、ハイブリッド・リーダーは黒子としての調整役に徹したことも、目標どおり「21世紀に間に合いました!」のキャッチフレーズで生産・販売に漕ぎ着けることができたポイントと思っています。
ナベさんは、入社年次で2年先輩、ハイブリッド担当から離れた後も、また私のリタイア後も、言いたいことを言い、また言われ、相談にのってもらった、ボスというよりも兄貴分でした。トヨタでは、ハイブリッドやEV、燃料電池車開発担当の他、研究部門や環境部門を担当、専務を務められた後、技監として2009年からITS Japanの会長を務められ、自動車のITS活用による衝突安全予防、交通事故死ゼロをめざす政府プロジェクト「SIP 自動運転システム」のプログラムディレクターとして、自動走行の指針作りに取り組んでおられました。
昨年10月ボルドー(フランス)で開催された、ITS世界大会に出張された折に体調を崩され、入院されたとの話を耳にして心配していました。お元気なイメージだったナベさんのお見舞いに行く踏ん切りがつかずいたところ、3月中頃にナベさんから会いたいとの声をかけていただき初代プリウスチームのメンバーとお見舞いに伺ったのが3月25日(金)でした。エキサイティングな経験出会った初代プリウス開発の話、将来自動車への夢を、声が出せない状態の中でいろいろ話しをされ、さらに1月にディレクターとして指針を纏められた「SIP 自動走行システム 推進委員会」資料のコピーを用意され、その内容を熱心に説明していただきました。許可されていた面会時間を大幅にオーバーし、何度も何度も握手をしてお別れしましたが、そのグリップの強さが忘れられません。それが文字通り、兄貴分であり、お互いにトヨタの有事と意識して開発に取り組んだ、二度と巡り会えない同志とのお別れでした。

その時頂いた資料に纏められていた「SIP-adus (automated driving for universal service)」
の目指してきた自動走行の研究開発の、わが国がイニシャティブをとり、世界に貢献すべきとして述べ、世界が未だ大きくフォーカスしていない課題として次の3つを強調されていました。

課題A 自動走行車は、市民の理解と受容性を超える挙動をしてはならない
課題B 自動走行のクルマはヒトのセンシング能力を超えられるか?
課題C 歩行者事故を低減する抜本的対策を実行に移そう
 ~地球規模の課題解決にスピード感が不足~ 
との追記があり、この課題と追記の表現は何事もスピードを追求したナベさんらしいと感じたところです。

平成28年1月21日「SIP 自動走行システム 推進委員会」(第20回)
拡大推進委員会(臨時)資料
http://www8.cao.go.jp/cstp/gaiyo/sip/iinkai/jidousoukou_22/sankousiryo3.pdf

生涯自動車エンジニアを貫かれ、常に自動車の将来に夢を託された渡邉 浩之さんに合掌、元気なうちはその夢を引き継ぎたいと、ブログ再々回の第1回目としてことのテーマをとりあげました。

初代プリウス生産開始1ヶ月前 修羅場の不具合対策とコンプライアンス

フランス、パリで同時多発テロが発生し、多くの犠牲者がでました。パリに在住の友人の一人からは、Facebookで無事との連絡が入りましたが、フランスには知人も多く、ご本人、ご家族、関係者の無事をお祈りするばかりです。

このテロは、トルコで開催される「G20サミット」やウイーンで開催された「国際シリア支援グループ外相会議」にターゲットを当てたISによるもののようです。G20ではこれもパリで今月30日から開催されるCOP21、国連気候変動枠組み条約締結国会議で議論する、気候変動抑制の国際合意についての最終調整もテーマの一つでしたが、このテーマはテロにより吹っ飛んでしまいそうです。

1997年12月京都COP3で締結された京都議定書から18年経過し、COP21では当時よりもさらに顕在化してきた地球温暖化緩和への国際的な取り組み合意が期待されています。京都議定書のように批准国に削減義務を負わせる国際合意を目指す議長国フランスと、削減義務を負わない各国の自主的な削減取り組みでまとめようとするアメリカとで意見のギャップがあり、トルコG20でのその調整議論が予定されていましたが、多発テロでオランド大統領がサミットを欠席することになり、COP21にも暗雲が立ちこめてきました。

初代ハイブリッドプリウスと京都COP3

1995年12月のトヨタ役員会で、二年後の1997年12月に開催される京都COP3の時期に合わせ量産世界初ハイブリッド車プリウスの量産プロジェクトにゴーがかかりました。開発チームの当初量産目標提案は1999年末でしたが、まだ最初のハイブリッドプロトが走り出すこともできていない状態で、トップダウンによる2年早出しの号令です。社内技術陣には無謀なクレージープロジェクトとの声も上がっていました。開発ストーリーは様々な本で紹介されていますのでここでは省略しますが、今日のブログではその超短期プロジェクトの量産化寸前、1ヶ月前、丁度18年前の11月のトピックスを取り上げてみました。

199711月 生産・販売開始へのカウントダウンの最中で

1997年11月は、すでに、国土交通省(当時は運輸省)の新車販売認可が下り、10月10日に東京での新車発表、さらにそれに続く東京モーターショーでの展示が終わった段階です。従来車ならば、技術開発陣の役割はぐっと減り、車両系の人たちが車両工場の人たちとドアの立て付けや、組み付け部品類の干渉対策、異音対策など最後の詰めを行う時期です。しかし、プリウスではまだハイブリッド開発部隊は残存課題対策のまっただ中、ジャーナリスト試乗会など広報イベントにはは、暇ではありませんが実務担当ではない私などマネージメンバーで対応し、開発現場は未解決不具合の対策検討、まだ新たに報告される不具合の原因究明と対策に深夜まで走り回っていました。

もちろん、認可が下りた後の開発作業ですので、安全性能や環境性能など型式認定項目に拘わる不具合であれば、改めて設計変更申請が必要です。世界初の量産ハイブリッド車発売と新車発表をした後でしたが、万が一、安全走行に拘わる未知の不具合が見つかると、生産・、販売延期もまだあり得るタイミングでした。

トヨタではこの面でのコンプライアンスマネージは何重ものハードルがあり、技術開発部門、生産部門、品質管理部門と厳しいチェックが待ち構えています。しかし、ハードルが高くとも、もし不具合が残れば、その真因をいち早く究明し、再発させない本対策を見つけ出し、期間内に対策処置をやり遂げることができるかの判断を下すのは、車両主査とハイブリッドでは開発リーダーである私の役割でした。

ヒヤッとする不具合発生はこの期間も続いていました。原因が不明な、予期せぬ車両停止不具合もほんの僅かですがまだ残っていました。その一つが、11月の初旬長野を拠点に実施したジャーナリス試乗会で発生し、パニックを起こしかけたことも今となっては懐かしい思い出です。この原因は幸いにも、型式認定の届出項目には該当せず、簡単なソフト設計変更で生産開始までに対策を済ませることができました。

さらに、この時期、新規採用のモーター・発電機駆動用パワー半導体の焼損事故が発生、青ざめたこともあります。発生は1件だけでしたが、これが設計仕様としての不具合ならばマーケットで散発する恐れもあります。また、工程上の問題であっても、その工程上の問題とその焼損発生の真因を掴み、対策を実施し、その効果を確認しなくては、不具合が起こった以上、量産用としての使用はできません。この部品の生産工場からも、担当役員、部長、担当技術者に来てもらい、何度か対策作戦会議を行ったことも忘れがたい思い出です。このケースでは幸い、別々の二箇所からの調達部品で、一方の増産で乗り切り、この一社はしっかり対策を進めた上で次の年の生産拡大期からの採用となりました。

11月第3週は、河口湖のホテルでカーオブザイヤー選考会があり、内山田さん運転のプリウスで雨の中を会場に向かい、車中で残存課題の収め方の意見交換をした記憶があります。発売前のクルマでは異例のカーオブザイヤーを受賞しましたが、カウントダウン期となった立ち上がりまでの最後の詰めをどうやるかで気もそぞろで、前夜際で誰と何を話したのか、受賞式の記憶は殆ど残っていません。

京都COP3に使う事務連絡車や展示車のプリウスも、正式生産前に実施する生産ライントライ車の白ナンバー登録車が本格的に動きはじめたのもこの時期です。いよいよ12月10日生産開始にむけての最終カウントダウン、この段階ではCOP3に持ち込むクルマ、長野オリンピック聖火リレーの伴走車、試乗イベント車など開発評価のクルマ以外にも一般路で使われるプリウスが増加していきました。そのクルマからの不具合報告もあり、また冬の寒冷地試験は暫定試作車で1回しかやれていませんので、少し時期は早いでしたがこのライントライ車での北海道寒冷地試験、雪路走行試験を開始したのもこの時期です。こうしたイベント対応車や様々な試験走行での不具合報告もまだ続いていましたが、ほぼこれまでに掴んでいた不具合で、生産・販売延期につながりかねない不意打ちの新規不具合はありませんでした。しかし、念のため最後のスクリーニングを行うため、従来車ではやっていない工場完成車での全車スクリーニング走行を決めたのもこの頃でした。

こんな修羅場でのコンプライアンスマネージ

この段階では基本的には開発部隊の手は離れており、不具合が発生した時の処置は販売したクルマと同じ扱いとなり、工場車両検査部門、品質管理部門の管理下での原因調査、真因対策検討を行い対応アクションを決めます。認定届出事項かどうかは設計管理部門の判断により決めることになります。一つ一つの不具合の原因、対策処置レビューなど、社内の何重もの高いチェックハードルをクリアし、もちろんその後は安全走行に拘わる新たな重大不具合に遭遇することなく生産・販売開始に漕ぎ着けることができました。

もちろんスタッフ達の努力の賜ではありましたが、そうした努力を続けたことへのご褒美としての幸運としか思えません。今振り返っても、本当に生産・販売を止めなければいけない致命的な不具合が発生したときに、自分自身でそれを止める決断をし、車両主査や役員に提案していけたかの自信はありません。しかし、某社のスキャンダルのように、社内の仕組みとして隠し通すことは不可能であったことは、今でも断言できます。

当時トヨタの企業風土として悪いことこそ本当のところを早く上司に報告すべきとの先人の教えを繰り返し叩き込まれてきました。私自身も、ハイブリッド・リーダーの指名を受けた時に、ある役員から「このような超短期のビッグプロジェクトこそ、悪い状況は早くトップ役員まで挙げるように」と言われました。プロジェクトの重大な方針変更を行う場合にも、突然の報告では即断ができなくなるからとの説明でしたが、後で考えると、プロジェクトを止める時の決断を間違わず、プロジェクトを暴走させないようにとのアドバイスだったようです。これまた、幸いにも止める決断を上げることもなく、またマネージとしての暴走もさせないで1997年12月10日の生産・販売開始を迎えることができました。

某社のエミッションスキャンダルやこのところの日本大企業の不祥事を知るにつれ、企業風土・文化の重要性とその維持の難しさを痛感します。このスキャンダルを取り上げた以前のブログで、何度か「日本自動車企業トップもエンジニアも襟を正して」と述べました。企業倫理、トップ役員の倫理感が重要です。企業の存続意義としてのCSR(Corporate Social Responsibility)がガバナンスの基本、企業経営として収益はもちろん大切ですが、CSRから外れては存続が許されなくなります。トップが本当の意味でのCSR重視を訴え、実践し続けなければそのCSRに基づく企業風洞文化は継続できません。現役時代のトヨタには、CSRベースの企業風土・文化が開発部隊には根付いていました。トヨタを離れて10年、トヨタを含め、今の現役企業トップ、役員、マネージャー層に向けた「襟を正せ」のメッセージのつもりです。

パリCOP21と次世代低カーボン自動車のこれから

京都COP3から18年、厳戒態勢の中でパリCOP21を開催することがフランス政府から発表されました。この同時多発テロでやや関心が薄れていますが、テロへの取り組みとともに、地球温暖化への取り組みも人類としての大きな取り組み課題です。次世代低カーボン自動車への変革も、紛争の中心になっている中東、西アジア、アフリカ諸国など発展途上国や中国、インド、東南アジア諸国などを置き去りにした、先進国だけの転換では地球環境保全の効果も上がりません。この取り組みも、グローバルな視野でのCSR重視が求められます。日本勢は「襟を正し」、先進国以外の自動車マーケットを含めて低カーボン&クリーン自動車普及をリードして欲しいと願っています。

今週日曜(15日)の日経本誌13面、『日曜日に考える欄の科学技術ニッポンの歩みの』第5回として、ハイブリッド車プリウスの誕生が取り上げられています。私もインタビューを受け、マスキー法から1990年代初めのZEVからハイブリッドプリウスへの流れ、開発時のエピソードなどをお話しました。戦後70年の日本科学技術の歩みとしてハイブリッド車プリウス開発を取り上げていただけてことを担当したエンジニアの一人として嬉しく思っています。

京都COP3のタイミングに間に合わせようと悪戦苦闘し送りだしたトヨタプリウスに込めた次世代エコカーのメッセージは、トヨタハイブリッド車累計販売台数800万台を越えに結実しました。しかし、ハイブリッド車は低カーボン自動車への変革のほんの僅かの一歩、この記事の巻末にあるように、先頭ランナーで居続けようとしたら、技術者達は立ち止まっている余裕はありません。その全力疾走にも、常に人類社会への貢献を基本とする自動車産業界としてのCSR、その倫理感が重要であることは言うまでもありません。

電池はなまもの!」からハイブリッドタクシーまで

「電池はなまもの!」

以前のブログで、「電池はなまもの!」のタイトルの初代プリウス開発にあたってのハイブリッド電池を巡るエピソードを紹介しました。

2012年 1月26日: http://www.cordia.jp/wp/?m=201201

 

開発当初、電池は高温で放置しておいても、電池が空っぽに近い状態でちょっと無理をさせてもどんどん腐ってしまう(劣化)ので、乗っている人間さまよりも大事に使う必要があると脅かされていました。ハイブリッド開発リーダーとして最初に計画した出張が電池工場の視察、二番目が電池開発センターの視察と懇談でした。当時の電池工場はいわゆる3K職場、トヨタのエンジンや駆動部品を加工する機械場と比べても決して綺麗とは言い難い工場で、ハイブリッド電池の母体となる単1サイズの電気工具用のニッケル水素電池を生産していました。その電池を240個直列に繋いで、モーターによるパワーアシスト、減速回生を行うハイブリッドのコア中のコア部品電池パックとなります。240セルのうち1セルでも故障すれば、クルマがストップ、エンジンも掛けられず、路上故障モードとなってしまう重要部品です。

その電池が「なまもの!」、当たり外れがあると聞かされていました。さらに、ハイブリッド開発が佳境に入っても、なかなか量産スペックの電池はできあがらず、やっとできてきた試作電池すら不具合の多発、テストコースでクルマが止まってしまうなどは可愛いいもの、フェールセーフ制御が未完成の状態では電池パックから火を噴くトラブルさえ経験し「電池はなまもの!」を思い知らされました。

われわれクルマ屋の感覚では、故障率0.1%でも大問題、年産10万台のクルマでは100件の故障になってしまいます。セルあたりの不良率1ppm以下が必要と電池屋さんに申し入れると、目を白黒、それが本格的にハイブリッド車用電池開発のスタートでした。さらに、その上で電池の耐久寿命をどれくらい伸ばせるかの見極めがハイブリッド量産化を本当に進めて良いかを判断する大きなポイントでした。

電池もエンジンなみの耐久寿命が普及への必要条件

エンジンやトランスミッションなど、大物ユニットの保証期間は当時で5年5万キロ、しかしこの保証期間が過ぎてもオイル交換などのメンテナンスを怠わらなければ、ほぼクルマ一生の寿命を持つのが普通のクルマの常識です。10年越え、10万キロ越えで、ユニット交換が必要な故障が発生しても、不満の声は上がります。保証期間外の故障率が大きくなると、そのクルマ、そのメーカーの評判は下がってしまいます。ハイブリッド用モーターやインバートはもちろん、ハイブリッド電池もエンジンやトランスミッション同様、同じ機能を担う大物ユニットです。5年5万キロを越えると故障率が増加してしまうようでは、普通のクルマにはなりません。クルマの一生の間での交換が必要となると、中古車価格も大きく下がり、下取り価格の下落、リース残価の下落を招き、そのクルマの評判はガタ落ちとなり、マーケットからの退場を余儀なくされるケースさえあります。

せめて、10年10万キロ以上、クルマの残価がほぼゼロになり、故障してもほぼ寿命と納得していただけることが、寿命保障の一つの目安です。

工業製品のみならず、宇宙や、地球にも寿命があるように、万物には寿命があります。さらに機械部品に比べ、寿命予測、寿命設計は非常に難しい製品です。使用過程でケミカル反応を使うケミカル製品では、その反応雰囲気、反応条件により寿命に影響するストレスは大きく変わり、その繰り返しサイクルにより寿命品質は大きく変化します。

私は電池化学の素人ですが、自動車用触媒、排ガスセンサーを使ったシステム開発に永く従事してきましたので、その寿命保証の難しさはイヤとなるほど経験してきました。ハイブリッド用電池はその経験すら越えそうな代物が、最初の印象でした。

もちろん、電池材料製造プロセス、電池部品輸送・保管プロセス、製造プロセスから検査プロセス、電池パック組み立てから検査、保管、車両工場までの輸送プロセスに至るまで、徹底的な不良撲滅、品質向上活動をやってもらいました。さらに、人間さまよりもわがままな電池を、搭載も急遽変更し、パッセンジャー後席シートの後ろと一等席に変更、電池温度が上がれば電池アシスト量と回生量を絞り、過充電防止は当たり前、満充電までの十分なマージンを取って回生量を絞り、残量が少なくなると余裕を大きくとって出力制限をし、電池がちょっとでも悲鳴をあげると電池使用を切り離すエンジンのみの走行モードへの切り替えすらやりました。

しかし、この電池入出力性制限制御も、お客様の運転中に度々起こるようでは普通のクルマとは言えません。初代ではどうしても、電池からのアシスト出力制限を大きくとる必要があり、亀マークを点灯させる「ごめんなさい」モードを設定し、追い越しなどを控えていただかざるを得ませんでした。

「なまもの」から「工業製品」へ

それでも、「電池はなまもの!」のブログで述べたように、初代初期型プリウスでは、お客様にお渡ししたクルマで電池不具合を多発させてしまい、大変ご迷惑をお掛けしてしまいました。その改良品、単1型240個のセルを直列に接続した電池を搭載した初代初期型プリウスが走っているのを見かると今でのうれしくなります。

今ではクルマが15年以上使われるのは当たり前です。しかし「なまものの電池!」と自覚して、万全を尽くしたつもりでも、最後は清水の舞台から飛び降りる覚悟で送り出した初代プリウスです。

2年半後のマイナーで、円筒型セルから電極構造自体を抜本的に変更した角形セルへと大変更を行いました。さらにそのタイミングで、ハイブリッド用電池専用工場を建設、半導体工場とまではいきませんが、クリーンルーム化をするなど、「なまもの」から「工業製品」への転換を果たしました。さらに、電池パック冷却性能の向上や電池の使い方も見直し、加えてエンジンパワーアップにより、電池入出力を絞っても走行性能低下が少なくする改良を行い、また電池充放電の精密制御など電池の使い方の面からも寿命伸張に向けた改良を続けました。

この2000年マイナーチェンジでの電池大変更の狙いの一つが、カリフォルニア州のエコカー認定でした。規制値が世界で一番厳しいばかりではなく、エコカーと認定されるにはさらに15年15万マイル(24万キロ)のクリーン度保証が要求されました。初代初期型の円筒電池からたった2年半で角形へと大転換したのもプリウスの欧米販売、エコカーを標榜するからにはカリフォルニアのエコカー認定が不可欠との判断からです。新開発電池ですから、マーケットで実際に使った状態での耐久寿命データはありません。初代円筒電池の劣化解析、故障モード解析結果から角形電池開発へのフィードバック、電池セル、電池パックでの意地悪耐久、クルマでの耐久走行だけでは確信の持てるデータはでてきません。

カリフォルニア州の環境当局CARBとの保障期間を少しまけてもらう交渉もやりました。寿命劣化の傾向として長距離走行よりも、少ない走行距離でも長期間使われた方が厳しそうだとの単品耐久結果を説明し、保証期間15年を10年まで短縮してくれました。

それでも、「なまものの電池」の10年15万マイル保証の決断は二度目の清水の舞台から飛び降りる覚悟が必要でした。初代プリウスでは、タクシー会社の宣伝用として少し使われてようですが、われわれとしては、タクシー使用は想定外、この2000年のマイナーチェンジでもほとんど考えていませんでした。意識し始めたのは2003年の二代目プリウスからでした。しかし、10年15万マイル保証がしっかりできるとすると、その先も急速に性能劣化を起こすわけではありません。結局この二代目プリウスから本格的なタクシー使用が始まりました。タクシーでは10年は使われることはありませんが、15万マイル以上の走行は当たり前です。それ以上の長距離走行なら電池途中交換もアリと考えていました。

想定外のタクシー使用、しかし想定以上の電池耐久寿命

これまで述べてきたように、タクシー使用は想定外、しかし二代目プリウスから日本のみならず、欧米、オーストラリアとプリウスタクシーが増加していきました。冷や冷やしながらも、その電池寿命に注目してきました。プリウスタクシーに乗り合わせると、ドライバーから話しを伺い、オドメータを見ながら、電池劣化の兆候である走行中にエンジン起動が頻繁に起きるようになっていないか気にしながら乗っていました。日本同様に、海外でも初期導入はタクシー会社のエコPR活動や政府、地方自治体のエコカー補助制度の後押しがあったようです。その後の増加には、これに加え、燃料費の削減、オイル交換やブレーキバッド交換頻度が少なくなるなど経済面でもメリットも大きいことも後押しとなったと言っていました。ディスカウントの押し込み販売を気にしていましたが、欧州の営業サイドからはそれはないと聞いてい安心したのもこのころです。

いまや、トヨタ&レクサスハイブリッド車の世界累計販売台数が800突破、さらに日本のみならず、世界中でプリウスタクシーが走り回っています。最近訪問した欧州の都市では、パリ、バルセロナ、ブリュッセル、ストラスブール、ストックホルム、など、プリウスタクシーの多さには驚かされます。(写真)

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タクシー用としての電池途中交換がどの程度かは不明ですが、インターネットでは、30万マイル無交換、50万キロ無交換走破のニュースも聞こえてきています。

クシー使用は想定外でしたが、劣化要因の解析を重ね、電池そのものの耐久寿命伸長への取り組み、「わがままでなまものだった電池」から「丈夫な工業製品へと育った電池」へと技術改良を積み重ねることにより、タクシー使用でも想定以上の電池寿命を確保できるまでに進化しています。

米国実施したクルマの長期間保有比率調査結果として、最初購入したオーナーで、そのクルマを10年以上愛用しているユーザー比率を調べたところ、プリウスがトップと僅差の第2位となり、28.5%のユーザーが10年以上使用し、15万マイル以上の走行を記録しているとのニュースが流れていました。

Oct 29, 2015 Green Car Report

トヨタ『プリウス』オーナーが、ある1車種を除き長期間クルマを保有

http://www.greencarreports.com/news/1100689_toyota-prius-owners-keep-cars-longer-than-any-other-model-but-one

このニュースも、タクシー使用だけではなく、個人使用としてもエンジンなど大物ユニット同様、ケミカル製品の電池を無交換と言っても良いレベルにまで進化していることの証明と、初代の開発段階から考えると隔世の感を覚えます。

しかし、電池は「工業製品」と云え、ケミカルプロダクツであることを忘れるな!

しかし、自動車用電池は「工業製品」に進化したとは云え、金属製品と比べると、寿命設計の難しいケミカルプロダクツ、電極での電気化学反応の繰り返しにより物性変化、性能劣化を起こす製品です。過充電、過放電、衝撃による電極変形、金属微粒子混入での微短など、故障モードもいろいろあります。その材料構成、製造工程、反応メカニズム、劣化メカニズム、故障モードを知らず自動車用としてブラックボックスで使える部品ではありません。また、熱暴走抑制や発火・発煙防止として制御だけでやれるわけではありません。ここまでの寿命伸長も、電池本体の耐久信頼性の向上、電池材料特性の向上だけではなく、電池特性を理解したうえでクルマとして使う側からのシステム企画、設計、制御改良の合わせ技でした。

プラグインハイブリッド、電気自動車はハイブリッドよりも電池依存度が大きく、電池寿命保障、信頼性品質保証はハイブリッド用以上に難しい要素があります。

ニッケル水素、リチウムイオン、電池化学特性は異なりますが、寿命保障、信頼性保証の考え方には大きな違いはありません。電池をブラックボックスにし、その制御も車両駆動システムと切り離した丸投げでは、普通のクルマレベルの寿命保障、信頼性品質の確保は困難です。このところの電気自動車ブーム、プラグインハイブリッド車ブームで、杞憂に終われば幸いですが、電池寿命保障、信頼性保証面での不具合発生を心配しています。しかし、この電池寿命保障のハードルを乗り越えなければ、普通の次世代エコカーにはなれません。

ハイブリッド仕様タクシー専用車

今日のテーマ、ハイブリッドタクシーでは、いよいよトヨタからハイブリッド仕様のタクシー専用車発売の発表がありました。まずは日本向け、LPGエンジンの右ハンドル車のみのようですが、欧米でもやや車高が高く客室スペース、荷室スペースが広いこうしたハイブリッドタクシー専用車のマーケットも大きく、従来タクシーと比較して大きなCO2削減効果も期待できます。このタクシー専用車の電池寿命もまた注目です。

二代目プリウス欧州カーオブザイヤー受賞

プリウス、ハイブリッド開発で様々な賞をいただき、その授賞式やフォーラム、環境イベント、広報宣伝イベントにも数えきらないほど出席しました。その中で、一番印象深いイベントは2005年1月17日スウェーデンのストックホルムで開催された“2005年欧州カーオブザイヤー受賞式”です。クルマとしての受賞式ですので、パワートレイン担当は本来は黒子、海外でのクルマ関係の受賞式にはそれまで出席はしませんでしたが、この欧州カーオブザイヤー受賞式だけは、自分で手を挙げストックホルムまで出かけて行き、受賞式に参加しました。

初代の開発エピソードは以前のブログでもお伝えしてきましたが、”21世紀に間に合いました”のキャッチフレーズで量産ハイブリッドとして脚光を浴びたスタートでした。しかし、当時の開発現場の実態としては京都COP3のタイミング1997年12月生産販売開始にやっとの思いで間に合わせたというのが正直なところです。なんとか、お客様にお渡しできるギリギリのレベル、このプリウスを初代初期型と呼んでいましたが、前後のバンパーに衝突時のダメージを防ぐ黒い防振ゴムが付いているのが特徴です。今でも、この黒い防振ゴムがついた初代初期型が走っているのを見かけると、そのけなげな走りに涙がでてくるほど嬉しくなります。

お買い上げいただき、愛用していただいたお客様には申し訳ありませんが、21世紀のグローバルスタンダードカーを目指したプリウスですが、あとで言われたように我慢のエコカーのレベルであったことは認めざるを得ません。このままでは欧米では通用しないと考えていました。生産販売開始前には、開発スタッフ達にほんの一服も与えられずに、次の改良プロジェクがスタートしていました。エンジン、ハイブリッドトランスミッション、その中に搭載する発電機、モーター、そのインバータ、さらに電池まで、普通なら2モデルは持たせなければいけないハイブリッド大物ユニットの全面変更まで決心していました。グローバル展開を図るには、ハイブリッド部品の品質もさらにレベルアップする必要がありました。これが2年半後の2000年5月のプリウスマイナーチェンジ、同時に欧米販売を開始した初代後期型プリウスのハイブリッドシステムです。この後期型プリウスでは、初期型の特徴だったバンパーの防振ゴムがなくなり、一体成形のバンパーとなりましたので一目でその違いが分かります。(写真1)写真1(初代プリウス)

この後期型プリウスも、海外でもいろいろな賞をいただきましたが、その中で残念な記憶は欧州カーオブザイヤーで次点となったことです。選考委員の採点表を見せて貰いましたが、将来のエコカーとして評価し、高い点数をつけてくれた方もおれらましたが、欧州では通用しないクルマとの酷評をいただきゼロをつけた方も複数おられ、このバラツキの大きさで次点に終わりました。私自身も、この後期型は欧州でこそ走る機会はありませんでしたが、士別のテストコース、国内の様々な道路での走行を行い、まだまだクルマ文化が根付き、ドイツアウトバーンがある欧州で評価されるレベルには達していないと思っていました。次点だったことが残念というより、シビアなコメントにも確かに納得するものがありました。次の2代目こそ、欧州の走行環境でも我慢のエコカーではなく、普通に流れにのり走れるハイブリッド車を目標とし、これまた開発スタッフ達は、休む間もなく2代目プリウス用の開発に取り組んでもらっている最中での次点の通知でした。

初代、その後期型までは、“21世紀に間に合いました”“量産世界初のハイブリッド”、“COP3に間に合わせよう””欧米でも使えるハイブリッド車”と、技術チャレンジの連続、その開発プロジェクトマネージは今思い返してもエキサイティング、無我夢中で過ぎたプロジェクトでした。車両チーフエンジニアの車両企画上のコスト目標も無視をし、とにかく世界初の商品を仕上げることに集中できました。

しかし、二代目からはそうはいきません。超トップのサポートは引き続き得られましたが、事務方からはそれまで使った巨額の開発費用や、設備投資の回収を迫られ、一方では、初期立ち上がりの品質不具合多発で従来車よりも多額の品質補償費を原価目標に積まされ、米国からはこのサブコンクラスで、当時の安いガソリン価格では売れる筈がないと酷評され、車両企画の元になる販売目標として1,000台/月を切る提示があったりと、二代目の車両企画、そしてハイブリッド企画も右往左往しました。

エンジン、ハイブリッドトランスミッションなど大物ユニットでは、コスト面からは1万台/月以上で生産ラインを計画することが最低ライン、欲を言うと2万台/月と言われていましたが、2代目プリウスでは1万台/月の企画さえあり得ないと言われ続けていました。それでは、まともな原価目標の立てようもありません。一時は、アルミボディーの限定生産燃費チャンピオン車で良いなどとの企画提案すらありました。21世紀のグローバルスタンダードどころの話しではありません。

技術部の中もアゲンストの嵐、そのなかでやっと立ち上げたのが二代目プリウスとそのハイブリッドシステムです。これまた、部品ベースでは、初代後期型からほぼ新設計での作り直しになりました。しかし初期型THSの大きな欠点の一つだった、エンジンのトルクアップ、パワーアップに対応するトルク容量アップ余地を増やすレイアウト変更まではやれませんでした。

二代目は、そんな中で欧米でも普通に走れるハイブリッド車を目指しましたが、振り返ると初代は無我夢中の技術チャレンジであっという間に過ぎ去っていきましたが、二代目の開発はそれ以外の苦労が多かった印象です。様々な制約、費用回収の要求からのコスト低減要求、さらに様々な外乱の中で、グローバルスタンダードの志しを下ろさず、知恵を絞り抜いて取り組んだ開発でした。

それだけ、いろいろあった2代目プリウスの開発でしたので、2005年欧州カーオブザイヤーの受賞はなにより感激した出来事でした。欧州販売開始は2003年末からでしたので、選考委員もしっかり欧州で走り込んだうえでの審査だったと思います。非常に高い得点で2005年カーオブザイヤーに選ばれました。

その選考委員の採点表欄をみると、初代後期型ではゼロ、もしくは非常に低い点数を付けた選考委員の方々が、この2代目プリウスには高い点をつけ、コメント欄に前回の低い点を付けたことが間違いで、ここまでの進化を見抜けなかったとのコメントが複数ありました。このコメントを読み、欧州でも評価してもらえるクルマにすることができと嬉しさがこみ上げてきました。これが自ら受賞式出席に手をあげ、寒い冬の観光にも不向きな1月中旬、ブリュッセルから一泊二日、トンボ帰りの受賞式でしたがストックホルムの受賞式に参加した背景です。

冒頭の選考委員会委員長Mr. Rey Huttonのスピーチの中で

「トヨタは(自動車としての)厳しい道を学んできた。カーオブザイヤーの審査委員は、2000年プリウスも候補としたが、その投票は割れていた。当時では、プリウスが将来のビーコンと見なした委員と、ハイブリッドのアイデアは見当違いと片づけた委員に分かれていた。新型プリウスは2000年には無かった大部分を持つようになった。今回は、32の候補車の中で、過去最高得点の一つ139点を獲得し、58人の審査員のうち39名がトップとした。」

などとこの受賞を紹介してくれました。

その後、当時の技術担当副社長がトロフィーを受け取るのを見守り、一緒に写真撮影を行い、多くの選考委員の方々と話しをすることができました。そのディナーで味わったワインは、それまでもその後も味わうことのあった有名シャトーのワインよりも美味しかったことが忘れられない思い出です。(写真2)

写真2(2005欧州カーオブザイヤー)

このブログを書きながら、はたと思い至ったことがあります。この欧州カーオブザイヤーの受賞式は2005年1月、これがひょっとすると今大騒ぎになっているVWスキャンダルの引き金の一つになったのではとの思いです。

プリウスハイブリッドが米国で、欧州で認知度が高まり、急激に販売を伸ばし始めたのもこの頃からです。講演会、フォーラムでの欧米エンジニアの態度、目線に変化を感じ始めたのもこの時期からのような気がします。特に、欧州のエンジニア、ジャーナリストは、審査員のコメント、委員長のスピーチにあったように2000年のモデルまでは、ハイブリッドを収益無視の広告宣伝用のシステム、欧州では通用しないとの意見が主流であったのに対し、この2003年二代目でその見方が変わったように思います。

当時は、欧州でも認知されたことを喜ぶばかりでしたが、そこまでインパクトを与えたとすると、それから10年、3代目から4代目をこの世界にサプライズを与えたインパクトを引き継げているか、次の機会には振り返ってみたいと思っています。

この二代目プリウスは、このブログのように、2005年欧州カーオブザイヤー受賞の他、北米カーオブザイヤーも受賞しました。しかし、本家本元日本ではカーオブザイヤーを逃してしまいました。日本のエンジニアである私にとっても残念なことでした。

二代目のハイブリッド開発は、様々な制約はありましたが、我々には我慢のエコカーから欧州(ドイツアウトバーンを除き)で普通に心配なく走れるエコカーの実現の目標にはブレはありませんでした。しかし、今振り返ると、社内では走りの良さをアピールポイントにしたいとの声が強すぎ、走り系のモータージャーナリストから、欧州車との対比で拒否反応があったことも原因かとも思っています。

今回の騒ぎで思い出したことが、あたりか、外れは判りませんが、時代を切り拓くつもりでやったことは確かです。フェアな土俵で、その次の時代にも安全・安心、自由に快適に移動そのものも楽しめるFuture Mobilityを巡る、世界自動車エンジニアのチャレンジを期待します。

米国トヨタ本社のテキサス移転

少し旧聞となりますが、4月28日(月)にトヨタはこれまでカリフォルニア州(加州)トーランス市においていた米国本社をテキサス州プラノ市に移転すると発表しました。トヨタの発表によると、米国とカナダの企業活動全体を”One Toyota”ビジョンで行うためにプラノ市に移転し機能を集約すると説明しています。

もともとトーランス市に置かれていたのは、米国での販売、マーケッティング拠点であった米国トヨタ自動車販売の本社で、車両開発、生産、渉外機能とは別機能でした。その後、米国での現地生産、現地生産活動が増加するにつれ、米国全体の本社機能と位置づけられました。開発部隊のなかでも、筆者のようなエンジン屋にとっては、デトロイト近郊のアナーバー市にあるテクニカルセンターとともにトーランスの隣、ガーディナ市に置かれたラボが馴染みのある米国の拠点でした。そのガーディナラボは、エンジン評価、車両適合の拠点とともに、世界の自動車環境規制をリードしてきた加州大気資源局(CARB)と将来自動車環境規制のルールメーキング、試験法についての情報収集や、CARBとの認証届け出業務の重要拠点でもありました。プリウスの発売後は、実用的な次世代環境車としてCARBのスタッフ達が実用的なクリーン/グリーンビークルとして高く評価してくれました。それに意を強くして、全米どころか世界へハイブリッド車を広げる戦略の説明、将来ビジョン議論のためガーディナラボのメンバーとともにトーランス本社に何度も足を運んだ記憶があります。

このテキサス移転を伝える5 月のGreen Car Reportは、「Toyota’s Texas Move: Prius Maker Lands In Highest-Carbon State」との見出しでこのニュースを伝えています。テキサス州は温室効果ガス排出量が全米50州中1位、一州の排出量として、フランス、イギリス、カナダを超えています。これを根拠に、環境自動車プリウスを販売している会社が環境問題を重視していない州に本社を移したことを皮肉った見出しをつてけています。温室効果ガス排出最大州となっている要因としては、19もの火力発電所があること、化学工場が多いこと、都市部でも公共交通機関が少なく、もっぱら自動車、その自動車も大型ピックアップトラックや大型SUVが多いことが上げられています。一方、ハイブリッド車比率は全米平均を大きく下回っており、さらに、ペリー知事は地球温暖化懐疑論者であったことは有名です。

もちろん、様々な法規制や法人税率など企業活動のやり易さ、広い米国全体に散らばる拠点のコントロールセンターとしての地理的な条件からは加州よりもテキサス州が有利のようです。しかし、21世紀の企業ビジョンとして「環境・エネルギー問題へ対応する自動車の変革」を掲げ、ハイブリッドプリウス開発に取り組み、次世代自動車をリードしてきたトヨタが、環境規制をリードしてきた加州から「Highest-Carbon State」に移転したときの影響をどう判断したのか、知りたいところです。

何度かこのブログでも紹介してきたように、筆者自身は現役のクリーンエンジン開発リーダの時から、加州ZEV規制には反対を続けてきました。。大気汚染の深刻さを否定していた訳では決してありませんし、開発を手がけてクリーンエンジン車のクリーン度はCARBも太鼓判を押す経年車クリーン度NO1だったと自負しています。もちろん、排ガスシステムのリコールを命じられてことは一度もありません。クリーン度の改善手段として、まだまだエンジン車でもやれることがあり、やり遂げる自信もありました。さらに走行中ゼロ・エミッションの定義が納得できず、さらに今も基本的には変わっていませんが、短い航続距離ではクルマの機能としてエンジン車に起き買われないことが明かだったからです。。

1990年代の初めに、前述のロス近郊のCARBラボやサクラメントのCARB本部で、ZEV規制ルールメーキングスタッフ達や幹部達と、「走行中のZEVは誤解を招く、発電エミッションも入れて議論すべき」と激論を戦わせたことを思い出します。いわゆるエミッション・エルスオエア・ビークル論を戦わせました。そのときの彼らの反駁は、「カリフォルニア州には石炭火力はなく、クリーンな天然ガス火力と原発、さらにアリゾナ、コロラド州からの水力発電だから電力もクリーン、さらにオゾン濃度の高いロス地区、サクラメントには天然ガス発電所すらないので文字通りZEVだ」との主張でした。トヨタ社内のEV開発リーダーからも、あまりEV開発に水をかけないで欲しいと、クレームを付けられたのもこのころの思い出です。

僅かな台数のZEVを導入するよりも、触媒もついていない古いクルマ、いかにもエンジン失火のまま走っている故障車を減らすほうがよほど大気改善には貢献できるとの主張もしました。「効果が大きいのは判っているが、大気改善が進んでいない現状ではイメージ優先、ZEV規制を引っ込めるわけにはいかない」と言われてしまった。ロス地区のオゾン発生メカニズムや大気環境モデルを勉強をしたのもこの頃です。

その後、加州では、自動車のLEV規制や自動車だけではない様々な規制強化によりロスのオゾン濃度は低下をつづけ、またPMの改善も進んでいます。しかし、この環境改善効果は当時の議論のとおり、ZEV導入の効果はほぼゼロと言ってよいでしょう。自動車排気のクリーン化と古いクルマが新技術のクリーン車に置き換わり、さらに最近のニュースにあった停泊中の大型船舶電源として一般電力(グリッド電力)への切り替え、レジャー用船舶、アウトドア車両の規制強化などによる効果とされています。さらにPM2.5の排出源として、航空機からの排気の寄与率が高いとの調査結果も報告されています。

残念ながらZEV規制を止めることはできませんでしたが、CARBの幹部やスタッフ達とこうしたディベートをフランクにやれたことはアメリカのオープンさの表れとして良い思い出でした。”Prius”発表後は、この実用ハイブリッド車の開発努力とクリーンポテンシャルを高く評価し、新カテゴリーの先進技術パーシャルZEVカテゴリーを新設してくれるなど普及をサポートしてくれまいた。さらに環境保全の”リアルワールド重視”の部分では、技術的に納得できる提案は採用してくれるなど、オープンでフランクな信頼関係の構築ができたと思っています。

いまもZEV規制には、オゾンやPMといった都市部の大気汚染の規制としては”リアルワールド”での改善効果の少なさから賛成できません。特に自動車から排出されるCO2まで温暖化ガスとしてZEVに取り込んだ動きは、加州だけの問題ではなく、グローバルな問題、もう一度ZEVの定義について当時の議論を材料にCARB幹部やスタッフ達に反駁したいところです。CO2はどこで排出しても気候変動に影響を及ぼす温室効果ガスであり、走行中ゼロでも発電所での排出を含めて評価をすべき「エミッション・エルスオエア・ビークル」です。某社がZEVクレジット販売で利益を上げるのは異常、低カーボン車の普及によって環境保全に寄与できるとの主張は当時も今も変わりはありません。

CO2排出量ではあっという間に中国に抜かれてしまったが、アメリカは中国に続く世界二位、さらに一人当たりのCO2排出量では今でも群を抜く化石燃料多消費国、このアメリカがやっと本気で温暖化対策のためのCO2排出削減に舵を切ろうとしています。CAFÉ規制強化は決まりましたが、まだまだ大型ピック、大型SUVが好まれる国です。低CO2次世代車はハイブリッド、プラグインハイブリッド、電気自動車含めてわずかシェア3.8%と低迷しています。中国とともに、この国が低CO2に動かなければ低カーボンのグローバルな新たな削減活動の枠組み条約は成立しません。その中で、自動車の変革は待ったなしですが、実用技術の裏付けのない規制や、国際政治のパワーゲームで次世代自動車の普及が加速するわけではありません。

規制対応だけではなく、実際にクルマの魅力を高め、この次世代自動車比率を高めることが自動車分野の低カーボン化のポイントです。これをリードしてきたのがトヨタ、ホンダ、日産の日本勢、そのなかで我々は『Prius』で先頭を走ってきたとの強い自負を持っています。この次世代自動車普及の背中を押したのが、私自身、ZEV定義と規制には賛成できませんが、カリフォルニア州ZEV規制であったことは間違いないと思っています。『Prius』を筆頭に次世代自動車普及のアーリーアドプターとしてハリウッドのセレブ達やシリコンバレーなど西海岸の人たちからの強いサポートがあったことを忘れることはできません。

この話題の最中に、ピークオイル論ならぬ、ハイブリッドピーク論が話題になっています。*

*  Could U.S. Hybrid Car Sales Be Peaking Already–And If So, Why?

「アメリカのハイブリッド車販売は既にピークをすぎたのか、それは何故か?」

16 June, 2014 Green Car Report

http://www.greencarreports.com/news/1092736_could-u-s-hybrid-car-sales-be-peaking-already–and-if-so-why

 

ハイブリッド、プラグインハイブリッド、電気自動車含めた次世代自動車の2013年販売シェアは僅か3.8%、このうちプラグインハイブリッド、電気自動車併せて0.6%と比率としては増加していますが、ノーマル・ハイブリッドを押しのけコンベ車に置き換わっていく勢いはありません。

折しもトヨタは年内の水素燃料自動車販売を発表しましたが、電気自動車=ZEVの代替候補として実用化の暁にはクルマの航続距離に優れた水素燃料電池自動車の実用化支援活動をリードしてきたのも加州です。まだ、水素燃料電池自動車普及へのハードルは高く、これが『Prius』を名乗ったり、ポスト『Prius』になるには時間だけではなく、技術ブレークスルーも必要ですが、このアーリーアドプターマーケットも加州が務めてくれることは間違いないと思います。

しかし、いつになるか判らない水素燃料電池車普及の前に、全米で僅か3.8%のシェアの次世代自動車シェアを拡大していくには、やはり加州のユーザーにアピールでき、また環境性能としても電気自動車、水素燃料電池車と競合できる、ハイブリッドピーク論をぶっ飛ばす次の先進『Prius』出現に期待したいところです。

 

 

VVT-iによるプリウスのエンジン起動・停止ショック対策

エンジン起動・停止ショック対策の切り札だったVVT-i
初代プリウスの1.5リッターエンジン、1NZ-FEからハイブリッドエンジンの定番として採用されている可変機構の一つがVVT-i(Variable Valve Timing Intelligent)と呼ぶ、吸気弁のカムタイミング連続可変機構です。VVT-i機構は今では、トヨタのガソリンエンジンのほとんど全てに使われる標準品となっていますが、初代プリウス当時は高級エンジンの一部に採用されている程度でそれほどポピュラーではありませんでした。また、初代プリウスでも最初の計画段階からこのVVT-iの採用を決めていたわけではありません。

初代プリウスの新型車解説書には、VVT-i採用の狙いとして
① 低速トルク向上
② 燃費向上
③ エミッション性能向上
④ 始動時の振動低減
と書かれていますが、急遽採用を検討した決め手は④のエンジン始動時の振動低減でした。
1995年12月にハイブリッド専用車として2年後の1997年12月に販売開始をめざし量産プロジェクトの号令がかかり、エンジン、駆動、制動、シャシーなど様々な設計部隊、また車両性能、機能の評価部署に評価検討用の試作車が配られ始めたのが次の年の4月頃からでした。そうなると、さまざまな大問題が至るところから報告されるようになりお先真っ暗になったのがこの時期です。その大問題の一つが、走行中のエンジン起動、停止の度に大きなショックが発生し、そのつどクルマがゆさゆさと揺れ、とても商品のクルマには程遠い状況でした。さらに、エンジン起動のタイミングが悪い場合には、エンジントルクを遊星ギアに伝えるインプットシャフトがボキッと折れたり、ハイブリッド・トランスミッションを支えているマウント固定部のケーシングの破損まで引き起こす状態でした。この救世主の一つがVVT-iの採用でした。

初代プリウスの最初の広報資料にはVVT-iの項として
『吸気タイミングを、VVT-I (Variable Valve Timing-intelligent)により運転条件に応じて
きめ細かく呼応させることで、常に最大の効率確保を図りました』の記述しかありませんが、決め手はエンジン起動停止のショック対策でした。しかし、当初はタイミング固定の従来方式での高膨張比アトキンソンサイクルエンジンの企画でしたが、その固定タイミングの高膨張比エンジンでは両立が難しかった低温時のエンジン安定性確保やその後のエンジン出力向上にも効果を発揮しました。このVVT-iの採用は、エンジンチームの発想です。ショックの要因解析を行い、さまざまな対策を検討しまくった上ででてきたアイデアでした。その効果が確認されると時を移さず量産設計に入り、このクラスのエンジンでは初、さらにハイブリッド専用の機構を加えて量産化に漕ぎ着けることができました。もちろん、このVVT-iの適合だけで全て解決した訳ではありません。エンジンを回し、止める発電機の制御、トランスミッションの捩りタンパー設計、過大トルクを防ぐストッパー、エンジン、トランスミッションを支えるマウント位置の見直しなど、クルマ全体での対策の集大成でした。

140612Blog図
この中で、項目2番目のエンジン始動時および停止時と1項目と同じ運転状態を示す部分が通常運転時のEV走行からのエンジン起動、エンジン運転中からの停止時のVVT-i制御の説明です。吸気弁を最進角側、図の下にあるバルブタイミングのイメージ図にあるように、排気弁ばまだ開いている状態で吸気弁が開着始めるように、吸排気弁がどちらも開いている状態、所謂バルブオーバーラップ状態が長くなるように制御しています。この状態では、シリンダー内の燃焼ガス圧力はまだ高く、この状態で吸気弁を開くと圧力の高い燃焼ガスは吸気バルブから吸気ポート側に逆流してきます。次にその逆流した燃焼ガスをまたシリンダーに吸い込み、吸気弁をオーバーラップが大きくなるように進角したことにより、吸気弁を閉じるタイミングを早め、新しい空気の吸い込み量を少なくしています。この燃焼ガスを再吸入させ、また新しい吸入空気を減らすことにより、次の圧縮抵抗を小さく抑えることができます。これで圧縮抵抗によるショックを押さえ、ショックが大きくなるエンジン低回転にある共振域を素早く通過させてショックをこの共振によってショックが大きくなることを防ぐことができました。燃料を噴射し、点火させるのはその共振域を通過させてから行います。これ以外にも、冬の低温時の冷間始動性を向上させるタイミング制御、スロットル弁全開条件でエンジン出力を高めるタイミング制御など、当初のショック対策だけではなく、ハイブリッド実用化には欠かせないエンジンデバイスとなってくれました。

10代目クラウンに最初に採用されたVVT-iがプリウスへ
手前味噌ですが、このプリウスハイブリッドの救世主になったVVT-iですが、私のエンジンR&D担当時代に開発をマネージしたテーマの一つです。トヨタは可変動弁系の最後発、トヨタが採用していたエンジンの動弁機構では、三菱自のMIVECやホンダのVTECのようなカムの切り替え方式の採用は非常に困難でした。そこから、いろいろあって1995年にフルモデルチェンジした10代目クラウンの3リッタ直列6気筒エンジンに採用したのが量産のスタートでした。これもまたプリウスハイブリッドを世に送り出すことができたラッキーな巡り合わせであったように思います。現在では、排気バルブもタイミング制御を行う吸排VVT-i、電動VVT-I、さらにVTECなどバルブ機構切り替え方式とタイミング切り替え方式の併用、バルブ作動休止機構との組み合わせなどが実用化され、可変動弁機構は現代エンジンとして欠かせない標準デバイスとなっています。

MIVEC、VTEC、VVT-iなど可変動弁機構は出力競争、低燃費、排気のクリーン化の現代ガソリンエンジン進化を競い合った中でコア分野の一つでしたので、可変動弁機構では当時やや他社に遅れをとったトヨタでどのような議論があり、どのような検討をおこないVVT-iに収斂していったのかなども次の機会にはお話していきたいと思います。

その議論の先、この可変動弁機構の発展に、次のガソリンエンジンの進化も見えてくるように感じています。

プリウスの回生ブレーキ ーその2

本格回生協調ブレーキECB(電子制御ブレーキ)
一週空いてしまいましたが、引き続き、プリウスの回生ブレーキを巡る開発エピソードをお伝えしたいと思います。先回はカックンブレーキと言われてしまった回生協調ブレーキチューニングの顛末を取り上げました。回生量を増やすにはギリギリまで油圧ブレーキ作動への切り替えを遅らせ、回生制動割合を増やすだけではなく、回生の取り代を減らすこととなるブレーキ引きずりの低減にも従来車ブレーキ以上に厳しい目標設定をおいて取り組んでもらいました。このブレーキ屋さんや車両評価の人たちとの共同作業とその時の議論がその後のさまざまな進化に繋がりました。
まず、2000年のマイナーチェンジでカックン感の改善を行い、同時に回生・油圧の切り替え適合で燃費向上を果たしました。次の本格的な進化は2003年二代目プリウスに向け開発した本格ブレーキ・バイ・ワイヤ、文字通りの回生協調ブレーキと言える電子制御ブレーキECBです。中速域からの加速ならば、回生優先、このECBの採用で大幅な燃費向上を果たすことができました。図に初代と二代目での制動力に対する回生・油圧分担割合と、回生効率比較を示します。回生効率とは、空気抵抗やタイヤの転がり抵抗で回収できない減速エネルギーを除き、理論上回収できるエネルギーのどれくらいを実際に回収したかの比率としました。初代の10-15モードでは、38%程度だった回収効率が、二代目では倍近い72%程度にまで向上しています。
140605ブログ図表_ECB回生効率
アメリカ、欧州の最高速度が高く、減速度も10-15モードよりも大きな公式都市走行モードでも大幅な向上を果たしています。初代では強力な電池を搭載していてもエネルギー回生では十分にその容量を生かし切れなかったとも言えます。また、10-15モードぐらいの車速域と減速度なら、回生協調ブレーキを使わなくともアクセルペダルから足を離した状態のエンジンブレーキ相当の回生で十分との意見もありましたが、やってみるとそれでは不十分でした。特に実走行では公式モード通りの運転をしている訳ではありませんので、アクセル全閉、いわゆるエンジンブレーキ相当の減速度を強めると、無意識に車速を落としてしまい、車速維持のためにアクセルまた踏むといったオン/オフ運転を繰り返してしまうことがあります。こうしたオン/オフ運転では燃費を大きく悪化させてしまいます。この状態こそ、回生協調ECBの独断場、ブレーキで車速コントロールしながら広い領域でエネルギー回生を行うハイブリッドのポテンシャルの高さを感じたのも、初代から二代目のECB採用での開発でした。

Bレンジのエンブレの効き
また、初代ではBレンジに入れてもエンブレの効きが悪いとのお叱りもいただきました。今の設計指針、法規が当時からどう変わってきているのかわかりませんが、初代~二代目ではBレンジの減速度の上限として、長い下り坂などで電池が満充電状態でもエンジン空転で消費できる発電量としました。どんな状態でもエンブレ状態の制動力を変化させないことを指針としたため、Bレンジで電池満充電では、エンジンの許容最高回転数での空転が上限です。このため、満充電となるとエンジン回転数を発電機でつり上げて高めていました。初代ではこのエンジン許容最高回転数も熱効率を高めるため4,000回転/秒と低く設定していましたので、これが上限、このためBレンジでもDレンジとさほど差がつかない減速度しか使えなかったというのがその顛末です。エンジン最高回転数を2000年のマイナーで少しあげ、2003年二代目で5,000回転/秒まで上げた理由が、エンジン最高出力を高める他にこのBレンジでのエンブレの効きを良くしようとの狙いがありました。
エンジンでは、アイドル運転時の発生トルクが駆動トルクの下限、微妙な駆動力コントロールはできません。この点、モーターは出力側から、回生制動力までリニアにさらに精密に駆動/制動力を制御できます、初代ではこのポテンシャルを使い切れませんでしたが、スキッドコントロール、トラクション、オートクルーズなど駆動/制動力をリニアに精密に制御することのポテンシャルの高さを感じたのも、ブレーキ屋、車両屋、エンジン屋、駆動屋と共同開発作業、チューニング作業をおこなった初代~二代目の開発での思い出です。
まだまだ、電気駆動/回生制動のポテンシャルを突き詰めきれてはいなとの感じながら、開発エンジニアをリタイアしました。その後の進化が少ないことが気掛かりです。

プリウスの回生ブレーキ ー その1 

燃費3倍をめざすハイブリッド探索から燃費2倍プリウスの開発へ
何度かこのブログで紹介しましたが、プリウスの前身、21世紀のスタンダードカー・スタディーをスタートさせたのが、1993年秋、社内コードG21です。このときにチームの依頼でエンジンチームが燃費シナリオ検討を行い、コンベ(従来車)技術で10-15モード燃費50%なら達成可能とのスタディ結果だったそうです。G21チームはこの燃費50%向上を車両開発目標として、当時の技術副社長和田さんに提案したところ、「やるなら燃費2倍、それでなければ止めておけ」と言われたエピソードはいくつかのプリウス本で紹介されているとおりです。この目標を達成するには、もうハイブリッドしかありません。急遽ハイブリッド前提での燃費2倍を達成するシステム選定が行われ、その結果選びだしたのが今のトヨタハイブリッド車全車種が採用している、2モーター方式、遊星ギアにエンジン、発電機、駆動モーターをつなげるTHS方式です。
このG21のスタディーとは別に、パワートレーングループが発足させたハイブリッドチーム(BRVF)に和田さんが与えた宿題が燃費3倍を実現するハイブリッドの探索です。この裏話を昨年のブログで紹介しました。
(2013年8月コーディアブログ http://www.cordia.jp/wp/?m=201308)

BRVFチームは、燃費3倍をターゲットに、考えられる限りの様々なハイブリッド構成とアトキンソンサイクルエンジンなど低燃費技術シナリオを入れてスタディーを進めたものの、燃費3倍の実現は困難、車両軽量化や空力改善を入れても燃費2倍強が限界との結果だったようです。BRVFスタッフ達が、和田さんからの爆裂弾破裂を覚悟して恐る恐る「燃費3倍は無理、燃費2倍強が限界」と報告したところ、「よくやった、その目標で次ぎはプロト開発に入るように」と指示をされたとの裏話を聞いています。「燃費50%程度を目標とするならG21は止めてしまえ!」とおっしゃった和田さんの頭の中には、すでに燃費2倍ならハイブリッドでやれるとの報告が入っていたことは間違いありません。このブログで何度もご紹介したトヨタの諸先輩がた、特に今も語り継がれる名車を作り上げられた車両主査のお一人、和田さんらしいエピソードです。

燃費2倍にはフルハイブリッドが不可欠、ブレーキ屋さんには苦労をかけました
この「ハイブリッドなら燃費2倍強はやれるかも?」の根拠の一つが、停車中のアイドルストップどころか、低中速の走行時には運転効率が極端に悪化するエンジンを止め、モーター走行をさせるフルハイブリッド(ストロング)とも呼ばれるハイブリッドと、今日の話題回生ブレーキの採用です。燃費3倍の探索からスタートしたプロジェクトですので、以前に実用化経験のあるエコランでも、また回生の取り分が少ないマイルドハイブリッドは検討対象には入っていませんでした。

当時の日本10-15モードだけでの「なんちゃって燃費2倍」を目指したわけでもありません。グローバル21、アメリカの公式燃費も欧州の公式燃費も探索の対象に入れると10-15モード領域だけではなく、広い車速域でのエンジン停止EV走行と減速回生ができるシステムを目指しました。

10-15モードの燃費2倍はそれほど難しいターゲットではなかったはずが、最初のプロトでの燃費試験結果は惨憺たるありさま、リッター20キロを切るレベルでした。この理由の一つが、スタディーに使った発電機とモーターの効率マップが僅かの計測点から鉛筆を嘗めて作成した実際とはかけ離れたものであったことがわかりましたが、後の祭りでした。エネルギー回生の取り代を過大に見込んでいたことになり、この回復を図らなければ10-15モードですら燃費2倍は見えてきません。少しマージンがあったはずが、当て外れでした。

燃費シミュレーションで見込んだ回生量を稼ぐことを前提に、ハイブリッド電池が受け入れられ限り目一杯の減速回生、停車の寸前で油圧ブレーキに切り替える油圧ブレーキ屋さんにとっては無理難題のチューニングをお願いしました。それまでの電気自動車ではそこまでの減速回生はやっておらず、エンブレ相当まで、ブレーキを踏むと中速域から油圧ブレーキに切り替える方式だったと思います。それを、アクセルペダルから足を離し、ブレーキペダルを踏み始めても回生を続け、止まる寸前に油圧ブレーキに切り替えないと燃費2倍で見込んだエネルギー回生はできません。いわゆる、高度な電気回生と油圧ブレーキの電気-油圧の回生協調ブレーキシステムを必要とする要求です。ブレーキ設計担当も、初代はそこまでの高度な回生協調ブレーキの経験はなく、油圧ブレーキのチューニングでやれる範囲と考えていたと思います。油圧・回生協調ブレーキの開発の第1歩は、エンジニアの回生協調、油圧ブレーキエンジニアを派遣してもらい、ハイブリッドエンジニアとの共同チームによる制御系の摺り合わせからスタートしました。
油圧ブレーキ系ハードはこの開発日程ではほとんど変更の余地はありません。回生域は拡大、そこから油圧への切り替えを車両のチューニングでやるしかありませんが、その車両とハイブリッドが商品車としてのチューニングに入れる状態になったのは量産トライ寸前の1997年夏の頃です。

その苦労が本格的なブレーキ・バイ・ワイヤECB2の実用化を加速?
燃費2倍実現を目指す公式試験の申請諸元はほぼ決めており、回生領域拡大は必須、あとはブレーキ部隊のチューニングの詰めに期待するしかありません。ギリギリまでがんばってくれましたが、チューニングだけでは十分なレベルにはならなかったようで、初代の立ち上がりではカックンブレーキと言われてしまいました。無理な適合を押しつけ、チューニングの詰めの段階でも、まともなクルマを提供できなかったことなど、今もブレーキ屋さんに申し訳なく思っています。しかし、開き直ると、この「カックンブレーキ」が本格的なブレーキ・バイ・ワイヤのシームレスに回生・油圧切り替えを行う2代目プリウスに採用することになる電子制御ブレーキシステム[ECB2: Electronically Controlled Brake System 2]の開発を加速させることになったと言えるかもしれません。ジャーナリス試乗会でカックン感を指摘されると、「すぐ慣れますよ!」とか「ブレーキ操作が荒いからですよ!」などと嘯いていましたが、ブレーキ担当のメンバー達には口惜しい思いをさせてしまいました。

従来のエンジンと機械変速機の組み合わせでは実現できなかった、クルマを加速させ、巡航運転を行う駆動力から停車させるまでの制動力までモーターとECB2によるシームレスなコントロールの将来性に目を開くことができました。

モータ・発電機のとんでもなく高い効率マップを提出したモーター開発スタッフには大きな貸しを与えましたが、これまた2000年のマイナー、2003年二代目プリウスTHSIIと着実に効率を高め今ではそのとんでもない効率を実現し、ECB2との回生協調の進化によりエネルギー回生効率も当時では考えられなかったレベルを達成しています。このあたりは、次の機会にご紹介したいと思います。

プリウスの前身、G21プロジェクトとその次のG30活動

G21という符牒は、このブログの読者、またプリウス本をお読みのかた、トヨタの関係者や私の講演をお聞きの方なら記憶されているかもしれません。石油資源、地球温暖化問題が騒がれはじめた1992年ごろ、世界ではハイブリッド車プリウスの開発につながるいくつかの動きがありました

世の中では、地球温暖化を筆頭とする環境問題の深刻化が顕在化、この地球環境問題を議論する国連主催の第1回世界環境サミットがリオ(ブラジル)で開催されたのが1992年6月です。持続可能な開発、サステーナブルデベロプメントがキーワードでした。一方、米国カリフォルニアではロススモッグ解決のため、究極の自動車環境規制、LEV/ZEVを議論していた時期です。排気ガスを出さない自動車ZEV(ゼロエミッション自動車)の販売義務付けが議論されていました。

21世紀を間近にし、ちょうどトヨタの将来ビジョンが社内の各部署で議論されている最中でした。1993年春にこの議論をもとにまとめられた中長期ビジョンのタイトルが『調和ある成長:Harmonious Growth』 、その中核の一つが持続可能な自動車を目指すことを宣言した『トヨタ地球環境憲章』です。この中長期ビジョン、その中核となる地球環境宣言に沿い、トップからその実現に向かう業務改革、組織改革、さらに具体化のためのアクションが社内各部門への宿題として示されました。

 

ハイブリッド普及プロジェクト「G30」

われわれ技術開発部門が、この宿題としてスタートさせた研究プロジェクトの一つが、この社内コードG21、持続可能な自動車社会への一歩となるグローバル・セダンの探索プロジェクトです。1993年秋に少人数でスタートしたG21が周囲のあれよあれよとの間にハイブリッドを搭載するプリウスとなり、“21世紀に間に合いました”のキャッチコピーで1997年12月に発売を開始しました。この経緯は、いろいろなプリウス本に紹介されている通りです。

それから16年、昨年末にそのトヨタハイブリッド車累計販売台数が600万台を突破、持続可能な自動車への大きな一歩を踏み出すことができました。今日の話題は、このG21から今日の600万台への道のりの中にあったもう一つのマイルストーンG30を紹介したいと思います。

このG30は社内だけで通用するプロジェクトコードですが、当時ではプリウスにつながる車両開発プロジェクトのコードではありません。量産のスタートを切ったハイブリッド車の普及をめざすシナリオ策定と、それに対応する開発企画、車両企画、開発体制を提案する活動です。

初代の発売から2年半、モーター、発電機、電池、ハイブリッドシステム部品のほとんどを作り替えるシステムとしての大改良を行い、欧米での発売をスタートさせたのが2000年マイナーチェンジプロジェクトでした。そんな時期、これもトップ役員からハイブリッド車普及として次ぎは2005年30万台/年のシナリオ策定とその具体化プラン提案を指示されました。このシナリオ策定とその開発体制の仕組みを作り上げるのがG30 プロジェクトの役割でした。

プリウスのモデルチェンジ、さらにエスティマ、クラウンとそれぞれプリウスとは機構が違うハイブリッド開発をやりながら、普及戦略をたて具体化するのもお前の役割と事務リーダーを仰せつかりました。G21もプリウス本にあるようにとんでもない超短期開発、社内でもクレージー扱いもされましたが、技術を見極め、チャレンジし、安全に関わる品質に抜けがないようスタッフ一丸で必死に取り組んだ先にゴールがありました。

 

利益を出せるハイブリッドに

開発マネージャー、ビッグプロジェクトのリーダーだからといって、技術開発だけに集中していれば良いわけではありません。しかし、このG30はG21のようにハイブリッドの量産化に集中すれば良い話ではありませんでした。G21はあっという間でしたが、その最中は無我夢中で産みの苦しみのプロジェクト、そこから何度かとりあげたマーケットでの品質向上への取り組みで育ての苦しみも味わいましたが、このG30は世間の冷たい風にも当たりながらハイブリッドを大きく成長させるきっかけとなるステップでした。

当然ながら、まずは収益問題、欧米メーカートップが言った一台ごと、札束を付けて売っているとの状況からは脱出していましたが、初代、マイナーチェンジまでに使った先行開発投資、設備投資の回収まで入れた収益計画の具体化を求められたのもこのG30です。このプロセスでもいろいろなことを学びました。普及拡大には、先行投資分の回収を進めながら、さらに先の開発に投入する原資を確保していく必要があります。ハイブリッド車を増やすにはハイブリッド採用車種の拡大が必要、さらに開発要員の確保、人材育成、開発設備の増強などなどの手当も同時にやる必要がありました。一車種あたりの生産台数が増やせれば、コスト的には楽になりますが、営業部門がそれほど楽観的な台数を提示することはありません。当時、現在進行形だったまだまだ不良発生のおおかったマーケット不具合も、この高い不良率で算定した故障対策費が次ぎのコスト目標に上乗せさせられます。生産予定台数を多くすればするほどコストが下がる訳ではありませんが、少なすぎては開発投資分、設備投資分の回収分が積み上がり、台当たりのコスト増がどんどん大きくなってしまいます。

さらに、営業サイドからはハイブリッド分のコスト増に対し、厳しい販価査定が提示されました。そのギャップを埋めるのがコスト低減活動ですが、知恵を絞り、汗を流してギリギリ届きそうなチャレンジ目標を決めていくのもG30活動の重要部分でした。

普及に伴いハイブリッドにも様々な軋轢が生じてきた

途中経過をパスしてG30活動の顛末を述べると、2005年の30万台/年販売の目標達成はできませんでした。クラウンで採用したマイルドハイブリッドはもちろん、今はポピュラーになってきているアイドルストップまでハイブリッドの範疇に入れて達成シナリオを検討しましたがさすがにそのシナリオは取り下げました。当時、ハイブリッド路線と収益性に疑問を投げ抱えるような、コンペティターやメディアからの弾丸、矢もいっぱい飛んできていましたが、後ろからの弾丸、矢も降ってきたのがこのG30活動でした。

この活動をやりとげたから今の600万台があると思っています。遮二無二、勢いをつけたからやり遂げることができたと信じています。後ろからの弾丸や矢も、前に進むスピードを上げれば勢いが弱まり、さらに時代を切り拓くのは自分達と信じて開発に取り組んでいたスタッフ達の熱気もこれをはじき返す力になったと今になり懐かしく振り返っています。

結局は、G30活動で作り上げたシナリオではなく、この熱意ある開発スタッフ達が取り組んだ、次のプリウス、ハリアーハイブリッド、そしてアクアと続く、ハイブリッド車がこのシナリオを飛び越して、600万台へと発展させた原動力となりました。このG30とそのときの後ろからの弾丸や矢が降ってきた話は自分の墓石の中まで持ち込むつもりでいましたが、バブル崩壊からやっと次の成長へと舵をきった日本再生、アベノミクスの具体化はきれい事だけでは済みません。人間ドラマ、アゲンストであった当時の振り返りも必要と思いました。今が日本再生の21世紀全般の最後のチャンス、このチャンスを失した先に次のチャンスが巡ってくるかは解りません。このチャンスの後ろ髪を追っかけることにならないよう、このG30で学んだ教訓をお伝えしていきたいと思っています。乞うご期待ください。

レジェンド葛西選手の銀メダル、スキージャンプとプリウスの思い出

葛西選手の銀メダルに感動

7度目の冬季オリンピックを41才で迎えた葛西選手が、ラージヒルジャンプでついに宣言通りの個人のメダルを獲得しました。わずかの差の銀は少し残念ですが、まさに有言実行、ジャンプ競技のどころかトップアスリートとしてのレジェンドと言ってもいいでしょう。

見ての通り、一つ間違えば大きな怪我を負いかねない競技を30年以上、それも世界の一線級として続けてきたことには敬服以外のなにものでもありません。私自身、札幌で生まれ育ち、実家から札幌オリンピックのラージヒルジャンプ台、大倉シャンツェまで歩いて30分、小さいころはそのままスキーで飛ばすと10分たらずで家までたどりつくことができました。

小学生の冬の遊びはまずジャンプ、近くの丘にスコップで雪を積み上げた小さなジャンプ台を仲間と作りその台を飛ぶところがスタート、徐々に大きな台に移っていき、その最後がラージヒルジャンプ台になります。隣の家のお兄さんが複合のオリンピック選手、近所から世界選手権、オリンピックで活躍したジャンプ選手がでるような地域です。

私自身、彼らと同じように小学生の低学年からジャンプをやり始めましたが、20メータクラスで頭から突っ込む大転倒をしてジャンプが怖くなり飛べなくなってしまい、その先には進めませんでした。とはいえ、近くの大倉シャンツェへは、度々ジャンプ競技会を見にいきました。

容易に想像がつくとは思いますがやはり危険な競技で、常に救急車が待機しており、風に煽られ転倒して救急車で運ばれる選手を何度も見ました。高校生の時、競技の整備を手伝わされ、大倉シャンツェ踏切台(カンテ部)の下から普通のスキーで滑り降りたことがありますが、その急斜度のランディングバーンを滑り降りるだけで足がすくむ恐怖の体験でした

プリウスの冬道テストコースはジャンプ場巡り

前置きが長くなってしまいましたが、今日のブログはレジェンド葛西選手とプリウスにあわせたタイトルにしましたが、プリウスをジャンプ台から飛ばせる話でも、またプリウスをレジェンドと図々しく対抗しようとする話でもありません。

札幌の中心街から西に見える大倉シャンツェは、中心部のテレビ塔から約6.5キロ、ちょっとした坂道を上がって競技場までむかう雪道はクルマの格好の試乗コースです。その周辺の住宅地は、私が暮らしていた当時からすっかり変わってしまいましたが、土地勘はある地域で、北海道に行くたびにプリウスの試乗コースとして走り回っていました。

ノーマルヒルジャンプ台の宮ノ森シャンツェにも近く、そこから市民スキー場がある藻岩山山麓へ抜けていく山道の登り降りもまた良い試乗コースです。今ではジャンプ台付近まで住宅地が広がっており、冬の雪道では4WDがほしくなる地域ですがFF、FRの2輪駆動車も使われています。プリウスがそのような走行環境でどうかを自分で試してみたくなり、何度かその周辺を走り回りました。

トヨタには北海道士別市の郊外に大きなテストコースがあり、寒冷地試験、整備された雪道の走行路もいろいろありますが、私自身は開発スタッフたちに頼んでもっぱら一般路の試乗ツアーでチューニング状況や問題点の説明を受けながら確認させてもらっていました。

初代プリウスでは、北海道の販売店からトラクション制御が効き過ぎて雪道のでこぼこにはまると脱出できないとの指摘があり、その確認や改良の相談が冬の試乗をやるようになったきっかけです。

時間がなかなかとれないので、スタッフたちにわがままを言い千歳空港や旭川空港まで試乗するプリウスで迎えにきてもらい、そこで合流。大抵は一泊二日で雪道を走り回り、スタッフたちと開発状況や試験状況の話も聞き、夜は海鮮料理とビールで懇親を深める冬の楽しみな出張でした。

こういった試乗も先輩たちに叩き込まれたトヨタウェイの現地、現物、現車主義、テストコースだけではなく、生活道路のクルマの使い方をお客様の目線で確認する方針を貫かせてもらいました。

もちろん、私自身は開発エンジニアであり、クルマ評価のプロではありません。我々の試乗と併せて、クルマ評価のプロの目で、現地、現物、現車での評価をしっかりやってもらい、このような機会にシステム制御スタッフと一緒に評価状況、課題を聞かせてもらう企画です。

試乗コースとして、大倉シャンツェ、宮ノ森シャンツェ周辺とともに、ロングツアーでは、札幌オリンピックアルペンの会場である手稲山、小樽の住宅地にある天狗山周辺、小樽から札幌郊外の定山渓に抜ける途中にある札幌国際スキー場、旭川拠点では旭岳の麓、勇駒別、十勝岳を望む美瑛、富良野から狩勝峠を抜け新得と、どういう訳かスキー場巡りといったコースが多かった印象です。

冬道からS-VSCが生まれた

もちろん業務出張ですからスキーをやったことは一度もありませんが、スキー場への登り、その下りは、絶好の試乗コースです。こうした試乗の中で、ハイブリッドシステムが担う駆動力のトラクションコントロールと回生制動とブレーキの協調制御の確認を通して、二代目プリウスに採用することになったS-VSC(Steering-Assisting Vehicle Stability Control)の開発につながっていきました。

低燃費、低カーボンで夏も、冬も安心、安全に、またストレスを感ずることなく運転そのものも楽しめるクルマをめざし続けてきました。初代、二代目、三代目プリウスと少しはこの目標に近づいていると思いますが、まだまだクルマとしてのレジェンドには程遠いと思い続けてきました。

次なる四代目は、エコ金メダルは当たり前、エコの看板を外したところでクルマの基本性能、その魅力を高めてくれると、これまで350万人のお客様の後押しもいただいてクルマとしてのレジェンドに一歩でも近づくことを期待しています。